1-4 神殺しの過去


 僅か数分足らずで両者とも無言となった。


「……」


「……うー」


 無表情でメニュー表を眺め続ける零式を前に、挽歌は考え続ける。

 どのような話題を出せば、零式が食いつくのだろう。

 得意分野の音楽系は彼が駄目そうだし、零式が好きそうな銃器の話は挽歌が駄目だ。


 そこで、前々から気になっていることを聞いてみることにした。


「零式は何故、解体師かいたいしを辞めたのだ?」


 零式は一年ほど前までは、挽歌と同じように解体師としてレプリカントを解体して生計を立てていた。だが、ある日突然解体師を辞めて廃品回収業者になった。

 それが挽歌には不思議で仕方がなかった。

 解体師は九九式機関くくしききかんに雇われているため、安定した収入に期待できる。


 しかし、廃品回収業者は自ら獲物を探し、解体して得た有用な部品を換金するしか収入を得ることはできない。今回のように機関から任務が下るのは非常に稀な話である。

 つまり、解体師から廃品回収業者に成り下がるメリットが存在しないのだ。


「……ッ」


 挽歌の発言に、零式がびくりと肩を震わせる。

 そして零式はゆっくりと顔を上げて、無味乾燥な視線を挽歌に向けた。


「簡単なことだよ。僕は、機神の解体に抵抗感があるんだ」


「……抵抗感?」


 挽歌は耳を疑った。

 ヒューマ=レプリカントに平気で銃口を向ける男に、抵抗感があるのかと。


「僕は一年前、機神の解体任務を受けたんだ。解体師としての初めての解体任務で、僕もようやく認められたと舞い上がったよ。でも、現実はそう簡単なものじゃなかった」


 零式の無表情に、ようやく色が付いた。

 まるで、何かを懐かしんでいるかのような、悔やんでいるかのような、そんな表情だ。


「相手が悪かった。なにしろ、相手が親友・家族・恋人、どの表現でも良いくらい僕にとっては大切な存在だったんだ。彼女が任務の目標である機神だと判明した時、僕は何もかも信じられなくなった。目の前が本当に真っ暗になった」


「……それは、難儀だったな」


 機神ほどの超高性能OSを有する存在であれば、『オリジン』でさえもシステムを掌握することは不可能だ。よって、機神が防衛都市内に紛れて生活していることも十分にあり得る。

 極端な話、零式と機神が仲睦まじい関係となることもゼロではないのだ。


「そ、それで……そいつを解体したのか?」


「ああ、もちろん」


 零式は強化カイデックス製ホルスターに納められた《柩送り》を上から優しく小突く。

 まるでそれが、かつての仲間であり、友人であり、恋人であるかのように。


「《柩送り》は彼女の核だった機神歯車から作られたカーネルだからね。僕は任務通りに彼女を解体したよ。任務だから、機神だからと割り切ってね」


「……」


 心が泣いている。挽歌はそのように直感した。

 鉄仮面のように硬い表情を崩さない零式であるが、それはただの強がりに過ぎない。

 自惚れではないが、挽歌の直感は良く当たるものだ。


「僕が冷たい銃口を向けても、彼女は最期まで僕を責めなかった。それどころか、最期まで僕に謝ってきた。『私が人間じゃなくてごめんなさい』って。そこで、僕は引き金を引いた」


 零式が何故、《柩送り》が収められたホルスターに、わざと取り出しにくいよう電磁留め具を留めているのか。

 それは《柩送り》が彼自身の罪の象徴だからであり、決して殺しの道具だからではないからだ。自身に最大限の危険が迫った場合に、最低限の頻度で扱う最期の手段。


 それが、《柩送りラストリゾート》なのだ。


「なあ、挽歌。人間と機神の違いってなんだろう。僕には両方とも同じに見える。だから、本音を言うと、僕は機神を解体したくはない」


「……ッ! それは貴様のエゴに過ぎない。貴様が銃口を向けたヒューマ=レプリカントだって外見や反応だけでは人間と区別が付かないが、貴様は躊躇せずに解体しようとしただろう」


 挽歌の正論に、零式はぞっとするような笑みを浮かべた。

 自分は間違っていないと、心の底から信じ切っている人間が浮かべる、そんな笑みを。


「君の言うとおりだ。正論過ぎて反論が出来ない。だけど、僕は自分のエゴを優先した。機神解体の任務を押し付けられる可能性がある解体師から、何も考えずにレプリカントばかりを解体できる廃品回収業者に。さながら、嫌いな野菜を避けようとする子供みたいに、僕は過去から逃げたんだ」


「……」


 淡々と告げる零式に対し、挽歌は何も言うことができなかった。


 ひんやりとした静寂が両者の空間を支配した。

 普段通りの無表情に戻った零式は、微動だにせず挽歌の反応を観察する。その瞳には、彼がレプリカントと戦闘する際に見せるのと同じ眼光を宿していた。

 挽歌が言葉が詰まり、何も反論しないことを判断するや否や零式は溜め息を吐いた。


「はぁ……この話はこれくらいでいいかな。そろそろ美味しい料理が来るだろうし」


「……そ、そうだな! 私も愚かな好奇心から妙な話を聞いてしまって申し訳なかった」


 挽歌が生真面目に頭を下げて謝ると、彼女の鼻腔を刻まれたニラの香りが通り抜けた。

 中華系の店員が注文の品物を零式たちが座っている机へと運んできたのである。


「お、おぉぉおおお……!」


 机に並べられたのは、肉汁たっぷりの餃子とラーメン、ほかほかの中華まんだ。

 植物工場で作られた野菜類と、動物の幹細胞を培養して作られた人工肉。

 それらを、職人の技で調理することによって産み出された料理という名の芸術作品である。


「挽歌、君も一人の女の子として涎を垂らすのは流石にマズいと思うよ」


「よ、涎など垂らしておらんわ!」


「本当にかい?」


「しつこいぞ零式、本当に本当だ!」


 と言っても、これほどのご馳走を目の前にして空腹の挽歌が涎を垂らさずにいられる保証はない。挽歌は懐から自前の箸を取り出し、手と手を合わせた。


「いただきますっ」


「箸を持参しているなんて、準備がいいんだね」


「うむ。無駄な資源は使わないリデュースの精神なのだ」


 熱々の餃子を掴み、一気に頬張る挽歌。

 噛んだ瞬間に、口いっぱいに濃厚な肉汁が溢れ出す。それは具材である野菜の甘みと肉の旨みが絶妙に調和されて生み出された職人芸に他ならない。凝縮された旨みの前には、タレを使用する必然性が見当たらず、何も付けずに何個でも食べられるだろう。


「~~ッ!」


 数週間ぶりにソイレントではない食料を口にした挽歌は、言葉にならない悲鳴を上げた。

 零式に爛々とした瞳を向け、両腕を小刻みに振るわせる。


「美味しいかい?」


「ほむっ! ほむっ!」


 零式の問いに、挽歌は頭を縦に何度も振った。

 やはり、人の手で調理されて完成した料理というものは良い物だ。

 いくら高級志向に答えるために作られた三つ星調理用3Dプリンターであっても、職人が手腕を振るって生み出す料理を再現することはできない。


「はふはふ」


 熱々の餃子を咀嚼し、飲み込む。

 喉を通り、空の胃袋へと美味しい食べ物が滑り落ちていく感覚はこの上ない幸福感だ。


「お、お、美味しいよぉ……」


「それは良かった。任務を遂行するために、きちんと精力を付けないといけないからね」


 二つ目の餃子を箸で摘まみ、口に運ぼうとして挽歌は止まった。

 零式の任務という言葉に反応したのである。


「なぁ、零式。今回の任務、降りても良いのだぞ?」


「……どうして?」


「貴様は機神の解体に抵抗があるから、解体師を辞めて廃品回収業者になったのだろう? なら無理をして今回の任務を遂行する必要は無い、と私は思うのだ」


 それに、と付け加えて。


「機神を必ず解体できる最高の瞬間に、躊躇して機会を逃したりはしないか?」


 挽歌は零式の身を案じているわけではない。

 機神を解体できる度胸がないのならば、任務から降りろと言っているのだ。


「……心配はいらない。僕は一度、機神を殺したんだ。今回だって、必ず殺してみせるよ」


「そうか……なら、良いのだ」


 零式の言葉が真であるのか、偽であるのか、挽歌には判別を付けることはできない。

 だが、そんなことは関係無い。

 機神を解体するのが、零式ではなく挽歌自身であれば良いだけなのだから。


「さぁ、早く食べないと冷めてしまうな! 零式、ばんばん食べると良いのだぞ!」


「うん。僕もいただくことにするよ」


 そして挽歌が中華まんに手を伸ばし、零式が餃子を箸で掴もうとした瞬間だった。


 ――轟音。突如として天地をひっくり返したかのような剛烈な音が響き渡る。まるで爆弾が近くで爆発したかのような音響が、店前の通りにざわめきを生み出した。


 続けざまに響く轟音を前に、流石に危険を感じた野次馬たちが一目散に逃げ散って行く様子が店内からでもわかる。


「――なっ」


「行くぞ、挽歌ッ!」


 零式の対応は速かった。

 席を立ち上がると同時に、手のモーションサイン一つで零式の口座から直接料金の支払いを済ませ、店内から弾丸のように飛び出していく。


「えっ、零式!? まだ料理が……くぅぅ!」


 挽歌は中華まんだけを掴み取り、零式に続いて店内から飛び出す。

 魅力的な料理が非常に心残りだが、そんなことを言ってられる場合ではない。

 爆音の正体が、機神の暴乱であるかもしれないのだから。

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