1-1 神威の衝突

 零式は廃ビルに侵入して、ものの数分で目標を発見することに成功した。

 がらんどうなエントランスを通り抜け、機能していないエレベーターを無視して階段を七階分ほど駆け上がったところでそれに出会った。


「……」


「あ、……あ、ひぁ」


 情けない声を漏らすのは、目の前で腰を抜かしている少女だ。無表情の零式に追い詰められて後退りをするが、朽ちたセメントの柱に行く手を阻まれてしまう。そうして、柱に背中を合わせて逃げ場がなくなってしまった少女は震えながら顔を上げた。


「た、助け……助けて」


「それはできない。僕も生きていくために、必死なんだ」


 零式は右側ホルスターから《柩送り》を一丁だけ取り出し、銃口を少女に向けた。

 無機質な銃口の煌めきに、少女はいっそう恐怖を顔に浮かばせる。顔は引きつり、大きな瞳からはぼろぼろと涙が溢れ出していた。


 まさに死という概念を身近に感じている、といった様子である。

 彼女にそれを感じることのできる心が存在すれば、と仮定した場合の話であるが。


「大丈夫、痛くはない。たった一瞬で全てが終わるさ」


 零式は幼少期から特殊な訓練を受けているため、動力炉歯車がエネルギーを放出する際に回転する音を聞き分けることができる。それは数メートル先から人間の鼓動を聞き取るのに値するほど困難な技でもあるが、零式の耳は僅かな回転音を逃さない。


 この少女の左胸から聞こえる音は、間違いなく動力炉歯車の回転音だ。

 それが意味するのは、少女がレプリカントであるという事実である。


「や、やだ……! し、死にたく、ないっ」


 人間ではない少女がむせび泣く。

 よく手入れされた髪の毛も限りなく本物の成分に近づけて作られた作り物であり、瞳から流している涙も生理食塩水の類いだ。まるで恐怖しているかのような振る舞いも、彼女に搭載された感情プログラムによって弾き出された一種の回答例である。


「……良く出来たヒューマ=レプリカントだ」


 銃口を彼女に向けたまま、零式は独りごちた。

 ヒューマ=レプリカントと呼ばれる型式のレプリカントが存在する。


 人間の手によって限りなく人間を模して作られた機械生命体であり、それこそ人造人間レプリカントの名を冠するのに相応しい存在だ。しかし、彼女らに搭載されているのは危険物指定されている壱型動力炉歯車であり、それだけの出力に耐えうる生体部品で構成されているために人間とは比べものにならない動体視力と身体能力を発揮することができる。


 それ故に九九式機関から危険視され、廃品回収業者に多額の賞金が出されている。

 無論、高出力の動力炉歯車と、人間の臓器と代替可能な生体部品を搭載している彼女たちの単純な意味での商品価値は大きなものである。


 おそらく戦前に作られた愛玩用のレプリカントなのだろう。二〇〇年経った今でも、見ただけでは人間と判別のつかない精緻な作りを保っている。いくらレプリカントであると理解していても、少女の顔で怯え続けられるのは流石の零式も堪えた。


「来世は本物の人間に生まれ変われるといいね」


「や、やめ……ッ……助けて……!」


 銃口の狙いを彼女の中央処理装置がぎっしりと詰まった頭部へと定め、撃――


「でやあぁぁああああああッ!」


 背後からの不意打ち。

 見事なまでの殺意が込められた剣閃が、先程まで零式が立っていた床に爪痕を残す。単純な馬鹿力と冴え渡った技で抉られたコンクリートからは、異様な熱と蒸気が放たれていた。


「不意打ちとは感心しないな、挽歌ばんか。武士道精神はどうした?」


「武士道精神? そんな腐った考えで飯が食えるものか! 時代遅れな愚考を是としているのは、同じく時代錯誤した死にかけの老害だけだ!」


 挽歌と呼ばれた少女は、自身の奇襲を躱した零式を睨み付けた。

 その『斬り殺す』という殺意の塊を語る視線だけで、胴体が半分に斬られてしまいそうだ。


「ああ、僕も同意見さ。殺せる奴は殺せる機会に殺さないと」


 言いつつ、銃口を挽歌に向けたまま、零式は彼女の装備に目をやる。

 艶やかな濡れ羽色の長髪を腰ほどまでに流し、厳めしい黒と赤を基調とした制服に身を包んでいる。凜とした表情は典型的な仮想VR道場育ちのそれであり、特徴的なのが頭部に装着された時代錯誤なヘッドフォンである。


 そして、彼女の装備の中で最も脅威的なのはその手に握られた刀剣型カーネルだ。

 カーネルとは一般の武器では対抗することのできない敵を想定して作られた特殊な武器のことを指すが、彼女のそれは他と一線を画する。


 彼女の《四十五番式カーネル:懺悔の唄エレギア》は零式の《柩送り》と同じ特別製なのだ。


 現在では製産するための技術が残っていない日本刀を再現するために、九九式機関のカーネル製作班が製造法から思案して完璧に再創造した一品であり、切れ味も申し分ない。


 《懺悔の唄》の切っ先を零式に向け、挽歌は啖呵を切った。


「そのヒューマ=レプリカントは私が前々から目星を付けていた。だから、私の獲物だ!」


「そういうわけにはいかないよ。この業界で予約制度なんてものは存在しない」


 淡々と正論を述べる零式を前にして、挽歌の限界が訪れる。


「わ、わわ、私が目星を付けて観察をしている間に、いつもいつも貴様が横取りをしていくから給料に色が付かず、毎日毎日ソイレントしか食べることができないのだぞ……!」


「それは気の毒だな。僕もソイレントはあまり好きじゃないから気持ちはよくわかるよ」


 ソイレントとは品種改良によって生み出された穀物植物を粉末状に加工した食材である。各家庭に普及している調理用3Dプリンターによって、個人の体調に合わせた栄養価の立体食を作ることができるのだが、なにしろ味覚カートリッジの種類が乏しい上に非常に不味い。

 それでも他の食材と比べて、飛び切り安価であるために需要は多い食材だ。


「お、お前に何がわかるというのだ! 一ヶ月も粉末状ソイレントばかりを食べて、常に口の中がパサパサになる私の気持ちが分かるのか!?」


「流石にそれはわからない。せめて水に溶かせばいいだろう」


 彼女が着用している黒と赤を基調とした制服は、九九式機関が『解体師』と呼ばれる機関直属のレプリカント解体専門家に指定している制服である。


 本来、レプリカントの解体は解体師が行う作業だ。しかし、彼らだけで膨大な数のレプリカントに対処できるわけではない。それに対応するために、レプリカントの解体を民間委託されているのが零式のような廃品回収業者なのだ。


 そのため解体師としては仕事を奪われていると錯覚している者も少なくなく、廃品回収業者は彼らに『ごみ漁り』などと中傷を受けたりする場合もある。


 簡単に言うと、非常に仲が悪い。


「う、うるさいうるさい!」


 挽歌がそう言うと、彼女の腹からぐー、と可愛らしい鳴き声が聞こえた。

 場が凍る。


 そして、その凍り付いた場を溶かしたのは零式であった。


「……腹が、減ってるのか?」


「~~ッ! 斬る、斬るぅぅぅぅぅッ!」


 挽歌が夕日の中でもわかるほどに赤面し、《懺悔の唄》を構え直したその時。

 先程まで泣いていたレプリカントの少女の泣き声が止んだ。


「――も、もう……いやぁ……!」


 徐に立ち上がった少女は、泣き顔のままぽっかりと空いた窓際を見詰めた。


「ッ! 待て!」


 零式が銃口を少女に向け直すが、遅い。

 引き金を引くよりも早く、速く、少女の脚はコンクリートを蹴り抉っていた。


「くぅッ!?」


 挽歌の呻き声は、少女の身体が風を斬る爆音に掻き消される。撃鉄に叩き飛ばされた弾丸のように、人間には不可能な機動力で少女の身体が宙を飛ぶ。


 そのまま、窓の外へと。


 この階層は八階であり、普通の人間であれば確実に絶命する高度だ。しかし、彼女の人工筋繊維が詰め込まれた両足は難なく着地に成功するだろう。

 逃げられる――零式の足は判断と同時に動き始めていた。


 しかし。


「止まれッ!」


 行く手を挽歌に阻まれてしまう。


「何のつもりだ。君と無駄な話をしていたから、レプリカントに逃げる隙を与えてしまったんだぞ? そこを退け」


 零式は瞬時に左側ホルスターから、もう一丁の《柩送り》を取り出す。


 そして、左右両方の銃口を挽歌に向けた。


「良い機会だ。零式、貴様とはここいらで決着を付けよう」


 同様に、挽歌も《懺悔の唄》を構えに入る。


「ここで決闘をして勝った方が、あのレプリカントを追いかける。それでどう?」


 挽歌の提案に、零式は思案する。

 確かに今ここで挽歌を排除しておかないと、彼女は確実に自身の妨害をするに違いない。

 それならば、挑発に乗って挽歌を迅速に始末し、目標を追うのが最善手だ。


「わかった。だけれど、命の保証ができるほど僕の腕は良くないぞ」


「ああ。私だって、相手を殺さない方が難しい」


 挽歌はフリック入力で宙に簡単なコードを打ち込んだ。

 すると、彼女が頭部に装着しているヘッドフォンから、零式に聞こえるほどの音量でよくわからない音楽が垂れ流しになる。

 そして、爪先で《懺悔の唄》の刀身を一度だけチン、と鳴らした。


「OS――起動」


 その台詞を合図として、彼女の腰に差された鞘に異変が生じた。鞘に埋め込まれた紅色の歯車が回転を始めたのである。生み出された膨大なエネルギーが挽歌という少女を媒介してカーネルの刀身へと染みこんでいく。視認できるほど強烈なエネルギーは純粋な紅色であり、それが染みこんだ刀身は紅く、妖しく発光する。加えて、刀身が許容できぬ量のエネルギーを延々と流し込まれ続けているために、漏れ出したエネルギーがまるで妖気のように立ち上り、その様は妖刀と呼んでも間違いはない。


 そう、彼女は《懺悔の唄》のOSを起動したのである。


 この場合のOSは通常の機械類にインストールされているものとは異なる。

 通常のOSがコンピュータ類を対象として操作可能とするのであれば、カーネルに搭載されたOSは世界そのものを対象として操作可能とする。


 それは、かつて世界を滅ぼした機神と呼ばれる神の力の体現であり、同時に人類が神を殺すための唯一の牙である。


 そして、世界をねじ曲げて無理やり奇跡を生み出す禁忌だ。


「《懺悔の唄エレギア》――」


 不味い。零式は本能的に生命の危機を感じ取った。

 彼女の踏み込みが、瞬時に零式を刀身の届く間合いに収める。

 踏み込んだ右足がコンクリートにめり込み、体勢は限りなく床を這うような低姿勢。目で追うことも困難なほどの速さで刀身を一度鞘に戻し、鋼の擦れる冷ややかな音。


 右手を柄に、左手を鞘に。


「――二重奏デユエツトッ!」


 刀身が鞘から強引に引き抜かれる。超硬合金と超硬合金が無理やり擦りつけられ、鯉口からは目を瞑りたくなるほど激しい火花が散り、金属が甲高い悲鳴の如き懺悔を唄う。


 横凪ぎの一撃が、宙を


 かつての剣の達人が成した居合い切りを完全に体現するどころか、それを超越した剣技。


 紙一重、間一髪でそれを回避し、零式は床を転がりながらも相手の観察を続ける。

 零式は自身が立っていた背後にあった支柱に目を向ける。その存在の所為で背後にステップを踏んで回避することが出来なかったのだが、逆にそのお陰で相手のOSが残した痕跡を視認することができた。


 支柱には、横凪ぎに入れられた二つの爪痕が残っている。

 それが意味するのは、『一振りで二度斬った』という事実である。


「ッ! 躱すな!」


 挽歌がそう叫ぶが、零式にただ斬られるだけの度胸などない。

 彼女から十分な距離を取り、観察によって得た情報から結論を弾き出した。


「……『斬撃の多重複製』、それが君のカーネルが引き起こす奇跡か」


「な……」


 挽歌の顔に明らかな動揺が見られる。どうやら当たりのようだ。

 しかし、彼女の顔色は奥の手を看破された驚きから、相手を評価する感心へと変わる。


「たった一度の太刀筋から、《懺悔の唄》のOSを割り出した……? 敵ながら天晴れとはまさにこのことだな!」


「いや、あまりに手がかりが多すぎる。まず、二重奏という掛け声は斬撃を複製するための発動合図だろう。また、支柱に付けられた斬撃痕が二つあるのを見れば予想は付くさ」


 あと、と零式は続ける。


「先程までカーネルの刀身に浸透していたエネルギーがきれいさっぱり吹き飛んでいる。大方、刀身に染みこんだエネルギーを新しい斬撃として打ち出しているんだろう?」


 零式は彼女の獲物を一瞥した。先程まで切っ先にまでエネルギーが浸透して、紅く染まっていた刀身が元の鈍色へと変化している。しかし、カーネルの鍔元から徐々に紅く染まりつつあるのを零式は見逃さない。


「つまり、『斬撃の多重複製』はエネルギーが刀身に浸透するまでの冷却時間クールタイムが必要になる。短時間での連発はできないということだ」


 看破の上に看破を重ねられ、彼女の表情から余裕というものが無くなる。

 再び刀身を鞘に収め、エネルギー再充填の最適化を図ろうとする挽歌。そのほんの僅かな猶予を狙い、零式は攻勢に出た。


「だから、再充填される前に君を始末する」


 零式は踏み込んだ。まず、彼我の距離を詰めなければならないからだ。

 《柩送り》が二丁拳銃であることからも解る通り、零式が得意とする得物は二丁拳銃だ。

 しかし、だからといって中距離または遠距離戦に富んでいるという理由にはならない。

 むしろ零式のそれは逆であり、彼が最も得意とする距離レンジは近距離である。


 左足の踏み込みを起点とした加速と同時に、零式は二発の囮弾を発射する。

 その二発の囮弾に対処するために、挽歌は何らかの行動を起こさなければならない。


 例えば、銃弾の軌道から逸れるように回避する、とか。


 ――《懺悔の唄》で斬り弾く、とか。


「ちぃッ!」


 挽歌が選択したのは、居合い切りの要領で銃弾を斬り弾くという行動である。

 その行動は、言い換えるとエネルギーの再充填を遅らせるということになる。鞘に埋め込まれた機神歯車から直接エネルギー供給するために鞘に戻していたのだから、刀身を鞘から出してしまえば彼女の身体という緩衝材バツファを通してエネルギーを供給しなければならないため、かなり非効率な充填方法となる。


 だから、零式が使える時間が増えるのだ。


「……――ッ!」


 零式と挽歌の距離は僅か十数メートルほどでしかなく、その差は瞬く間に消し飛んだ。


 限りなく肉薄。お互いの目と目が合い、一瞬の静寂の中に双方の呼吸音を見出す。

 挽歌の瞳に映っていたのは、一抹の困惑と『間合いに入ったな』という期待感。


「食らえ」


 左足を軸とした回転蹴りが躊躇なく挽歌の顔面を狙った。勢いの付いた爪先が彼女の前髪に触れるが、身体を反らして避けられる。


「どうしてそこまで余裕になれる……? 貴様は、私の間合いに入っているのだぞッ!」


 違う。この場合、挽歌が零式の間合いに入れられたのだ。

 零式の獲物は二丁拳銃で、中距離から遠距離を有効範囲とする武器だ。反して、挽歌の得物である日本刀は近距離を有効範囲とする。確かに近距離間でどちらの武器が有効であるかを審議すれば、間違いなく後者に軍配が上がるだろう。


 だが、それはあくまでも武器だけを見た場合の話である。

 二丁拳銃という中遠距離を有効範囲とする武器でも、使用者が近接戦を極めた化け物ならば相手を殺すのに十分な威力を発する兇器となる。


 研ぎ澄まされた挽歌の剣筋を見極め、考え得る最小限の動きで躱す。

 首筋を狙った右凪ぎ――違う。

 心臓を狙った刺突――違う。

 右肩を狙った逆袈裟――違う。


 頭上から振り下ろす唐竹――これだ。


 振り下ろされた《懺悔の唄》の刀身を、迷わずに右手の《柩送り》で受け止める。

 エネルギーが浸透を始めて燃えるような紅色の刃と、冷ややかな死を思わせる銀の装飾がなされた銃身の衝突。小規模な爆発が起こったかのような風圧が発生し、廃ビルにおよそ二〇〇年もの間放置されていた埃やごみを吹き飛ばした。火花であるのか、それとも凝縮されたエネルギーが弾けているのか判断のできない煌めきをまき散らし、両者の武器は拮抗する。


 しかし。


「――僕にはまだ、左手が残っているぞッ!」


 《懺悔の唄》を受け止めたまま、零式は左手の《柩送り》を銃口を挽歌に向ける。

 それと同時に、《懺悔の唄》の刀身が完全な紅色に染まりきった。


「《柩送りラストリゾート》――」


「《懺悔の唄エレギア》――」


 銀装飾がなされた漆黒の拳銃、そして夕暮れよりも紅い刀身。

 それらはかつて、機神と呼ばれた戦略兵器が核としていた部品を素材に作られた。

 機神歯車と呼ばれる、超高性能OSを搭載した永久機関そのものである。


「――二十分の一ファイブッ!」


「――三重奏トリオッ!」


 人知では計り知れない超高性能OSが織りなす奇跡と奇跡のぶつかり合い。

 それはおよそ二〇〇年前に勃発し、世界を壊滅に追いやった機神と機神同士の戦争の再現にも等しい。そして、神と神の衝突の前には、あらゆる物質が体裁を保つことができない。


 廃ビルが、崩れ落ちる。

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