第7話 先輩

 ふささら祭りは、草加松原遊歩道をはじめ、その近辺で毎年十一月に行われる祭りだ。僕は昔からこの祭りに翔兄ちゃんと凛の三人でよく来ていた。いつも自由奔放に歩き回る凛を、翔兄ちゃんがよく怒っていたこともあった。そんな感じで、毎年このお祭りには参加していた。

 唯一参加しなかったのは昨年のお祭りだった。翔兄ちゃんが京都に行ってしまったことと、僕が早気になって心を閉ざしていたこともあって、祭りに行くことはなかった。

 凛と久しぶりに会話した夜、十三時に集まろうと皆にメールを送った。高瀬と古林には謝罪の文章を添えて、来てほしいと頼んだ。二人とも直後に電話してきて、ふざけるなと言ってきたけど、渋々了承してくれた。

 一番乗りで集合場所についた僕は、目の前に広がる松並木を眺める。いつもは静かで松の木が印象的な風景も、今日だけはお祭りの屋台で道中がにぎわっている。小さい子供が綿あめをおいしそうに頬張ったり、リンゴ飴を二つもらうためにじゃんけんに精を出しているおじいちゃんがいたりと、世代を超えて皆がお祭りを楽しんでいた。


「真弓君!」


 背後から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、高瀬と古林がいた。


「二人とも、本当にありがとう」

「楠見が来るってことは、成功したんだよな」

「うん」


 僕が答えると、古林は安堵の表情を晒した。高瀬もよかったと胸をなでおろすように大きく息を吐く。


「それで、道場については話せた?」

「いや、まだ話せていない」


 高瀬の問いに答えた僕は、ごめんと謝った。


「謝る必要ないよ。今日みんなでお願いすればいいんだからさ」

「お願いって何のこと?」

「うわっ」


 背後から声をかけられた高瀬は、驚きのあまり思わず声を漏らす。まだ来ていないと思っていた凛が高瀬の後ろに来ていた。


「こんにちは。一がいつもお世話になっております」

「何を言い出すかと思ったら……僕の保護者ずらしないでよ」


 へへっと凛は笑顔を見せた。その笑顔を見たからかもしれないけど、高瀬の表情が明るくなった気がする。


「へぇ。どんなメンバーかと思ったけど、もう一人は古林君か」

「知ってるの?」

「うん。知ってるよ。一のクラスでいつも一人でいる人でしょ?」

「おい、凛。ごめん、古林君。凛の性格を最初に伝えておくべきだった」


 思ったことは直ぐに口に出す凛は、ほとんど話したことがない相手にも容赦はない。一方の古林は、猪突猛進な凛とは正反対で泰然自若とした態度で僕にしか聞こえない様に話した。


「大変だな。真弓の苦労する姿が目に浮かびそうだ」

「ははは」


 古林の反応に僕は苦笑するしかなかった。


「それでお願いって何? 何かたくらんでるでしょ」

「ち、違うよ。たくらんでなんか。ねえ、真弓君」

「そ、そうだね」


 僕と高瀬は慌てふためく。そんな中、古林はいつも通りの落ち着きを見せている。


「怪しい……」

「なあ、楠見。俺らに道場で練習させてくれないか?」


 隠し事も一切せずに、本題をど真ん中に放り込んだ古林に、僕は開いた口が塞がらなかった。


「ごめん、それは無理だと思う。藤宮先生が厳しいから」


 凛にわずかな望みを託していた僕達は、大きな溜息を吐いた。やはり藤宮先生の壁を越えなければ道場の使用ができない。二月の大会までの練習場所が確保できない僕達は、とうとう窮地に立たされた。


「でも、私も掛け合ってみることにするよ。男子弓道部の応援したいから」

「ありがとう。楠見さん」


 高瀬は凛の手を取ると、爽やかな笑顔を晒す。しかし、凛は高瀬の笑顔を気に留めることもなく普段通りの笑顔をつくると、高瀬の手を離した。


「さあ、お祭り楽しもうよ」

「そうだな。楠見の協力も得られることだし、今は祭りだな」


 古林も凛と同じくらい言いたいことをストレートに表現するタイプみたいだ。今まで教室で誰とも話していなかった古林の性格が垣間見え、僕は嬉しくなった。






 ふささら祭りでは、毎年全国各地からよさこいのチームが参加して踊りを見せてくれる。僕達もそれを眺めながら屋台を回ったり、ふささら祭りと同時開催されている広場での祭りを見て回ったりと、一通り祭りを楽しんだ。


「ちょっとトイレ行ってくる」

「それじゃ、谷古宇やこうばし前に集合ね」

「うん」


 祭りも終わりを迎えた十六時過ぎ。凛たちと一時別れた僕は、簡易トイレに向かった。

 用を足し、集合場所に戻ろうとしたとき、見かけたことのある黒髪の女性が僕の前を横切った。その艶やかな長い髪を纏う女性は、見るものを虜にするくらい美しかった。


「あれ、君はたしか……」


 僕の視線に気づいた女性が近寄ってくる。最初は誰かわからなかったけど、表情がわかるくらいまでの距離になって、ようやく近寄ってきた女性が僕の知っている人だとわかった。


「こんにちは。真弓って言います。この間は、ありがとうございました」

「楠見ちゃん、見つかった?」

「はい。見つかりました」

「そう。よかった」


 屈託のない笑顔に心が動かされる。気を抜くと、この人の包容力の虜になりそうだ。


「あの、今日は先輩もお祭りに?」

「そうよ。私、地元のよさこいチームに入ってて。さっきまで踊ってたの」

「すごいですね。部活も大変なのに、よさこいもしているなんて」

「家族がよさこいやってるからね。最初は私も嫌々やってたのよ」


 先輩との会話が弾む。普段、凛以外の女性と話すことがほとんどない僕は少し緊張していた。一方、先輩の方は異性に慣れているのか、平然と僕と話をしている。


「真弓君はお友達とここに?」

「はい。部活仲間と一緒に来ました」

「そう。何部かしら?」


 先輩の質問に、僕は出かかった言葉を飲み込んだ。女子弓道部は男子弓道部を良く思っていない。それは目の前にいる女子弓道部員の先輩こそ、まさしく思っているのではないかと。

 それでも僕は、変化を求めて目の前の女性に言うことにした。


「男子弓道部です」


 言葉を放った瞬間、先輩は大きく目を見開いた。おそらく男子弓道部が存在していることに、驚いているんだと思った。


「弓道部……」

「はい」


 先輩は俯くと、僕に聞こえない声で何かを呟いた。そして身体を震わせていた。僕には先輩の状況が理解できなかった。もしかしたら男子弓道部の不祥事が許せなくて、憤りを感じているのかもしれない。


「ご、ごめんなさい」

「なんで、謝るの?」


 先輩が謝った理由を聞いてくる。僕は素直に思ったことを話そうと決めた。


「先輩も知ってると思いますが、男子弓道部の不祥事のせいで色々と女子弓道部にも非難が集中してしまったからです」


 自分が関わっていなくても、世間ではそんな言い訳が聞くはずもない。不祥事を起こした高校とレッテルを貼られてしまう。たとえ男子弓道部が起こしたことであっても、女子弓道部にも風評が立ってしまう。男子弓道部として、僕は謝罪をするしかなかった。


「そうね。たしかに私達女子弓道部は被害を受けた。当時一年生だった私は矢面に立つことはなかったけど、その時の部長だった先輩はそれがきっかけで部活を辞めてしまったこともあった」


 先輩の言葉に、僕は顔を上げることができなかった。話を聞くだけで申し訳ない気持ちが心の底からこみあげてくる。


「でも私は、それも草越高校弓道部が歩むべき道だったんだと思う」

「先輩……」

「だって全国三連覇した高校だよ。正直、私は男子の三連覇があったから草越に来た。私と同じ考えの人も多くいるわけだし。草越を選んだのは自分なんだから、それを素直に受け止めなきゃいけないと私は思うの」


 笑顔を見せた先輩の表情に僕は虚をつかれた。全くの予想外の展開に、僕はついていくのがやっとだった。


「だから私は、男子弓道部のことは嫌だとか思っていない。むしろそう思っている部員がいることの方が悲しい」


 先輩は言い切ると、はーっと息を吐いた。

 僕は先輩の発言が信じられなかった。先輩の考え方が大人というか、少なくとも僕には考えることができない発想だった。


「そういえば、男子って練習どこでしてるの?」

「道場が使えないので、今探しているところです」

「やっぱりね。藤宮先生は男子弓道部を嫌っているからね」

「でも、顧問の先生もどうにかしてくれると言ってましたから」

「顧問?」

「はい。的場先生です」


 期待はできないけど、一応顧問の先生。それなりの結果は持ってきてくれるはずと、僕は勝手に思っている。


「的場先生なんだ。優しそうな先生だよね」

「優しいのはいいんですけど、適当すぎて少し不安があります」

「そうかな? 芯の通った先生だと私は思うけどな」


 先輩は風になびく髪を押さえながら、笑顔を作った。先輩の発言は僕の見ていないところを見ている気がした。


「私、もう行かないと」


 先輩の視線をたどると、先輩の家族と思われる人達がこちらを見ていた。


「先輩!」

「何?」

「名前、教えてくれませんか?」


 僕の質問に、先輩は微笑みながら答えてくれ。


雨宮あまみやかえで。これからよろしくね。真弓君」


 屈託のない笑顔を見せ、先輩は去って行った。

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