第2話 == 変化
零式が目を覚ましたのは、昨晩の出来事から十二時間と一〇分が経過した後であった。
まず、視界に映るのは外界のあらゆる影響を遮断する漆黒の蓋だ。零式の目覚めを感知したシステムが内部照明を灯し、風船から空気が抜けるような音と共に蓋が開く。
漆黒の蓋が完全にスライドした後、零式は気怠い感覚を伴いながら身体を起こした。
「……僕たちは簡単に死ぬことすら許されていない、か」
零式は自身が収容されていた棺桶のような相貌のカプセルを眺めながら独りごちる。
それは解体師や上位の廃品回収業者にのみ利用することが許された緊急治療カプセルである。現代の最先端という最先端が詰め込まれ、かなりの重傷でなければ数時間足らずで対象を完治させることができる代物だ。
そうして解体師や廃品回収業者は無理に生命維持され、再び使役されることになるのだ。
零式は自身の腹部を軽く撫で、内臓が完全に修復されていることを確認する。流石は九九式機関の技術を結晶化させただけはある。あの程度の損傷では死なせてはくれないらしい。
徐に立ち上がり、零式は身に纏っていた病衣を脱ぎ捨てた。部屋の端に設置されている簡易机の上に丁寧に畳まれて置かれていた自分の衣服を着用し、内部ホルスターに《柩送り》を仕舞い込んだ。常備している黒いマフラーを首に巻いてようやく安心感に包まれる。
棺桶のような治療カプセルを一瞥した後、零式は一見霊安室にしか見えない治療室を出る。
「……」
「むにゃ……」
治療室を出ると、廊下の壁に寄りかかる形で立ったまま寝ている挽歌に遭遇した。
腕を組み、一定のリズムで船を漕いでいる。彼女がどれだけ図太い精神で生きているのかは計り知ることができないが、自分のベッドでなければなかなか寝付くことのできない零式にとっては羨ましい限りである。
「挽歌。おい、挽歌」
挽歌を起こそうと、零式が彼女の肩に触れようとした瞬間。零式の右手が素早く彼女の手に払われ、無防備な腹部へと鋭い拳が突き刺さった。
「がはッ!」
完全に油断していた零式に、仮想道場で身に染みこませた近接格闘術が炸裂する。治療されて間もない腹部に一撃をお見舞いされ、思わず零式も顔を歪める。もはや彼女の身体には反応ではなく反射の領域で技が染みこんでいるのだろう。
「……むにゃ。誰だ、私の貴重な睡眠を妨げる輩は……」
ふわぁ、と大きな欠伸をする挽歌。
未だ焦点の合っていない寝ぼけ眼を零式に向け、ようやく彼を認識した。
「あ、零式。ようやく目が覚めたのか?」
「……ああ。ここ最近で一番清々しい目覚めだよ」
「……? まだ腹が痛いのか?」
腹部を押さえたまま皮肉を吐く零式を、加害者である挽歌は不思議そうに見つめる。寝ぼけと無意識が合わさった状態で零式を殴ったため、自覚がないのだろう。
「いや、僕は大丈夫だ。それより、彼女は?」
彼女――すなわち、昨晩に機神兵の襲撃から保護した少女である。
今後の活動として重要になってくるのは情報量だ。再度あの機神兵と対峙することになった場合、情報はあればあるだけこちらが有利になる。そのため、何らかの事情を知っていそうな少女から情報を聞き出す必要があるのだ。
「今回の騒動における重要参考人として保護している。まぁ……保護している、と言っても病室で寝かせているだけなのだが……こっちだ、ついてこい」
挽歌に先導され、件の少女が保護されているという病室に向かう。
非常に高価な自己再生リノリウムを床材として使用された廊下は常に新造と同様の輝きを保っており、殺菌性も有しているために病院の廊下としては非常に優秀だ。それも九九式機関に付属された解体師専用の病院であるために、多額の投資が可能となっているのだ。
反面、第三外周区以降の区域では最低限の機材さえも整っていない病院がほとんどだ。
そのような環境の劣悪さから脱するために、解体師という死亡率の高い職に就く人間が多いのだと言う。
零式は前を歩く挽歌の制服に目を向けた。黒と赤を基調とされた制服はエリートの証であると同時に、九九式機関という権力に首輪を繋げられた隷属の証でもある。
「……な、なんだ。私の服装をじろじろ見て……」
零式の視線に気がついたのか、挽歌が振り向いて怪訝そうに声をかけてくる。
そこで、零式は彼女が普段から身につけている《懺悔の唄》がないことに気がついた。
「そういや、君のカーネルは修復可能なのか? 随分と派手に破壊されていたけれど」
「ぐっ……貴様は思い出したくもないことを思い出させよって……あぁ、核の機神歯車は無傷だから替えの刀身を用意すれば問題なく扱えるらしい。魂鋼で作られた刀身を粉々に砕かれたという事実に開発班の奴らが腰を抜かすほど仰天していたがな」
挽歌は再び前を向いて歩きながら、零式の質問に答えた。
「そうか」
開発班の連中が驚くのも無理はない。
その魂鋼がいとも簡単に砕かれたというのだから、驚くのも当然なのだ。
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