2-3 冷えたゼウス

 いくら一時的な住民登録とはいえ、身元不明のセナをデータベースに登録するにはいくつもの手続きを踏まなければならないだろう。無論、個体識別用のナノマシンを注入する必要があるので、一時間や二時間で終わることがないのは間違いない。


 そこで零式は時間潰しを兼ねて、カーネル開発機関である『第二研究所』に赴いた。


 『第二研究所』は立方体の黒い箱にお情け程度の窓を取り付けたような相貌をしており、周辺を放射熱によって赤色に染まっている塔が囲んでいる。その塔の正体は弐型動力炉歯車どうりょくろはぐるまによる発電機関であり、都市全体に電力を供給する施設とは別に誂えられた『第二研究所』専用のエネルギー源である。透明な高性能断熱材でコーティングされているため、近付いても熱を感じることはないが、内部は非常に高温の状態となっているだろう。


 この発電機関だけでも第八防衛都市シェルターに存在する総電力の半数が生み出されており、その全てが『第二研究所』によって消費されている。言い換えれば、レプリカントを解体するためのカーネルを生み出すには非常に莫大なエネルギーが必要になるということだ。


 もし、カーネルを一振り製作するのに必要となるエネルギーを第三外周区以降のインフラ整備に充てれば、多くの人間を救うことができるだろう。

 しかし、それでもカーネル製作にエネルギーが充てられるのは、たった一振りのカーネルであってもインフラ整備とは比にならない数の人間を救うことができるからだ。


 大を救うために、小を見捨てる。それが九九式機関の基本方針である。


 入り口に備えられた個人識別装置をカーネル所有者である零式は難なく通過した。多くのカーネル所有者がここを訪れる理由としてカーネルのメンテナンスが挙げられるが、零式は入り口の受付で《柩送りラストリゾート》のメンテナンスを頼むこともせず、より奥へと足を運ぶ。


「……確か、ここだったか」


 零式が歩を止めたのは、カーネル試験運用室の前である。自己再生強化ガラスが填められた大窓を通して内部の様子を観察することが可能だ。本来は開発者が試験運用に立ち会うべきなのだが、その大窓の前には居るはずの開発者が一人すら居なかった。


 その理由は単純に危険だからだろう。おそらく開発者は安全な別室でカメラを通して試験運用を観察しているに違いない。


 その試験運用室には、たった一つの人影がある。

 黒地に赤を基調とした厳めしい制服に、時代錯誤したヘッドホンは見間違えようがない。


「やあ、挽歌」


 零式は厳重に施錠が成された扉が開くのを待ち、その内部へと足を踏み入れる。


 まず、零式の瞳に映ったのは廃材の山と化した試験用レプリカントである。

 それらは試験用故に非殺傷武装へと換装されているとはいえ、野良と同じ武装歯車ぶそうはぐるまを搭載しているため驚異的な機動が可能だ。しかし、およそ二十機にも及ぶ試験用レプリカント全てが核である歯車をたったの一太刀で両断され、息絶えていた。


 この量を相手にこれだけ正確に解体する自信は零式でさえも持っていない。


 零式は廃材の山に腰をかけて一息吐いている天才を見上げ、『ゼウス』と銘打たれたエナジードリンクを放り投げた。防衛都市シェルターが定めた基準値すれすれのカフェインとカロリーを含有しており、様々な労働者から非常に強い支持を得ている一品だ。


「お、おおっ!?」


 突然の来客に戸惑いを見せながらも、挽歌は空を舞う缶を掴んだ。


「む……零式か。それで、これは何だ?」


「ほら、これだけ解体すれば消費熱量カロリーも馬鹿にならないだろう? 君に栄養不足で倒れられたら困るからね」


「……気持ちは嬉しいのだが、どうせならば固形物が良かったぞ」


 そのように文句を垂れながらも、嬉しそうに缶の口を開ける挽歌。一連の戦闘動作で消耗した身体に褒美を与えるように、彼女は内容液を飲み下していく。


「くぅ~~ッ! なかなかに美味いぞ零式! しゅわしゅわは最高だな!」


「ああ、僕もその銘柄ブランドが一番好きなんだ。気に入って貰えて嬉しいよ」


 言って、零式はちょうど良い大きさの廃材に腰を下ろした。

 残った栄養ドリンクを大切そうにちびちびと飲みながら、挽歌は不審そうな目で大きな欠伸をする零式を眺める。


「それで、何の用だ? 私に栄養剤を届けに来ただけというわけではあるまい」


「うん、それはただのお土産だ。本当は君の体調と修復されたカーネルの様子を見に来たんだけれど、どうやら杞憂だったみたいだ」


 零式は廃材と化したレプリカントを眺めて苦笑する。これだけの成果を弾き出せるならば、どんなレプリカントも脅威の内に入らないだろう。


「うむ。この程度の軟弱な相手であれば、一撃で始末する自信がある。しかし……」


 挽歌は替え刃を装填した《懺悔の唄エレギア》が収められた鞘を見て、悔しそうに顔を歪める。

 そう、今回の相手はレプリカントではない。そこが問題だ。


「……本題に入ろう。僕の推論では、あの機神兵が発動させたのは物質破壊系統のOSだと思う。件の機神が『触れた物質を問答無用で粉砕する』という奇跡を起こせるのであれば、君のカーネルが簡単にへし折られたという事象にも理由ができる。それに、十掬とつか支部長も機神のOSが物質操作系統だと言っていた。これなら矛盾はない。どうかな?」


 簡単な推測ではあるが、実際に相手のOSを目にした二人には説得力のある仮説だ。なにより、十掬の『機神のOSは物質操作系統』という裏付けの力が強い。


「貴様と意見が合致するのは癪だが、それ以外の可能性が思い浮かばないな。OSによる強力な世界改変の力を押し付けられたのならば、私の《懺悔の唄》が折られたのにも頷ける」


 挽歌は《懺悔の唄》を膝の上に載せ、愛おしそうに鞘の表面をゆっくりと撫でる。しかし、その双眸からは相棒を破壊した相手への復讐がひしひしと伝わってくる。


「君は、そんな神威OSを所持した機神兵を倒すことのできる手段があるのか?」


 零式はゆっくりと顔を上げて、廃材の山に鎮座している挽歌を見つめた。


 相手が物質を破壊するOSを所持していると推測できたのは大きな前進だ。しかし、その前進を含めても相手との力の差が離れすぎている。

 機神や機神兵を解体するためのカーネルが破壊されれば、零式や挽歌のような廃品回収業者スカベンジャーや解体師はもはや為す術がないのだから。


 十数秒の間、挽歌からの解答は無かった。


「……ある、と言えば嘘になるだろうな。現状、打開策の無い状態であの機神兵と相見えれば間違いなく命を落とすのはこの私だ」


「だったら……」


「下手な心配はいらんぞ零式。私の気を逆撫でするだけだ」


 零式が「僕が回復するのを待て」と言う前に、挽歌によって話を遮られる。


「貴様が戦線復帰したとしても、それは打開策なり得ない。その……私の心配をしてくれるのはありがたいのだが、貴様は自身の体調回復とセナの記憶を取り戻すことに尽力するべき、であろう? セナが打開策となる『何か』を思い出す可能性は否定できんからな」


 挽歌が立ち上がり、流れるような動作で《懺悔の唄》を腰に差し直した。

 一度の跳躍で廃材の山から下りた彼女は、零式に背を向けて試験運用室から退出しようと歩を進める。その背中は「不毛な会話は終わりだ」とだけ語っていた。


「挽歌」


 彼女の簡易暗号名ドメインを呼ぶ零式の声が、たった一瞬だけ彼女の歩みを止めた。


「死ぬんじゃないぞ」


 零式の言葉に、挽歌からの返答はない。彼女は無言を貫いたまま、零式の声を遮断するかのようにヘッドホンを装着して試験運用室から出て行った。


 彼女はこちらの頭が痛くなるほど生真面目な性格だ。そのため、形式上の約束であったとしても実現が確実でない約束は交わさない。

 それは同時に、彼女の死に対する覚悟を表していた。


「君が君の役割を全うするなら、僕も僕の役割を全うするよ」


 零式は機械の死体だけが積み重ねられた部屋で、誓うように独りごちた。

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