2-4 料理
零式が拠点としている賃貸住宅は第二外周区と第三外周区の狭間に立地している。正確には第三外周区内であるが、インフラは整備されているので比較的治安は良い。眼前に
収容量を増やすことだけを考えた増築によって巨大と呼べるほどに肥大化しており、防犯対策として至る所を舐めるように監視するカメラと銃器が設置されている見た目から、一部からは『
「お、お邪魔させていただきますっ!」
恐る恐るといった様子で玄関に上がるセナ。どうも他人の家が落ち着かないのか、きょろきょろと視線をあちらこちらに送るばかりで玄関から動こうとしない。
「そこまで恐縮することはないよ。我が家だと思って気楽にしてくれると良い。一人で住むには大きすぎると思っていたところなんだ」
そう言って零式は余計におろおろしているセナの服装を眺める。
流石にボロ雑巾のような服装や病衣で連れ出すわけにはいかないため、
彼女の背丈が小さいため、服に着られている――というよりか服に埋まっているという表現の方が的確にその場を表している。若干長めの袖からは指先が少し覗くだけであり、世辞にもサイズが合っていると言うことはできない。しかし、それが琉琉の狙いであることは零式自身も理解しており、男心にどこか暖かいものを満たすセナの姿形は『萌え袖』というフェティシズムの一種であることは間違いない。
「……良いな」
「うー、零式くんの視線が怖いです。舐めるように身体を眺められて早くも信頼関係に支障どころか亀裂を生みそうです」
「待て、これは世界中の男性の大半が抱く情感だ。だから、僕だけが特殊なフェティシズムを有しているわけじゃない。安心したまえ」
「いやいや、安心できませんよ。それ、零式くんが謎の性癖を持っていることには変わりないじゃないですか!」
「ああ、突き詰めるとそういうことになる」
「ひ、否定しないんですか……!」
「そうだ、そこの部屋を自由に使ってくれて構わない。今は使ってないからね」
零式は玄関近くにある扉を指さす。その部屋には適当なベッドなどの家具類は揃っているため、数日寝泊まりするには不足ないだろう。かつての同居人が使用していた部屋であるため、零式の意思で勝手に貸すのは正直気が進まないが、空いている部屋がその部屋か物置くらいしかないために仕方がない。
「ナチュラルに無視されましたし……否定してくださいよぉ……」
小さな声でぼそぼそと口籠もるセナを余所目に、零式は『
琉琉に言わせれば『女の子は無骨な男と比べて道理と荷物が多くなる生き物』とのことらしいので、これも仕方のないことなのだと無理やり納得することにした。
「……良し、これで最後かな」
零式が最後のダンボール箱を運び終える頃には、すっかりと夜のとばりが下りた後だった。
『監獄ホテル』前の通りにある歓楽街は徐々に夜の顔を見せ始め、電飾を多用した看板がこれでもかと闇の中に存在を主張している。飯時になるにつれて人々の
その『日常』から目を逸らし、喧噪な外界を遮断するかのように我が家の扉を閉める。
「……君は何をしている?」
「いえ、その、私の荷物なのに運ばせちゃって悪いなー……なんて罪悪感と共に、男子のお家でどのように振る舞えば良いのか判らなくてですね」
「家主を刺激しないよう無難に廊下で正座して待ってた……と」
「ええ、はい。いかにもその通りです!」
本気で廊下に正座することが無難な選択と思ったのかという疑問が残るが、目の前でちょこんと正座したままの少女の真面目な眼差しは嘘を吐いていない。
「……まぁ、いいか。ところでセナ、お腹は空いてないかい?」
そう口にすると、彼女の顔には『ご飯ですか! いやはや待ってました!』とでも言いたげな表情が浮かび上がった。目を爛々とさせ、こちらをじっと見詰めてくる様子は餌を貰う直前の仔犬を彷彿とさせる。
「目が覚めてから、お水しか飲んでないのでぺこぺこです!」
「なんだ、琉琉さんは昼食を用意してくれなかったのか?」
「それがですね、ナノマシン注射前後は身体の状態を安定させる必要があるらしくて……」
「そうか。わかった」
個体識別用ナノマシンの身体への定着を促すには安静状態でいることが最も効率的である。そのため注射前後に食事を取ったり運動することは不適であり、琉琉が昼食を用意しなかったことやダンボール運びをセナに手伝わせるなと釘を打たれたことにも納得がいく。
もしも安静にする必要が無ければ、琉琉は満漢全席でも用意していたに違いない。
「なら、すぐにソイレントの印刷に取りかかるよ。味覚カートリッジは何がいいかな?」
「えっと、どんな味があるんですか?」
「そうだな……『合法カレー味』と『スイカ味』と……友人に第一防衛都市の土産で貰った『北の大地味』があるかな。おすすめは『合法カレー味』だ」
「なんですか、その好奇心旺盛なセグメントだけをターゲッティングした事業戦略の成れの果てのような商品は……そもそも、合法って付いている時点で違法臭いですよね」
何故か正座したままのセナを余所にダイニングキッチンの吊り戸棚から『合法カレー味』のカートリッジを取り出し、背面の成分表示を眺める。何種類かの多幸感を引き出すスパイスが絶妙に法に触れない程度に配合されていた。
「ああ、法律すれすれの配合成分で適度な依存性がある良く出来た製品だよ」
「だ、駄目です駄目です! そんなもの食べたらお腹壊しますよ!」
カートリッジのフィルムを剥がし、調理用3Dプリンタに取り付けようとしている零式を止めようと声を張り上げるセナ。そのまま廊下から匍匐前進で這うようにしてこちらに来る。
「そう言われても『スイカ味』はカブトムシみたいな土臭さがするし、『北の大地味』に関しては枯れた牧場みたいな臭いしかしないぞ。冷蔵庫に報酬として現物で貰った食材が入っているけれど、残念ながら僕には料理の心得がない」
「それなら私にお任せください! 不肖ながら私も品位ある淑女の一人、お料理を嗜んでいてもおかしくありません」
「品位ある淑女は他人の家で這いつくばったりはしないと思うんだけど……」
「こ、これは足が痺れて立てないだけですから!」
流石に床を舐めるような姿勢でいることに恥じらいを感じたのだろう。ほんのりと頬を染めて「ひぇぇ」と情けない声と共に立ち上がるセナ。産まれたばかりの子鹿のように足をぷるぷると震えさせているが、そんな状態の娘に刃物を持たせて大丈夫なのだろうか。
「……君は料理を学んでいただとか、調理における知識のような記憶を持っているのか?」
「いえ、全然ないですね。でも、男性の胃袋をガシッと掴んで離さない料理を作る自信だけは掃いて捨てるほどあります!」
セナの言葉に一抹の不安が残る中、意気揚々とキッチンへと向かう彼女を止めることができない零式であった。
数十分後、テーブルの上には暖かな湯気を立てる白米と若布を具とする味噌汁、ほうれん草のおひたしと焼き魚が二人分並んでいた。
炊飯器などという時代錯誤な調理器具は零式の家には置かれていないため、鍋で炊かれた白米は最高の炊き加減で白銀に輝いており、味噌汁に至っては中央区の『現役料理人のいる』高級料亭で出されるような気品が感じられる。植物工場で生産されたほうれん草を茹でただけのおひたしはシンプルながらも、シンプルであるからこそ料理人の腕を忠実に反映している。焼き魚はペースト状にされた魚肉を固めた加工肉を焼いて調味料で和えただけのものであるが、誰かに言われずともそれが絶品であることは見ただけで判る。
「…………」
零式はテーブルに並んだ料理と目の前でエプロンを外しているセナを交互に眺める。もしかすれば阿呆のように口を開いていたかもしれない。それほど衝撃的だったのだ。
「冷蔵庫のありもので献立を決めたので、豪華な物は出せませんが……」
エプロンを畳み、Tシャツ姿になったセナが前の席に着きながら申し訳なさそうに言う。
エプロンは先程零式が運んだダンボール箱に入っていたらしく、料理前に揚々とダッフルコートからエプロンに着替えた彼女を横目で眺めた時には、まさか失敗作以外の物が出されるとは夢にも思っていなかった零式である。
「いや……この料理を外食で食べようと思えば、僕の財布は少なからずの打撃を受けるよ」
このご時世、ソイレント以外の食糧自体が高級品に分類される上に、現代では失われつつある『調理』という技術を経て『料理』という完成品へと仕立てる過程には相当の価値がある。
零式と挽歌が入店した中華料理店などのように『調理』が現存する料理店や『調理』の真似事をする屋台などは第三外周区にも存在するが、それらは結局の所訳あり品であることが多いために零式のような一般人にも手は届く。
しかし今、目の前に置かれている料理は間違いなく一般人には不相応の品であると言える。
「そうなんですか? まぁまぁ、遠慮せずにどうぞどうぞです」
「……それじゃあ、いただきます」
手を合わせた後、零式は箸を手に取った。素手で食べられるソイレント食が普及して箸やフォークなどの食器を扱うことのできない人間も少なくはないが、零式は最低限のマナーとして母親に厳しく訓練されたため、比較的難度の高い箸も扱うことはできる。
箸を器用に扱い、焼き魚を口に運ぶ。
「……ど、どうでしょうか」
黙々と咀嚼する零式を緊張の面持ちで見詰めてくるセナ。正直、そこまでまじまじと見詰められるとこちらとしては気恥ずかしくもなるのだが、彼女は視線を外してくれない。
ごくり、と咀嚼したものを飲み込んだ。
「……美味しい。僕が今まで食べてきた食べ物の中でも一番に美味しい、と思う」
決して世辞などではない。
そもそも零式は世辞などが言えるほど器用な性格ではない。美味しければ美味しいであり、不味ければ不味いとはっきりと言う性質である。
舌触りの良い白米を堪能し、ほんの少しだけ火傷しそうな熱さの味噌汁を啜る。どの品も非の打ち所がない絶品料理であり、三大要求の一つを完全に満たされるかのように錯覚する。
「えへへ……」
自身の料理が褒められて嬉しいのか、セナはとろけるような笑みを浮かべた。そのまま黙々と料理を食べ続ける零式を両手で頬を挟むように頬杖を突いて眺め続ける。
「その、君は食べないのか?」
セナはこちらを眺めるばかりで未だ自身の料理に手を付けようとしない。折角の料理が冷めてしまっては勿体ないのではないかと思い、零式はそう聞いた。
すると、セナは『これだから男の子は』とでも言いたげな呆れ顔となる。
「……いいですか零式くん、何事にも優先順位なるプロパティが設定づけられています。この場合、『自分の料理を美味しそうに食べてくれている殿方を眺める』という行動と『料理を食べる』という行動があります。聊かの乙女心を加味すれば、前者の優先順位が高くなるのは自明の理なんですよ」
「なるほど、そういうものなのか」
零式は乙女心を解する風流心などを持ち合わせている人間ではないため、今ひとつ解りかねるが目の前の少女がそう言うならそうなのだろう。
「だけどセナ、食事は一緒に食べた方が美味しく感じられるんじゃないか?」
「……!」
「それに可憐な少女との談笑は食を彩り、豊かにする。それを享受できないのは僕としても嘆息を禁じ得ない」
「わ、わかりましたよ。食べます、一緒に食べますから!」
頬をほんのりと染めながら、セナは「いただきます」と言って箸を持った。零式同様に器用な箸使いで料理を掴み、口に運んでもむもむと咀嚼する。
零式はその様子を眺めながら、彼女は第一外周区育ちのお嬢様なのではないかと推測する。
箸を器用に扱えるという点から教養の高さが垣間見える上に、『調理』などという技術を習得することができるのは、高価な食材や調理器具を揃えることのできる上流階級の人間でなければ難しい。そのため、不法入国者や非登録奴隷という線は考えなくて良いだろう。
しかし、何故個体識別用ナノマシンが打たれていなかったのかという疑問は残るのだが。
「そういえば調理器具が揃っていましたが、零式くんはお料理しないんですよね?」
「うん、僕に料理はできない。あの調理器具は昔同居してた人の形見、のようなものかな。といっても、彼女の料理は食べられたものじゃなかったけれど……」
彼女が作った溶かした蝋燭のようなシチューを今でも鮮明に思い出すことが出来る。
「零式くん、恋人さんと同棲していたんですか!?」
「いや、許嫁だよ。訳あって彼女はもういないんだけど……なんだその顔は」
許嫁という単語を聞いたセナの表情には懐疑と一抹の申し訳なさが同居しているように見えた。だが、形見やもういないという言葉から察したのか徐々に申し訳なさが強くなっていく。
「……えっと、変なこと聞いちゃってごめんなさい」
「気にはしないさ。仕方のないことだ」
気まずさが空間を満たし、食器の音だけがキッチンに響く。
「……でも、その人は零式くんのことをとても大切に思ってたと思いますよ」
「――ッ」
その言葉が耳に入ると、ひやりと冷たいものを感じた。
丁度そこは、《柩送り》を収めるホルスターが存在する場所でもあった。
「あんなに丁寧に手入れされた器具を見れば、料理を食べさせる相手に対する思いやりが痛いほどに伝わってきます。零式くんを心から慕っていたことは間違いありません」
「……そう、か」
そのことは言われずとも零式自身が十分理解している。
故に忌むべき機神であった彼女をこの手で解体したことを今でも悔やんでいるのだから。
機関を敵に回してでも守ってやれなかったという後悔こそが、零式の背負う罪である。
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