第16話 鈍感
「おっ、やっと帰ってきた」
「翔兄ちゃん……」
家に帰ると玄関前に翔兄ちゃんがいた。
「もしかしてずっと待ってたの?」
「おう。二時間くらいかな。四月だけどまだ少し肌寒いな」
へへっと笑う翔兄ちゃんを、とりあえず家に上げた。
「それで、今日は何の用なの?」
「そりゃ、男子弓道部について聞きたくてな」
「凛から聞いてるんじゃないの?」
「まあ、少しは聞いているよ」
「なら、別に来なくてもいいじゃん」
「お前の口から聞きたいんだよ」
翔兄ちゃんの視線が僕に突き刺さる。昨年の新人戦後、部屋に来た時と同じ目をしている。僕は息を吸ってから、翔兄ちゃんに向けて言葉を放った。
「次の関東大会予選で、男子弓道部は正式に公式大会に復帰するよ」
「そうか。やったな! 一ならできると思ってた」
翔兄ちゃんは自分のことのように喜んでくれる。自分の思い通りに物事が運んだからだろうか。
「翔兄ちゃんは、僕が弓道部に戻ることを知ってたの?」
「いや、知らないよ。俺は預言者じゃないし」
「それじゃ、どうしてあの時に僕ならできるって言い切れたのさ?」
無理だと言い続けていた自分に、できると言い続けてくれた。その自信はどこから来るのか。僕にはわからなかった。だからこそ聞いてみたいと思った。
「それはな、昔からお前は諦めることはしなかったからだよ」
「昔の僕……」
「昔から一は優しい人間だった。優しすぎるせいか、人に強くものを言うことがほとんどなかった。それでも、自分の好きなことや勝負事に関しては絶対に負けたくないのか、最後まで諦めずに努力し続けられる人間だった。そんなお前のことを知ってたからこそ、俺は託したんだ」
「でも、僕は諦めた。早気になってから、弓道を一度捨てたんだよ」
大好きだった弓道を捨てた。
これ以上、嫌いにならないために。
それは早気から逃げる口実みたいなものだったのかもしれない。
それでも、捨てた事実は消えない。
「でも、戻って来ただろ?」
翔兄ちゃんは僕の双眸をとらえると、ゆっくりと頷いた。
「自分の性格ってそんなに簡単に変わらないものなんだ。変わろうと思って、変わるものじゃない。それが人間の心って奴なんだよ」
「人間の心……」
「弓道で大事なのは技術もそうだけど、最終的にはハートの強さだと俺は思ってる。けがれのない、純真な心。その心って鍛えることはできても、変えることはできないんだ。誰もが生まれた時に授かった心を持っている。一は、諦めない心が他の誰よりも強い。昔から一を見ているから、俺にはなんとなくわかったんだよ」
翔兄ちゃんは言った。真っ直ぐな視線が、僕の胸を貫く。
「そもそも本当に弓道をやりたくなかったら、弓道部がない高校に行けばよかったはずだ。でも、一は活動できる可能性がある草越を選んだ。少しでも弓道をしたい気持ちがあったんじゃないのか?」
翔兄ちゃんの言葉に、僕は何も言い返せない。
それくらい、翔兄ちゃんの言葉は正論だった。
「それに、一なら早気を治せるはず。もう気づいているんだろ?」
「……うん」
僕は小さく頷く。
きっと翔兄ちゃんは、はじめから知っていた。
僕が気づいていないことも全て。
僕の中で早気の邪魔をしているものがあった。
それは練習ではどうにもならないこと。
ある程度の改善は見えても、根本の解決には至らない。
翔兄ちゃんの言う通り、ハートの強さ、精神面の強さが弓道で一番大事なことなのかもしれない。
それは弓道をはじめた頃に抱いた気持ち。
純真な心を思い出すこと。
「一つだけ聞いていい?」
「ん?」
僕は最後までわからなかったことを翔兄ちゃんに聞いた。
「どうして、凛は弓道をはじめたの?」
翔兄ちゃんが好きだからと思っていた僕の答えは外れていた。
もう迷わないためにも、一つの答えを聞いておくべきだと思った。
答えを一番知っていそうな本人に。
「お前……」
言葉を失った翔兄ちゃんは、僕を一瞥すると大きなため息を吐いた。
「もしかして気づいてないのか?」
「……うん」
「どんだけ鈍いんだよ」
頭を抱える翔兄ちゃんは、呆れたように再度ため息を吐いた。
そして僕に忠告する。
「どう考えても、お前の為だろ」
「僕の為……」
「お前が早気で苦しんでいる時、いつも隣には誰がいたんだ?」
翔兄ちゃんの発言に、開いた口が塞がらなかった。
僕の隣には、いつも凛がいた。
小さい頃からずっと僕の手を引いてくれたのは凛だった。
弓道をはじめた時も、早気に苦しんでいる時も、弓道を辞めた時も、そして弓道をもう一度やろうと思った時も。
いつも隣に居てくれたのは凛だった。
今までの凛の行動が脳裏に浮かび上がってくる。
全ては翔兄ちゃんの為だと思っていた僕は、大きな勘違いをしていた。
「凛はいつも俺に一の相談をしてきた。一が弓道を辞めた時も、直ぐに電話で話してくれた。弓道に詳しくないから力になれないって。だから俺は凛に言ったんだ。同じ土俵にたてば、見えてくるものがあるんじゃないかって」
凛の行動の意味がようやく理解できた。
小さい頃からずっと一緒だった凛のことを、僕は何もわかっていなかった。
わかっていると高を括っていた。
僕の不用意な行動のせいで、凛を苦しめていたんだと。
「……翔兄ちゃん。僕、行きたいところがあるんだ」
今すぐ会って伝えなきゃいけない。
「よし、行って来い」
バシッと僕の背中を叩いた翔兄ちゃんは、そのままドアの方に僕を押してくれた。
背中に微かに痛みを感じた。
それでも、不快感など全くなかった。
こんな駄目な僕の背中を押してくれる人達がいる。
僕のことを見てくれる人達がいる。
僕は玄関のドアを開けた。
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