第12話 運命の試合 ~前編~

 

 男子弓道部の運命が決まる日。僕達は会場である大宮公園おおみやこうえん弓道場きゅうどうじょうを訪れていた。僕にとっては秋の新人戦以来の大宮公園。凛の応援をするために訪れた当時とは、気持ちの持ちようが違った。

 今日だけは絶対に負けられない。

 その気持ちは、周囲にいる他校の人達よりも強いはず。それでも今日集まっているチームは、埼玉県内で弓道の強豪校と言われている学校だった。

 埼玉県内で男女ともに一番の強さを誇る岩月いわつき高校。緑の鉢巻が特徴的な東武とうぶ農業のうぎょう第三だいさん高校など強豪チームが勢ぞろいしていた。


「すげー。埼玉のてっぺんを争っているチームが一堂に集まってるよ」


 高瀬は目をキラキラ輝かせている。弓道が大好きな高瀬にとって試合前の空気は、緊張感よりも高揚感の方が勝っているのかもしれない。高瀬の嬉しそうな表情が、僕にはとても頼もしく見えた。


「今日が勝負だからな」

「うん」


 古林の落ち着いた声音に僕は応える。試合慣れしている古林は、いつも通り落ち着いた様子を見せている。そんな対照的な二人に比べ、僕は少しだけ緊張と不安を抱えていた。

 中学二年生以来の試合。以前は自分の信じた弓道をすれば必ず結果がついてきた。だからこそ、緊張なんて感じたことがなかった。でも、今はそうじゃない。早気になってから緊張と不安を感じるようになった。むしろ今まで感じなかったのが異常だったのかもしれない。

 弓道場の入口周辺に集まる学生を眺めていると、道場前に見慣れた人達がいた。


「あっ、一じゃん」


 僕の姿に気づいた凛が手を振ってくる。僕達は凛の元へと向かう。


「調子どう?」

「まあまあかな」

「そう」


 凛はほっと息を吐いた。


「俺達、絶対に勝ってくるからね。楠見さん」

「う、うん。頑張ってね」


 高瀬が僕を押しのけ、爽やかな笑顔を見せながら凛に話しかける。凛は苦笑を浮かべながらも、高瀬に応えていた。


「あら、来ちゃったのね」


 和やかな雰囲気に水を差す冷酷な声が後方から聞こえる。振り返ると藤宮先生が立っていた。


「今日はどんな試合を見せてくれるのかしら」

「俺達は負けるつもりはないです」


 高瀬は負けない意志を前面に出している。


「まあ、せいぜい女子の名誉に泥を塗らない程度に頑張ってちょうだい。今日は強豪校である女子弓道部のおまけで出場できるのだから」


 嘲笑を浮かべた藤宮先生は、他校の先生の元へ直ぐに行ってしまった。

 あからさまな態度に僕は憤りを覚えるも、何も言い返すことができなかった。今日、この道場で試合のチャンスをもらっているのは僕達の方。ここで突っかかっても何もいいことは起きない。それをわかっている高瀬も古林も口を出すことはなかった。それでも二人とも握り拳を作っている。ここまで言われて悔しくないわけがない。


「今のお前らの評価はこんなもんだ」


 下を向いていた僕達に向け、声をかけてくる人がいた。


「的場先生……」


 よっ、と片手を挙げて的場先生は僕の声に応じる。


「まあ当然だな。不祥事を起こした高校。部員が少なくて活動の危機に陥っているという噂は、もはや全国に広がっていることだしな。大口を叩ける実績はお前らにはもうないんだよ」


 わかっていたことではあったけど、言葉にして言われると少し堪える。翔兄ちゃんが築き上げた草越高校男子弓道部の栄光は、もはや存在しない。取るに足らないこととして扱われている。


「それに、お前らは身内の女子弓道部からもひどい仕打ちを受けている。この事実を素直に受け止めないといけないな」


 今日の的場先生は、いつもと違った雰囲気を感じた。真面目というか、普段言わないような言葉で僕達の傷をえぐるようにして言葉を放つ。


「で、でも、私は男子弓道部ならやってくれるって思ってます。だって休まず練習してたでしょ」


 凛の声が胸に刺さる。明るく快活な声は、僕達に一筋の光を差し込んでくれるようだ。


「私は男子弓道部を信じてる」


 凛のまっすぐな視線に僕は少しだけ違和感を覚えた。以前に見たことがある様な、懐かしい感覚に襲われる。何か大切なことがある様な気がしてならない。でも、その正体はわからなかった。


「試合で見返そう」


 気づいたら言葉を発していた。それにつられて高瀬と古林は顔を上げた。


「僕達の練習は、決して無駄ではなかったことを藤宮先生に見せよう。それと他校に今の草越高校男子弓道部を見てもらおう。これが今の僕達だってことを」


 絶対に負けない。凛の一言を口火に、僕の中で何か弾けた。絶対に勝てると思えた。


「おう」

「当然だな」


 高瀬も古林も僕と同様の気持ちを抱いてくれている。このチームなら負けることはない。そう心から思えた。

 そして、練習試合が始まる。






 高校弓道では、各地域に分かれてブロック大会が開催される。草越高校は関東ブロックに含まれており、四月の関東大会予選に勝ち残ると六月上旬に行われる関東大会に進むことができる。埼玉県代表の座をかけて、各校とも新人戦以来の大きな大会に挑む。

 そして関東大会後に行われるのが、インハイ予選だ。翔兄ちゃんが全国三連覇を成し遂げた大会の予選会。関東大会とインハイは全く別の大会として位置づけられているため、中堅以下の高校は全国に繋がるインハイを目指して、関東大会を捨てるといった選択肢が取られる。それでも強豪校や名門校は、関東大会にも出場する。ここが強豪と中堅以下の差だとよく言われていた。

 今日の練習試合は今後の布石となる試合と言われている。今年の各校の強さを図ることができるから。決して油断はできない試合になる。

 試合のルールは的場先生の口から発表された。チームで十二射中、八中以上した上位四チームが一位をかけてもう一回、立を行うらしい。つまり、上位四チームに入れなかった時点で僕達弓道部は終わりを迎えることを意味していた。さらにその後の立で最下位になった瞬間、終わりを迎える。僕達は厳しい戦いをしいられることになる。


「っと、まあこんなところだ。おっと、そろそろ出番だな」

「俺達なら大丈夫ですよ」


 的場先生に向け親指を立てた高瀬は笑顔を晒す。高瀬の笑顔は最近の中でも一番爽やかだった。


「そうか。まあ、気楽にやれよ」


 たった一言、言い残した的場先生はすたすたとどこかに行ってしまった。道場前での会話と違い、いつも通りの的場先生を見れた気がして少し気持ちが楽になった。


「おい、真弓」

「何?」

「お前、相当注目されてるぞ」


 周囲を見渡した僕は、直ぐに発言の意味に気づいた。


「あれって、真弓だよな?」

「中学で二連覇した真弓なのか?」

「どうして真弓が草越にいるんだ?」


 各高校の生徒が僕の名前を出す。やはり弓道の強豪校だと、僕のことを知っている人がいるみたいだ。


「真弓って、中学三年の時一回も大会出てこなかったよな?」

「辞めたと思ってたのに。どうしているんだ?」


 周囲がより一層騒がしくなる。それでも、僕が早気だということを知っている人はいないみたいだった。


「有名人だな」

「う、うるさいな」


 古林の言葉に、少しだけカッとなった。それでも気分は悪くなかった。

 当時の僕は全国大会で優勝した。それを買われてこの喧騒が起こっているなら、草越高校は強いという印象を与えているはず。しかしそれは偽りの印象に過ぎない。どのみち僕の早気は今日で知られることになる。それでも、少しでも相手を威圧することができるなら、願ったり叶ったりだ。今日は絶対に勝たなくてはいけないのだから。


「それでは準備してください」


 他校の先生から指示を受けた僕達は、たちに入るための準備をした。


「入ります」

「「はい」」


 高瀬の合図とともに、僕達は射場に足を踏み入れる。目の前には実際の大会予選で使われる射場の景色が広がっていた。

 昨年の秋の新人戦。道場の外からしか見ることができなかった景色。その景色を内側から見ていると思うと、少しだけ身震いした。それでもこの場所に戻ってきたことに、僕は嬉しさを感じていた。

 前の立の最後の一人が矢を放つ。僕達は椅子に座り、立が始まるのを静かに待つ。


「起立!」


 他校の顧問の先生の野太い声が耳に響く。

 僕達は一斉に立ち上がる。そして「始め!」の合図を皮切りに立に入った。まずは三人とも足踏みをして、胴造り、矢番え動作を行う。ここまではどの立でも皆が同時に行う動作になる。そして大前に入っている高瀬が、立の先陣を切って取懸けを行い、手の内を作る。

 打起しの準備を終えた高瀬が、ゆっくりと息を吐いているのが僕にはわかった。

 最初の一本を中てるのが大前の仕事。チームに勢いをつける為にも、何としても中ててもらいたい一本。高瀬は今、緊張と不安でいっぱいなのかもしれない。

 落に入っている僕は、チーム全体を見渡すことができる。声をかけてあげられないけど、試合の流れや様子を窺える。今は高瀬を信じようと思った。

 高瀬が物見ものみを入れて、打起しに入った。そのまま大三をとり、引分けに入る。そして会に入ると同時に、中の古林が打起しの動作に入る。

 弓道では大前から順番に射ることが決められている。そのため、前に射った人の弦音や状況を見て、自分の動作に入る。チームワークが大切と言われているのは、こうした一つ一つの他人の動作にも気を使わなければいけないからとも言われている。

 会に入っていた高瀬の弦音が聞こえた。

 パンッ。

 弦音とほぼ同時に入ってきた爽快な音に、僕は胸の高鳴りを感じる。

 高瀬が見事に一射目を中てた。

 僕達の思いを背負った一射目を中ててくれた。心の中でガッツポーズをしたくなる気持ちを抑え、僕は打起しの準備に入る。

 二回目の弦音がなる。

 パンッ。

 高瀬の時と同様に、爽快な音が響き渡る。古林も危なげなく一射目を中てた。中の役割である繋ぎの役割を古林はしっかり果たした。それぞれが自分の役割を認識してチームに貢献する。弓道でチームワークが大切になるもう一つの理由をまさに今、体現している。

 古林が矢を放った瞬間に打起しに入った僕は、大三をとり、引分けに入る。

 皆が作ってくれた流れを切ってはいけない。

 落の役割は、皆が外していた時には必ず中て、悪い流れを止めること。それは野球でいう連敗中のチームのエースが勝つことに等しい。落は野球でいうエース投手と同じだ。

 でも、今は二人が僕にタスキを繋いでくれている。僕の役割はいい流れを切らないことになる。

 口割くちわりをつけ、会に入る。以前の僕は、ここから的の狙いをつけて、ゆっくりと左右均等に伸びつつ、自然に離れるのを待っていた。

 でも、今の僕は早気。

 左右均等に伸びきる前に離れてしまう。伸びることができないと、的に中る確率はかなり下がる。だからこそ、今の僕は少しでも伸びることが大切になる。

 そう思っていた矢先、僕は矢を離していた。

 先程まで草越高校の立で聞こえていた爽快な音は聞こえなかった。聞こえたのは、安土に矢が刺さった時に聞こえる鈍い音だった。

 残心を取った僕は、しばらく動くことができなかった。

 外してしまった。

 皆が繋いでくれた流れを止めてしまったのだ。そのまま弓倒しを行い、再度矢番え動作に戻る。

 僕の心はここにあらずだった。そんな僕に追い打ちをかけるように、聞こえていなかった周囲の声が耳に入ってくる。


「あの真弓が……」

「あれって……あれだよね?」

「間違いない……早気だな」


 早気という言葉が聞こえた瞬間、僕は自らの早気をより一層自覚してしまった。

 こうなることはわかっていた。噂されるのもわかっていた。ただ今は、皆が繋いでくれた思いを断ち切ってしまったことが何よりも辛かった。

 以前の僕は、中てることは当たり前の行為だった。考えなくても、正しい射をすれば必ず中りはついてきたから。でも今は外した。その事実が僕の胸に深く突き刺さる。

 中てなくてはいけなかった。

 高瀬と古林にプレッシャーをかけてしまった。

 八中以上、中てなければいけない。

 このままじゃ、駄目かもしれない。僕のせいで、チームが負ける……。

 パンッ。

 弱気になっていた僕の耳元に、爽快な音が響いた。くじけそうになっていた心に、深く響く音。僕は顔を上げて前を見た。

 高瀬が二射目を中てた。


 ――俺達を信じてよ。


 高瀬の言葉が脳内で蘇る。


 ――真弓君は一人で弓道やっているの?


 違う。一人じゃない。僕達はチームで弓道をしている。決して一人で弓道をしているわけではない。

 一人でやっているわけではないのに、知らないうちに独りよがりになっている。高瀬や古林のことを考えることができない。それが今までの僕だった。

 でも今は違う。

 あの日、話し合ったからこそ、こうして思い出すことができている。僕達はこれからもチーム一丸となって、危機を乗り越えていくんだと。そして、弓道部を少しでも長く続けるんだと。

 パンッ。

 古林も高瀬に続き二射目を中てた。


 ――だから、俺らはお前と心中するって決めたんだ。


 古林が自らのプライドを捨ててまでも、僕に託してくれた落のポジション。本当は古林だって落で出場したかったに違いない。それでも僕にその役目を託して、中の役割を果たしてくれている。僕はそんな古林の男気に応える必要がある。

 打起しをして、大三からの引分け。弓手に意識を集中させつつも、馬手は上腕三頭筋で引く意識を高く持つ。決して手で手繰るように引くことがないように。均等に、均等に。そして精一杯押し切り、とにかく伸びること意識する。それだけを考える。会はとにかく無心だった。一射目とは全く違う気持ちで臨めていた。

 僕には大切なチームメイトがいる。助け合える仲間がいる。そう考えるだけで、失敗の不安や早気の不安がなくなっている気がした。

 もう、僕は一人じゃない。

 パンッ。

 二射目は見事に的を貫いた。

 中ったことに驚きはなかった。むしろ僕は、会の長さに驚かずにはいられなかった。練習では長くても二秒前半しか保てていなかったのが、三秒くらい保つことができた気がする。

 会としてはまだ不十分な長さだと思う。三秒後半は保てないと最低限の詰合いと伸合いができないと言われているから。それでも手の内が崩れないまま、弓手でしっかりと押せていれば、中ることはよくある。中るってことは、一つでもいいところがあった証拠だ。

 残心のまま、僕はしばらく余韻に浸っていた。

 一瞬だったけど、この感覚を忘れないようにしたい。その意識が僕の中で強く芽生えた。

 その後は二射目の感覚を意識できたこともあって、僕は全て的中をものにすることができた。僕が四射目を射る頃には的中数は八中となっていたため、僕達は最低限のノルマを達成した。


 結果。高瀬、四射羽分け。古林、四射皆中。そして僕は四射三中。計九中で全体の三位として決勝戦に進むことができた。

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