第17話 決心

「一?」


 物の数十秒で目的地にたどり着いた。

 凛の家。

 インターホンを鳴らすと、凛がそのまま外に出てきてくれた。

 今から凛に伝えなきゃいけないことがある。


「ちょっと散歩しないか?」

「えっ……わかった。ちょっと待ってて」


 躊躇いつつも、凛は一度家の中へと戻っていった。

 しばらくして、再度ドアが開く。


「お待たせ」

「うん」


 凛が出てくるのを見計らって、僕は歩を進めた。後ろから凛が追いかけてくる。


「ちょっと、待ってよ!」


 凛の叫びを無視して、僕はひたすら歩き続けた。

 無心になって歩き続けてたどり着いたのは、アーチ状に架かる百代橋ひゃくたいばしの一番高い所。僕が歩みをとめてから、数十秒して凛がやってくる。


「ちょっと。いきなり呼び出しといて、ひどくない? ねえ、聞いてるの?」

「聞いてるよ」


 凛の声がいつもより心に響いてくる。

 この声に支えられていたんだと実感する。


「それで何の用? こんなとこまで連れてきて。何もないわけじゃないよね?」

「うん。ちょっといつもとは違う目線で話したくてさ」


 僕は凛と向き合う。

 目の前の幼馴染は、昔と変わらず僕の隣に居てくれる。

 どうして今まで気づかなかったのだろう。


「凛に言われたこと。思い出したんだ」

「一……」

「小学校五年生の頃、凛に言ったよね。インハイに連れていくって。今の僕が弓道を続けているのは、インハイに凛を連れていくこと。違うかな?」


 僕の問いかけに、凛は首を横に振って否定してくれた。


「違うわけない。だって……」


 言葉に詰まった凛の目には、うっすらと涙がにじんでいた。


「ごめん」


 謝ることしかできなかった。


「……怖かったんだ、私」


 涙を拭った凛は、僕の双眸を覗き込むように見つめてくる。

 大きな黒い真珠が埋め込まれたような瞳。

 その瞳に、僕の心の奥深くを覗き込まれているような気がした。


「全国二連覇を成し遂げて、着実に翔兄ちゃんに近づいていった一が、急に弓道をやらないって言ってきた。その時、私はすごく悲しかった。小さい頃から私と一の話題は弓道の話が多かったでしょ? だからこのまま一が弓道を一生やらないなんてことになったら、私と一を繋ぐものがなくなっちゃうんじゃないかって。怖くなったんだ」


 弓道を辞めてから、ずっと凛は僕のことを気にかけていてくれた。

 でも、僕はそんな凛の気持ちに気づかなかった。


「わがままなんだよね、私。一が弓道をしてるのは、当たり前のことだと思ってたから。その当たり前が変わっちゃうことが嫌だったの。だから私が弓道を始めれば、一もまた弓道を始めてくれるんじゃないかって、少し期待してた」


 迷惑だったよねと、凛は頭を下げてくる。

 そんな凛に僕は今の気持ちを吐きだした。


「迷惑じゃないよ。凛がわがままだったから、自分勝手だったから僕は救われた。大好きな弓道を手放さずにすんだんだ。本当に感謝してる」

「へへっ。酷い言われようだね、私」


 男勝りな凛だからこそ、今の僕がある。

 凛のわがままに導かれて弓道を続けてこれた。


「凛は今のままでいいんだよ。僕の前では、いつものわがままで自分勝手な凛でいてほしい」


 凛は昔からずっと変わらなかった。

 目指すべき道を失い、路頭に迷っていた僕を正しい道に導いてくれる光。

 凛は今でも僕にとって替えの利かない存在だ。


「私のわがままだって、たまには役に立つんだね」


 凛は目尻からこぼれそうになっていた涙を拭った。

 先程まで穏やかだった風が突如強まり、思わず僕と凛は手で風を遮った。

 しばらくして風がおさまる。

 凛は大きく両手を広げ、伸びた。


「あーあ。もう少しで大会が始まっちゃう」


 凛はそのまま僕の隣に並ぶと、肘で脇をこつんとつついてきた。


「決めた。私は自分の力でインハイに行く。一はインハイに行けなかった時の保険ね」

「酷いな。僕は凛の保険なんだ」

「当然でしょ。私は自分の力でインハイに行きたい。今のチームなら、絶対にいけると思ってるから。そのためにも、まずは関東大会予選に勝って勢いをつけるんだ」

「でもその前に、Aチームに上がらないと」


 凛はまだBチーム。

 実力がまだ追いついていない分、もう少し努力が必要だ。


「そ、そんなのわかってるから。私は大器晩成型なの。あと一年もすれば、Aチームのエースになってるんだから」


 腕組みをして威張ろうとする凛を見てると、自然と笑いが込み上げてきた。


「そうだね。凛ならできるよ」


 きっとできる。

 不思議と凛なら成し遂げると思ってしまう。


「一のくせに、生意気言うな」


 握り拳を作った凛は、僕の胸を軽く叩いた。

 そして、そのまま僕の胸におでこを押し当ててきた。


「り、凛?」

「関東大会出場、絶対に決めてね。次の大会は、男子弓道部の復活の場になるんだから」


 突然の凛の行動に、僕は動揺を隠せなかった。

 凛の熱が胸を伝って届く。

 少しずつ心臓の鼓動が早くなっているのが自分でもわかる。

 凛は昔の約束を覚えていた。

 それを踏まえて新たな道を進もうとしている。

 自分で未来を切り開こうとしている。

 そんな凛に、僕は応えなきゃいけないと思う。

 今日まで僕は、多くの人に支えられて弓道を続けてきた。

 途中で道を踏み外しそうになったけど、こうして戻ってくることができた。

 一人では、弓道を続けることができなかった。

 だからこそ、支えてくれた皆に返さなきゃいけないと思う。

 伝えなきゃいけないと思う。


「……うん」


 僕はゆっくりと頷いた。

 そして、そっと凛の頭に手を置く。

 もう大丈夫。

 大切なことを思い出せたのだから。

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