何事も。

「あ、りんりん。久しぶり〜、一昨日ぶりだけど」

教室に入って来たりんねに手を振るるみさん。どうしてまた彼女はここにいるのか。しかも朝から。

りんねを見たのは一昨日ぶり。体調が悪い様子はなくて、るみさんに笑顔でチョップしている。やっぱりサボりだったんだろうか。

「何、そんなに見て」

りんねと目があった。無意識に見つめてしまっていたようだった。

「な、なんでもない。ごめん」

「ふーん」

興味はないと言うふうに彼女はすぐにるみさんとの会話に戻った。

朝は別々の登校だ。

基本的にりんねと来るときは彼女がすでにぼくの家の前かもしくはマンションのロビーで待ち伏せしているとき。今日は見かけなかったからまた休みなのかと思って一人で来た。

ひとりは楽だ。歩いてゆっくり学校に行けるから。

ぼくが学校に来るのはそこそこ遅い。だからりんねはもっと遅いことになる。つまりもう時間はない。

「るみさ・・・」

「ほらチャイムなるぞー、席につけ。ん、そこのお前。ここのクラスじゃないだろう」

「げ。」

教室に戻ったほうがいいよ、と言おうとした矢先に先生登場。なんと不運な。今日は職員会議がだいぶ早く終わったらしい。

るみさんは嫌そうな顔をしてそそくさと出て行った。

おとなしく言うことを聞く人にうるさく言い続ける担任じゃなかったことが救いだとも言える。

「あーあ、馬鹿だなぁ」

走って行く後ろ姿を見ながらりんねが呟いた。やっぱり二人は仲がいい。


彼女がぼくに何も話さないこと。

そのときはなんとも思っていなかった。赤の他人なのだから話せないことの一つや二つ、いやそれ以上でも、あってもおかしくはないからだ。

でもそれはぼくの勝手な価値観で、何を間違えてしまったのか、どこで間違えてしまったのか。

今となってはもうわからなかった。





帰り道が同じだから、彼女とぼくがどちらも部活が帰宅部である以上、帰りに友達と寄り道して帰るなんて青春をしなければ、ほぼ必然的に帰りは一緒になってしまう。

今は二人になるのが気まずい。なんとなく、彼女がぼくを避けている気がするから。

自意識過剰だろうか。そんなことはない。理由としては、彼女がぼくをいじめて来ないからだ。

そのことに関してはるみさんも言っていた。

「どうしちゃったんだろうねぇ、りんりんは」と。

りゅうへいはなんとも思わないらしい。それはそれでいいのだ。彼らしさが出ているから。

前を歩くのはりんね。

ぼくはトラウマからなのか、りんねの前を歩けない。何かされるんじゃないかという恐怖を常に背にするなんて地獄の沙汰だ。何もされないと思う今でさえ、その恐怖は無意識にぼくを彼女より後にさせる。

ただただ歩いているだけ。それでも怖いくらいなのに。


帰り道も登校するときと基本的なことは同じ。

りんねが隣の席のぼくを見てにっこりと笑ったり、靴箱で待ち伏せたりしていない場合は一人で帰る。

まぁ彼女と出会ってから一人で家に帰った記憶はほとんどないけれど。

だから一人になると、隣に空いたスペースがふとした瞬間に気になってしまう。

角を曲がるとき、エレベーターに乗るとき、扉をくぐるとき。

いつのまにかぼくの世界には確実にりんねの場所があって、それをぼくはいつのまにか大事にしている。

りゅうへいとかは例外にしても、彼女以外の人がぼくの隣にいるとき、きっとぼくは違和感を感じる。滅多にないことだけど。



「何黙ってんの」


「え」

間を置いて間抜けな返事をする。間を置いたにもかかわらず飛び出した気の抜けた返しに、自分でも呆れた。

「何か喋ったら?てか聞きたいことあるんじゃないの?」

彼女はまるでぼくたちが一緒に帰っているかのように会話をしようとする。でも彼女との距離は5m以上離れていて、そんな二人が会話しようとするとおかしな人にしかならないのだ。

巻き込まれるのを恐れて急いで隣になるようにスピードを速める。

「一人で帰りたい気分なのかと思ってたから」

「そんな気分になんてなったことないけど」

「ぼくに言われても・・・」

りんねの気持ちはりんねにしかわからない。ぼくの気持ちが、彼女には伝わらないのと同じ。

話さないとわからないことだってある。

でもぼくたちはきっと、話さないとわからないことに限って話さなかった。

お互いに知ることをセーブしてたから。理由はわからないけど。


「だから何か話してってば」

りんねはどうしてもぼくに話題を振ってほしいらしい。

休みの間に自分にあったことをわかってほしいって可能性もなくはない。

でもぼくはあえてそれを無視する。

「りんねが話せばいいだろ。サボりの理由とか。機嫌が悪い理由とか」

ぼくは苛立っている。

最近わかったけど、りんねの苛々はぼくに伝染するらしい。

彼女が楽しんでぼくをいじめているときは、ぼくの気分はただただ悪くなる一方だ。でも彼女が苛々してぼくに八つ当たりをするとき。その一瞬、ぼくはりんねに強気になる。

ストレス発散くらいの勢いはある、らしい。りゅうへいに聞いたことだから定かではないけど。こういうことは、客観的に見た方がわかりやすいらしい。

「なんでサボったって決めつけてるの」

りんねがぼくを睨んだ。サボりって単語が気に食わなかったらしい。

「ぼくが昨日プリントを置きにりんねの家に行ったとき、誰もいなかったからだよ。具合が悪いなら家にいるはずだよね」

結局プリントはポストに入れて置いた。誰かしら見るだろうと思ったから。

案の定、というか、ぼくの勘は当たり、昨日のプリントに書いてあった課題をりんねはしっかりと提出できていた。ぼくに感謝するべきではあるけれどキレられる必要はないはずだ。

「機嫌悪くないけど?」

誤魔化した。あからさますぎる、誰もがそう思うだろう。

「ならそれでいいんじゃないの」

ぼくは今機嫌が悪い。だからいちいち彼女の言い分なんか聞いてやらない。


「機嫌悪いのはあんたでしょ」


そうきたか。

彼女の自分のことを棚にあげる癖は出会った時から今まで健在だ。

だからぼくは対応に慣れた。こういうときは絶対に折れてやらない。その瞬間、りんねは自分が上だと思い始めるからだ。

「どうしてそう思うの」

「そのまんまよ。当たり強いし、目つき悪いし」

りんねは怖いんだろうか、今の状態のぼくが。怯えているような表情を見せられると弱くなる。

それにしても、彼女の言っているぼくの様子はまるでいつものりんねだ。

無意識に真似ているのかもしれない。自分が相手より有利に立とうとするりんねのことを。そうすれば、ぼくが弱くなっているように、彼女も弱くなると思い込んでいたのかもしれない。

「そう見えるならそうなのかもね。確かに気分が悪いよ。君のことがよくわからないからね」

強く言うと、彼女は意味がわからないと言うように首をかしげた。それでいい。理解されないぐらいが、ぼくの言葉には相応しい。

それ以上言葉を繋げずに彼女の前に出る。

彼女が何も言おうとしないのなら、この場でもう会話は成り立たない。

ぼくから話すつもりはない。彼女に弁解の隙を与えないためか、それは自分でもわからない。


ぼくは進む。例えすれ違いざまの君が今にも泣きそうだったとしても。





精神落ち着かせタイムというか、そういうものに陥る瞬間は決まってりんねに対して強くなれた時の後だ。

「はぁ・・・」

後悔というよりも、自分を落ち着かせるための時間。だから、不安というよりも安堵。自分が自分を忘れなかったことへの安堵が先に来る。

机の上には課題。ぼくらの数学の教科担当の教師はどうも生徒に課題を出すことを楽しみにしている傾向がある。

他の教師は長期休暇中の課題を作ることでさえ億劫そうにしているのに、あの人はちょっと暇を見つけると作りたがる。

ぼくはあの癖があの人がみんなに嫌がられる所以だと思っている。

「ゆうたー、ご飯できたよ」

ドアからひょこりと顔を出す母。匂いでわかる、今日はずばりカレーだ。

「すぐ行く」

軽く返事をすると素早く頭を引っ込めた。相当お腹が減っているらしい。遠くで腹の虫が鳴いている・・・。

実を言うとぼくはあまりお腹をすかせていない。食べることには変わりないけど、気乗りはしない。運動という運動をしていないせいかもしれない。

すぐ、と言ったからにはそんなにぼーっとしている暇はなく、すぐに母の待つリビングへと急ぐ。



「お待たせ。いただきます」

「どーぞー」

ニコニコしている母はぼくの次に手を合わせて食べ始めた。

父さんのいない二人での食卓にはもうとっくに慣れた。長いことこうだからかもしれない。もしくは母さんがとても明るいから。

必死に明るくしようとしているわけではない。素が明るいのだと思う。いつも太陽のような人だから、周りを照らしてくれて、ぼくの心にも灯りをくれる。

この人が母で良かったと、ぼくはそう思っている。面と向かって伝えるのは照れ臭いけれど。


ポケットに入れたケータイが振動している。ちらりと画面を見ると電話のようだった。

メールとかだったら食べ終わってからにするけど、電話は急ぎの用事の場合が多いので席を外す。

「ごめん」と席を立つと母は笑顔で首を縦に振った。理解のある母を持つと説明の手間が省けるからありがたい。


「もしもし?」

『ゆうた・・・』

相手はりんねだった。帰りから話していないけど、ぼくはさっき気持ちを落ち着けることに成功したので、今はもう元に戻っている。ただ、りんねはそうじゃないらしい。心なしか声が暗い。

「どうしたの」

質問してもしばらく声が聞こえてこない。

ぼくの名前を呼んだのだから間違い電話というわけではないと思う。

話すことをまとめているのかもしれない。それなら電話をかける前に済ませておいて欲しかった。

何もしてない手持ち無沙汰なときならまだしも今は食事中なのだから。

『・・・今、会いたいって言ったら、来る?』

声が弱々しい。暗い夜道を一人で歩いて心細くなった時のように。

彼女はそうならないのかもしれないけど、一般的な女子はわかると思う。常に緊張して足元が不安で押しつぶされそうな気持ち。

今彼女のところに行けば、少しは支えになれるかもしれない。りんねが弱気な時にそばにいることができるのは、きっと隣人のぼくだ。

でも、タイミングが悪い。

「後5分待ってくれたら。今ちょうどご飯中で・・・」

彼女が今誰かを必要としているように、母さんもそばにいる誰かの存在を望んでいる。みんな一人は嫌いだ。ぼくも例外じゃない。

電話越しに彼女が笑った。

『冗談だよ、そんな本気にしないで』

「うん」

電話を切ってポケットに入れる。

リビングを通過しながら、ぼくに気づいた母さんに一言伝えて玄関に向かう。

「ごめん、りんねのところ行く。すぐ帰って来るから」

母さんは「行ってらっしゃい」と笑顔を見せた。こういうところは鋭い。

彼女がぼくをいじるトーン以外で冗談を言うのはおかしい。それぐらいぼくにも理解できるし、彼女が無意識にそうしているのだとすれば相当危ないのかもしれない。彼女は時々ぼくが思う以上に疲れていて、何か暗いものを背負いこんでいる。



「お邪魔します」

少し大きめの声でそう言うと、すぐにりんね母が奥から顔を覗かせた。

「お、ゆーたくん。りんねは部屋にいるよ」

「ありがとうございます」

しっかり頭を下げて礼を言って、リビングを通り過ぎて突き当たりにある彼女の部屋を容赦なく開ける。

突然のことに驚いた彼女は椅子に座ったまま口を開けていた。

「冗談じゃないでしょ」

訂正してもらいたい箇所を伝えると、やっと状況を飲み込んだらしい彼女が震える声でぼくを叱った。

「いや、そこじゃなくて。ノックなしに高校生の女子の部屋に入るやつは変態だよ

?」

「じゃあぼくがいない時に勝手に部屋にいる君は不法侵入だね」

「それとこれとは・・・」

「違わないよね?」

「・・・」

彼女の言い訳をきかずに黙らせる。

「これだけ隣人やってれば君が何を思ってるかとか今どんな気分かとはある程度わかるんだよ。だからどうせバレてるなら全部言えばいいだろ。今更隠そうとしたって遅いんだよ」

りんねは言い訳をする気はもうないらしい。

ぼくが言ったことで少しはりんねが楽になればいい。ぼくに八つ当たりするんじゃなく、不満に思うことを自分の口で発信できるようになればいい。どんなことよりその方法が、一番りんね自身納得できる方法だと思うから。

「悩んでることはわかる、でも内容は知らない。だから、君が言葉にしないと何も始まらないし、周りだって君を誤解し続けるだけだよ」

ぼくが前々から彼女に関して考えていたことを吐き出す。これは自己満足なのかもしれない。

今色々言ってりんねは戸惑っているし、ぼくの言ったことを噛み砕いてゆっくり理解しようとしている。だからきっとぼくがいなくても大丈夫だ。

俯いてる彼女を置いて部屋を出る。出る際にりんね母が通りかかって「もういいの?」と早すぎる帰宅に驚いていた。

「はい、お邪魔しました」

不思議そうにしながらもしっかり見送ってくれた。

長居はできない。すぐ帰ると言ったから。

帰って手を洗って食卓に戻ると、もう母は食べ終わり食器を洗っていた。ぼくの分がないと思ったら、冷めたことを気にして温めてくれていたらしい。

礼を言ってまた食べ始める。

ぼくは案外恵まれているのかもしれない。いじめられることもからかわれてると思えば、だけど。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る