2-7 本紫

 それから何事もなく一週間が過ぎた。挽歌も機神兵の発見には至っていないらしく、事態としては膠着状態に陥っていた。そもそも挽歌一人の『万物を見通す《プロビデンスの》眼』だけで第八防衛都市から機神兵を捜し出せという任務自体が破綻しているのだ。


 そこでセナの記憶に頼らねばならなくなり、琉琉からの命令が出ることになる。

 それは彼女を多彩な刺激に触れさせるというものであった。その刺激がセナの記憶を取り戻す誘因となるのではないか、というのが琉琉の狙いだろう。


「零式くん、零式くん! あれは何ですか!」


「あれはソイレント食の屋台だね。ソイレントで印刷した材料を味付けして焼いた食べ物を売っているんだ。材料が材料だから顧客に安価で提供できるらしい」 


 零式とセナは第三外周区の歓楽街を歩いていた。真っ昼間にも関わらず様々な違法屋台が建ち並び、見る目を飽きさせることがない。


「へぇー……香ばしい良い匂いがして食欲がそそられますね」


 屋台の香りに誘われんとするセナを零式は眺めた。


 彼女の首に巻かれた漆黒のマフラーは重力に逆らって揺れ動き、彼女の感情に応じて揺れの強弱が変化する様子は仔犬が尾っぽを振る仕草に酷似している。

 そのマフラーは零式が着用していたマフラーであり、外出するにあたり護身用としてセナに貸しているのである。肌越しに神経の電気信号を読み取り、硬度や形状を操作することのできるそれは下手な護身具よりも有用性がある。


 といっても機神相手には気休め程度に過ぎないのも事実であるが。


「実際に美味しいよ。屋台によってソイレントの印刷設定が異なるから食感が違うし、なにより味付けの種類に富んでいる。まあ、料理で言うところの焼き鳥と同じかな」


「わぁ……美味しそうです。というか、辛抱なりません! 買ってきます!」


「――ッ! 待て、単独行動は危険だ!」


 零式の警告は噪音そうおんに掻き消され、セナは寿司詰め状態となった屋台通りへと消えていく。

 いくらセナのように白髪という目立つ特徴があっても、彼女は低身長だ。そのため、この人混みに埋もれてしまい、それは特徴として機能しないだろう。


 結論として、零式はセナを見失ってしまう。


「……く、抜かったか」


 零式の背筋にどこか冷たいものが走る。


 件の機神兵の襲撃を懸念した悪寒ではない。流石に機神兵と言えど騒ぎを起こしてまで襲撃を仕掛けるようなことはしないだろう。零式が案じているのは暴漢や無法者による犯罪に彼女が巻き込まれることだ。第三外周区という無法地帯では誘拐事件などは日常茶飯事であり、セナのように無垢で愛らしい少女は格好の的になり得る。


「……くそ、どこに行ったんだ」


 熱気が籠もる人混みに飛び込み、掻き分けて進むが一向に白い髪の少女を見つけることはできない。絶え間ない人間の濁流に呑み込まれそうになりながらも、セナの名前を大声で叫ぶが反応はなく、むしろ返ってくるのは煩いだの黙れなどの罵りだけだ。


「駄目だ……見つからない」


 十数分ほどが経過しただろうか。叫びすぎて喉が嗄れ、息遣いが荒くなった。

 どうしようもできず途方に暮れていると、不意に腰の辺りを何者かによって小突かれる。


「――もし、そこの小僧よ」


 喧噪けんそうの中でも聞き取れる鈴の音色のような声。

 零式が振り返ると、そこには精緻に作られた和風人形のような童女が居た。


「そなた、人を探しておるのじゃろう?」


「……」


 零式は呆れて返事を忘れてしまっていた。目の前にいる少女は本紫色の浴衣を纏い、漆塗りの下駄を上品に履いている。また、その見た目から年齢は十歳ほどであり、腰に掛かる程の髪の毛は太陽の光に反射して艶やかに輝いていた。


「……返事をしたらどうなのや?」 


 無反応の零式に気分を害したのか、むすっとした顔で見上げてくる童女。

 その幼さの残るような顔立ちに反して、肩と太ももが大きく露出する肌色面積の多い意匠の浴衣である。花火模様が金糸で刺繍されており、帯は血染めを彷彿とさせるような紅色でリボンのように結んである。


 どう考えても第三外周区に住む少女の格好ではない。


「……君は迷子か?」


「質問に質問で返すのは失礼よな。よいか小僧、るいは『人を探しておるのか』と聞いておるのじゃぞ? あと自身の名誉のために言っておくが、るいは迷子ではないのや」


「はぁ……」


 どう考えてもセナよりも誘拐の対象に選ばれそうな童女は胸を張ってそう答える。本来ならば父親か母親を探すべきところだが、第一として零式はセナを見つけなくてはならない。

 目の前にいる少女はその後に対処しても構わないだろう。


「うん、僕は人探しの最中なんだ。君は綺麗な白い髪で黒いマフラーを巻いたお姉さんを見なかったかい?」


「ふふ、見とらんのぅ、見とらんのぅ」


 浴衣の袖で口元を隠し、童女は心底楽しそうにくすくすと笑った。目を糸のように細くして人を小馬鹿にするような笑みである。


「そうか……それは残念だ」


「よせやい、一丁前の男が肩を落として落ち込むでないぞ。るいは確かに見てはおらぬが、奴を肌で感じることはできるのや」


「……は?」


 何を言っているのか理解できずに疑問符を浮かべている零式を余所に、童女は踵を返して人混みの中を歩き始めた。

 少しだけ歩いた所で立ち止まり、零式がいる方向に振り向いて怪訝そうに眉をひそめた。


「……何故、木偶の坊よろしくぼーっと突っ立っておるのや?」


「いや、君が何を言っているのかわからなくて」


「うむうむ、無理をして理解する必要あらずなのや。黙ってるいに付いてくるが良いぞ」


「……わかった」


 目の前の童女にはどうやら心当たりがあるらしい。セナの居場所が皆目見当がつかない零式は大人しく付いて行くことにする。

 ひょこひょこと童女が歩く度、ちりんちりんという鈴の音が響く。先導する童女も零式も口を開かず、終始無言であった。


「……ふむ、着いたぞ。さっさと娘を見つけてやるが良いのや」


「ここは神社……か?」


 そこは歓楽街の外れにある閑散とした神社の廃墟だった。神を祀るための社は既に潰れて久しく、へし折れた鳥居は撤去されることなく残されたままとなっている。

 現在では機器類のジャンク品などが無差別に違法廃棄され、機械の墓場と化している。


 その廃品の中、年代物の3Dプリンタに腰を掛けて寂しそうに俯いている少女がいた。


「――セナっ!」


「――ッ! ぜ、零式くぅぅん!」


 紙袋に入れられたソイレント食を両手に持ったまま駆け寄ってくるセナ。そのままぶつかるようにして零式に抱きつき、胸元に顔を擦りつけてくる。


「勝手にいなくなって、何処に行ってやがったんですかぁ!」


「いや……勝手にいなくなったのは君のほうだ。あの人混みに入れば離れ離れになることは考えたらわかるだろう?」


「そういうことは先に言っておいてくださいよー……」


 彼女に何事もなく安堵する零式から離れ、セナは「そういえば」と一言。


「どうして私がこの神社にいるって分かったんですか?」


「ああ、それはこの少女が案内してくれたからだよ」


「? どの少女ですか?」


 そのようにセナに問われた。まさか、と零式は振り返って先程の童女を探すが、その本紫色の浴衣を身に纏った童女は姿形も消え去ってしまっていた。

 まるで幻覚でも見ていたのかと錯覚するほどの空虚さを覚えてしまう。


「……おかしいな。さっきまでそこに居たんだが……」


「とにかくその女の子に感謝ですね。これが冷めちゃう前に会えたんですから!」


 片方の手に持っている紙袋を差し出し、にっこりと微笑むセナ。


「さあ、一緒に食べましょう!」




 セナに誘われるまま、零式は適当な大きさの廃棄品に腰を掛けた。


 紙袋の中には未だ湯気の立つソイレント食が入っていた。その内の一本を取りだし、零式は焼き鳥や団子を食べるときと同様に齧り付いた。柚子胡椒味である。


 セナは零式に寄り添うようにして隣に座り、嬉しそうに咀嚼している。


「予想以上に美味しいです。それにテレビも見れますし、なかなか良いスポットです」


 珍しいことにまだ生きているモニタが廃棄されており、何処かの放送局からの電波を受信して二番煎じの特集ばかりのバラエティ番組を垂れ流している。


「そういえば、零式くんのお家にはテレビ無いですよね」


「うん。無くても生きていけるし、見たくないものを見なくて済むからね」


 バラエティ番組が終わり、次の番組までの橋渡しをしている広告放送を眺めながら零式は言う。それは世に巣食う機神を絶対悪とし、市民の協力がより良い社会を作るということを伝えるプロパガンダめいた広告放送であった。


「……」


 機神は迫害されて当然の代物である。前の戦争で世界を滅亡寸前にまで追い込んだ最悪の兵器なのだから当然だ。それは疑いようもない事実である。


 しかし、本当に機神は悪なのだろうか。


 戦争を勃発させたのはその時代を生きていた人間であり、機神ではない。拳銃を用いた殺傷事件で拳銃に罪を問うことがないように、機神に罪を問うのは間違いではなかろうか。

 そう思案していると、広告放送が終了しニュース番組が始まった。


「十掬支部長の話題で持ち切りだな……」


 モニタに映っているのは第三防衛都市に訪問する十掬支部長の映像である。機神やレプリカントの解体に関する各防衛都市の主要人物が集まる大規模な会議とのことだ。


 今後の解体業に大きな変化をもたらす発表があるとかないとか、である。

 できることならば、損害ではなく利益となる発表であれば良いのだが。


「……ッ!」


 ぽとり、とセナの手からソイレント食が滑り落ちた。


「……セナ?」


 どうしたのかと声を掛けるが、彼女から反応は返ってこない。

 彼女の瞳は見開かれたままモニタに釘付けとなっており、その瞳に映っているのは十掬支部長の姿だ。彼女は支部長という立場にも関わらずに普段通りに白衣を纏っていた。


「……あ、な……あ、ああ……ッ!」


「どうした、セナッ!」


「あ、頭が……ッ! い、痛いッ……!」


 激しく動揺し、頭を抱えるセナ。身体は絶え間なく震え続け、それでも視線はモニタから離れることがない。どうにかして宥めようとするが、零式にはどうすることもできなかった。

 モニタに目を向けると、美しい白髪を持つ十掬支部長と一瞬だけ目が合う。


「――お母さ、ん……?」


 そう言い漏らし、セナはぷつりと糸が切れたかのように気を失った。




 零式は気を失ったセナを背負い、自宅まで運んだ。

 かつての同居人の部屋にあるベッドに彼女を寝かせ、じっと様子を眺める。呼吸も整っており、気を失っているだけで大事ではなさそうだ。


「しかし、お母さん……だと?」


 零式は彼女が口にした単語を脳内で反芻する。


 記憶の中にある限りでは、十掬支部長にセナのような娘が居たという記録はない。そもそも十掬は妙齢の女性であり、セナのような娘を持つには若すぎる。


「ああ……考え込んでしまうのは悪い癖だな、僕は」


 考える必要はない。セナが目覚めた時に聞けば良いだけの話なのだから。


 刹那、不意にベルが鳴るような音が響いた。その発音源は九九式機関に配布されている通信デバイスであり、仕事に関するメッセージが通知されるものだ。


「こんな時に何の用なんだ……?」


 不満と共にジャケットのポケットからデバイスを取り出し、ボタンを押すと暗い室内に鮮やかなホログラムが空中に展開される。そこに書かれたメッセージは簡潔に言うと『手配中の機神のモンタージュが完成した』というものである。


「……ようやく『オリジン』が仕事をしたのか」


 零式は添付された画像データを素早く展開し、敵である機神の姿を目に焼き付けんとした。


「――ッ?」


 そこに表示されたのは、目の前で眠っている少女の姿そのものであった。

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