2-1 白銀

「よし、着いた……と思う」


 挽歌が立ち止まり、病室のドアに貼り付けられた名札を見つめた。非常に簡素な番号が振られており、重要参考人が保護されている部屋には到底見えない。


「えーっと……ここだったかな……うん、たぶんここ……」


 確信が持てないのか、不安そうに病室のドアと零式の顔を交互に見る挽歌。間違えて異なる病室に入ったら気まずいから、零式がドアを開けろと暗に言っているのだ。


「……やれやれ」


 零式は病室のドアを軽く二回だけこんこんと叩いた。


「は~い、どうぞ~」


 病室のドアの向こうから、妙に間延びした女性の声が聞こえてきた。

 零式と挽歌はその声の正体をしっており、同時にこの病室が目的地であると確信する。


琉琉るるさん、こんにちは」


 挨拶と共に零式がドアを開けて病室に入る。

 そこは適切な大きさの部屋にベッドが一つだけ置かれているだけの質素な部屋だった。

 もちろん、ベッドには件の少女が心地よさそうに眠っている。


 少しだけ幼さの残るあどけない顔つきをしており、年の頃は零式よりも少し年下あたりだろうか。生体スキャンをかけたわけではないので詳しいことはわからないが、それほど離れていることはないだろう。


 そして特に零式の目を惹いたのが、彼女が持つ純白の髪の毛である。昨晩は火事による橙色に照らされていたために正確な色彩を判別できなかったが、病院の不健康な白色電灯に照らされた少女の髪の毛は一点の曇りさえ存在しない完璧な白髪であることが認識できる。


「……っ」


 その現実離れした美しさに、零式は無意識の内に見惚れてしまっていた。

 普段は芸術品を我楽多と同様に見做すほど美術に関心のない零式だが、何故か今回ばかりはその『純白』に強く惹きつけられる魅力を認めたのである。


「おやぁ? 間抜けな顔晒しちゃって……もしかして見惚れちゃってるのかな!?」


「間抜けだなんて、あんたに言われたくはない」


 ベッドに潜り込み、少女の隣に寝転がってにんまりとした笑みを浮かべる女性に零式は答える。部下に間抜けを晒す上司に、間抜けなどと言われたくはない。


「むー、なによ。反抗期?」


 少女に添い寝したまま、女性は不満そうに頬を膨らませる。

 ウェイブのかかった栗色の髪の毛を指先で弄りながら、じっとりと零式を睨み付けてきた。


「る、琉琉殿!?」


 遅れて病室に入ってきた挽歌が、自身の上司が少女に添い寝しているという奇天烈な光景を目の当たりにして目を白黒させた。


「あらあらー、挽歌ちゃん。昨晩は零式の心配ばかりして、治療室前から梃子でも動こうとしなかったけれど、無事に彼が目覚めて良かったわねー」


「ひぇっ!?」


 上司の痴態を見て狼狽している挽歌が追い打ちをかけられ、まるで茹でられた蛸のように顔を真っ赤にする。熱がこちらまで伝わってきそうなほどだ。


「そうなのか?」


 零式の問いに、挽歌はすぐに返答を返すことができない。零式の無機質な瞳を見て硬直した後に、彼女はがくがくと震える口をこじ開けて無理やり声に出した。


「だ、だ、だって! そりゃあ、目の前でいきなり倒れられたら心配するに決まっているだろう! 死んじゃったらどうしようとか、怖い思いでいっぱいになっちゃうだろう!」


 冷静さを欠いた挽歌の頭から、ずるりとヘッドフォンがずれて床に落ちる。そのヘッドフォンから平生の奇妙な音楽ではなく、マインドヒーリング効果のある加工自然音が流れているのを零式は聞き取った。

 どうやら、彼女によほどの心配を与えてしまっていたらしい。


「心配してくれてありがとう。でも、僕はそう簡単には死なないよ」


「お、お、おう……な、なら良いのだ……」


 そう答えた後、ヘッドフォンを装着し直した挽歌は俯いたまま完全に沈黙してしまう。


「いやー、意識不明のあんたが運ばれた時、挽歌ちゃんぼろぼろ泣いてて大変だったのよ?」


「る、琉琉殿ぉ!!」


 琉琉の言葉に、思わず顔を上げた挽歌は今にも泣きそうである。


「そんなことより、あんたは何をしている? 十掬支部長は第三防衛都市に出張する予定だと聞いていたんだけれど」


 少女に添い寝をしている琉琉という女性は、自由奔放な見た目と態度に反して九九式機関第八防衛都市副支部長という重要な役割を与えられている人間である。何故、その彼女が仕事を放棄してベッドに寝転がっているのか、零式は非常に興味をそそられた。


「あー……十掬ちゃんね『貴様は邪魔になるだけだから、大人しく留守番をしていろ』とか言ってあたしを置いて行っちゃったのよ。だから暇を持て余していたんだけど、重要参考人としてかわいい女の子が保護されたって聞いたから眼福にあずかろうと見に来たのよね」


「それで、その子を気に入ったのか……」


「だって、ちっちゃい十掬ちゃんみたいで可愛いんだもん! ほっぺもぷにぷにしてて柔らかいし、なにより天然の白髪なんてなかなかお目にかかれないわよ?」


 堂々と言い張る琉琉に、零式は思わず溜め息を吐いた。

 どうして彼女が未だに首を切られていないのか、甚だ疑問な零式である。


「それで、その子に関して判ったことは?」


「それがねぇ……この街の人間ならナノマシンを注射されて管理されているから、体内に残留しているナノマシンを検査すれば全部丸わかりなんだけど、この子にはナノマシンが注射されていないみたいで全然全くなーんにもわかんないんだわ」


「……なら、不法入国者か非登録奴隷あたりか。それだけで機神兵に追われる理由になるとは到底思えないけど」


 防衛都市に居住している人々は誕生時か市民権を得た際に個体識別用ナノマシンを注射される。そのナノマシンによる個体識別技術によって、専用の口座などに給料として電子マネーが支払われたり、様々な組織に登録が可能となるために、個体識別用ナノマシンは防衛都市を生き抜くには必須の要素なのである。


 しかし、不法入国者や非登録奴隷は市民権を得られていない。そのため、ナノマシンを注射する機会が存在せず、体内にナノマシンが残留していない状況を作り出すことができる。


「さぁねー、それはこの子に直接聞いた方が早いんじゃないかしら? ほらほら、起きないといろいろ触っちゃうぞー」


 琉琉は少女に頬ずりをしながら、ぺたぺたと少女の身体を撫で始める。

 こんな人間が上司の挽歌に同情していると、眠り続けていた少女に反応があった。


「ん……うぅ……誰ぇ……」


 少女が苦しげな呻き声を漏らしつつ、重たい目蓋をゆっくりと開く。

 まずは状況が理解できていないような表情。そして意識がはっきりと戻るにつれて、自分の頬に頬ずりをして、妙にいやらしく身体を触ってくる女性の存在に気がついた。


「ひ、ひゃっ! な、なんなんですか、あなたはッ!」


「ぐへへ……なぁ、嬢ちゃん……すけべしようやぁ……」


「ひぃ!? た、助けてッ! そ、そこのお兄さんッ! 助けてください!」


 琉琉の十八番である悪ふざけに対し、少女は彼女の抱擁から逃れようと必死で藻掻く。今にも泣き出しそうな半べその状態で、零式に助けを求めた。


「ほら、琉琉さん。悪ふざけも度が過ぎると犯罪になるよ」


「それがねぇ……あたしくらいになると、軽い犯罪なら揉み消せるから大丈夫なのよ」


「冗談はいいから……あんたが離れてくれないと、話が先に進まないだろう」


 この都市を統治する二番手とは思えない言葉を口走る琉琉を、零式は無理やり少女から引きはがした。変な所触ってるーだの、零式のどすけべーと琉琉が喚くが、零式は完全に無視して少女に声をかける。


「災難だったね、身体の調子は大丈夫かい?」


「え、えっと……大丈夫です。足を怪我したはずなんですけど、全然痛くなくなってて……」 


かけ布団の中で両足をもじもじ動かしつつ、少女はそう答えた。


「そりゃそうよー。一回でうん百万円かかる治療システム使って治療したんだから、もう完璧に完治してるわ。女の子に傷が残るのは可哀想だからねー」


「……僕の収入よりも多いんじゃないか?」


「さもありなん、ね」


 琉琉は当然のことであるかのように言い放つ。


 零式や挽歌のような職業であれば、国民の血税から治療費が支払われるため、実質タダで治療を受けることができる。だが、身元不明の人間が治療システムの恩恵にあずかることができたのはこの少女が初めてではないのだろうか。

 機関の重役の気分次第で生き死にが決まる、実に不条理な世界である。

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