1-6 圧倒的な力
真夜中の廃工場を駆け抜ける零式の両手には、既に《柩送り》が握られていた。
自身の切り札から供給される常識を逸脱した量のエネルギーは、零式自身の肉体を大幅に強化させる。無理に機能を拡張された両目はたとえ暗闇の中であろうと、貪欲に情報を吸収して十分な視界を脳に提供する。
そして、数十メートル先に一人の少女が機神兵に首を絞められているのを確認した。
「……くっ!」
零式は針路を妨害する数多もの鉄柱を避け進み、遂に自身の邪魔をする障害がゼロになる。
そして、零式は機神兵に銃口を向けた。
狙うのは、脳天でも心臓でもない。
機神兵に最も有効なダメージを与えることのできる弱点は、核である機神歯車だ。機神兵はその身体の何処かに主である機神の歯車を装着しており、それは特に右腕に腕輪のような体裁で装着されていることが多いという。
故に、零式の狙いは少女の首を掴んでいる右手に填められた機神歯車だ。
「その子を、離せッ!」
銃弾が逸れて少女に当たる可能性を考慮せずに発砲する。そもそも《柩送り》から供給されるエネルギーによって、それを『扱うためだけ』の身体に拡張されている状態であるため、零式が狙いを外すという可能性は限りなく零に近い。
「……ちっ」
放たれた銃弾を感知した機神兵は即座に少女から手を離し、機神歯車を守るように右腕を射線上から外す。異常加速された銃弾が彼方へ飛んでいくのを見届けた後、彼は一度だけサングラスを上にぐいと上げた。
零式はその隙を見逃さない。
両足に力を込め、普通の人間には出せない速度にまで加速。カーネルの加護によって成される超人的脚力によって一気に相手との距離を詰め、鎌のような回し蹴りをお見舞いする。
しかし、機神兵は零式の動きを完全に見切っていた。
零式の回し蹴りを一切の無駄がない後方跳躍によって回避し、機神兵は距離を取る。
「いくらなんでも、駆けつけるのが早すぎやしねぇか? 俺が言えることでもねぇが、この街の解体師は暇人ばかりなのか?」
「いや、僕は解体師じゃなくて廃品回収業者だ。僕の知る限り、この物騒な世の中で暇を持て余している解体師なんて一人しかいないよ」
零式は少女の盾となるように、機神兵の前に立ち塞がった。
「さて」
零式はそう呟きつつも、少女を一瞥する。
横たわったまま動かない少女だが、胸は安定して上下を繰り返している。まだ息があるため、命に別状はないだろう。だが、彼女の両足にある切り傷からは出血が多く、長い時間放置すれば感染症にかかる可能性もある。
零式の機能拡張された瞳は、たった一瞬の観察で少女の容体を見取った。
すなわち、眼前にいる機神兵を迅速に解体するという必要性が生じるのだ。
「……この街の平和のために、死んでくれるかい?」
《柩送り》の二つの銃口を機神兵に向け、攻撃・回避ができるように戦闘態勢を取る。
だが、零式の両手は強気な言葉に反して微かに震えていた。
機神解体の任務を受けた当日に、まさか機神兵と対することになるとは思っていなかった。
そのため、零式自身も心の準備が万全にできているわけでもなく、なによりこの短期間で機神が機神兵を用意していたことに驚きを隠すことができない。
しかし、それよりも先に『恐れ』という感覚が全身を駆け巡ったのだ。久方ぶり、あるいは記憶にある限りでは初めてかも知れない
脅威度の高いレプリカントと対峙した時でも、このような感覚に陥ることはなかった。
零式にとってはレプリカントなどは、ほぼ確実に仕留められる取るに足らないものだ。
しかし、今回の相手は機神の兵士たる畏怖すべき存在である。
それと同時に、自分は再び機神を解体することができる、そのことを証明することができる乗り越えるべき壁でもあるのだ。
だから、零式は無意識の内に笑みがこぼれそうになっていた。全身を駆け巡る感情は怖気だけではない。機神解体に対する苦手意識は当然だが、それ以上に自分自身が本気を出せる相手を前にして、昂揚によく似た刺激が暴れていた。
「おいおい待て待て、別に俺はお前とやり合おうとは思ってねぇよ」
戯けるように両手を挙げ、敵意がないことを証明する機神兵。だが不思議なことに、その姿には隙というものが全く見当たらない。
この機神兵が戦闘に秀でているということは本能的に判る。それも、おそらく化け物のような強さに違いない。
「解体師や廃品回収業者に邪魔されてまで俺が仕事を遂行する必要はねぇし。こう見えて俺は平和主義者だからな、無駄な戦いは好まねぇ。わざわざお前と戦う理由なんてねぇよ」
首元に手を伸ばし、機神兵はネクタイを緩める。まるで、もう仕事は終わったとでも言いたげだ。端から零式を脅威とは認めておらず、相手にする気はないらしい。
だが、零式には。
「――生憎、僕にはその理由がある」
言うと同時に、零式は大地に足がめり込むほどに踏み込んだ。
狙うのは唯一の弱点である機神歯車であり、《柩送り》が最も威力を発揮するゼロ距離射撃を打ち込むために極至近距離にまで接近する必要があるのだ。
「へぇ、お前には理由があるのか」
異常な加速によって接近する零式に対し、機神兵は微動だにすらしない。
瞬く間に機神兵を自身の得意とする
しかし、その銃口ごと機神兵の右手で覆い隠すように掴まれてしまう。
それでも構わない。いくら機神によって直接的に強化されている機神兵と言えど、《柩送り》によって放たれた弾丸をまともに受ければ無傷ではいられないはずだ。
躊躇いなく、引き金を絞る。鈍い発射音と強烈な反動が零式の左腕を伝播した。
それなのに。
「――な」
手応えが無い。
反動は確かにあったため、銃弾は発射されたはずだ。
なのに、機神兵の右手は全くの無傷で銃口を掴んだままなのだ。
「なら、証明しろ。その理由がお前にとって、どれだけの意味を持つものなのか。どれだけの覚悟を持っているのか。この俺を斃して証明すれば良い」
一瞬の狼狽が、零式の命取りとなる。
銃口から機神兵の右手が離され、乾いた音と共に銃弾が地に落ちた。心臓の鼓動が零式の驚愕を物語り、妙にゆっくりとした時間が過ぎる。背筋が凍るような感覚の中、機神兵の微笑みが一瞬だけ、死神が笑ったようにも見えた。
「――できるもんならな」
そして機神兵が一度だけ、零式の腹部を軽く指先で突いた。たったそれだけだ。
「がッ――はぁッ!」
次の瞬間、理解不可能な衝撃を受けた零式の身体が真後ろに吹き飛んだ。耐衝撃ファイバーで編まれたジャケットですら分散することができないほどの衝撃。腹部に火砲が直撃したのではないかと勘違いするほどの威力に、頭の中の思考を纏めることができない。
背後に在った錆びたパイプに衝突し、いびつに凹ませることで零式の身体は止まった。
「ぐ、ぁ……」
人体が許容できる衝撃を超えた一撃を直接身体に叩き込まれ、零式は動くことができない。
おそらく内臓のいくつかに深刻なダメージを負っているだろう。それでも零式がショック死することなく生きていられるのは、《柩送り》による生命維持のお陰だ。
「てめぇ、俺に対して手加減しやがっただろ?」
「そん、な……わけ……ない」
「てめぇ自身は本気で俺を殺そうとしたつもりなのかもしれねぇ。だが、そのカーネルはてめぇの無意識に沈んでいる『弱さ』を読み込んで、弾丸の出力を最低限に留めた。なんだ、機神兵に対して苦手意識でもあんのか?」
「……ああ、そうかも……しれない」
零式は途切れそうになる意識の中、機神兵を睨み付けながら自分の『弱さ』を吐く。
「僕は、機神を解体することに……抵抗感がある。それを、《柩送り》が読み込んだんだ。だから、君を解体することができなかった。だけど、僕は、役割を果たしたよ」
零式の拡張された聴覚が遠くからの足音を聞き取る。調子を崩すことのない足音は妙に生真面目さを感じさせ、彼女の到着を確信させた。
「僕の役割は、時間稼ぎだ。後は任せたよ……挽歌」
一閃、二閃、三閃。
凪がれた刀身の煌めきが、彼女の針路を邪魔する鉄柱を片っ端から薙ぎ倒す。
「おのれ、これは私の胃袋に収まるはずだった食べ物の仇だッ!」
《懺悔の唄》によって戦闘に特化した肉体へと拡張された挽歌は、機神兵に向かって爆発的な加速と共に走り抜ける。発生した風圧が廃工場に溜まっているあらゆる塵や埃を吹き飛ばし、挽歌は相手の眼前で真上に跳躍。
その両手には、血のように紅く輝く刀が一本握りしめられていた。
一閃を伴う斬撃。
「
挽歌が放った斬撃は、機神兵を頭から真っ二つにする剣筋だ。その一筋には、もう一筋分の斬撃を上乗せして放つため、実質二倍の威力を誇る。いくら零式の無意識で手加減した銃弾を受け止めた機神兵と言えど、挽歌の全力の二倍を真っ向から受けて無事では居られないだろう。
しかし、機神兵は避ける素振りさえ見せない。
ただ、つまらなそうに剣の軌道を阻害する位置へ左腕を掲げた。
【
――ならば、その腕ごと叩き斬ればいいだけの話だ。
機神兵を叩き斬る、いや、叩き潰すほどの威力を内包した一撃を振り下ろす。
【其方に仇為す全ての障壁を殴り、砕き、削り、穿つ、全ての力で破壊する】
ただ、妙に凜とした童女の声が、本紫色の機神歯車から放たれた。気がした。
続けて、《懺悔の唄》を握る両手に妙な感覚が走った。
それは骨肉を断つ感触でも、金属を断つ感触でも、半エネルギー体を断つ感触でもない。何も断つことができていない、そんな感触。
《懺悔の唄》が彼の左腕に触れた点で粉々に砕け、折れていた。
「……え?」
「おいおい……てめぇも暇を持て余した解体師か?」
差し込んだ月光を乱反射させ、砕けた
自分の相棒である《懺悔の唄》に何が起こったのか理解できないまま、挽歌はただ本能に従って機神兵から距離を取るように後ろへと下がる。
「き、貴様……一体何をしたッ!」
刀身を失った《懺悔の唄》を構えたまま、挽歌は勢いよく言い放つ。
「そりゃあ自己防衛のために、機神のOSを使っただけだぜ。初対面の女に、黙ったまま真っ二つにされる度胸なんて俺にはねぇからな」
唯一の武器を失ってなお鋭い眼光を向ける挽歌に対し、機神兵は興味なさげに左腕に付着した金属片を払った。零式同様に、挽歌も脅威とは見做されていないらしい。
「安心しろよ。俺はいきなり銃弾ぶっ放したり、斬りかかってくる奴みてぇに気が狂ってるわけじゃねぇ。戦闘不能に陥ってる奴と丸腰の女を理由もなく、ぶん殴ったりしねぇからよ」
そう言い残し、機神兵は立ち去ろうとこちらに背を向ける。
「じゃあな。アーセナルはてめぇらにくれてやるよ」
「……なんだと?」
アーセナル。挽歌がその英単語の意味を弾き出す前に、機神兵は動いた。
機神兵は一度の跳躍で廃工場の骨組みである鉄筋に飛び乗り、そのままかなり距離が離れた鉄筋、そして鉄筋へと飛び移っていく。そして、すぐに姿が見えなくなってしまう。
「ま、待てッ!」
「待て、挽歌」
機神兵を追いかけようと足腰に力を込めていた挽歌を零式が呼び止める。
「流石の君でも、丸腰で機神兵と戦うのは自殺行為だ」
「くっ……それはそうだが!」
いくら業物と唄われようが、刀身を失った刀に存在価値はない。
彼女のカーネルは鞘に核である機神歯車が埋め込まれているために、刀身を破壊されてもエネルギー供給が止まることはない。しかし、だからといって強化された身体一つで渡り合えるほどあの機神兵は弱くはない。一撃を食らった零式は、そのことを十分理解していた。
「それに、機神兵に襲われていたこの子に関しても気になることが多い」
零式は目の前で横たわっている白髪の少女を一目見る。
何故、この少女が機神兵に襲われていたのか。そのことに強い疑問を覚えたのだ。
「少女……?」
挽歌は少女の姿を確認し、驚いたような表情となる。どうやら今まで少女を認識していなかったらしい。やはり、挽歌はどこか抜けている。
「ほ、本当だ……! そ、その子は大丈夫なのか?」
「あぁ、気絶しているだけだ。脚部から出血をしているけれど、命に別状はないだろう」
そう言った後、零式は自身の腹部を押さえた。
「……なにより、僕も内蔵がいくつかやられて、死にかけてる。助けてくれ、挽歌」
「……内臓がやられた割には、全く苦しそうには見えんのだが」
怪訝そうに零式の顔色を窺う挽歌に、零式は苦虫を潰したような顔になる。
「これは……ただの、やせ我慢だ……ッ」
「お、おいッ! 零式!」
零式の気力が尽き、《柩送り》からのエネルギー供給が途絶される。
自身の命を繋ぎ止めていた糸が断たれ、零式の意識は溶けるようにして消えていった。
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