1-3 都市の営み

 防衛都市とは九九式機関によって統治されている完全環境都市アーコロジーであり、居住権を与えられた大量の人々が非常に高い人口密度で居住している。かつて地球上に存在した東京やニューヨークという都市に比べて、非常に治安が悪く犯罪の巣窟となっている場所も少なくはない。それでも、人々が防衛都市を離れない理由は単純に『死ににくい』からである。


 それも、防衛都市が『オリジン』という名が冠された人工知能の庇護下にあるお陰だ。


 『オリジン』は人間には例えることのできない演算能力に加えて、人間と意思疎通が可能な人格を有しているらしい。と言っても、零式は謁見を許された身分ではないため、確かめようにも確かめようがない。しかし、この防衛都市で唯一謁見を許された存在である十掬とつかによると、聡明な女性のような人格を有しているとのことだ。


 そんな『彼女』は分散型のシステムであり、防衛都市内部のあらゆる機器に機能を遍在させることによって、防衛都市内部のあらゆるインフラを管理・操作している。電力の供給システムや道路交通安全システムはもちろん、電子玩具の内部システムでさえも例外ではない。


 彼女の存在故に防衛都市が機能していると言っても過言ではなく、実質『彼女オリジン』の完全な支配下にあるだろう。


 そして、防衛都市が外界と比較して安全な理由は、強力なネットワークの存在だ。

 『彼女』は端末同士に相互通信させることでメッシュネットワークを構築しており、その範囲内であればレプリカントの全機能を掌握することが可能なのだ。際限なく猛威を振るうレプリカントであろうと、『彼女』の支配下においては無力な鉄屑となる。


 詰まるところ、人工知能に支配された人類最後の楽園。

 それが、防衛都市シェルターだ。


「な、なぁ……零式、零式よ」


 隣を歩く挽歌が、くいくいと零式の袖を引っ張る。


「どうした挽歌。なんだか落ち着きがないみたいだけれど」


「だ、だって……夜の第三を歩くのは初めてで……ぼ、暴漢などが出るのだろう?」


「はぁ……これだから第一外周区育ちのお嬢様は……」


 零式は、隣で怯えた仔犬のように縮こまっている挽歌を一瞥して溜め息を吐いた。

 防衛都市は、『オリジン』が構築するネットワークが弱くなるほど治安が悪くなる。より具体的に言えば、インフラ整備が遅れている地域ほど治安が悪くなる。

 中央区よりも第一外周区が、第一外周区よりも第二外周区の方が治安が悪いという具合だ。


 そうなるのも当然で、安全な土地は地価が非常に高い。中央区や第一外周区のような特に安全な地区は高所得民や重要な人物などが住んでいるため、自然と治安は改善されるのだ。


 だが、零式たちが歩いている第三外周区は特に治安が悪い地区だ。第一外周区という治安の良い地区に住む挽歌からすれば、犯罪の巣窟というイメージなのだろう。


「君は治安の悪さに怯えるような奴じゃないと思っていたんだけれど……」


「はぁ!? こ、怖くなんてないぞ。ぜ、零式もいるしな!」


「そもそも腰に刀をぶら下げた女を狙う馬鹿な暴漢なんていないから、安心するといいよ」


 確かに、第三外周区はヤクザやマフィアのような犯罪集団が跋扈ばっこしている。その上、九九式機関によるインフラ整備も疎略であるため、時代遅れな設備や壊れた街灯が目立っている。


 だが、この区域には他の区域にはないものがある。

 夜の闇を染める電子ネオンや、型遅れの動力炉歯車を勧める文句を唄う錆びた看板。路上で行われる喧嘩には観客の歓声が沸き、ヤクザが居座る喫茶店から聞こえてくるジャズはどこか古っぽい。何処かから漂ってくる違法カレーの匂いは厄介で、すぐに腹が不満を漏らすのだ。


 ――そこには、目に見える活気があった。


 それも全て『オリジン』が保証する最低限の安全と、治安の悪さと引き替えに得られる土地の安さのお陰だろう。現に『第三外周区』にレプリカントが侵入したというデータは残っていない。裏を返せば、システムの支配が行き届いていない『第四外周区』にはちらほらとレプリカントが侵入したデータも残っているのだが、第三外周区と第四外周区の活気の違いはその点が大きく関与しているのだろう。


「着いたよ挽歌。いい加減、僕の袖を離したまえ」


「……! お、おおっ」


 無意識の内に掴んでいたのか、妙に顔を赤くして零式の袖を離す挽歌。

 そして眼前の建物を見た挽歌が、如何にも胡散臭いものを見たような目になる。


「しかし、本当にこんな店で飯を食べるのか……?」


「……? 嫌かい?」


「い、嫌ではないが……なんというか衛生的に……」


 件の店は、二階建ての建物の一階にあった。

 両隣には大人向け玩具店が並び、二階には『まことにやわらかい!』という怪しい日本語の看板が備えられた風俗店が暖簾を掲げていることを除けば、ごく普通の中華料理店だ。


「まぁ。奇妙な立地なのは確かだけど、味も確かだからさ」


「うぅ……」


 何やら抵抗感のある挽歌の手首を引っ張り、零式は店内に入る。

 店内には、仕事終わりの風俗嬢と用心棒代わりのギャング、薬か酒で乱離骨灰らりこっぱいになった若者が数名だけしかおらず、繁盛しているとはお世辞にも言えない。


 中華系の見た目をしたヒューマ=レプリカントに片言の日本語で案内され、二人はテーブルと椅子だけがある質素な席に着いた。

 あくまでも危険なのは戦前に作られたヒューマ=レプリカントである。戦後に作られた個体は安全性を第一に設計されているため、街中でも働く姿を見ることは多い。


「聞いて驚くなよ。第三外周区では珍しく、この店では『料理』をしているんだ」


「料理……? それはすなわち、ソイレントではないということか!?」


 ふんわりと香ばしい匂いが漂っており、はらぺこ挽歌も気を許したようである。

 ソイレントを嫌う挽歌が目を輝かせ、机に乗り出して零式にぐいと詰め寄った。顔が近い。


「あ、あぁ。どうやらギャング繋がりの裏ルートで植物工場で生産された野菜や人工肉を取り寄せているらしい。だから、安くて料理を食べられる隠れた名店なんだ」


「そ、そぉなのか……」


 挽歌が深く頷きながら、身を引いて席に着く。

 第三外周区などの外食産業では、所得の少ない顧客層に合わせ、立体ソイレント食を提供する店舗がほとんどだ。必要となる経費が調理用3Dプリンターと安価なソイレントだけで済む立体ソイレント食は非常に低価格で提供できるからだ。


 中央区や第一外周区などの高所得者が多い地区では、きちんとした素材で作られた『料理』を食べることができるが、一般人には手の届かない高価な物がほとんどだ。

 だが、低価格で料理が食べられるとはいえ、ソイレント食の数倍の値段はする。この店が余り繁盛していないのは、それでも料理に手が出ない低所得者が多いからだろう。


「まぁ、プリンターじゃなくて人の手で作られるから時間が掛かるのが難点だけどね」


「大丈夫だ。ソイレント以外のものが食べられるなら、何分でも待てるぞ! 話でもしていたらすぐに料理が来るに違いない!」


 頭からヘッドフォンを外し、首に掛けながら揚々と言う挽歌。

 しかし、普段から寡黙な零式はもちろん、男にどのような話題を振れば良いのかわからない挽歌が話題に詰まるのは、容易に想像できたことだった。

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