第3話 エスケープ・シークレット

 気が付くと、夜が明けていました。

 体のふるえは、ずいぶんと止まってきたように思いますが、それでもとても怖くて、ドアを開けようという気持ちにはならなかったのです。

 そのときでした。コンコン、とドアがノックされる音が聞こえたのです。

「お客様。わたくし、乗務員のメアリーと申します」

 女の人の声でした。

 私は、単語が分からず、おろおろとしながら、アデルちゃんを背中にかばって、尋ねました。

「じょうむいん?…ですか?」

「この列車で働いている者です。あなた方を保護しに参りました」

 女の人…メアリーさんはそう言って、ドアを開きました。

 普通の、列車でよく見た、青緑色の小さな、三角の折り目が手前についたお帽子をかぶってる方でした。

 髪の長さは頬辺りで、まっすぐに切られています。

 制服の胸元にあるたっぷりのフリルも、私はよく見ていました。制服ですものね。

 私とアデルちゃんを連れて、メアリーさんは先頭車両に程近い、倉庫に入りました。そこには、もう何人かの人が集まっているようでした。

「この方々で最後です」

「そうですか…。痛ましいことです」

 メアリーさんの説明に、私たちはハッとして、その中にいる人たちを順繰りに見ていきました。

 アデルちゃんのお父さんは、居ません。…居なかったのです。

「あ、あの、アデルちゃん…この子、お父さんが、食堂車にいたんです…けど……」

 言いたくなくて、聞きたくなくて、言葉が尻すぼみになっていくのが分かります。

 メアリーさんは屈んで私たちに目線を合わせると、謝りました。

「申し訳ありません…。…食堂車と、娯楽室は、…その、燃えてしまったのです」

 燃えた。火事になったということです。では何故、この車両や、寝台車は大丈夫だったのでしょうか?

「…火事になった際、車両を切り離したのです。寝台車にまで燃え移ることがないよう……。…申し訳ありません」

 そう言って、メアリーさんは謝りました。

 それから、立ち上がってもう二人ほど集まっている、列車で働いている人たちの輪の中に入っていきました。

 アデルちゃんは真っ青な顔で、今にも泣き出してしまいそうでした。当たり前です。私だって、おばさんやおじさん、弟が燃えて死んでしまったら、アデルちゃんみたいに我慢できなくて、わんわん泣いちゃいます。

 私は、大事なうさぎさんのリュックを、アデルちゃんに貸す事に決めて、アデルちゃんにそっとそれを渡しました。

 アデルちゃんは私を見て、ぽろ、と涙をこぼしてうさぎさんのリュックをぎゅうっと、抱きしめました。

「……お集まりのお客様方。この度は我々の至らなさ、誠に申し訳ありません」

「一体あれはどうなっているんだ!」

 男の人が怒ったように言いました。

 あれ……ひょっとすると、私たちが見た、あの化け物のことでしょうか?

 私が考えていると、メアリーさんが口を開きました。

「…あれは、『バンダースナッチ』と呼ばれる怪物です。日中は活動せず、夜間に活動する怪物です」

 バンダースナッチ。そう呼ばれているのだそうです。

 ということは、あの怪物に、何度かこの方々は出会っているということなのでしょうか?

「そういう事を聞いているんじゃない!どうしてこの列車が襲われたんだと聞いている!」

「列車の運営で過去に出会ったことはございません。ですが、この近辺にはあぁいった怪物が存在する、という噂があったことは確かです」

「何故そんな場所に列車を運行したんだ!!」

 男の人の言葉に、何人かの人が、そうだそうだと言い放ちました。

「『バンダースナッチ』は今まで見た者が居らず、噂が噂を呼ぶ…そのような存在だったのです。…それ故に対処が遅れましたこと、誠に申し訳ありませんでした」

 そう言って、メアリーさんは頭を下げました。

 他の働いている人たちも、いっしょになって頭を下げます。

 それで他の人たちは、もっと怒るようなこともなく、しぶしぶと黙りました。

「……しかし、倉庫に立てこもっても、どうしようもないだろう?どうするんだ?」

「幸い、運転士は生きております。進路を変えて、港へ向かいます」

「港!?」

 男の人が驚いたように声をあげました。

 私もアデルちゃんも、多分他の人たちも、びっくりしていると思います。

 だって、港です。列車の旅で行くはずだったところは、たしかに、海がありましたけれど、まさかお船で移動するのでしょうか?

「ここから進路を変えるまでには、二日かかります。その間、皆様方は、こちらの倉庫に居ていただくよう、お願い申し上げます」

「でも何で倉庫なんだ?破られたらおしまいだぜ?」

 顔に大きい三本線の傷がある、何やらクマさんに似た体の男の人が尋ねました。

 そうです。皆がここにいるって分かってしまったら、『バンダースナッチ』に食べられてしまいます。

「ご安心ください。こちらの倉庫は、けして光が漏れないようにしてありますので」

「光ぃ?」

「そうです。『バンダースナッチ』は、夜間、光が付いている箇所を襲います」

「何だか蛾みてぇなヤツだな……。理屈は分かった。俺たちはただ籠城してりゃあ良いってわけだな」

 クマさんみたいな男の人は、そう言って腕を組みました。体も大きくて、なんだか怖そうな人です。

 それにメアリーさんは頷いて、言いました。

「はい、そうです。 皆様にはご不便をおかけし、誠に申し訳ありません」

「あーあー、良いってんだよ。命あっての物種だろ?助かった奴らがこれだけいるんだ。それをまず誇れよ」

 クマみたいな男の人はそう言って、メアリーさんをなぐさめているようでした。

 やさしい人なのかもしれません。怖いだなんて思ってしまったこと、ごめんなさい。

 私がこっそり心の中でそう謝っていると、アデルちゃんがくいくいと袖を引いてきました。どうしたのでしょう?

「……あの子、も、いるよ」

「あの子、ですか?」

 アデルちゃんが指さした先にいたのは、さっき、自分の部屋に戻ると言っていたお姉さんでした。

 お姉さんは助かったのです! 私とアデルちゃんは顔を見合わせて、お姉さんのところに向かいました。

「…お、お姉さん」

「なぁに?って、あんたたち、助かったのね!良かったじゃん!……って、そうでもないか…ごめんね」

 アデルちゃんを見て、お姉さんはそんな事を言いました。

「お父さん、いなくなっちゃったんだもんね。喜べないか…」

 アデルちゃんの頭をやさしく撫でると、お姉さんは少しだけ屈んで目線を合わせてくれた後、自分の名前を名乗りました。

「あたし、アリシアっていうんだ。多分、あんたたちといっしょのところに行くと思う。よろしくね」

 アリシアお姉さんはそう言って、私の頭もやさしく撫でてくれました。

「…それにしても、お腹減ったなー…」

「お腹がすいているのですか?」

「うん。寝てたから、何にも食べてなくって」

 アデルちゃんが私にうさぎさんのリュックを返してくれました。

 そこから私は、キャンディーをいくつか、アリシアお姉さんに手渡しました。

「あの、これ、あげます」

「くれるの?ありがとー! さっそく食べちゃうね」

 笑って言いながら、アリシアお姉さんは包み紙を取って、紫色のキャンディーをぱくりと食べました。

「あっ、ブドウ味だ!おいしいー! あたし、ブドウ大好きなんだよね!」

 そう言って、アリシアお姉さんはまた私たち二人の頭をやさしく撫でてくれました。

「……大変なことになっちゃったけどさ、船でも楽しいこと、いっぱいあると良いね」

 アリシアお姉さんはやさしい声でそう言うと、立ち上がって手を振りながら、少し離れたところにいた男の人のところへ向かいました。

「やさしい人、だったね」

 アデルちゃんはそう言って、私の服をそっとつかみました。

「うん。やさしい人でした」

 私はそれをほどいて、アデルちゃんの手を握りながら、倉庫の中の適当な場所に座りました。

 アデルちゃんは、目にいっぱい涙をためながら、ぽつりと零しました。

「これから、どうなっちゃうんだろう……」

 それに私はなんにも言えなくて。

 ただ、アデルちゃんの背中を、そっと撫で続けました。

 それから、何ごともなくこのまま、朝が過ぎて夜が明けてくれればいいな、と思ったのでした。

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