2-6 レプリカント=セヴン計画

 同時刻、挽歌は眩しいほどに輝く満月を背にして高層ビルの屋上に立っていた。


「今宵の月は、あまり好みではないな」


 誰にも聞こえないような声で一人呟いた後、挽歌は《懺悔の唄エレギア》を無機質な鞘から抜きだした。金属と金属が擦れる冷たい音が鳴り、刀身は月光を反射して妖しく閃いた。


 件の機神兵を捜索するにあたって、自らの足で広大な第八防衛都市シェルター内を歩き回って見つけるというのは不可能に近い。また、《万物を見通す眼》を発動するのにも体力を著しく消耗するという意味でも、歩いて探すという行為は現実的ではない。


 しかし、だからといって諦めるわけではない。


 挽歌は高層ビルの屋上に備え付けられた監視カメラに視線を向けた。今時、コードレスではない監視カメラなど骨董品のようなものだが、今だけは都合が良い。


「……ッ!」


 挽歌は無言のまま、そのコードに《懺悔の唄》の刀身を突き刺した。


「――OS、起動ッ!」


 鞘に埋め込まれた紅色の機神歯車が回転を開始し、挽歌の身体を通して刀身に紅いエネルギーを補給する。同時に、エネルギーによって拡張された挽歌の意識が監視カメラのシステムを通して、都市全体に広がったメッシュネットワークに入り込む。


「ぐ……っ」


 脳内にありとあらゆる情報が流れ込む。カーネルを通じてデジタル変換された零と一の暴風域を掻き分け、視界にはパステルカラーの直方体が現れては消えていく。雑音のように聞こえる『何か』は人間と人間同士の会話なのか、それとも無価値な文字データの跋扈ばっこか。


 《懺悔の唄》を副脳として演算処理させているとはいえ、これだけの情報を処理するのは明らかに許容量を超えている。もしかすると、現実世界に帰ってこれなくなるのではないかという不安を抱きながら、挽歌は情報の世界を泳ぎ回った。


 例えるならば、砂漠から一粒の砂金を見つけようとするようなものだ。しかし、効率面で言えば歩き回るよりも遙かに効率的である。


「何処だ……!」


 幾何学的な模様が浮かび上がっては崩壊を繰り返し、耳鳴りのような甲高い音が身を裂くような感覚に襲われる。情報の濁流に晒された意識は、徐々に白い領域が増えて行く。

 そもそも、私は何を探していたのだろう。そんな疑問が浮かび上がる。


「私が……見つけ出したかったのは……」


 意識が消えかけた瞬間、紫色のノイズが電流のように身体に走った。


「――《懺悔の唄エレギア》ッ!」


 挽歌の声に反応するかのように、紅色の機神歯車の回転が激しくなる。捻出されたエネルギーは挽歌の意識を無理やり固定化し、強固な物に変えた。


 逃がさない、逃がすわけにはいかない。


 迫り来る防火壁ファイアウォールの隙間をくぐり抜け、目的の場所に無理やりネットワークを繋げる。


「見つけた――ッ!」


 挽歌の脳内に流れ込んできた目的の情報は、とある監視カメラが映した映像である。その映像には、どこかの屋上から防衛都市を眺める男の姿が映っていた。

 喪服のような直黒なスーツ姿は見間違えるはずがない。自身の相棒を簡単にへし折った恨むべき存在である。


 映像の背景を照合させて位置情報を絞り込み、挽歌はコードから《懺悔の唄》を引き抜く。


 場所はそう遠くない。カーネルによって強化された身体能力であれば、すぐに到着することのできる距離だ。酷使させた脳に痛みを感じながら、挽歌はビルからビルへと跳躍を繰り返して行く。少しでも足を滑らせれば、真っ逆さまに落ちてしまうだろうが関係ない。


 そうして辿り着いたビルは、他のビルと比較して二倍以上の高さがある建物だった。挽歌が居るビルの屋上からでも、見上げ切れないほどの高さだ。


「ええい、面倒くさいッ!」


 わざわざ玄関から入ってエレベーターを使う時間などはない。挽歌は躊躇わずに助走を付け、ビルの屋上から目的のビルの側面へと飛び移った。


 そして、壁に着地する。鍛えられた関節は着地の衝撃を完全に押し殺し、ノータイムで次の機動を可能とした。挽歌はそのまま紅く光る眼を上空に向ける。


「だあぁぁぁぁあああッ!」


 そのまま、挽歌は上に向かって壁に次の一歩を突き刺した。重力を無視しているかのように、挽歌の身体は上に上にと疾走する。

 瞬く間に屋上までの距離は縮められ、挽歌はそのままの速度で屋上に飛び出した。


「――解体するッ!」


 目の前に現れた喪服の機神兵に向かって、挽歌は紅い熱量を垂れ流す妖刀を振りかざした。


「おっと」


 しかし、挽歌の奇襲を知っていたかのように機神兵は簡単にそれを躱した。


「な――」


 機神兵に攻撃を難なく回避された挽歌の身体は、勢いを殺しきれずに屋上から投げ出されてしまう。いくらカーネルで強化された肉体と言えど、この高さで落下したら確実に死ぬ。


 挽歌の視界に防衛都市の夜景が映し出され、死を覚悟した瞬間、襟首に圧がかかった。


「ほらよっと」


 機神兵が挽歌の襟首を掴み、屋上に引き戻していたのだ。そのまま投げ飛ばされた挽歌の身体は屋上を転がり、《懺悔の唄》を床に突き刺してようやく停止する。


「かはっ……」


「やれやれ……満足に一服すらさせてくれねぇのか」


 機神兵は呆れた様子で咥えていた煙草を床に落とすと、靴で踏みつぶす。


「化け物みてぇな反応が接近してるとは感じていたが、まさかお前が来るとはな。お前のカーネルは粉々に砕いておいたから戦線離脱してくれるかと思ったんだがな」


「抜かせ……その程度では《懺悔の唄》を破壊することなどできぬ!」


 挽歌は床に突き刺さっている《懺悔の唄》を手に取り、体勢を整え直す。立ち上がった瞬間にぐらりと倒れそうになるが、どうにか根性で耐えた。


「止めとけ。どうせ俺の居場所を探すために無茶をしたんだろ? そんな身体で戦ってもお前が一方的に消耗するだけだ。まぁ、お前が万全の状態であっても同じだろうがな」


「……」


 挽歌は何も言い返すことができなかった。正面から戦っても勝ち目が無いと分かっていたからこそ、奇襲に賭けたのだ。その奇襲ですら歯が立たなかったのであれば、もう挽歌にはどうすることもできない。


「まぁ、安心しろよ。いくら休憩中に斬りかかられたからって、お前をどうこうしようって気は俺にはない」


「なんだと……?」


「でもまぁ、俺もちょうど暇していたんだ。少し話に付き合えよ」


「ほざけ。何故、私が敵である貴様などと談笑せねばならぬのだ!」


 そう言って挽歌は一歩を踏み出そうとするが、上手く両足に力が入らずに尻餅をついてしまう。どうやら予想以上に脳にかかった負担が大きいようだ。


「あんまり無理すんじゃねえよ。そもそも、俺を敵だと判断するのが早計ってもんだ」


「……一体、貴様は何を言ってる? 貴様のような機神兵は私たち解体師の敵に決まっているだろうが! 機神とそれを守る機神兵を解体することが我々の存在意義だ……!」


 自身の誇りを捲し立てる挽歌に対し、機神兵は深く溜め息を吐いた。


「だから、機神兵だからって俺を敵だと考えること自体が間違ってるって言ってるんだ。例えば、味方の機神兵が居たらお前らも楽ができるんじゃねぇか?」


「……は?」


 挽歌には目の前の機神兵が言っている言葉の意味が理解できなかった。味方の機神兵などという存在は一切考えたことがない。そもそも存在するはずがないのだ。


「遅かれ早かれ、あと一週間後には公表されることだ。満身創痍になりつつも俺を捜し当てた根性に免じて、お前には先駆けて教えてやるよ」


 機神兵はゆっくりと尻餅をついている挽歌に歩み寄り、しゃがみ込んだ。


「お前、『レプリカント=セヴン計画』について聞いたことがあるか?」


「なんだ……それは?」


「一機の機神を解体するのに消耗される解体師の人的被害は甚大だ。いくらカーネルで身体を強化していると言っても、解体師が人間の範疇を抜け出すことはできねぇ。例えば、お前がこの高さから落ちたら間違いなく死ぬだろうが、俺のような機神兵が落ちても軽微な損害で済ませることができる」


「……言いたいことを簡潔に言え!」


 理解できていないわけではない。目の前の機神兵が何を言いたいのかは挽歌にも理解することはできる。だが、それを認めたくはないのだ。


「機神を解体するのに解体師を利用するのは非効率だ。それなら、機神を解体するための機神と機神兵を利用した方が効率的なのは明白だろ。それが『レプリカント=セヴン計画』の概要であり、この第八防衛都市が隠してきた真実だ」


「なっ……!」


 あまりの衝撃に俯きそうになる挽歌の顎を親指でぐいと上げ、機神兵は紫色の瞳で彼女の瞳を覗き込んだ。


「俺の自己紹介がまだだったな。機神を解体するために用意された機神兵『レプリカント=セヴン』の一人、壱外だ」

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