物言はで去りゆく人や春の雨

 物言ものいはでりゆくひとはるあめ


〔季語〕

 春の雨(春)


〔語釈〕

「物言はで」は、物を言わずに。

「春の雨」は、『三冊子さんぞうし』(1702年成立の土芳とほう著の俳論書)では旧暦正月から二月はじめに降る雨のこととされ、それ以降の「春雨」と区別される由。


〔大意〕

 何も言わずにあの人は去ってゆき、後には春の雨が降るばかりである。


〔解説〕

 春は出会いと別れの季節らしい。らしいというのはさほどの実感がないからである。去りゆく人が詠み手とどのような関係にあるのかはやはり読み手の想像にまかせたい。このような句はこれまでにいくらも作られたものと想像するがともあれ。


 語釈で触れたように、「春雨」と「春の雨」は別物とされることもあるらしい。私としては「春の雨」を単に春に降る雨という意味で使いたいと思うがいかがだろうか。


〔参考句〕

 春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏り 芭蕉

 春雨の木下につたふ清水かな 同

 春雨の底をさがすや声の糸 鬼貫おにつら

 くもの井に春雨かかる雫かな 奇生きせい

 おもふ事降くらしたり春の雨 諷竹ふうちく

 春雨の中を流るゝ大河かな 蕪村

 ぬなはふ池のみかさや春の雨 同

 春雨やものがたりゆくみのと傘 同

 春雨や松に鶴なく和かの浦 樗良ちょら

 春雨や鼠のなめる角田川すみだがは 一茶

 鳩の恋烏の恋や春の雨 同

 膳先に雀なくなり春の雨 同

 春雨や喰れ残りの鴨が鳴く 同

 春雨や心のまゝのひじ枕 井月せいげつ

 春雨や柳の中を濡れて行く 夏目漱石

 新らしき蒲団に聴くや春の雨 村上鬼城

 石崕せきがいにはこべ咲きけり春の雨 羅蘇山人


 物言はで腹ふくれたる河豚ふくとかな 夏目漱石

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