亜理寿を助けるってのは、なかなか骨の折れる仕事だぞ
「……ふぁっ?」
動揺のあまり、奇妙な声が出てしまった。
それでも理性をたたき起こして声を絞り出す。
「え、ええっと、友達との、口論で……とか、かな?」
「一般的な見方をすれば、相手は大人の方になると思います」
そう言って亜理寿は首を横に振る。
しかし亜理寿は冗談を言っているわけではなさそうで、眉根にしわを寄せて言う。
「悪い人ではなさそうなんですが、かといって言われた通りにするわけにもいきませんし、でも断るのも難しそうで……大人なら、こういうときはどう対処するものなんでしょうか」
「それは大人とか子供とかいう次元の話じゃないぞ!」
こんな小さな女の子を相手に大人が殺せだとか殺すだとか、脅迫以外の何物でもない。
勤務中ではあるが、篤志はポケットから携帯電話を取り出す。折りたたみ式の古い型のものだ。
「とにかく警察に通報しよう」
「あ、それはちょっと困ります――」
亜理寿がなにか言いかけていたが、篤志は一一○番にコールしようとする。
と、その携帯を横から伸びた手に取りあげられた。
「おいおい、落ち着けって。小学生が警察なんて呼ばれたら明日から学校でいじめ確定だぞ?」
庄太郎だった。いつの間にか新聞を放り出して後ろに立っていた。
「――っ、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう?」
「あーもう、わかったからお前はちょっと黙ってろ。こいつが口下手なのは篤志も知ってるだろうが」
「口下手……?」
篤志を押し退けて、庄太郎は亜理寿に目を向ける。
「亜理寿、お前ももう少し言い方ってもんを気を付けろ。篤志が勘違いしちまったじゃねえか」
「……はい」
珍しく、亜理寿はおとなしく庄太郎に頷いた。
その反応から、篤志も自分が思い違いをしているのではないかと感じ始めた。
先ほども“ひと目惚れ”などと、他人が聞いたら激しく勘違いをしそうな言葉をもら
していたのだから。
――本当に殺されそうってわけじゃないのか……?
考えてみれば当たり前のことではある。命の危険に晒されているなら、いくら亜理寿でもこんな平然としているわけがない。
それから、庄太郎は目を細めて亜理寿に問いかける。
「亜理寿、本当に困ってるんなら断れ。あとのことなんぞ気にしなくていい。だが引き受けるつもりがあるんなら、こんなところで珈琲なんか飲んでないでやるべきことを尽くせ」
小学生の少女に向けるにはあまりに厳しいひと言だ。
だが、亜理寿は反論ひとつなく頷き返した。
「……はい」
それから、庄太郎はようやく篤志に携帯電話を放って返す。
「ほらよ。あと、心配するのはわからんでもないが、これは亜理寿の問題だ。お前が口を出すようなことじゃない」
「……なに言ってるんですか。そんなわけにはいかないじゃないですか」
殺されるというのは勘違いなのかもしれない。それでも篤志には無視できることではなかった。
喰ってかかると、篤志の裾を亜理寿が引っ張る。
「いいんです、篤志さん。今回は、この人が正しいですから」
「でも――」
亜理寿は言葉を遮るように珈琲を飲み干す。
「ごちそうさまでした。今日はもう帰ります」
少女はきっかり代金分の小銭をテーブルに置くと、言葉通り帰っていってしまった。
◆
小さな背中が見えなくなって、篤志は庄太郎を睨む。
「……庄太郎さん、ちょっと冷たすぎやしませんか? なにがあったのかは知りませんけど、亜理寿ちゃんはまだ十歳なんですよ」
「十歳でも一人前のガキはいるだろ?」
「だからって亜理寿ちゃんにそれを強要していいって言うんですか?」
「客のプライバシーに首を突っ込むのは珈琲係の仕事じゃねえと言ってるんだよ」
篤志は言葉を詰まらせる。
庄太郎の言葉は、確かに正しい。
善意の押し付けほど醜悪な悪意はない。
客のプライベートまで踏み込むのは、世話焼きではなくただのお節介、行きすぎた行為だ。それを正義だと主張するようになったら、それは善人ではなく無自覚な悪党でしかない。
――それでも、あんな小さい子が大の大人から誰かを殺せだとか殺すだとか言われたなんて聞いて、放っておけるわけないだろう!
それに、先に問いかけたのは篤志の方なのだ。
困ったことはないかと。
歯を食いしばって睨み返すと、庄太郎はそれを面白がるように口の端を吊り上げた。
それからさもどうでもよさそうに呟く。
「あー、あー、俺は大人だからな。そんな関わるべきじゃないことには関わらねえからな。お前が亜理寿にかまうってんならお前にだって関わらねえ」
「あんたなあ……っ?」
さすがに怒りをあらわにする篤志に、庄太郎はどこか棒読みな口調で続ける。
「だから亜理寿を脅迫したような犯人がいるなら、きっといまもあいつの側をうろちょろしてるだろうとか、バイトが仕事をサボって外をうろつこうが知ったことじゃねえ」
「なっ、亜理寿ちゃんがつけ回されてるってこと……いや、え? サボるって?」
無責任な言動に怒りを募らせ……かけて、篤志は困惑した。
「あの、庄太郎さん……?」
「あー、面倒くせえ。どうせ亜理寿のやつは歩くの遅えからいま追いかけたらまだ見つけられるんだろうけど、面倒くせえから俺はいかねえ」
そのまま「どっこいしょ」と声を上げてカウンター席に腰掛け、競馬新聞を読み始めてしまう。まるで篤志の姿など視界に入っていないと主張するように。
――ええっと、これは、気になるんなら追いかけてやれって言ってるのか?
しかも脅迫犯の手がかりまで教えてくれるとは。
それに助けるつもりがあるのならどうして自分で行かないのだろう。はなはだ疑問ではあるがいまなら亜理寿を追いかけられる。
そのまま駆け出そうとして、篤志は足を止めた。
庄太郎に向かって、一度だけペコリと頭を下げ、それから全速力で亜理寿を追いかけるのだった。
「……亜理寿を助けるってのは、なかなか骨の折れる仕事だぞ、篤志」
店内にひとり残った庄太郎がそんなことを呟くが、篤志の耳には届かなかった。
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