1-2 第八防衛都市支部長

「……道化も極めると笑えないものだな」


 零式ぜろしき挽歌ばんかが九九式機関第八防衛都市支部長室に呼び出され、まず耳にしたのがこの一言である。ある種の諦観を含んだ一言は静かな部屋に染みこむようにして広がり、零式と挽歌の緊張感をより大きなものにする。


 むしろ耳を貫くような怒号の声で叱責された方が多少の余裕を持つことができただろうし、最先端の吸音材で防音加工が成された支部長室も役割を全うできただろう。声の持ち主である女性が発している圧力には、解体師である挽歌はもちろん、廃品回収業者スカベンジャーの零式でさえも恐縮していた。


 レプリカントには強いくせに、権力に対しては滅法弱い二人である。


「くぅぅ……」


「……」


 暗殺対策など度外視された、壁一面に広がる巨大なガラス窓。そこから展望することのできる第八防衛都市シェルターの煌びやかな夜景を背景として、ホログラムデスクの上に広げられた膨大な数の始末書に視線を落としているのが、この街における九九式機関支部長である十掬とつかだ。


 一点の曇りさえない純白の長髪を持ち、支部長であるにも関わらずに研究者のような白衣に身を包んでいる。わずか妙齢の女性であるにも関わらず、九九式機関くくしききかんを統治することのできる地位に座しているのは、彼女が紛うことなき才媛の中の才媛だからに間違いない。


 戦争によって崩壊した後の社会で、男と女であったり年齢というものは意味を成さない。

 誰が、どれだけ有能であるか。ただそれだけで全ての地位と生存率が決まる。


「ヒューマ=レプリカントを逃がした上に、あろうことか第五外周区の高層ビルを半壊させるまで幼稚な喧嘩を続けるとはな。貴様たちに番号付きカーネルの所持を許可しているのは、子供の粗末な所有欲を満たすためではないぞ?」


 十掬とつかが挽歌を、次に零式を睨み付ける。

 心がぽっかりと失われたかのように虚ろな瞳であるが、彼女が怒っているという事実は零式と挽歌も本能的に直感している。あの気が強い挽歌でさえも、十掬の圧力感に気圧されて今にも泣きそうな面をしていた。


「あの高層ビルは、第五外周区の地形を調査するための拠点として改築される予定の廃墟だった。レプリカントの解体における戦闘で半壊したのならば、やむを得ない。だが、子供同士の喧嘩で半壊させたというのだから、言い訳はできんよな? 貴様たちの戯れの所為でインフラ整備が遅れ、どれだけの犠牲と不利益を被るのか理解はできるか? なぁ、挽歌よ」


「お、おっしゃる通りです……」


 頭を垂れたまま、挽歌は怯えきった声色だ。

 小刻みに身体をぷるぷると震わせているのが、真横に立たされている零式にはわかる。


「あと零式。先程から私と目を合わせようとしないが、貴様はわかっているのか?」


「……あ、あぁ。悪いことをしたと思っているし、深く反省している」


「敬語を使え」


「……深く、反省しています」


 隣で頭を垂れたまま動かない挽歌を見倣い、零式自身も頭を下げることにする。

 先に仕掛けてきたのは紛れもなく挽歌であるし、挑発に乗ってしまったのは自身にも過失があると思う。だが、あの状況でカーネルを使用するのは正当防衛の観点から見ても自身は正しいように思える。廃ビルが半壊したのも不可抗力だ。


 正直、種々雑多な理由から自分が怒られていることに納得はできないのだが。


「……ふむ、まあいい。過去の失敗にいつまでも執念するのは昧者だけで十分だ」


 十掬は深く溜め息を吐き、ホログラムデスクの上に広げられた始末書を削除する。砕け散るようなエフェクトと共に、一瞬にして零式と挽歌の不名誉な記録は消え去った。


「さて、二人とも顔をあげるといい。なに、誰にだって失敗はあるものだ」


「……!」


 十掬の慈悲深い言葉に、挽歌はぴんと背筋を伸ばして見事な敬礼をした。


「こ、今後はこのような不祥事を起こさないように細心の注意を払う所存です!」


 そう声高らかに言った後、貴様も何か言え、とでも言いたげに零式を肘で小突く。頭を下げ続けていても仕方がないので、零式はそれに従うことにした。


「僕も気をつける、いや、気をつけます」


 零式と挽歌の謝罪が揃い、十掬は満足げに深く頷いた。

 そして。


「――結構。しかし、失敗にはなにかしら罰が必要だ。貴様たちも何のペナルティ無しに帰ることができるとは思っておるまい。挽歌、貴様は当分の間、減給処分に処す。零式に限っては一ヶ月の間《柩送りラストリゾート》の使用を禁ずること」


「そ、そんなぁ……」


 がっくりと肩を落とし、挽歌は今にも限界を迎えそうな腹部を押さえた。

 普段の薄給でさえ、非常に安価で不味い食材であるソイレント続きなのだ。それが嫌いで本来摂取しなければならない量の半分ほどしか食べていないが、これ以上減給されてしまえばそもそもソイレントすら食べられなくなってしまう。


「……厳しいな」


 経済面で危機を覚えるのは零式も同じであった。

 零式は機関が管理する解体師ではなく、レプリカントの解体を民間委託された廃品回収業者であるために安定した収入ではない。収入を得るにはレプリカントを解体して換金できそうな部品を漁るより他はない。なのに、一ヶ月もの間《柩送り》という唯一の武装を取り上げられてはしまっては商売上がったりなのだ。


「と、言いたかったのだが。命拾いをしたな、貴様たち」


 挽歌が明日明後日の食をどうするか。零式が一ヶ月もの時間をどう潰すか、について思案を巡らせていると、十掬が奇妙なことを口走った。


「丁度、貴様たちに受けてもらいたい案件があってな。それに集中してもらうため、今回のペナルティを一切免除してやろう。達成の暁には、賞金に箔を付けてやっても良い」


「ふぇっ!」


 その言葉に、生命の危機を感じていた挽歌の顔に希望の色が宿った。

 ちょっと良い物が食べられるかも、という希望であることを零式は既に看破している。


「で、それはどういう任務なんだ?」


「――貴様たちには機神きしんの解体任務に就いて貰いたい」


 十掬が何気なく言った台詞に、零式と挽歌は凍り付いた。

 機神の解体。それは、解体師や廃品回収業者スカベンジャーが受ける任務の中でも最大難易度を誇る。


 何しろ、相手はかつて世界を滅ぼした神なのだから。


「かつての戦争で機能を停止した機神だが、何らかの原因によって蘇る個体が存在するのは知っているだろう?」


 零式と挽歌は無言で頷いた。


 そもそも機神は、二〇〇年前の戦争で用いられた最強最悪の兵器を指す。

 過度に発達した人工知能を人間は扱いきることができず、総勢二〇〇機にも及ぶ戦略兵器が同士討ちを行い、主要都市のほとんどが壊滅的なダメージを受けたらしい。


 人類がほぼ壊滅状態になるほどの膨大な犠牲を伴い、戦争は終結した。

 そして十年にも及ぶ戦争で消耗した機神は、機神歯車と呼ばれる核だけを残して活動を停止し、二度と蘇ることはないかのように思えた。

 しかし、活動を停止した機神の中には《再起動》という処理によって蘇る個体の存在があるのだ。


「つい先日。九九式機関が管理していた機神歯車の中に、再起動して目覚めた個体がいたらしい。どうやら現在も、第八防衛都市内を逃走中とのことだ」


「よりにもよって、機関が管理していた機神に目覚められたのか。それで、僕たちに機関の不手際の尻ぬぐいを押し付けるつもりか?」


 零式の言葉に、十掬とつかは然もありなんと言わんばかりに大きく頷いた。


「ああ、誰にでも失敗はある。それに、これは貴様たちで無ければ達成し得ない任務だ」


「そ、それはどういうことでしょうか……?」


 恐る恐る、といった様子で挽歌が質問する。


「貴様たちも知っている通り、再起動した機神は戦時中のような機械兵器的相貌で活動するわけではない。奴らに搭載されたOSが世界を書き換え、一時的な依代であるヒューマ=レプリカントを生み出すのだからな。一般的なヒューマ=レプリカントは機械要素が含まれているが、奴らが生み出す依代は完璧に人体を模している。どう足掻こうと常人には相手が機神だと見破ることは難しい」


 そこで、十掬は零式と挽歌が装備している二丁拳銃と刀に視線を移す。


「しかし、貴様たちには《万物を見通すプロビデンスの眼》がある」


 万物を見通す眼。

 それは機神歯車という永久機関から垂れ流されるエネルギーの流れ、強弱、色の違いなどの様々な要素を視認できるようになった特殊な瞳のことである。

 それは機神歯車を核として作られた番号付きカーネルのOSを展開している間だけ、零式たちカーネル使用者が扱える特殊能力のようなものだ。


 十掬の言いたいことはわかる。


「《万物を見通す眼》を使い、人間に限りなく擬態した機神を発見し、解体する。だろう?」


 人間に擬態した機神と言えど、原動力は機神歯車から供給されるエネルギーである。

 そのエネルギーを視ることのできる眼であれば、容易に判断をつけることが可能だ。


 そもそも、番号付きカーネルはレプリカントではなく、機神を解体するために作られた武器だ。そのため、人間か機神かを見分ける方法が備わっているのは当然の理なのである。


「そうだ。……他の番号付きカーネル所有者は出払っていてな。挽歌のようにレプリカントを観察するだけで解体しない阿呆と、零式のように重要なポイントで判断を誤る馬鹿に任せるのが唯一の気がかりだが……杞憂であることを祈っている」


「お任せください! この挽歌、不肖ながら必ず機神めの首を討ち取らせていただきます!」


 本職が軍人なのではないかと疑うほど見事な敬礼の後、意気揚々と支部長室から出て行こうとする挽歌。食い扶持が見つかって上機嫌になるのは良いが、彼女はどこか詰めが甘い。


「おい、待て」


「ひゃんっ」


 零式が挽歌の襟首を後ろから掴むと、彼女らしくない繊細な声が響いた。

 そんな声も出せるのかと驚嘆するが、振り向きざまに睨み付けてくる様子は普段通りだ。


「き、貴様ッ! まだ私の邪魔をするというのか!」


「落ち着け、挽歌。腹が減って頭が回っていないのはわかるが、逃げ出した機神に関する詳細な情報を聞かずに捜索をするつもりか?」


「ぬ……それもそうだが……」


 零式のもっともな指摘に、挽歌は決まりが悪そうに顔を歪めた。

 番号付きカーネルのOSは展開時に使用者の身体に莫大なエネルギーが流れ込むため、あまりに長時間の使用は危険だ。そのため、常に《万物を見通すプロビデンスの眼》を発動して街中を捜索するというわけにはいかない。少しでも情報を得て、捜索範囲を狭めるのが確実だろう。


「……では司令、今回の任務で解体目標となっている機神について情報を頂けますか?」


 自身の司令である十掬へと向き直り、詳細な情報の提示を求める挽歌。


「…………」


 十掬の虚ろな視線と、挽歌の生真面目な視線が交差する。

 少しの間だけ無言を貫いた後、遂に十掬が仕方なさげに重い口を開いた。


「……それが、まだ私も機神の情報を収集することができていない」


「……へ? それはどういう……」


「そもそも機神の姿を確認できていない。監視カメラの記録を見ようにも、強力な妨害電波によって撮影が阻害されていて、件の機神がどのような姿形の人間に化けたのか見当が付かん。加えて、私は第三防衛都市シェルターに出張する予定が入っていてな。そこで開かれる重要な会議に必要な書類をまとめるのに時間を取られて、肝心の機神に関する情報は手つかずだ。機関が管理している機神のデータベースに接続しようにも、機密レベルが最大に設定されていてな。支部長である私ですら、『オリジン』の許可が無ければ閲覧できん。とてもじゃないが、今から彼女に謁見する時間は私にはない」


「つまり、何も情報がない状態で僕たちに機神を捜索しろと?」


 その言葉に十掬が大きく頷くのを見て、零式は溜め息を吐きたくなる。

 零式がこの世で最も嫌いな言葉が『非効率』だ。どのようなタスクであろうと、極めて迅速かつ簡易に達成することが美学であると信じている。

 情報がない状態で闊大な第八防衛都市の中から機神を探し出すなど非効率極まりない。


「私の記憶を信じてくれるのならば、その機神が所有するOSが操作する領域は『物質の状態変化』だ。おそらく、それほど危険な機神ではないはずだ。と、言っても機神兵となる人間を見つけていたらその限りではないが」


機神兵きしんへい……か」


 物質操作系のOS、かつ危険な機神ではない。十掬が提示した情報には捜索において決め手となる情報が存在せず、思わず零式は彼女が口にした機神兵という単語を口にしていた。


 そもそも機神が依代として生み出す肉体は仮初めの入れ物であり、機神本来の能力を発揮することはできない。そこで機神が自身を守るために生み出すのが機神兵という存在である。高度な知性を持った生命体、有り体に言えば人間というハードウェアに機神が接続・インストールされることで生み出される強化人間であり、機神をあらゆる外敵から守る。


 すなわち、機神の傀儡だ。

 その圧倒的な神威に魅せられてしまう心の弱い人間もいれば、一切の抵抗さえできずに身体を乗っ取られてしまう人間もいる。機神兵が生まれるのも時間の問題かもしれない。


「数日後にはデータベース上の情報から、機神のヒューマ=レプリカント態の見た目が割り出されるだろう。それまでは、防衛都市内を巡回警備してくれるだけで十分だ」


 これで話は終わりだ、と言わんばかりに十掬はホログラムデスクの電源を切り、幾何学模様を映し出していたホログラムデスクは何の変哲もない机に戻る。


「りょ、了解しましたッ!」


「了解」


 話が終わったならば、支部長室などという息が詰まって死にそうな空間に長いしたい二人ではない。零式と挽歌は足並みを揃え、我先にと出口である扉に向かった。


「は、はぁぁー……緊張したぁ……」


 支部長室から廊下へと出た瞬間に、緊張から解放されて壁にもたれ掛かる挽歌。へなへなと腰が抜けているところを見ると、よほど気を張っていたらしい。


「挽歌」


「な、なんだぁ」


 普段の彼女からは考えられないふにゃふにゃの顔。

 レプリカントを逃がした上に廃ビルを半壊させるという不祥事を起こし、支部長に呼び出された彼女は番号付きカーネルや解体師免許剥奪の可能性を考えていたのだろう。


 それが、帳消しになったどころか新しい任務が入ってきたのだ。

 煎餅にお湯を掛けたようなふにゃふにゃ顔になるのも仕方がない。


「これから予定はあるかい?」


「ないけど……それがどうかしたのか?」


「いや、君が良ければこれから食事でもどうかと思って」 


 勢いよく挽歌が顔を上げ、大きく見開いたまん丸の瞳で零式を見詰める。


「そ、それはもしかして……で、で、デェトのお誘いなのか!?」


「うん、昔の馴染みだし。たまには一緒にご飯を食べに行こうよ」


 先程殺し合った仲でもあるが、あんなものは既に水に流した後である。


「え、えへへ……そっか、で、デェトかー……」


「……挽歌?」


 呆けた表情で固まっている挽歌の眼前で手を振る。反応がない。完全に自分の世界に入り込んでしまっているのがわかる。


「あ……!」


 自分の世界から戻ってきた挽歌があまりにも情けない声を漏らした。


「……私、お金、無いんだった……」


 挽歌が魂が抜けたように真っ白な顔色になり、ぐらりと崩れ落ちそうになる。寸前で零式が支えに入り、どうにか彼女が尻餅をつくことはなかった。


「大丈夫、それくらいは僕が払うよ。きちんと食べて体調を管理することも、任務達成のためには必要な要因だ。だから、今日は好きなだけ食べて良いよ」


 零式の提案に、二つ返事で挽歌が承諾したのは、言うまでも無い。

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