第2話 ブランチ・シークレット

 あれから、二日が経ちました。

 列車が終点につくまでは、まだまだ時間がたくさんあるので、私はアデルちゃんとお話をしたり、いろんな景色を見たりして、一日一日を過ごしていました。

 アデルちゃんは私よりも早く眠ってしまうので、夜の列車の冒険にはまだいっしょに行ったことがありません。

 今日はアデルちゃんと、アデルちゃんのお父さんといっしょに、食堂車でご飯を食べます。

 お昼ご飯のメニューはイングリッシュ・マフィンのサンドイッチと、シェパーズ・パイ。それから、かぼちゃの冷たいスープ。シェパーズ・パイのお肉は牛さんです。

 イングリッシュ・マフィンは、ぶ厚い目玉焼きと、とろっとろのチーズにサーモンが挟まっていて、あつあつです。

 はふはふしながら食べると、とろーり溶けたチーズが、固く焼かれた目玉焼きとサーモン、それからマフィンにしみ込んで、うっとりするほどおいしいのです。

 シェパーズ・パイは、マッシュポテトの皮の部分にこれもチーズが乗っかっていて、マッシュポテトの甘さとチーズのしょっぱさがぐっと口の中で広がっていきます。

 スープはかぼちゃのあの、何とも言えないやさしい甘さがとろとろ溶けていて、熱いお料理を食べた舌を、そっと冷やしてくれます。

「おいしそうに食べるねぇ」

 アデルちゃんのお父さんに言われるまで、私はずっと口いっぱいにお料理をほおばっていたことに気づいて、慌ててスープで飲み込みました。

「慌てなくていいよ。アデルも食べるのはゆっくりだからね」

「は、はい!」

 再び食べだした私は、シェパーズ・パイの肉汁とチーズ、ポテトの合わさった味に、ふわふわと夢見心地になっていました。

 アデルちゃんは、小さなお口に、ゆっくりと食事を運びます。一生懸命に食べながら、それでいて、ふんわり笑っているのです。

 とてもかわいくて、アデルちゃんがおいしそうに食べているのが、何だか嬉しくなっちゃいます!

 アデルちゃんは手を止めて、ぽつりと言葉をつぶやきました。

「…アリーちゃんは、うさぎさんが、好きなの?」

「はい! 白くて、ふわふわで、かわいいから大好きです!」

「…わたしも、うさぎさん、好き、だよ」

「いっしょですね!」

「…うん、いっしょ」

 ふふ、と笑いあいながら、私たちは食事を続けました。

 食べ終わったときには、お客さんはあんまりいませんでした。皆さん、奥の車両に行っているようなのです。

「あの奥の車両は、何があるのですか?」

「あそこかい? あそこはね、大人だけが入れる場所なんだよ」

 アデルちゃんのお父さんはそんな風に教えてくれました。

 夜の列車の冒険でも、あの車両だけは、私は入ったことがありません。目の前に立っているお姉さんが、いつも入れてくれないのです。

「大人だけが入れるのですか?」

「そう。だから、アリーちゃんも大人になったら、きっと入れるよ」

「そのとき、またこの列車に乗れたら、いいんですけど…」

「きっと乗れるよ」

 そう言ってくれるアデルちゃんのお父さんは、やさしい人だなぁと思いました。

 小さな村にいる私には、なにもかもがきらきら輝いているように見えます。この料理もそうですけど、村では見たことも、味わったこともないものだらけです。

 この列車の旅に、おばさんや、おじさんや、弟を連れてくることが出来なくって、なんだか私は少しだけ、しょんぼりとしてしまいました。

「…故郷が恋しくなっちゃったかな?」

「…はい。あっ、でも、アデルちゃんがいるから、大丈夫です!さみしくないですよ!」

「そう、なの?……嬉しい」

 アデルちゃんがふわふわのケーキみたいな、甘くてやさしい笑顔を浮かべました。

 楽しくなって、私もふふっと笑いました。

 そのときでした。

 列車が、ガタガタン!と勢いよく揺れたのです。

「何だ!?」

 アデルちゃんのお父さんは、アデルちゃんをぎゅっと抱きしめました。私は、隣に置いてあった、うさぎさんのカバンをぎゅっと抱きしめていました。

 すぐにその大きな揺れはおさまって、何も起きなかったのですが、アデルちゃんのお父さんは近くにいたボーイさんと何か話をしています。

「…アデル、アリーちゃん、私たちの部屋に戻っていてくれないかな」

 そう言われたので、私たちは大人しく、アデルちゃんのお部屋に戻りました。

 しばらくトランプ遊びなんかをしていると、うとうととアデルちゃんが眠り始めてしまいました。

 まだ、アデルちゃんのお父さんは帰ってきません。

 なので、私はアデルちゃんのお父さんが帰ってくるまで、お部屋で待っていようと決めました。一人で起きたら、さみしいですから。

 窓の外は、もう夕暮れになっていました。お日さまは真っ赤で、なんだか、とても、いやな気持ちになります。

「……アデルちゃん、アデルちゃん、起きて」

 思わず私はアデルちゃんを起こしてしまいました。

「……どう、したの…?パパ、戻ってきたの?」

「ううん、帰ってきてないです。…でも、なんだか、こわいんです」

 そっと、アデルちゃんが私の手をにぎりました。

 それからうさぎさんのリュックを私に手渡して、言いました。

「…パパ、探しにいこう」

「そうですね、そうしましょう!」

 ガラガラと扉を開くと、なんだか、お肉を焦がしたときのようなにおいがしました。

 寝台車の向こうは、食堂車があります。その奥は、大人しか入れないお部屋があるのです。

 アデルちゃんが、だっと走っていきます。

 私が追いついたときには、アデルちゃんは食堂車に続くはずのドアの前で、ガチャガチャドンドン、扉を叩いたり、揺すったりしていました。

「どうしたの、アデルちゃん!」

「ドア、ドア、あかないの…!」

 私がやってみても、おんなじように開きません。ガチャガチャとドアがいうだけで、後はだんまりです。

「……どうしよう。パパ、だから、帰ってこないんだ…」

「お、大人のひとを呼びましょう!」

 私がそう言うと、アデルちゃんは頷いて、いっしょに狭い廊下を走って、お部屋を開けて回りました。

 でも、どこにも大人のひとはいません。

 大人のひとは、きっとこの向こう、食堂車と、それから――大人の人だけが入れる部屋にいるのかもしれません。

 向こう側から、開けてくれるのを待つしかありません。

「……どうしたのよ、うるさいわね」

 ベッドのカーテンが開いて、一人の女の子が出てきました。私たちより年上で、すらりと背が高い、女のひとでした。

「ドアが、開かないんです…」

「はぁ? 建付けわる…って何この匂い。…何か料理焦がしてんの?」

 言われて思い出したのですが、確かにすごく焦げくさいのです。

 窓の外は、いつの間にか真っ暗になっていました。

「ボーイさんでも探したら?いるでしょ、どっかに」

「…ボーイさん…」

 アデルちゃんが言って、また駆け出しました。

 私はその後を追いかけます。

 廊下のところで、ボーイさんが一人、アデルちゃんと何か話をしていました。

「…ドアが開かない、ですか?……お客様、では、お部屋に戻っていてください。良いですね、何があっても、開けてはいけませんよ!」

 ボーイさんはなんだかよく分からないことを言って、慌てて寝台車の方に向かって行きました。

 入れ違いに入ってきたのは、さっきの女のひとです。

「…ったく何なのよこの騒ぎ。せっかくの休日台無しなんですけど」

 そう言いながら、時計をいじり回しています。

 私たちに気づくと、女のひとは言いました。

「部屋、戻んなくていいの? ボーイに言われたでしょ、部屋戻ってろって」

「…うん…。でも…」

 アデルちゃんは、お父さんが心配で、戻る気がないのです。その気持ちは、私にはよく分かりましたから、私は首を横に振りました。

「あっそ。 アタシは部屋に戻るわ。何だか寝る気しないし」

 そう言って、女のひとは401号室に入っていきました。

 アデルちゃんと私は、しばらくその廊下をうろうろ、二人で歩いていましたが、そうしていたってアデルちゃんのお父さんが戻ってくるわけでもありません。

 なので、私は意を決して、扉を開きました。


 そこには、骨と皮だけの手足をした、四本足で歩く、平べったい体をした、……怪物がいました。


 怪物。そうです、怪物です。 だって、ひとは、あんな風に骨と皮だけの体で動きません。あんなに平べったい体をしていません。

 何より、手足の長さがおかしいのです。針金みたいな手足が、クモみたいに長くて、折れ曲がっているのです。

 おかしな体と、手足です。あちこちが細くて、骨みたいで、ねじれていました。

 ガイコツのような顔が、こちらを向きました。鋭い牙が、がぱりと開いて。

「き、ぃ、やあああああああああああ――っ!!」

 叫びました。叫んで、アデルちゃんの手を引っ張って、走って、走って、走って、廊下を走って、部屋に逃げ込みました。

 ぴしゃりとドアを閉じて。倒れこむようにへなへなと床に座り込んでしまいました。

 心臓が、痛いぐらい、ばくばくしています。がちがち、歯が鳴っています。あれは、あれはいったい、なんなのでしょう。怪物?化け物?でもなんで?

 アデルちゃんが、私の頭を撫でてくれました。その手は、ふるえていました。

「……ドア、開けちゃだめって、言われた、よね」

「…開けちゃ、だめです」

「そう、だよね…。…どう、しよう。パパ、あれに食べられちゃったのかも、しれない…」

「…そ、んな、こと…」

 ない、とは言えませんでした。

 怖くて、怖くて、二人でぎゅっと抱きしめあいながら、ドアを見つめていました。

 お互いにふるえているのが分かります。

 今にも、あの怪物がドアを破ってきそうで、怖くて、怖くて。ふるえながら、ドアを、じっと見つめていました。

 そうして、怪物が通らないように祈りながら、息をひそめていました。

 私たち二人は、そうして夜が明けるまで、ずっとお互いのふるえる体を抱きしめあいながら、過ごしていたのでした。

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