第14話 何もわかっていない


 練習試合は無事に終わりを迎えた。

 結局、岩月が男女アベック優勝を勝ち取った。男子の一位は東武農業第三Aチームと同中だったため競射となった。結果、岩月Aチームが競り勝った。女子は草越Aチームが二位と大健闘。最後は雨宮先輩が皆中で締めて、二位という成績を納めた。


「それにしても、楓先輩の射、素敵だったね」

「うん、僕もそう思うよ」


 帰り道。僕の隣で凛は笑顔を見せている。


「男子もよかったよね。藤宮先生の驚いた顔、私初めて見た」

「僕も初めて見た。まさか藤宮先生があそこまで豹変するとは思ってもみなかった」


 男子弓道部を散々馬鹿にしていた藤宮先生は試合後、僕達に向け頭を下げてきた。そして、僕が中学時代に全国大会優勝したことがあることを、知らなかったと告げてきた。


「それに『これからは道場で私達の指導をして下さい』だもんね。藤宮先生もようやく一のすごさに気づいたって感じ」

「僕は……すごくないよ」


 僕はすごくない。すごいのは高瀬や古林だ。僕は自分の力だけでは、今の場所を取り戻すことはできなかった。


「まーた暗くなるような発言して。今日くらい喜びなさいよ」


 バシッと背中を叩いてきた凛は、いつもと変わらず元気に笑顔を咲かせていた。

 ブーブー。

 携帯が鳴った。ポケットから取り出して画面に表示された名前を見る。


「誰?」

「大前さん。休日に通ってた道場で、教えていた後輩」

「そうなんだ。早く出てあげなよ」

「うん。ゴメン」


 凛に断りを入れ、電話に出た。


「もしもし」

『先輩。私です』

「こんばんは」

『先輩、今日の結果どうでしたか?』

「今日の結果?」

『とぼけても無駄ですよ。真矢先生から聞きました。今日の試合で上位に入らないと、先輩達が弓道をできないって』


 心配させないために、大前にはずっと今日のことを隠してきた。


「ごめん。言ってなかったよね」

『全くです。何でも話してくれると思ってたのに』


 ぶつくさと小言を呟く大前は、まるで今隣に居る凛みたいだ。


「無事に弓道できることになったよ」

『本当ですか!』 

「うん。首の皮一枚つながった」

『おめでとうございます!』

「ありがとう」


 素直な言葉が口から出てきた。大前に言われて、弓道を続けられることをより実感する。


『実はもう一つ。先輩にどうしても伝えたいことがあって……』

「伝えたいこと?」

『はい……』


 大前の息遣いが少し粗くなった。微かに震えている気もする。


「大前さん?」

『今日、練習で会を保つことができました。四射ともです』


 耳に入ってきた言葉に、直ぐに反応することができなかった。大前は確かに言った。会を保つことができたと。


『先輩?』


 しばらく何も話さずにいた僕に、大前が問いかけてくる。

 少し身震いした。

 本当に早気が治るとは思ってもみなかったから。でも、大前ならいつか治る気がしていた。重い病気も治せるくらい、大前の意志は強靭だったから。


「おめでとう。本当に」

『はい。先輩のおかげです。自分の練習もあったと思うのに、今まで付き合ってくれて。本当に感謝しています』

「今度、大前さんの形を見に行ってもいいかな?」

『何言ってるんですか先輩。当然です。これからも見にきて……あっ……』


 大前は言葉を濁した。僕の言った意味を理解したんだろう。


「これから僕達は、自分の道場で練習するよ」


 僕達はもう通う必要がなくなった。それは同時に、大前に教えることがなくなることを意味する。


『そうですよね。もう……会えないですよね』

「そんなことないよ。たまに遊びに行く。だって、僕の母校なんだからさ」

『先輩……』


 大前はそのまま黙ってしまった。何を言うべきか僕はわからなかった。それでも、一つだけ言えることがあった。


「僕は大前さんから多くのことを学んだ。本当に感謝してる。僕もあと一歩の所まで来ることができたんだ。だから大前さんみたいに、必ず早気を治してみせるよ」


 僕一人が早気に苦しんでいるのではない。全国で弓道をしている人の中には、同じように早気に苦しんでいる人は必ずいる。

 大前と出会えていなければ、視野を広くすることができなかった。自分だけ殻に閉じこもったまま、何もせずにいるだけだった。でも、大前と話をすることで解決できることがあると知ることができた。人に話すと、こんなにも楽になれるんだって知れた。


『先輩ならできます。絶対に。頑張ってください』

「うん。ありがとう。また連絡する」


 電話を切った僕は通話時間の表示された画面を見る。思っていたよりも長い時間、電話していたみたいだ。


「ごめん。長々と話しちゃって」

「大丈夫。その、大前さんも早気だったんだね」

「うん。僕と一緒に、早気の克服に取り組んでたんだ」

「そっか」


 ため息を吐いた凛は、僕の一歩先を歩いて行く。


「あのさ、一はどうして弓道続けているの?」


 突然の問いに、僕は足を止めた。

 弓道を再開してから、早気や男子弓道部のことしか考えていなかった。そこに舞い降りてきた悩み。練習試合前、凛に似たようなことを言われた。


 ――これからの男子弓道部について。あと……一自身について。


 僕が弓道を続けようと決意した理由。きっかけではなく、本当の理由。


「翔兄ちゃんのおかげで、弓道というスポーツを知ることができた。だけど、わからないんだ」

「わからない?」

「うん……弓道を続けている理由がわからないんだ」


 口から放たれた言葉に偽りはなかった。

 わからない。

 僕はまだ見つけられていない。今は目の前の壁を必死に超えているだけ。目指すべきものがなくなった先も、弓道を続けたいと思っているのだろうか。


「そっか」


 哀愁に満ちた表情で、凛は小さく呟いた。

 あの時と同じ。練習試合前に聞かれた時と似たような雰囲気。このまま黙っていればいいのかもしれない。先延ばしにして答えが出るのを待てば、時間が解決してくれるかもしれない。


「小学校五年生の頃のこと、覚えてる?」


 沈黙を切り裂くように、凛の声が耳に響いた。


「……覚えてない……」


 小学校五年生。翔兄ちゃんに弓道を初めて教わった時期だ。それでも僕は、凛が何を言いたいのか理解できない。

 僕の反応を見るなり、凛はため息を吐く。


「質問変えるね。私が弓道始めたのは何故でしょう」

「何故って……翔兄ちゃんが好きだから?」


 翔兄ちゃんが大好きで、その陰を追いかけて弓道を始めた。僕の推測は決して間違ってはいないと思う。僕だって、始めたきっかけは翔兄ちゃんだった。翔兄ちゃんに憧れないわけがない。近くにいれば、誰もが弓道をやりたくなっていたと思う。

 視線を凛へと向ける。凛の目元が、少しだけ光っていた。


「……一は、何もわかっていない……何も」


 そっと囁いた凛は僕に背を向けると、逃げるように去って行った。


 何もわかっていない。


 凛の言葉が重くのしかかってくる。

 自分のことすら理解できていないのに、凛のことを理解している気でいた。

 翔兄ちゃんへの気持ちが、凛を動かしているんだと思っていた。

 でもそれは違った。

 凛の目から零れ落ちた一筋の涙が、僕にそう語り掛けてくる。

 普段見せたことがない凛の表情に、僕は胸を締めつけられるほど苦しさを覚えた。

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