レプリカント=セヴン

D&Y

本編

第一章

第1話 == 日常

 第五外周区の空気はあまりにも薄汚く、べったりと澱んでいた。


 この世に生を受けてから、少年は一度たりとも植物の炭素循環のみで生成された綺麗な空気を吸ったことはない。言い換えると、大型の空気清浄機で二酸化炭素のみを取り除き、無理に再利用しているような味気ない空気で生を繋ぐ毎日を送っているが、それでも第五外周区の空気が『汚い』ということは嫌にでもわかる。


 例えるならば、乾燥して空中を舞う腐った泥と、それに加えて機械要素間の摩擦を軽減するために用いられる潤滑油が混ざったかのような匂いだ。

 あたりを見渡しても瓦礫当然の建築物か、あるいは使える部品だけを抜き取られた機械の金属フレームだけが転がっているばかりで、文明の色はどこにも見ることができない。


 ただ、そのような荒削りの風景であっても、夕焼けの朱色に染まるとどこか儚く、少し触れただけで壊れてしまいそうな尊さが感じられる。


「……はぁ」


 世紀末には不似合いな儚さに、少年は息を呑むどころか溜め息を吐く。


 少年――一二桁の数字から成る個体識別番号に括り付けられた簡易識別名ドメイン零式ぜろしきという。

 本来は個人個人が自身の夢であったり、意味のある単語を簡易識別名として登録するのだが、彼の零式という識別名にはこれといった意味はない。というよりか、親に名付けられた識別名を意味もわからずにそのまま利用しているというのが正しい。


 そんな零式が第五外周区という廃墟にいるのは、決して住んでいるからではない。


 第四外周区ならばまだしも、第五外周区には不法入国者や乞食、飼い主を失った奴隷ですら一人として住み着くような輩はいないだろう。

 その理由は単純明快で、人々を守る避難所の役割を担う防衛都市の中でも、最外周である第五外周区は安全圏内から大幅にずれるからである。つまり、非常に危険な領域だからだ。


「……ここか」


 零式が目的地である廃ビルに到着する。

 かつては栄華を極めた高層ビルも、現在では全ての窓硝子が割れ、錆びついた鉄骨を露出させ、内部の黒い闇を露わにしている様子は亡霊を彷彿とさせた。


「――ッ!」


 敷地内に足を踏み入れた瞬間、零式は周囲で熱源センサーが作動するのを察知する。咄嗟の回避と続けざまに鳴り響く銃声。彼方より放たれた銃弾は、零式が着用している耐衝撃ファイバーで編まれたジャケットの肩を掠り、削り取って飛んでいく。


 回避した零式に照準を合わせんと、赤外線レーザー照準器の赤い光点が追いかける。飛び交う光点の数は合計して二つであり、それが意味するのは敵が二機いるということだ。零式は瓦礫の影に転がりながらも慎重に観察し、記憶というデータベースと数少ない情報を照らし合わせて、相手の型式を割り出す。


 相手の姿は見えていないが、おおよその見当はついた。


 まず、零式が近距離に接近しなければ反応しなかったセンサーから、大戦前に作られた安価な大量生産型。加えて、零式が瓦礫に身を隠した後に追ってこないことから、固定砲台の類いであることを判断する。極めつけに精度の悪いレーザー照準器は旧中華人民共和国の粗悪品に間違いない。


 以上の情報より、敵は比較的脅威度の低いレプリカントだ。


 レプリカント。過去の大戦争時に自動運用された機械生命体であり、敵性反応と認識すれば人間であろうと殺戮する負の遺産である。強固な超高硬度生体金属で構築されており、生半可な武装では掠り傷一つ付けることができない。


 なにより、彼らの部品で最も厄介なのが《壱型動力炉歯車》と呼ばれる歯車の形状をした高効率エネルギー機関だ。それに起因して、戦争終結から二〇〇年という歳月が経った現在でも彼らは稼働を続けることができている。


「あまり君を使いたくはないんだけれど……」


 零式は両足に装備しているホルスターに収められた拳銃を一瞥する。

 いくら脅威度の低いレプリカントと言えど、油断してかかれば寸刻を待たずして肉でできた蜂の巣になるだろう。

 零式は手の動きによるフリック入力で空中に簡単なコードを入力する。同時にばちん、という電気の弾けるような音と共に強化カイデックス製ホルスターの電磁留め具が全て外れる。


 封印を解かれた無機質な銃把が外気に晒され、背筋に冷たい感触が走るが構わない。

 零式は両手を躊躇いなくホルスターに伸ばし、そこに収められた冷ややかな感触の『それ』を取り出した。


 極めて特殊な工法で製造された、本来は格下に使うのも憚られるであろう二丁拳銃。

 その黒を基調とした作りに銀の装飾が為された質素なデザインは棺桶を彷彿とさせ、目にした者に冷ややかな死を感じさせる。


 《番外式カーネル:柩送りラストリゾート》――それがこの二丁拳銃に与えられた名称だ。


「ッ」


 零式は二丁拳銃を構え、自身を隠していた瓦礫から飛び出した。

 獲物が出てくるのを待ち構えていたかのように、二方向からの赤外線レーザーが零式の脳天を瞬時に捕らえる。間髪を入れずに発砲音が届くが、それが零式を撃ち抜くことはない。


 零式が首に巻いている黒いマフラーが、その銃弾の進行を受け止めていたのである。神経を伝わる電気信号の命令で形状を変化させる金属繊維で編み込まれたマフラーは、零式の意志を肌越しに伝播させることで自在に操り、形状を変化させることもできる。


 普段は暖かな毛糸のような触感のマフラーも、零式の意志で鋼鉄よりも硬く変化させることができる。こんな生きるか死ぬかの世紀末を生き延びるための小道具の一つだ。


 マフラーの何処に、どのような角度で銃弾が撃ち込まれたか、そこからレプリカントの位置を把握する。相手が銃弾を曲線的に撃つことができないと仮定すると、銃弾が撃ち込まれた方向の直線を逆戻りすれば良いだけの話だ。


「そこだッ!」


 《柩送り》の銃口をそれぞれ異なる方向に向ける。


 右手は廃ビルの八階部分の右から五つ目の窓際に設置されたレプリカントに。

 左手は手前にある大きな瓦礫に埋もれるようにして隠されたレプリカントに。

 ――撃つ。


 必要最低限の出力で発射された弾丸は、ほぼ無音のそれ。


 しかし、極力押さえ込まれた出力だからといってレプリカントが無事でいられるという理由にはならない。何故なら、それは『相手を必ず殺す』必要最低限の出力という意味合いだからである。それと同時に、出力を抑えることは零式自身の身体を守ることにも繋がる。もしも《柩送り》の出力を半分でも出そうものならば、彼の両腕は千切れ飛ぶだろう。


 銀色の軌跡を一瞬だけ遺し、弾丸は慈悲深く、あるいは冷酷に対象の命を刈り取る。


 零式という敵対反応に再び牙を剥くための僅かな時間すらも与えられず、レプリカントは目であるカメラアイと頭脳である中央処理装置を射貫かれる。断末魔のようにノイズを吐き散らした後、完全に起動を停止した。


「お疲れさま」


 零式はただ、そうとだけ呟いて、廃品当然となったレプリカントへと歩を進める。

 彼らは、死んだ。

 壊れた、わけではない。壊れただけならば、修理すれば再び動き出すだろう。

 だが、彼らは生き物もどきレプリカントである。高度化した技術によって生を植え付けられた存在であり、生きる者がいずれ死ぬように、彼らもまた死ぬのだ。

 死んだ生命体は、決して生き返ることはない。


 そう、神という奇跡が存在しない限りは。


「動力炉歯車が損傷していなければ良いんだけど」 


 零式は足ベルトに装着している強化カイデックス製ホルスターに二丁拳銃を収めた。

 ここは既に危険地帯である。故に電磁留め具はそのままにして、いつでも銃身を取り出せるようにしておく。


 そして、まるで血を流すかのように青白いエネルギーを迸らせている残骸へと、一欠片の躊躇さえ見せずに右手を突っ込んだ。


「――あった」


 掴み、引き抜く。

 引き抜かれた右手には、手の平ほどの大きさがある歯車が握りしめられていた。

 先程まで彼を生かさんと、膨大なエネルギーを送り続けていた機械の心臓だ。

 同時に、動力炉歯車に溜められたエネルギーは化石燃料が枯渇した現在では人類が利用できる数少ない資源の一つであり、最もメジャーな資源でもある。


 また、レプリカントからは動力炉歯車だけではなく、現在でも利用価値のある部品を回収することができる。それらを回収することで、九九式機関と呼ばれる事実上政府と同義の組織から最大限のバックアップと賞金を受け取って生き延びているのが、零式のような廃品回収業者スカベンジヤーと呼ばれる業者だ。


 レプリカントから抜き取った動力炉歯車だけをジャケットのポケットへと無造作に突っ込み、零式は目の前の廃ビルへと向き直る。


 本来はレプリカントの残骸から金銭になる有用な部品をじっくりと漁りたいのだが、今さっきの騒動で零式という敵性反応が接近していることを『本当』の目標に感知されてしまっているだろう。零式はその目標を、逃げられる前に解体しなければならない。


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