第3話 過去と今

 週明けの月曜日。普段と変わらず学校に登校した。始業の三十分前には自席に着くようにしている。今日も普段通り授業を受け、家に帰る。帰った後に凛に教える時間を設けるだけで、普段の生活に支障はない。いつも通りの時間が過ぎていくと思っていた。


真弓まゆみ君!」


 教室に着くなり、僕の名前を盛大に叫んできた好青年。颯爽と僕の前に現れたのは、同じクラスの高瀬だった。


「高瀬君……朝から元気だね」


 高瀬は嬉しそうに笑顔を見せた。

 高瀬颯太たかせそうた。甘いルックスの持ち主で、入学当初から人気を博するイケメン。その爽やかな印象から、同級生の間では「爽やか王子」という異名までつけられている。


「昨日と一昨日なんだけど、弓道の新人戦が大宮公園であったんだよ。そこで楠見さんが四射一中の活躍をしたんだ。すごいよね」

「う、うん。それはすごいね」


 思わず僕は苦笑いを浮かべる。高瀬の勢いに押され、自分もその場に居たことを言い出せなかった。


「楠見さん、本当に美しかった。そうそう、楠見さんが打起し前、俺に向けて笑顔を見せてくれたんだ。あんな楠見さんを見たのは初めてだよ」


 よかったねと、僕はとりあえず相槌を打った。目の前で幸せそうに凛の話をする高瀬に忠告しておきたかった。あの笑顔は高瀬に向けたものではないと。


「本当に高瀬君は凛が好きなんだね」

「ちょ、ちょっと。誰かに聞こえたら不味いだろ」


 ストレートに高瀬の気持ちを代弁すると、目の前の高瀬は頬を染めて照れている。凛の話をすると、高瀬はいつも顔がにやける。こんな高瀬の顔を知ることになったのは夏休み前だった。


 入学して二ヶ月が経ったある日、高瀬が僕に話しかけてきた。入学当初から同級生に人気があり、クラスでも人気上位層にいる人。そんな高瀬が、どうして冴えない僕なんかに話しかけてきたのか。はじめは理由がわからなかった。それでも、しばらく話していると何となくわかってきた。

 高瀬は凛のことが好き。

 おそらく僕と絡んでいれば、凛と接近できると思っているのかもしれないと。


「そうだ、高瀬君なら知ってるかもしれない」

「何かな?」

「男子弓道部って、対外試合禁止中だよね?」

「うん」

「そんな状況下でも、部活に残っている部員が一人いるって聞いたんだけど。誰だかわかる?」


 弓道にやたらと詳しい高瀬なら知っているかと思い、質問してみる。話も弾むし話題になると思った。

 高瀬は僕の質問を聞くと、右手を上げ人差し指を突き立てた。そして、それを自分に向けた。


「知ってるも何も、俺がその部員だよ」


 開いた口が塞がらなかった。てっきり僕は凛の好感度を上げるために、高瀬が弓道の勉強をしていると思っていたから。


「どうして驚くのさ。俺が弓道部じゃいけないのかな?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど。サッカー部やバスケ部かと思ってたからさ」

「ははは。よく言われるよ」


 高瀬は軽く笑った。


「それじゃ、中学は弓道部?」

「いや、俺の中学校には弓道部がなかったんだ」

「へぇ。なら、身近に弓道経験者がいたとか?」

「それも違うかな」


 高瀬はどうして弓道部に入ったのだろう。僕はそのことが気になって仕方がなかった。

 必死に答えを導き出そうと考えていると、高瀬が口を開いた。


「とある試合を見に行ったんだ」

「試合?」

「二年前の全国高等学校総合体育大会弓道競技大会。高校生の憧れ、インハイだよ」


 インハイ。

 毎年夏に開催される高校生の憧れの舞台。全国の強者が一番を目指して競い合う。


「友人の付き添いで行ったんだ。弓道なんて普段見ない競技だし、はじめは本気で見てなかった。でも、大会の中で一人だけ異様な雰囲気を放っている人がいて、引き込まれた」

「それって?」


 高瀬は僕を一瞥すると、答えた。


「草越高校の神道翔。俺達の先輩さ」


 高瀬から翔兄ちゃんの名前が出るとは思ってもみなかった。いつも近くにいたからわからなかっただけかもしれないけど、翔兄ちゃんの知名度は、中学生にも知られるくらい高かったみたいだ。


「俺は、神道選手に憧れたんだ。草越高校三連覇の立役者。そんな先輩の育った場所で弓道をしたいと思って草越に入学したんだ」


 高瀬も僕と同じで翔兄ちゃんに心を動かされた一人だった。高瀬がやたらと弓道に詳しい理由も理解できる。だけど、僕はどうしても引っかかることがあった。


「理由はわかった。なら、どうして草越に入ったのさ。男子弓道部が大会に出れないことくらい知ってただろ?」


 いくら翔兄ちゃんが好きでも、大会に出ることができない高校に入学するとは僕には思えなかった。


「……知らなかった」

「えっ?」

「知らなかったんだ。大会に出れないこと。ましてや弓道部がこんな状況になってたことも」


 呆気にとられる発言をした高瀬は、恥ずかしいのか頭をかいていた。どうやら高瀬は翔兄ちゃんへの憧れだけで、本当に草越高校に入学を決めたみたいだ。


「席に着け」


 担任の先生が教室に来たところで、一旦話は打ち切りとなった。高瀬はまた後でと僕に話しかけ、自席に戻っていった。






 放課後となり、帰ろうと廊下に出ると凛に捕まった。


「今日から教えてよね。部活終わったら家に寄るから」

「わかってるよ」

「よーし。それじゃ」


 一言二言交わして凛と別れた。凛は一組で僕は二組。明らかに待ち伏せされていた。僕が逃げると思って忠告しに来たのかもしれない。


「ま、まま、真弓君!」

「あっ、高瀬君」

「今、楠見さんと話してたよな?」

「そ、そうだけど」

「二人ってどんな関係なんだ?」


 切羽詰まる勢いで詰め寄ってくる高瀬に、僕は圧倒される。


「どんなって……高瀬君知らないの?」

「知らないよ。何? 何なの?」

「凛はただの幼馴染だよ」

「お、幼馴染……」


 高瀬は安堵の表情を晒した。


 入学当初、僕と凛は常に一緒に帰っていた。幼馴染だし、家も隣だから一緒に帰ることに抵抗はなかった。僕は気にしなかったけど、思春期真っ盛りな周りの高校生は、色恋沙汰のにおいを嗅ぎつけると直ぐに食いついてきた。おしどり夫婦と茶化されたこともあった。それでも凛が弓道部に入ってから一緒に帰らなくなったのと、凛の男勝りな態度が皆に知られてからは、次第にからかってくる人もいなくなった。

 あれだけ学年中に広まっていたのだから、高瀬も知っていると思っていた。


「だから楠見さんのことを名前で呼んでるのか」

「うん。でも昔から呼んでるし、特に何もないから心配しなくていいよ」


 爽やか王子の異名が台無しになるくらい取り乱す高瀬を見て、僕は思わず笑ってしまった。


「それより、高瀬君に聞きたいことがあるんだけど」

「聞きたいこと?」

「うん。男子弓道部の活動について」

「最近は活動してないかな。たまに大会とかあると見に行く程度だし」

「もしかして実際に弓道やったことって……」

「ないよ」


 爽やかな笑顔で高瀬は答える。

 弓道の知識を持っているのにも関わらず、実際に弓を握って的に向かったことがない高瀬が可哀想で仕方なかった。今の高瀬は知識だけの宝の持ち腐れ状態。もし弓道部が活動していたら、高瀬は今以上に弓道の楽しさを知ることができたのかもしれない。


「それに、今は道場使えないんだ」


 さらっと告げられた一言に、僕は理解が追いつかなかった。高瀬の言葉を脳内で反芻する。


「道場使えないって、ちゃんとした練習できないよね。どうするのさ」

「だから活動してないってさっき言ったんだけど……」


 高瀬に身体を押し返される。いつの間にか高瀬の方につんのめっていた。

 どうしてだろう。今の男子弓道部についてもっと知りたいと思っている。どうして道場が使えなくなったのだろうか。思考を巡らせていると、高瀬が口を開いた。


「入学当初の男子弓道部は、今とほとんど変わらない状況だった。そもそも、男子は部活勧誘をやっていなかったんだ。流石におかしいと思ったから、女子弓道部の顧問の先生に直接聞きに行った。そしたら、部活はあるけど活動休止中って言われて。その時に、去年あった出来事を初めて知ったんだよ」


 一年半の対外試合の禁止。その影響が男子弓道部に重くのしかかっている。


「三連覇を成し遂げて以降、男子弓道部の部員はかなりの数に増えたらしい。全国各地からも練習試合の声がかかる強豪校になったんだって。でも、翌年の四月の予選大会で不祥事が起こった。それ以降、次々に部員が退部。挙句の果てに、部員は一人も残らなかったらしい。それを見て、女子弓道部の顧問の先生が男子弓道部の道場使用を禁止したんだって」

「男子の顧問の先生は何も言わなかったの?」

「それが、当時の顧問の先生は責任を取る形で他校に転勤になったらしい。だから顧問の先生もいない状態なんだって」


 高瀬の話に返す言葉がなかった。三連覇という、前人未到の快挙を成し遂げた男子弓道部とはいったい何だったのか。一回の過ちで、ここまで見事に廃れてしまうほど男子弓道部はもろかったのか。翔兄ちゃんの存在がとても大きかったことがわかる。


「ところで、真弓君は弓道好きなんだよね?」

「あっ、いや……」

「絶対好きだよ。男子弓道部の心配してくれてるみたいだし」


 キラキラと輝く高瀬の目から、視線を逸らそうとした。しかし高瀬はそうはさせないとばかりに、僕の双眸を覗き込んできた。


「一緒に弓道やろうよ」


 爽やかな笑顔で語り掛けてくる高瀬に、心が動きそうになる。

 高瀬となら、楽しく弓道に打ち込めるかもしれない。

 でも、楽しくなくなることが予想できた。

 早気がある限り、僕は駄目なのだから。


「ごめん。弓道はやらない。それに凛と話すから弓道を知っているだけで、興味ないからさ」


 ごまかすように僕は笑ってみせた。

 高瀬には純粋に弓道を楽しんでほしい。やる前から弓道の病気に触れる必要はない。それに、僕みたいに潰れてほしくない。


「……わかった。もし、弓道部に入りたかったら声かけてよ」


 そう言って、高瀬は教室内に戻っていった。僕には高瀬の後姿が深く落ち込んでいるように見えた。

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