2-5 過去が追いかけてくる

 夕食後、零式は自室にて《柩送り》の整備を行っていた。

 本来はカーネル開発機関である第二研究所で定期的なメンテナンスを課せられているのだが、零式はそれを無視して自分自身で調整をしている。


 理由としては、かつての想い人である機神の核を用いて作られた《柩送り》を、他人の手に任せることに抵抗があるからだ。特殊な工法で作られた拳銃とはいえ、設計自体は通常の拳銃との相違はあまり見られないため、零式でも手入れをすることはできた。


 零式は洗浄された部品を一つ一つ組み上げていく。一年前から欠かさず行ってきた作業であるため、たとえ目隠しをした状態でも違わずに組み立てることができるだろう。


「……こんなものかな」


 組み立て直した後の《柩送り》が正常に動作することを確認した後、零式は相棒である拳銃を机にそっと置く。寝台からでも手の届く範囲に置いておかないと眠れない癖が付いてしまったことを嘆きつつも、零式は消灯して寝台に寝転がった。


 もう夜も遅い。既にセナは隣の部屋で眠っていることだろう。長らく空き部屋となっていた部屋に人が居ることに対する違和感を少し感じながらも、零式は瞳を閉じる。

 疲れ切った身体が眠りに付くと同時に、零式は一年前の出来事を思い出す。 




 あれは、身を裂くように冷たい風の吹く日だったか。

 現在は使われていない鉄塔を登った先にある展望台に、彼女の姿はあった。


「……ひつぎ


 零式が口にした簡易識別名ドメインに反応し、彼女は振り返った。


 真夜中をそのまま塗り固めたような漆黒の髪が揺れ、今にも背景の夕日に溶け込んで消えていきそうな印象を受ける。振り向いた彼女の顔には一切の敵意は無く、それどころかどこか悲しげに微笑んでいた。


「……お別れの、時ですね」


 彼女――柩が言い終える前に、零式は量産されている拳銃型カーネルの銃口を向けた。震える手で、しっかりと彼女の額に照準を合わせる。


「どうして、君が機神であることを僕に黙っていたんだ」


 あまりに無意味な質問過ぎて自分自身が嫌になる。自分でも彼女の答えは分かっているはずなのだ。それでも、聞かずにはいられなかった。


「それは貴方と少しでも長く過ごしたかったから、と言えば都合が良すぎるのでしょうか」


「……くっ」


 予想通りの回答だ。彼女ならそう言うと零式も分かっていた。

 せめて、その回答から嘘偽りを感じることができたならば、零式もここまで苦しむことはなかっただろう。彼女はただ真実のみを口にしていた。


「先刻、『オリジン』が君を機神だと断定したよ。だから、僕以外の解体師や廃品回収業者スカベンジャーも血眼になって君を探している。君を、殺すために」


 零式はそのまま量産型カーネルのOSを起動する。機神の核が用いられていない無神むしんのカーネルではOSを起動しても、身体能力の向上と『万物を見通すプロビデンスの眼』を発動するだけの性能しかない。だが、それでも零式に残酷な真実を突きつけるには十分だった。


 柩がいつも自慢してきた漆黒の髪に、銀色に輝くエネルギーによって十字架のような模様が浮かび上がっていたのだ。『万物を見通す眼』によって可視化されたエネルギーは、その発生源である柩が人間ではないことを物語っていた。


「そうですか、やっぱりあの子オリジンには敵いませんね……でも、私を最初に見つけてくれたのが貴方で本当に良かったと思っています。零式さま、貴方に殺されることができるのですから」


 一言一句、柩の言葉に嘘は混ざっていない。

 彼女は零式自身の手によって、間違いなく殺されたがっていた。


「あまりに理不尽だ……! だって、君は機神といえど悪いことはしていないじゃないか。どうして罪無き者にとがを背負わせられる。どうして君は殺されなくちゃいけない。どうして機神というだけで世界が敵に回ることになるんだ! ……僕は、」


「零式さま!」


 君を殺したくはない、そう口にしようとしたが柩に遮られてしまう。


「私のOSは『あらゆるモノを必ず殺す』機能を有しています。言わば、私は死神同然の存在なのです。能力を展開すれば人の命はもちろん、都市機能であろうと復元不可能な段階にまで殺すことが可能です。この街には、そのような危険因子が存在すること自体が悪なのです」


 その能力を証明するかのように、柩は華奢な手を一凪ぎする。

 すると、先程まで吹いていた冷たい風が、死んだかのようにぴたりと止んだ。


「基礎を『殺す』機能で構築された私は、常に殺戮衝動と共にあります。それでも、私が第八防衛都市シェルターという都市を殺さずに居られたのは、貴方という存在が居る街だからでしょう」


 柩は夕日の方向に振り返り、見渡すことのできる街並みを瞳いっぱいに映した。

 第四外周区に放置された鉄塔からは、第三外周区の一部を見渡すことができる。廃墟に無理やり人が住んでいるような光景だが、それは彼女の瞳には輝いて映っていた。


「本当に、本当にどうしようもない街です。まだ食べられる食糧をごみとして廃棄する人間もいれば、泥を啜り木の根を囓って生きている人間もいる。人々の格差は広がるばかりで、常に弱者が切り捨てられる。本当に、本当にどうしようもない街です。私自身が手を下すまでもなく、既にこの街は根幹が腐り、死に向かって歩いている」


「……それでもこの街は、人類最後の楽園の一つなんだ」


「ええ、零式さまのおっしゃるとおり。しかし、私はこの街を早く楽にさせてあげたいとも思っています。思っているのに、思っているのに、殺すことができないのは、貴方という存在と出会うことのできた思い出の場所であり、私にとっても《最後の楽園ラストリゾート》だからでしょう」


 彼女が口を噤み、一間置くと再び冷たい風が吹き始めた。


「それでも、私の殺戮衝動が止むことはありません。塵が山と化すように、積もる衝動はいずれ溢れることでしょう。現に、私という存在があの子オリジンに感知されたのも強くなりすぎた衝動が原因だと思われます。今だって零式さま、貴方を殺したくて殺したくて仕方がありません」


 ぞわりと背筋に悪寒が走った。零式の眼に見えている黒と銀が混ざり合ったようなエネルギーの螺旋は、目の前の少女から溢れ出しており、それが死という概念を眼に見えるほどに凝縮されたものであることは本能的に判る。


「大切な人を殺す理由として、愛しているから殺す、自分だけのものにしたいから殺すという理由がまかり通るでしょうか? 答えは簡単明白で、否です。そもそも対象の命を奪うという行為に理由を付けること自体が無意味なのです。生きるために殺す、守るために殺す、どのような理由を付けても悪なのです。人々は理由を付けることによって、殺すことの重さを誤魔化しているに過ぎません。しかし、理由もなく殺すことは理由を付けて殺すことよりも凶悪です。なのに、私は貴方を理由もなく殺したい、と思ってしまう。ただ、ただ、貴方を殺したいと思ってしまうのです。そんな私を、私自身は殺したい」


 銃口を向けたままの零式に近付き、その両手を包み込むようにして柩は両手を添えた。零式はそれを冷たいと感じ、対して柩はそれを暖かいと感じた。


 そのまま柩は銃口の先が自身の首筋となるように、零式の両手を移動させる。


「ま、待て! 一体、何をするつもりだ……!」


「私が貴方を殺してしまったならば、次はこの街を殺すことになるでしょう。その前に、貴方の手で私を殺して欲しいのです。私が……大切な人と、大切な人と過ごした思い出の場所を殺してしまう前に」


「それは、君が自分を殺すという悪を、罪を、僕に押し付けようとしているだけに過ぎないじゃないか……! 駄目だ、そんなことは絶対に駄目だッ!」


「それで良いのです。私を殺したという罪を背負って生きてください。その贖罪しょくざいのために、私の機神歯車で作られたカーネルと共に、この街に害をもたらすレプリカントを、機神を、殺して殺して殺してください。ありとあらゆる存在を、貴方の手で、葬ってください。これは、私との最後の約束です」


 柩の指先が、零式の人差し指に添えられる。

 零式の人差し指の先には、拳銃型カーネルの引き金が在った。


「や、やめてくれ……! それだけは……僕は……君を殺したくないんだ……!」


 逃げたい、逃げ出したい。しかし、零式の身体は硬直したまま言うことを聞かない。


「零式さまは暖かい人でした。普段から感情を押し殺そうと努力していますが、それでも暖かさが漏れ出すほどに。木漏れ日のような貴方に、日陰者の機神わたしが釣り合うはずがありません。ごめんなさい、私が人間じゃなくて、ごめんなさい」


 銃口の先に首筋を当てたまま、柩はにっこりと微笑んだ。

 そして、徐々に彼女は指先に力を入れていく。その力は零式の人差し指に伝達し、


「止めろ、止めてくれ……! 止めろおおぉぉおおぉおッ!」

 引き金が引かれ、撃鉄が落ち――




「うわああぁあぁあああああッ!」


 零式は雄叫びのような悲鳴を上げながら寝台から飛び起きた。

 着ているシャツは冷や汗でぐっしょりと濡れており、心臓は早鐘のように鼓動している。


「は、――はぁ……っはぁ……!」


 零式は机の上に置かれた《柩送り》に視線を向けた。

 暗闇の中、窓から差し込んだ月明かりで照らされた拳銃は黒と銀色に煌めいており、どこか彼女の面影を思わせる。その拳銃の存在自体が夢が現実であったことを証明しており、零式の咎の証でもあった。


「僕は……彼女を……!」


 殴られたかのような頭痛と、込み上げる吐き気に襲われる。

 だが、それよりも辛いのが、どこかから湧いてくる空虚感である。寂しさや悲しさといった一つの形容詞ではとても例えるきることができない感覚だ。


「だ、大丈夫ですか!?」


 ドアが思い切り開けられ、寝間着姿のセナが部屋に入ってきた。髪の毛には寝癖が付いているし、抱えるようにして枕を持っている。

 どうやら、先程の叫び声で彼女を起こしてしまったらしい。


「あ、あぁ……すまない、起こしてしまったか。少し悪い夢を見てしまったみたいなんだ」


「……零式くん、本当に酷い顔ですよ?」


 心配そうにセナが顔を覗き込んできた。

 実際に酷い顔になっているだろう。亡霊のような顔つきになっているに違いない。


「いや……大丈夫だ。悪夢を見るのには慣れている、慣れているんだ……」


「……」


 セナは無言で零式が横たわっている寝台に腰をかけた。月明かりが彼女の白髪を照らし、白銀に輝いている。その銀色は、どこか柩を彷彿とさせた。


「悪夢を見た後って、眠れませんよね。同じ悪夢を見てしまうような気がして」


「……ああ」


 実際に零式は悪夢を見た後は、朝まで眠ることのできない人間だった。それどころか、下手をすれば翌日も眠ることができない。空虚感が怖いのだ。


「丁度、私も眠ることができなくて困っていたところなんです。零式くんが眠れないのなら、私が話し相手になってあげましょう!」


 気を抜けば眠ってしまいそうな表情でセナは言った。誰が見ても彼女が熟睡していたことは明らかであるし、今も眠たいに違いない。

 それでも、零式は断ることができなかった。


「いいのか……?」


「ええ、構いません! じゃあ、ほら! ここ、どうぞ!」


 そう言いながら、セナは自分のふとももをぽんぽんと叩いている。


「……? はい?」


「膝枕ですよ、もしかして零式くん知らないんですか?」


「いや、知っているけれど」


「元気のない男性を元気づけるには胸を揉ませるのが一番と聞いたんですけど、お世辞にも私は胸が大きいとは言えないので……そこで、膝枕というわけなのです」


「は、はぁ……」


 誰にそんなことを吹き込まれたのか。大体の予想はつくのだが。


「ほら、はやくはやく。誘ってるこっちも恥ずかしいんですから!」


 よく見れば、セナの顔は月明かりでも分かるほどに赤くなっている。


「じゃあ、頼むよ」


 零式はセナの語気に乗せられ、恐る恐る彼女の膝に頭を乗せた。


「どうですか? 柔らかいですか?」


「ああ、いつも使っている低反発枕の方が快適かな。君はもう少し肉を付けた方が良い」


「な、なんですかそれー!」


「……でも、暖かい」


 自身も彼女も生きている。そう実感できるほどに暖かかった。

 その暖かさは、零式の心に安心感を満たすには十分なほどであった。


「……そうですか」


 セナはそう言って、零式の頭を優しく撫で始める。


「それにしても、ここから見える月は綺麗ですね、零式くん」


「ああ、本当に、綺麗だ……」


 窓から見ることのできる満月は、銀色に輝いている。美という概念に疎い零式でさえも美しいと思えるほどである。


「零式くん、どうして満月は綺麗か分かりますか?」


「……? 輝いているからじゃないのか? 人間は輝いている物を好む性質があるだろう」


「いえ、違いますよ。『みんなが満月は綺麗だと思っている』からです」


「それは、満月に皆が綺麗だと思えるほどの魅力を持っているからじゃないのか?」


「いえ、満月自身には綺麗や醜いといった要素はありません。それを見た人間の判断が伝播を重ね、固定観念を形成するんです。例えば、最初に満月を見た人が醜いと判断していれば、満月は醜いという固定観念の世界になっていたかもしれません。所詮は二者択一の結果が今の世界観を構築しているんです」


 セナの詭弁を指摘することなく、零式は彼女の穏やかな声に聞き入る。


「でも、満月が醜いとされる世界で、貴方だけが満月を美しいと感じたとしても、それは間違いではありません。その満月は貴方のためだけに輝いているんです。もし、そんな満月を見つけることができたなら、零式くんはそれを大切にしてあげてください」


「……そうだな」


 セナの話は指摘する場所が多く見られるにも関わらず、零式を妙に安心させた。

 たとえ機神が悪であると決めつけられた世界であっても、自分だけは味方になっても間違いではないのではないか。そう思えたのだ。


「……おやすみなさい、零式くん」


 自身の膝の上で眠りに落ちた零式の寝顔を眺めながら、セナは独りごちるのであった。 

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