庄太郎さんの差し金ですか

 亜理寿はじっと篤志を見上げる。


 普段から変化に乏しい表情だが、いまのじとっとした眼差しは睨んでいるように見えた。小さな少女は抑揚のない声で問いかけてくる。


「わたしを、つけていたんですか?」


「ああっと……」


 言い訳をしようと宙に視線を彷徨わせ、篤志はうなだれるように肯定した。


「ごめんよ。悪いとは思ったんだけど、気になって……」


 亜理寿は悩む素振りを見せて、ふむと頷く。


「庄太郎さんの差し金ですか」


「そういうわけでもないんだけど……」


 確かにきっかけを与えてくれたのは庄太郎だが、追いかけたのは篤志の意志だ。そこを人のせいにするほど、篤志も恥知らずではない。


 なにより、この少女の前でそんな醜い大人の姿は見せたくなかった。

 しかし亜理寿は全て察したというように首を横に振る。


「いいんです。あの人は昔からそういうふうに人を振り回す方でしたから」


「……? 昔からって、あの人が店長になったのって最近じゃなかったのかい?」


 篤志が首を傾げると、亜理寿はハッとしたように口を押さえる。それでも表情はまばたきをしただけで変わっていないのだから逆に器用だった。


 亜理寿はどこか認めたくないように呟く。


「うちの親と、あの人は仲がよかったものですから」


「そうだったんだ。なんというか、大変そうだね」


 以前は庄太郎の祖父が珈琲店の店長だったのだ。その辺りが、亜理寿があの店の常連であることにも関係あるのかもしれない。


 それより、と亜理寿は言う。


「でも、そんなに心配しなくても大丈夫です」


 そう言ってポケットからプラスチックの塊を取り出す。一昔前の携帯電話のような形をしている。


「いざというときは防犯ブザーもありますから」


 身の危険を感じていながら無警戒に歩くほど、亜理寿も不用心ではなかったらしい。抜け目のなさに篤志も少しだけ安心した。


 それから、亜理寿は困ったように眉根にしわを寄せる。


「でも、今回のは本当にひどいと思います。篤志さんまで巻き込むなんて」


「別に巻き込まれたというわけじゃ……」


 亜理寿の力になろうと決めたのは篤志の意志だ。

 そう答えようとすると、亜理寿は言葉を遮るように首を横に振る。


「巻き込まれたんです。たぶん、わたしと篤志さんがここで話しているのは、笹倉さんに見られたと思います」


 その名前に、篤志は表情を険しくした。


「……やっぱり、君を脅迫していたのは笹倉さんなんだね?」


「別に脅迫されたわけじゃないです。ただ困ったことを断りようがないように言われただけで……」


「同じことじゃないか。いったい、笹倉さんは君になにを言ったんだい?」


 篤志は中腰になって亜理寿と視線の高さを合わせる。

 瑠璃と翠玉の瞳が真っ直ぐ自分を見つめていた。


「話してくれないかな。僕でよかったら、だけど」


 真摯な声で問いかける。

 亜理寿は戸惑うように瞳を左右に揺らし、やがて根負けしたように頷いた。


「……わかりました。篤志さんも巻き込まれたわけですし、事情を知っていてくれた方がいいと思いますし」


「さっきも言ったけど、僕は巻き込まれたとは思っていないよ。それに話しているの

を見られたくらいでどうだって――」


 篤志の言葉を遮るように、亜理寿は首を横に振った。


「わたしが首を縦に振らなかったとき、篤志さんに危害を加えるとは思いませんか?」


 鋭いひと言に、篤志はなにも言い返せなかった。


 そしてその言葉に不安を抱いたのは、自分の身に対してではなかった。


 ――この子は、いったいどんな事件に巻き込まれているんだろう……。


 こんな可能性が自然に思いつくほど、危険な状況に身を置いているということだ。

 だから篤志はその瞳から目を逸らさないように、真っ直ぐ頷いた。


「君の力になってあげたいと思ったのは僕の意志だ。庄太郎さんのせいでも亜理寿ちゃんのせいでもない。これからなにが起こったとしても、それは僕が選んだことなんだよ」


 亜理寿はにわかに目を丸くする。

 そして、口の中で転がすように呟く。


「どうして、そこまで……?」


「亜理寿ちゃんは僕の珈琲を美味しそうに飲んでくれる、一番のお客さんじゃないか。困ってると聞いたら助けたいと思うのは自然なことじゃないかな?」


 亜理寿は小さく息を呑んで、それから信じるのを恐れるように問い返す。


「篤志さんは、誰にでもそう言うんですか?」


「どうかな? でもいまのところ、こんなことを言ったのは君が初めてだよ」


 言ってからふと自分の言動に疑問を抱く。


 ――あれ? これって口説いてるようなもんじゃないか?


 天下の往来で白昼堂々女子小学生を口説く大学浪人生――逮捕拘留待ったなしだ。

 頬に冷や汗が伝うが、亜理寿はキュッと胸を押さえて俯いてしまった。

 それから、篤志の袖を掴んでくる。


「……本当は、すごく困ってます。助けてください」


 感情を見せない少女が、初めて口にしてくれた本音だった。


「もちろんだ」


 そう答えた篤志は、自然と亜理寿の頭を撫でていた。

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