第13話 運命の試合 ~後編~


 決勝戦が始まる前、僕達は先程の試合を振り返っていた。


「お前ら、やるじゃないか。このままいけば、問題ないんじゃないか」


 的場先生がけらけらと笑いながら話す。緊張感の欠片も感じさせない雰囲気に、張り詰めていたものが一気に解けた。


「高瀬。一射目と二射目、よく中てたな」

「一射目を中てるのが、大前の仕事ですからね」


 高瀬は胸を張っている。大前はそれでいい。強気な性格は、チームを引っ張るためには必要不可欠だ。高瀬はそれをわかっている。


「それと、古林。お前は中の人間じゃないな。どこでもやれるだろ」

「まあ、一通り経験はしてるから」


 無理じゃないと、古林は小さな声で呟いた。

 的場先生の言う通り、古林は文句の言いようがなかった。隙を見つけるのが難しいくらい完璧な射をしていたと思う。


「真弓は……ほれ」


 的場先生はノートの切れ端を差し出す。僕はそれを受け取り、書かれている文面を見た。


「二射目以降は、二秒後半から三秒前半の数字が出ているな。でも、一射目は二秒も経ってなかったぞ」

「そう……ですね」

「何が書いてあるの?」

「会の長さを計ってもらってたんだ。少しでも意識できるようにと思ってさ」


 試合前。僕は的場先生に頼みごとをしていた。現段階での会の長さを自覚するために。それと大会という大舞台で、会を保つことができているのかを認識するために。はっきりとした数値で知りたいと思った。


「でも、これではっきりした。僕はまだ会を保つことができない……早気なんだって」

「真弓。お前、俺らのことを信頼してたよな?」


 珍しく古林が僕に突っかかってくる。それでも、決して怒っているわけではないことが表情からわかった。


「信頼してたよ。でも、最初の一射目は自分のことしか考えていなかった。試合で負けたらどうしようとか、僕が外したらどうしようとか。正直、最初は周りが見えてなかった」


 久しぶりの試合だったからという言い訳はしたくなかった。実際に試合から離れていたのは、自分の心の弱さが原因なのだから。


「でも、僕が一射目を外した後に高瀬君が中ててくれて、古林君が続いてくれた。一射目の時と同じ状況で、僕に回してくれた。あの時、的に矢が中った音を聞いた瞬間、僕は周りを見ることができるようになった。本当に二人に助けられた立だった。ありがとう」


 二人に向かって頭を下げる。チームの一人として、僕は弓を引いていると実感することができた。弓道を続けられたのは、間違いなく目の前の二人がいたから。使い物にならない僕を信じてくれたから。


「大丈夫そうだな」

「うん。真弓君はリーダーだよ」

「部長は高瀬だけどな」

「俺は、大前としてチームを元気づければいいんだよ。人には役割があるんだから」

「そうだな。高瀬は大前がお似合いだ」


 目の前で笑いながら会話する二人を見ていると、色々と悩んでいたことがどうでもよくなってきた。

 この二人とこれからも弓道を続けていきたい。こんな所で立ち止まるわけにはいかない。今はそんな気持ちで満たされている。


「さて、そろそろ決勝だ。今の立と同じ感覚で臨めば問題ないからな。俺は女子の立を見学してくるから、お前らは控室で準備しとけよ」


 的場先生は足早に道場の方に戻ってしまった。下心丸出しの先生の行動に、僕は不思議と安心感を抱いていた。


「あっ、岩月だ」


 高瀬の声に僕は思わず振り返った。

 予選を十二射十一中。文句なしのトップ通過をした、埼玉県で全国に一番近い高校。その姿は僕達よりもたくましく、歩いているだけでも相手を威圧する空気を醸し出していた。


「今年の岩月Aは変則チームだね。二年生二人に一年生一人。二年生のうち、一人は昨年のインハイ個人の部で優勝した神津こうづ俊介しゅんすけが落に。大前に一年生のたちばな琢磨たくまが入ってるね。神津さんはわかるけど、一年生の橘君が皆中出したってことは、相当強いんじゃないかな?」

「橘……」


 橘のことを聞くと、どうしても新人戦の時のことを思い出してしまう。

 あの時、僕は橘と決別した。

 お互い競い合っていた中学時代のことは忘れて、それぞれの道を歩むはずだった。弓道を辞める道と続ける道。対角線にいる僕と橘は絶対に交わらないと思っていた。それでも僕達は、同じ場所で弓を引く結果になっている。

 あの時僕に声をかけてくれた橘は、最後まで間違った道を選んではいなかった。僕の間違いを否定して、正しい道に導こうとしてくれた。それなのに、僕は橘を切り捨てた。行為を踏みにじってしまった。

 目の前に近づく橘から視線を逸らす。

 何となく向こうから話しかけてくれると思った。橘はいつも僕を見かけると、話しかけてくれたから。しかし橘は話しかける素振りも見せずに、僕達の真横を素通りしていった。


「橘って聞いたことがあるような……」


 心当たりがあるのか、古林は訝しんでいる。

 二人には話しておくべきかもしれない。橘と僕の関係を。信頼できるチームメイトに打ち明けるべきことかもしれない。


「岩月の橘と僕は同じ中学だったんだ」

「思い出した。真弓といつも一緒にいたアイツか」

「橘君のこと知ってるの?」

「おう。中学の頃、金魚の糞みたいに真弓にくっついていた橘を見たことがあるから」

「へー。でも、さっきは真弓君に目もくれなかったのにね」

「真弓。橘と何かあったんじゃないか?」


 鋭い質問を突き付けてきた。古林は本当に察しがいい。僕の考えの全てを見通しているのではないかと思ってしまう。古林を一瞥した僕はゆっくりと口を開いた。


「橘と僕は、お互いが認めていたライバルだったと思う。中学の頃、一番身近で競い合っていた仲だったから。去年の新人戦、凛の観戦でここに来た時に橘と会ったんだ。その時に色々とあって……」

「それで、ぎくしゃくしてるってわけだね」

「うん……」


 この件は僕が悪い。橘の厚意を踏みにじるように断った。今まで一緒にやってきた時間すら、全てなくそうとしていた。だから僕は、橘に何も言えない。


「それで、真弓はどうしたいんだ?」

「えっ?」

「えっ、じゃねーだろ。お前が決断することだろ」


 弓を握っていた左手に思わず力が入る。優柔不断な自分が情けないと思った。そんな僕に比べて、目の前の古林はいつも僕に問いかけてくれる。自分で決断すべき所を的確に指し示してくれる。僕はどうしたいのか。


「今はまだ、橘と話せない。でも、話しかけなくても伝える手段が今の僕にはある」


 握っていた弓をそっと抱き寄せた。僕の射形を好きになってくれた橘に伝えるにはこれしかない。言葉ではなく、まずは姿勢で伝えたい。あの時の僕と今の僕は別人なのだと。


「決勝、絶対に勝とう。僕達の弓道を見せよう」


 迷いはなかった。僕達は弓道をするためにここにいるのだから。


「それが真弓の答えか」


 ほっと一息吐いた古林は、僕に向けて左拳を突き出してくる。それを見た高瀬も、笑顔で拳を突き出した。

 僕達の見ている方向は一つしかない。言葉にしなくても伝わることってあるんだと思った。

 次にどうすべきか、今の僕には明確に見えている。二人の差し出す拳に、迷わず自分の拳をぶつけた。






 決勝の立が始まった。

 男子の決勝に残ったのは、岩月Aチーム、東武農業第三Aチーム、岩月Bチームの三校に加え、僕達草越Aチームの四校。決勝の立順は東武農業第三Aチームと岩月Bチームが先に入り、その後に岩月Aチームと草越Aチームが入ることになった。

 先行の立の結果は既に出ており、緑の鉢巻が特徴的な東武農業第三Aチームは十二射十一中と最高の結果を納めた。一方、四校中最下位の岩月Bチームは十二射九中。予選より一本多く中てて立を終えた。この結果を踏まえると、弓道部存続の為には予選以上の結果を出すことが最低条件となった。

 岩月の先生の合図で立に入る。前射場が岩月Aチームで、後ろ射場が草越Aチームといった配置。僕は全員の射を、ある程度見ることができる位置にいた。

 先に動いたのは岩月の大前、橘だった。高瀬が取懸けに入るころには、既に引分けを終えて会に入っていた。

 パンッ。

 高瀬が打起したのと同時に、爽快な音が響き渡る。


「「ッシャア!」」


 岩月の生徒が歓声を上げた。予選では上がらなかった歓声。決勝に残れなかった各校のチームメイトが、決勝の舞台にたどり着いたチームを応援する。声量が大きな高校は、強豪校の特徴と言われている。声の大きさに、思わず僕は身をすくませる。

 引分けに入っていた高瀬に視線を向けた僕は、直ぐに異変に気付いた。引分けのバランスが悪い。せめて弓手の方が早くおさまれば、押し切れるので中る確率はあがる。でも、今の高瀬は後ろから見てもわかるくらい、縮こまって弓を引いていた。

 今のままじゃ、左右均等に伸びることができない。

 肩に力が入っていることもあって、会の間もぷるぷると小刻みに震えている。


 このままじゃ中らない。


 そう思った瞬間に放たれた高瀬の矢は、予想通り的を射ぬけなかった。

 高瀬が一射目を外した。大前の人間にとって一射目は、絶対に中てなくてはいけない一射。僕も大前で悔しい思いをしたことがある。だからこそ外した高瀬が、今何を思っているのか、何となく理解できる気がした。

 サッカーや野球といったスポーツでは、失敗したときに「どんまい」「次、頑張ろうぜ」と励ましの声をかけることができる。でも、弓道では立の間に話すことが許されない。チームで戦っていても、まるで一人で戦っているような錯覚に陥ることがある。

 弓道は心技体全てが重要視されるスポーツ。特に精神面の強さが、勝負を決めると言っても過言ではない。自分のミスが、チームの足を引っ張る。それを肝に銘じなければ強くなれない。昔、翔兄ちゃんに言われたことを僕は思い出していた。

 一射目を外した僕達だったけど、古林が落ち着いて最初の一射を中てたことで、勢いを取り戻した。僕はその勢いに乗っかるようにして、一射目を中てることができた。会は相変わらずだったけど、二秒後半はどうにかして保つことができていたと思う。

 一方の岩月の放つ矢は、次々と的を射ぬいていった。

 二射目を終え、岩月は六射六中。対する草越は六射五中。数字で見ると、決して差はないように見える。それでも弓道は、一射外しただけで勝負が決まることがある。どんなに練習を積み重ねたとしても、その日の試合運びによって万全のパフォーマンスを発揮することができないなんてよくあること。

 とにかく正確な射を試みて、次の人に繋ぐ思いを胸に弓を引かないと、絶対に勝てない。


「「ッシャア!」」


 三射目に入った橘は、当然のように中てた。一射目からの勢いをそのまま継続しつつ、ひたすら僕達にプレッシャーをかけてくる。

 以前の橘は僕の後ろをついてくるだけで、自分から積極的に行動することがなかったはず。でも、今日の橘は中学時代とは全く違う。水を得た魚のように、いきいきと試合に臨んでいる。僕と一緒に練習をしていたころの橘とは別人だった。


 ――俺は、お前を超える。俺の中から、お前の存在を消してやる。


 新人戦で言われた橘の言葉が思い起こされる。以前の自分と決別して未来を見据えている橘だからこそ、今の強さを手にしたのかもしれない。

 でも、今の強さは橘が本当に追い求めたものなのだろうか。僕をライバルと思ってくれていた時とは根本から変わってしまっている。チームの為よりも、自分の為に弓道をやっているように見える。その姿は、どこか昔の自分と似ている気さえする。


「「ッシャア!」」


 岩月の中の人が三射目を中てた。岩月が中てるたびに、歓声が飛び交う。

 一方、僕達を応援してくれる人はどこにもいなかった。今日は女子弓道部も試合に来ている。だけど男子弓道部が起こした不祥事のせいで、未だにいい関係を築けていない。数少ない味方である雨宮先輩は、この後に行われる決勝の立に向け控室にいる。

 僕達は敵に囲まれている空間で弓道をしているようだった。そんな空気の中、僕達にとって致命的なことが起った。

 高瀬が三射目を外してしまった。周囲の重たい空気が高瀬に取りついたみたいに、矢とびもいつもの速さがなかった。そのせいで地面を擦りながら、安土に矢が刺さった。

 一射目で勢いに乗れなかった時の、自らの射を思い起こさせる結果となってしまった三射目。同時に僕達の優勝がなくなった。

 高瀬のフォローは僕達がしなくてはいけない。目の前の古林は引分けに入る。均等に引いていき、口割りをつけ、会の姿勢に入ろうとしていた。


「ッシャア!」


 古林が中てたのかと思った。しかしその歓声は、僕達に向けたものではなかった。

 岩月の落、個人戦全国一位の神津が余裕綽々とした射で三射目を中てていた。これで岩月は三人とも全て中てていることになる。

 これが埼玉県一位の実力。

 全国でも優勝候補に挙げられる岩月に、僕は圧倒されるしかなかった。自分の立に集中しようと思っても、どうしても視界に岩月の射が飛び込んでくる。

 次の射、もし古林と僕が外すと三位にすら入れなくなる。

 二月中旬の寒い季節なのに、額に汗がにじんできた。緊張と高揚で僕はいっぱいいっぱいになりそうだ。

 目の前の古林に視線を戻す。古林はこんな状況でも落ち着いているように見える。まるで落ち着きを失っている高瀬や僕に語りかけているような、俺が支えるんだといった古林の強い気持ちが会に現れている気がした。

 パンッ。

 古林は見事に三射目も中てた。ぶれることのない精神。古林の強さの真骨頂である、精神力の大きさに支えられているような気分になる。

 僕も古林に続くんだ。

 物見を入れ、打起しをする。

 落ち着こう。いつもより慎重に大三を取った。そして均等に弓を引いていく。会に入ると、さっきまで感じていた重苦しい雰囲気は微塵も感じなかった。

 古林のおかげかもしれない。僕達のこの空間だけが守られている気がする。

 でも、本当は僕が皆を支えなきゃいけない位置にいる。落はチームの精神的支柱。ぶれてはいけない。

 試合の一ヶ月前。皆で話し合った際に決めた立ち位置。それぞれが信頼して決めた場所で、誇れる射を見せなくてはいけない。

 僕が今、行うことは。

 目先の一射を中てること。

 一射入魂。


「「パンッ」」


 いつもより大きな音が響いた。僕の矢は的のど真ん中を貫いている。それでも、今の大きな音に疑問を抱かずにはいられなかった。

 すかさず僕は看的かんてきに視線を移す。僕の表示は「○」の印になっている。完全的中だ。なら、今の音は?


「「ッシャアアアア!」」


 いつも以上の声量と拍手に道場が包まれた。その光景はまるで寒い冬を超え、春の訪れを感じさせる桜が芽吹いた時のような雰囲気だった。

 そして直ぐに気づかされた。

 僕だけでなく橘も同時に中てていたことに。

 静観していた観客が喜びを爆発させる瞬間がある。的中させた時と四射全て的中させたときだ。前者と違い、後者は言葉だけでなく拍手で称えられる。素晴らしい射をありがとうといった意味を込めての拍手。

 たった四本中てるだけ。

 それだけの行為に、惜しみない拍手が観客から送られる。皆中かいちゅうを一回も達成しないまま、弓道を辞める人も沢山いる。皆中はそれくらい難しい。弓道人にとっての憧れといってもいいと思う。

 鳴りやまない拍手の中、皆中を成し遂げた橘が退場する。その姿に僕は不覚にも見とれてしまった。

 余韻が残る中、高瀬が引分けに入っていた。

 先程とは違った雰囲気に包まれる道場。立の間に空気が変わるのは、強豪校同士の対戦だとよくあること。そして強豪校との対決になると、一射の重みがとてつもなく大きくなる。

 会に入った高瀬の背中を見る。一射目みたいに、縮こもった射はしていない。微かに見える横顔を見て、僕は驚かずにはいられなかった。

 高瀬は笑みを浮かべていた。

 まるでこの試合を楽しむかのように。皆中で場の雰囲気が変わったことが功を奏したのかもしれない。

 そのまま高瀬は、四射目を見事に中てた。

 よし! っと思わず叫びたくなる気持ちを胸の内に抑え込んだ。始めはプレッシャーを感じていると思った高瀬が、最後には笑みを見せている。高瀬の笑顔のおかげで、僕は気持ちが楽になった。

 目の前で古林が打起しに入る。目の前にある大木を抱えるように、弓手と馬手を目線の高さよりも、さらに上へと上げていく。その綺麗な形から弓手と馬手が的の方向にスライドしていく。弓手と馬手が同じ高さに保たれている、綺麗な大三の姿勢。引分けの準備を整えた古林が、引分けの動作に入る。

 瞬間、大勢のため息が聞こえてきた。前射場を見ると、岩月の中の人が外したようだった。ここを中てていれば皆中で、道場内が再度華やかになるところだった。

 僕は目の前に視線を戻す。古林の様子が気になった。しかしそんな僕の心配は無駄に終わることが直ぐにわかった。古林はため息に動じることなく、引分けに入っていた。綺麗な射形を維持したまま、ゆっくりと均等に弓を引いている。

 会に入った瞬間、僕は一つの確信を持てた。古林は絶対に外さないという確信を。

 パンッ。

 最後まで形のぶれなかった古林が皆中を成し遂げた。橘の時みたいな盛り上がりはなかったけど、まばらな拍手が古林を称えていた。

 パンッ。

 僕が物見を入れた瞬間、立て続けに音が響いた。岩月の落、神津が当然のように四射目を中てた。古林の時とはけた違いの拍手に道場内が包まれる。

 その歓声の中、僕はゆっくりと引分けに入る。道場が徐々に静寂を取り戻す。

 皆の視線が僕に注がれている気がした。以前は見られても何も思うことがなかった。見られていても、いなくても、中てるのが当然だったから。

 でも、今は違う。

 早気になってから、チームで弓道をやる本当の意味を知ることができた。たとえ会がなくても試合に出ている以上、一緒に戦っているチームの為にすべきことがあるはず。

 この一射を外すと、岩月Bチームと同中となり、競射によって順位を決めなくてはならない。この試合での負けは無くなった。三位以上を保つことができる。でも、競射で負ける可能性は十分にある。僕達は競射の練習なんて一回も行っていない。あらゆる不安を掻き消すためにも、僕はこの一射で決めないといけない。

 会に入る。

 いつも以上に無心になれた気がした。

 今日一番の静寂に包まれながら、詰合い、伸合いを意識しつつ均等に伸びていく。その後に訪れる自然の離れのために。


「一!」

「えっ」


 突然聞こえた甲高い声に反応して、無理やり離れてしまった。

 それでも弓手の押しが良かったのか、放った矢は的に一直線に向かっている。

 中ってくれ。

 強く願った矢は、男子弓道部の思いが詰まっている。

 皆でここまで繋いできた。

 最後の僕の役目。落の役目は。

 チームの窮地を救うことなんだ。

 パンッ。

 最後の一射は見事に的を貫いた。爽快な音が道場に響き渡る。


「よしっ!」


 退場口の方から古林が叫ぶ。いつもは冷静な古林も、この一射には興奮を隠しきれなかったみたいだ。

 少し遅れて、拍手の音が道場内に響き渡る。

 その音を聞いて、ようやく僕は皆中を出していたことに気づいた。当然、岩月の時と同様の拍手とはいかなかった。だけど久しぶりの皆中は、とても気持ちよかった。

 弓倒しを終え、退場する為に足踏みを戻し直立する。そして右足を踏み出そうとしたとき、先程聞こえた声が脳裏で再生される。


 ――一!


 僕のことを一と呼ぶ人は、父さんを覗いて二人しかいない。

 直立したまま顔だけを観客に向ける。視線の先には、満面の笑みを浮かべた幼馴染がいた。


「凛……」


 あの時もそうだった。

 新人戦の一射目。凛の初めての試合。そこで見せた満面の笑みを今、同じ道場で晒している。凛は本当に変わらない。試合をしている時でも、応援をしている時でも。

 退場口に向かうと、高瀬が笑みを浮かべて僕を迎えてくれた。


「真弓君。本当にありがとう」

「いや、僕は当然のことをしたまでだよ」


 当然のこと。昔は当たり前だった。でも、今と昔ではその重みが全く違う。


「これで男子弓道部はなくならないよね」

「うん。そのはずだけど」

「お前ら。よくやったな」


 ずかずかと歩いてきた的場先生は、僕の肩をポンッと軽く叩く。


「高瀬が一射目を外したときはどうなることかと思ったけど、無駄な心配だったようだな」

「俺は一射目をはずしました。だけど古林君、真弓君と繋いでくれたので。二射目は気持ちが楽になりました」


 高瀬の結果は羽分けだった。弓を握ってまだ三ヶ月。正直、高瀬も弓道の才能があるのではないかと僕は思う。


「それに古林。お前はすごいな。完璧だ」

「たまたまです。中だったし、気軽に引くことができました」


 ぶれることのない古林がいたからこそ、今回の立はまわったと言っても過言ではない。実際にチームが崩れないように、真ん中から僕達を支えてくれていたのだから。


「そして、真弓。最後は見事だった。俺の高校時代を思い出す射だった」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

「それに、ほれ。最後の立の会。計ってやったぞ」


 差し出されたノートには予選と同様、数字が記されている。


「これは……」


 僕は自分の目を疑いたくなった。


「一射目は二秒台だったけど、二射目と三射目は三秒前半、四射目に至っては三秒後半まで保っている。このまま続けていけば、会を取り戻せる日も近いんじゃないか」

「そ、そんな簡単じゃないですよ」


 咄嗟に的場先生の言葉を否定した。

 それでも僕は確かな手ごたえを、今日の試合で掴んだ気がした。


「でも、最後の一射は少し不自然な離れだったな」

「うん。古林君の言う通り。最後の一本は、少し違った離れだった」

「少し違った?」


 高瀬が首を傾げている。


「うん。少しだけね。でも、矢は的を射ぬいた。この事実は変わらないよ」


 射場へと視線を移す。目の前では女子の決勝が始まっていた。落に雨宮先輩がいる。女子も無事、決勝の立に臨むことができている。

 先輩にもお礼を言わないといけない。周りに仲間がいることに気づかせてくれた。それだけではない。くじけそうになったときに、たくさんの励ましの言葉をかけてくれた。そんな先輩に僕は応える射を見せることができたと思う。

 荒削りなところもあるけど、確かに成長できている。

 目の前の高瀬と古林と一緒に。最高のチームを見せることができた。


 僕達は四月から始まる関東大会予選に向け、ようやく舵を取りはじめた。

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