第6話 仲直り

「というわけで、古林君。真弓君も弓道部に入ったから、一緒に弓道やろうよ」


 次の日の放課後。自席で帰り支度をしていると高瀬の声が聞こえた。爽やか王子の声が教室内に響き渡る。周囲の女子達は帰るのも忘れて、高瀬の方に視線を向けていた。


「真弓君。ちょっと来て」


 こっちこっちと高瀬が僕に向け手を振って来た。周囲の視線を感じつつ、僕は高瀬と古林の元へ歩を進めた。


「真弓、本当に弓道部に入ったのか?」

「うん。入ることにした」


 僕の返事を聞くなり、古林は僕に視線を固定する。一見冷めているような目つきだが、その深淵には誰よりも熱いものが眠っている気がする。僕は古林に自分のことを、全て見透かされているような気持ちになった。

 しばらくして、僕から視線を逸らした古林は高瀬を一瞥すると、ゆっくりと席を立った。


「それなら、俺も弓道部入るよ。よろしく」

「よ、よろしく」


 目の前に差し出された古林の手。それに応えようと僕も手を差し伸べ、がっちりと握りしめた。


「ところで、古林君に聞きたいことがあるんだけど」

「何?」

「高瀬君から聞いたんだけど、どうして僕が入部していることが条件なんて言ったの?」

「高瀬から聞いてないのか?」


 古林は訝しむように、僕と高瀬に視線を向けてくる。僕と高瀬の反応を見るなり、古林は僕の疑問に答えてくれた。


「それは、真弓が中学の時に全国大会二連覇を成し遂げたからだよ」


 古林が発した言葉に僕は驚きを隠せなかった。高校生になって、誰にも話していないことが古林の口から放たれた。

 凛が話したのかもしれない。だけど、凛が古林と話しているところを僕は見たことがない。そもそもクラスが違う。それに、いつも一人でいる古林と活発で明るい凛という対角線にいる二人が関わることなんて皆無だ。


「ど、どうして知ってるの?」


 古林に問いかけてみる。すると、古林はあっさりと答えてくれた。


「俺も中学の時に弓道やってたから。全国大会二連覇を成し遂げた真弓のこと、中学から弓道をやっていて知らない奴はいないと思う」

「ということは、古林君は経験者なんだね」

「ああ。でも、未経験の高瀬も真弓のこと知ってたぞ。高瀬は一体何者なんだ?」


 古林の発言に僕はおもわず高瀬に視線を移す。それに合わせるように、高瀬は視線を逸らして俯いた。


「高瀬君。知ってたんだね」

「……知ってた。だからこそ、真弓君には入部してほしかったんだ」


 俯いていた顔を上げた高瀬は、僕に視線を合わせてくる。固い表情で訴えかけてくるように、今度は視線を逸らさなかった。


「それにしても、全国優勝した経験ある真弓君に、中学からの経験者である古林君が入ってくれるなんて、鬼に金棒だね。これでようやくチームも組めるわけだ」


 直ぐに笑みを見せ、いつもの高瀬の表情に戻った。

 高瀬の言う通り、三人いれば一チーム組むことができる。これにより三人立の団体戦に出場できることになる。これは今の男子弓道部にとってとても大きなことだ。


「あとは道場を取り戻すだけか」

「古林君。道場使えないこと知ってるの?」

「高瀬に全て聞いたんだよ。こいつしつこく付きまとってくるからさ」

「だって弓道楽しいじゃん。やらなきゃ損だよ」

「そもそも高瀬は弓道やったことがないだろ」

「だからだよ。道場で練習できれば、もっと楽しくなると思う」


 屈託のない笑顔を晒す高瀬は純粋そのものだった。弓道を心から楽しもうとしている気持ちがひしひしと伝わってくる。


「とりあえず週明けにでも、一度的場の所に行くか」

「そうだね。古林君も一緒に行けば、的場先生も本気になるんじゃないかな」

「おい、本気じゃないのかよ。的場の野郎、調子乗ってるな」


 口調の悪い古林の言う通り、的場先生の危機感を煽らないと、いつまでたっても先に進まない気がする。


「僕達も動いたほうがいいんじゃないかな。先生だけに頼るのもどうかと思うし」

「真弓君の言う通りだよ。俺達も動こう」

「で、どう動くんだ?」


 古林の疑問に僕は答えられなかった。藤宮先生と会話して駄目だった。もう一度言いに行くことも悪くないかもしれない。部員が増えたと伝えれば、考え直してくれる可能性もある。でも、来年の二月までは藤宮先生は許可を出さないはずだ。あれだけ男子弓道部を馬鹿にしてきたのだから。


「それなら俺にいい方法があるよ。真弓君」

「いい方法?」

「女子弓道部の力を借りるんだよ」


 高瀬は自信があるのか、堂々と僕に告げた。


「でもそれって無理あるんじゃないかな? 男子と練習することを嫌がってるって、藤宮先生が言ってたよ」

「先生は嘘をついている……いや、先生自身も気づいていないと思う」


 高瀬の発言に、僕も古林も首を傾げる。高瀬の言っていることがわからない。

 僕と古林を一瞥した高瀬は咳払いすると、自信を持ってその理由を告げた。


「少なくとも、楠見さんは俺達のことを嫌がってないと思う。俺にはわかるんだ」


 高瀬のはっきりとした口調に気圧される。凛と言い合いになって以来、お互い避け続けていたからなのかもしれない。久しぶりに聞いた名前に気が動転する。

 高瀬は僕の肩に手を置き、視線を合わせてくるとそのまま続けた。


「明日と明後日の二日間、ふささら祭りがあるじゃん。そこに楠見さんを誘って、道場について交渉すればいいと思う」

「なるほど。入学当初に噂が立ってた楠見と真弓なら、交渉もうまくいくかもしれないな」

「噂って。その誤解は前に解いたから。凛とは本当に幼馴染なだけなんだって。それにみんなで交渉するんだから、僕だけ頑張っても意味ないよ」


 僕の言葉に高瀬と古林は首を傾げている。どこか腑に落ちないことでもあったみたいに。


「いや、俺は真弓君と楠見さんが二人きりで行くことを提案してるんだけど」

「俺も。真弓が交渉に行くと思ってるんだが」


 二人の思考は一致している。僕の考えとは真逆だった。


「む、無理だよ。今は凛と……話したくないんだ」

「楠見さんと喧嘩してるから?」


 高瀬の言葉に、思わず虚を付かれた。凛と喧嘩していることが知られている。


「どうして知ってるのさ?」

「二人を見ていればわかるよ。特に楠見さん。最近、元気ないように見えるし」


 凛のことが好きな高瀬だからこそわかったのかもしれない。毎日見ている高瀬なら、僕なんかよりも凛について知っている。


「でも高瀬君は凛のことが好きなんでしょ? それなら、高瀬君自身が凛を祭りに誘えばいいじゃん。仲を深めるチャンスなんだし」

「それで楠見さんに元気が戻るなら、俺は迷わずそうする」


 いつも以上に大きな声で話す高瀬の声に、僕は畏縮して返す言葉が出てこなかった。何も言わない僕を見て高瀬は続ける。


「でも、今の俺には楠見さんを元気づけることができない。その役割は、真弓君。君なんだよ」


 高瀬の言葉に、僕は何も言い返せなかった。

 言い合いになったあの日、凛と仲直りする日がすぐにくると思っていた。いつもの調子なら一週間もすれば、凛の方からしびれを切らして話しかけてくるはずと。でも、既に一ヶ月が経っている。それでも凛は一向に話しかけてこない。そんな状況で僕が凛を元気にするなんて無理だ。


「真弓が楠見のこと誘えよ。今の話聞いて、お前が誘うべきだと思った。それに、仲直りしないと道場が使えない可能性の方が高い」


 息を潜めていた古林の言葉に気づかされた。今は道場についての話をしていたはず。それなのに、いつの間にか自らの私情を挟んで考えていた。凛と話したくない理由があるにせよ、それを男子弓道部に持ち込むのはいけない。


「楠見さんのこと……よろしくな」


 振り絞るようにして吐き出された高瀬の言葉が、僕の胸を打つ。高瀬は弓道部のことを真剣に考えている。自らの感情を殺してまでも。


「わかった。凛に祭りのこと、伝えてくる」


 僕だって、いつまでも凛と話さずにいるわけにはいかない。いつもと違うけど、今回は僕から凛に話しかけよう。高瀬と古林に背中を押される形で、僕は教室を後にした。






 凛を探して道場に足を運んだ僕は、道場前で素引すびきをしている人に声をかけた。


「すみません。凛……楠見さんっていますか?」

「楠見ちゃん? ちょっと待ってね」


 目の前にいた艶やかな黒髪を纏う女子は、そのまま道場内に入っていった。思わず僕は見とれてしまった。袴姿に艶やかな黒髪。和を存分に感じさせるその立ち振る舞いに、思考の全てを奪われそうになる。


「楠見ちゃん、まだ来ていないみたい。教室じゃないかな?」

「そうですか……ありがとうございます」


 お辞儀をした僕は、そのまま道場を後にした。

 教室にもう一度戻るため昇降口に向かうと、直ぐに凛を見つけた。声をかけようと思った僕は、目の前の光景に出かかった言葉を飲み込む。そして咄嗟に物陰に隠れた。


「お願いします。弓道部に戻ってきてください」


 凛を見つけたのはよかったけど、今起きている状況が理解できなかった。凛が上級生に向かって頭を下げている。


「だからしつこいって。俺はもう弓道辞めたんだよ」


 以前、弓道部に入っていたと思われる男子は、凛のしつこさにうんざりしているように見える。


「もう十一月です。今からなら来年の大会にだって出ることができます。先輩、次期部長候補だったって聞きましたよ」

「あの時とは状況が変わったんだよ。わかるだろ?」

「わかりません。どうして男子弓道部を見捨てるんですか」


 先輩に食い下がる凛は、言い争いになったあの時とちっとも変っていなかった。


「部員もいないし、もう無理だって」

「一年生に、部員の子が一人います。それに、今からでも部員を集められるはずです」

「楠見、本当にしつこい。しつこい奴って嫌われるぞ」

「嫌われてもいいです。男子弓道部に戻ってきてくれるなら」

「だから戻らないって。どけよ」

「痛っ」


 ドンっと凛を小突いた上級生は、地面にしりもちをついた凛を気にせず、そのまま去って行った。地面に倒れこんだ幼馴染の元に駆け寄り、僕はそっと手を差し伸べた。


「ありがとうございま――」

「久しぶり」

「……」


 僕は凛の手を取って立ち上がらせた。僕に気づいた凛は、何事もなかったように道場に向かって歩き出そうとする。僕は咄嗟に凛の右手を掴んだ。


「何よ」

「凛に話があって」

「聞きたくない」


 怒っているのか、凛は僕の手を振り払うと再び歩き出した。


「ごめん。あの時は僕が悪かった」


 大声で凛の背中に向け言葉を放つ。すると凛はその場で立ち止まってくれた。


「あの時、凛の言っている意味が僕には分からなかった。確かに僕はやりもせずに諦めていたと思う。自分で勝手に限界を決めて、やろうとしなかった。でも、今は違うんだ」


 凛の元に駆け寄り、視線を合わせる。凛はまだ俯いたままだった。


「僕は弓道部に入ることにしたよ。そして、男子弓道部を復活させる」


 僕の言葉に反応した凛は、俯いていた顔を上げた。僕と凛の視線が重なる。僕の強い決意を凛に届けたい。その一心で凛を見つめ続ける。

 しばらくして、僕から視線を逸らした凛が話し始めた。


「でも、どうして急に……」

「藤宮先生に男子弓道部の悪口を言われて許せなかった。だから先生を見返したいと思った」


 凛は僕の言葉を黙って聞いてくれている。続けて僕は話した。


「それに、翔兄ちゃんとの約束もあったから。弓道部を失くしたくないんだ」


 今のままだと藤宮先生がいる限り、男子弓道部は何もできないまま終わってしまう。


「そっか。なんか、安心したかも」

「安心?」

「だって、このまま何もせずに終わっちゃうのかと思ってたから」


 凛は嬉しそうに笑顔を浮かべていた。僕も少しは前に進めたのかもしれない。


「そういえば、さっき上級生と言い合ってたよね?」

「聞いてたんだ」

「うん。ゴメン」


 盗み聞きをしていたことを謝った僕に向け、凛は乾いた声で言った。


「男子弓道部に戻ってきてほしいってお願いしたの。私も男子弓道部を潰したくなかったし、翔兄ちゃんのいた弓道部を失くしたくなかったから」


 凛は自ら行動を起こしていた。たぶん凛のことだから、ずっと先輩を誘い続けていたのだろう。そんな凛を想像すると、何故だか笑いがこみあげてきた。


「ホント馬鹿だな、凛は」

「ば、馬鹿って何よ」


 笑うなと言って僕をたたいてくる凛は怒ってはいなかった。自然と笑みがこぼれている。


「でも、凛の頑張りに気づけなかった僕のほうがよっぽど馬鹿だ」

「一……」


 凛は笑顔から一転、寂しそうな表情を晒す。しばらくの沈黙。僕の発言のせいで、空気が重くなってしまった。どうにかしようと、僕は言おうと思っていた本題を凛にぶつけた。


「明日のふささら祭りなんだけど、よかったら一緒に行かない?」

「えっ!」

「男子弓道部のメンバーも一緒なんだけどさ、どうかな?」


 二人きりだと、噂が再熱しかねないと思い咄嗟に口から出てしまった。後で高瀬達に色々と謝る必要がありそうだなと思っていると、凛はすまし顔で言った。


「珍しいね。一から誘ってくれるの」


 凛は僕の肩をポンッと叩くと、少し距離をとるように僕から離れた。


「いいよ。そのかわり、たくさん奢ってもらうからね」

「たくさんは勘弁してほしいな……」


 凛は笑みを見せると、そのまま道場に向かっていった。

 久しぶりに凛の笑顔を見れた気がする。

 今日まで凛と仲直りのきっかけを見出すことができなかったけど、高瀬と古林が背中を押してくれたこともあって、うまくいった。

 二人には感謝しきれないくらいに恩を受けた。

 今度は、僕が二人に何かしてあげたい。

 僕ができることは何だろう。


 そんなことを考えながら、僕は帰宅の途についた。

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