第3話 == 機神

「あ、あ……?」


 息が詰まる。過呼吸になる。自分自身と世界の隔たりが曖昧になる。喉元から込み上げる異様な吐き気を飲み下し、零式は目の前に眠る少女とモンタージュを見比べた。


 『オリジン』という神に等しい能力を有する人工知能によって、僅かな情報から推測されたモンタージュ画像は本物を行き写したかのような精度で生成される。


 機神がどのような相貌に化けるのか。それを彼女がどのような方法で解析しているのかを人類に理解することはできない。最もブラックボックスを理解する必要はない。その出力が正しければ、それで良いのだから。そして、その出力結果は必ず正しいものだ。


 そのため、機関から送られてきたモンタージュ画像と、目の前で眠る少女の特徴が完全に一致するという事象は一つの結論を導き出す。


 それは、セナが機神きしんであるという結論である。


「そんな……馬鹿なことがあってたまるか……」


 零式は震える手で《柩送りラストリゾート》を取り出し、OSを起動する。全身に高濃度のエネルギーが巡回する感覚を味わいながら、『万物を見通すプロビデンスの眼』でセナを見詰める。


 機神歯車から垂れ流されるエネルギーの流れ、強弱、色の違いなどの要素を視認できるようになった瞳は、人間と構造が同質であるヒューマ=レプリカントと成った機神であっても正体を看破することができる。


 その眼に映るのは、平生へいぜいと同じく白い髪を持つ少女の姿である。


「は、はは……ほら、やっぱり間違いじゃないか」


 そこまで言った零式はあることに気が付いてしまう。

 『万物を見通す眼』によって機神歯車のエネルギーを視認できるのは間違いない。

 だが、それによって対象に最も著しい変化が生じるのは毛髪の色である。髪は人体の中でも機神歯車のエネルギーを最も浸透させやすい素材であるからだ。

 そのため『万物を見通す眼』で機神を見れば、髪の毛が人間では不自然な色味に変化するために相手の正体を看破することができる。


 ならば、その機神の髪の色とエネルギーの色が完全に一致する場合はどうだろうか。


 例えば――透き通るような純白とか。


「……う、うう」


 もぞり、と目の前の機神が目覚めた。

 そのまま起き上がり、零式を認識するや否やこちらを見てにっこりと笑う。


「うーん、寝ちゃってました……零式く――」


 自身に向けられている銃口に気が付いたのか、傷ついた表情と共にセナは口を噤んだ。

 だが、すぐに微笑みを取り戻して口を開く。


「そう……ですよね。私も全部思い出しちゃいました。どうして、こんな大切なことを忘れてしまっていたんでしょうか」


「それは……君が、機神であることか?」


 零式は銃口を彼女に向けたまま、そう問うた。全身に湧き上がるような寒気を感じつつ、それが初めての感覚ではないことを自覚する。

 それは、かつて愛する人が機神であると判明した時と同じ感覚であった。


「はい。私は正真正銘、人類に憎まれている機神という存在です」


 セナがその台詞を口にすることで、疑惑は確証へと変化した。

 彼女は嘘を吐いていない。零式は表情筋や身体の動きを観察することで、相手が嘘を吐いているかを把握することができる。その上で、彼女は真剣な眼差しをしていた。


「……でも、私はただの機神ではありません。零式くんは『レプリカント=セヴン』って知っていますか?」


「『レプリカント=セヴン』……? 一体、君は何の話をしている」


 零式はその言葉に聞き覚えがなかった。

 何種類かのレプリカントを総称した呼び名だろうか。零式がその語感から意味を推測していると、セナが続きを話し始める。


「零式くんは『お母さん』……いや、十掬とつかさんが天才科学者であることをご存じですよね?」


「ああ、十掬支部長が居なければカーネルも開発されることはなかっただろう」


 有り体に言えば、彼女は天才である。極東に存在する第八防衛都市シェルターが機神やレプリカント解体で第一線を走ることができるのは彼女の手腕によるものが大きいだろう。


「そうです。『お母さん』は対レプリカント兵装であるカーネルの開発を行っていました。レプリカントだけならば良かったのですが、最近は再起動リブートを行う機神が増えています。そのため、彼女には機神という敵が再定義されました。聡い彼女のことなので、現状のカーネルでは機神を完全に解体することができないということがわかっていたのでしょう」


 独白のように続けるセナから銃口を合わせたまま零式は無言で聞き入る。


「そこで彼女は機神に対する機神の開発を進めました。そして、開発されたのが私です」


「……いや、冗談はよせ。機神を……開発している、だと?」


 零式はセナの口から語られる十掬の所業に驚愕する。いくら機神を解体するためとはいえ、新しく機神を開発するなど、過去を冒涜するにも程がある。


「冗談ではありません。現に、私がここに存在していることが最大の証拠です。神を冒涜する八つの最終兵器の内の一機、《-The last resort of Ragnarok/Justice White-》が私の正式名称でもありました」


「少し待ってくれ。君の言うことが本当なら、話の筋が通らない。何故、君は十掬支部長が生み出した機神であるにも関わらず解体されなければならない?」


 そのように問われたセナの表情が曇った。

 今までに起きた出来事を反芻はんすうするように、彼女はぼそぼそと口を動かす。零式はそれを静かに見詰め続けた。


「それは、私が欠陥品で廃棄処分予定の機神だったからでしょう。しかし、私は廃棄処分されるという運命から逃れるために研究所から逃げ出してしまいました。だから、私の姉妹機である機神の機神兵に命を狙われることになりました。といっても、逃げ出した直後に何らかの理由で記憶を失っていたので、訳も分からずに逃げることになったのですが……」


「……そうか」


 状況を飲み込んだ零式はもう片方の《柩送り》を取り出し、二丁の銃口をセナに向けた。

「僕は廃品回収業者として、引き受けた任務を遂行しなければならない」


 冷ややかな白銀に煌めく銃口を眺め、セナは死の危機に瀕しているのに動じなかった。


「もうすぐ殺されるというのに、君はどうとも思っていないような表情でいれるんだな」


「私は機械です。元から心なんて高度なものは持ち合わせていません。……だから、死という概念は怖くないです」


「黙れ。死が怖くないなんてことがあるか。機神のヒューマ=レプリカントは、人間と全く変わらない構造になるようにOSが世界を書き換えて生まれた存在だ。だから、心はきちんと君の胸の中、厳密にはその白い髪が包み込んでいる頭の中にある。そんな虚勢を張るのはよせ」


「……ッ! 虚勢ではありません!」


「なら、君は何故震えている?」


 零式はセナの身体を指さした。少し触れただけで壊れてしまいそうなほど華奢で繊細な身体は小刻みに震えている。


「……っ」


「人であるなら、死を恐れるのは至極当然のことだ。その瞳に涙をためているのは、君にも感情が、心があるからだよ」


 セナは顔を上げて零式に焦点を合わせた。その瞳にはうっすらと涙が溜まっている。


「君は泣いてもいいんだ。世の中の理不尽に対する怨嗟の声を僕にぶつけてもいい。何故、機神が解体されなければならないのか、と。何故、機神ばかりが責められなければならないのかと、慟哭してもいい。君たちが何か悪いことをしたのか……ッ?」


 零式は朧気になる視界に《柩送り》を映す。彼女も一市民として必死に生きていただけなのだ。確かに機神として世を馳せた時代には、いくつもの命を奪ったかもしれない。


 だが、人間として生きる彼女は一つも罪を犯したことがなかった。


 にも関わらず、機神であると判明した際には断罪されねばならなかったのだ。


「こんな――こんな理不尽が在ってたまるかッ!」


 彼女――柩が最期に言ったのは『私が人間じゃなくてごめんなさい』という懺悔の言葉だった。一度さえも零式を非難することなく、微笑んでいた。


「何故、彼女が、君が、解体されなければならない……? 彼女も、君も、僕よりも人間らしく善であることは間違いない。なら何故、君たちが裁かれ、悪鬼の所業たる僕や腐敗した政治家は裁かれずに済むんだ! 彼女を解体した僕も、人々を見捨て私腹を肥やす人間たちの悪が見逃されるのは何故だ!?」


 零式の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。悔しい、悔しくてたまらない。


「セナ、答えてくれ。君は無実、そうだろう?」


「……いえ、機神は絶対悪なのです。解体されねばならない悪なのです。罪の在り無しは関係なく、その存在自体が悪なのです。私に定義づけられた正義は、自分自身を含めて機神を悪と見なし、全て破壊せねばならないとしています」


 彼女はそのまま続ける。


「私だって……私だって怖いです! どうして、なんで、私が解体されなきゃいけないんですか? お母さんに産み落とされただけなのに、悪いことなんて一つもしていないのに。逃げられるなら逃げたいです、でも……私は逃げ切るだけの力はありません」


 セナは迎えるように手を広げ、幾筋の涙が流れる微笑みを浮かべた。


「零式くん、今までありがとうございました。最期はどうか、あなたの手で私という悪にとどめを刺してください。ごめんなさい、零式くんに辛い思いをさせて、ごめんなさい」


「――な、ぜ」


 気がつけば、零式の両手から《柩送りラストリゾート》は抜け落ちていた。

 代わりに討つべき機神であるセナの華奢な身体を力一杯に抱きしめていた。


「何故、君たちはいつも謝るんだ……! 何故、純粋な殺意を向けて僕を非難してくれないんだ……!」


「……零式くん」


 弱々しい力でセナに抱きしめ返される。暖かい、人間の温もりが伝わってきた。


「僕には……君を解体することはできない……」


「……そう、ですか」


「馬鹿な質問をするけれど、君には、行く当てがあるかい」


「いえ……私は何処にも行くことができません……」


 行く当てがあるはずがなかった。セナは中央区の研究所で作られた機神なのだ。知人がいるわけでもなければ、防衛都市の外がどうなっているのかさえわからない。


「そうか」


 零式はセナから離れ、彼女に手を差し伸べた。

 それは明確な『約束』という意味合いでの握手であった。


「なら、僕が君の居場所になってやる。ずっと一緒に居てやるから」


 ――一緒にここから逃げよう、と口にした。


 零式の手に、ゆっくりとセナの手が触れる。零式のような無骨な手とは異なる、柔らかで暖かい手だった。どこか心に暖かいものが生まれるのを零式は認識する。


「――はい」

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