第3話 一台去って、また一台

「おはよう、タカユキ」


 登校中の俺に話しかける声があった。それが誰かは知っていたので、俺は振り返らなかった。周りを見渡しても無駄だということは分かり切っていたからだ。


「……来たか、神様」


「朝早くに恐縮だが――、おやすみの時間だ」


 そして正面から唸るエギゾースト音。遠目でもそれが何であるかはハッキリと分かった。日産のGT-Rだ。最高時速三百十五kmを誇るその車体が、うなりを上げて俺に向かってきた。

 俺はすかさず八枚の白金の羽根を呼び出し、その一枚を踏み台にして宙を飛んだ。俺が飛び上がってすぐに、その足の下を車体が駆け抜けた。


「トラックが駄目なら、スーパーカーってか? 安直だぜ!」


「そうでもない。その動きも読んでいる」


 ふと気づくと、背後から俺に迫る影があった。そのエンジン音に気付き、振り向くと、そこに見えたのは回るプロペラだった。

 慌てて羽根を繰り出し、魔力で防壁を張る。それに弾かれて、その物体は上空へ跳ね飛ばされた。それは一度体勢を崩してよろめいたものの、空中で姿勢を整えて華麗に宙返りしてみせた。俺はそれをみて心底驚いた。


「セスナ機だとお……!?」


「お前が空を移動できるなら、こちらも対応するまでだ」


 その白い軽飛行機は、また一つ宙返りをしてから俺に向かってきた。


「飛行機まで出せるとは……、さすが神様」


 またも迫ってきたセスナ機だったが、不意さえ突かれなければ怖い相手ではない。俺は足場にしていた白金の羽根を自在に動かし、突撃してくるその機体を華麗にかわした。


「飛行機なら動きは読めるぜ! エースコンバットシリーズはやり込んでんだ!」


 二度の突撃を回避すると、セスナ機はそのまま背を向けて飛び去った。すると、またも神様の声が聞こえてきた。


「空を飛べるのは、飛行機だけではないぞ?」


「何だ? 次はヘリコプターでも落としてくるのか?」


 それを警戒して、俺は少し高度を落として上空を見回した。すると、再び道路の彼方から高らかなエギゾースト音が響き渡った。今度は先刻のGT-Rよりも遥かに力強く、そして甲高いエンジン音を街中へ響かせた。


 彼方から響いていたその音が、瞬く間に俺の目の前に現れた。その赤く塗装された流線型の車体。その前後に取り付けられた白い巨大なウイング。そして車体中央に輝く黄色いエンブレム。そこに描かれていたのは、黒い跳ね馬だ。

 見た瞬間に分かった。フェラーリだ。それも、F1マシンだ。


「ななな、何でこんなところにF1マシンが!?」


「知っているか? F1マシンはダウンフォースが無ければ宙に浮くらしいぞ?」


「知らねーよ! こんなもの、どこから持ってきたんだ!?」


 俺一人を殺すために、一体どれだけのものを用意したのか。狼狽えながらも、俺は迫ってくるF1マシンの挙動を見守った。猛スピードで迫ってきたその機体は、俺の数メートル手前まで来ると、そこで突然ダウンフォースを失い、まるでバク転するかのように跳ねあがって、俺に飛び掛かってきた。

 プラチナ=フェザーの移動速度では、これをかわすことができない――。そう判断した俺は、その羽根に込めた魔力を解放した。足場にしたものを除く七枚の羽根から、一斉に魔法弾が放たれて、そのF1マシンを撃墜した。カーボンファイバーで作られた赤いパーツが、粉々になって辺りに飛び散った。


「むむむ、これでも駄目か」


「もう諦めろよ。プラチナ=フェザーを持った俺は無敵だぜ?」


「いや、まだ空を飛べるものは残っている」


 そして、上空からまた別の音が聞こえてきた。

 そこで聞こえるはずの無い音に、俺は驚き、そして狼狽えた。警笛だったのだ。空を見上げると、そこに現れたのは、電車だった。銀色の車体に緑のラインが入った、六両編成の列車が、何故か宙を飛んで、まっしぐらに俺に向かってきたのだ。


「列車だって空を飛ぶ」


「飛ばねえよ!! 何処から得た情報だ、それは!?」


「“銀河鉄道の夜”を読んだことが無いのか?」


「読んだけど! あれは創作だろ!? 察しろよ!!」


「読んでるなら話が早い。石炭袋で途中下車させてやる!」


 その異常な光景に、俺は固まった。そしてその判断の遅れゆえに、足元の羽根を動かすのが一手遅れてしまった。先頭車両は、もう目の前まで迫っていた。

 羽根で回避する暇が無く、俺はそのまま足場を捨てて地上へ飛び降りた。


「うおおおおお!!!」


 思わず叫び声が出る。逃げる俺の背中に、その車両の一部が僅かに擦ったのを感じた。

 地面に転げ落ち、素早く起き上がる。振り返ると、その先頭車両がアスファルトに突き刺さっていた。さらに後続の五両の客車が、どさどさと周囲に落ちてくる。正面からだと気付かなかったが、この車両はどうやら山手線で使われているものと同じものだったようだ。


 そこでふと、俺は何かが燃えるような、焦げ臭い匂いを感じた。


「……ん?」


 それに気付くと同時に、車両が光り輝いた。そして、次の瞬間、とてつもない衝撃波が俺の身体を襲った。


 ――爆発。


 車体が爆発したと知ったのは、俺が吹き飛ばされてから数秒後だった。俺は数メートル吹き飛ばされたものの、幸運にもゴミ捨て場に積まれた大量のゴミ袋の上に身体を預けることができたので、なんとか軽傷で済んだ。

 生ゴミにまみれて呆気に取られていると、また神様が語り掛けてきた。


「むう、最後の爆発までかわすとは……。できるようになったな、タカユキ」


「何で、電車が爆発すんだよ……?」


「“無人在来線爆弾”というやつだ。お前の国の軍隊の得意技だろう」


「あれは庵野秀明の創作だ! つーか、こっちの世界の作品に毒されすぎだろ!?」


 いくらブームになった作品とはいえ、例の怪獣映画で使用された創作武器を、どうして異世界の神が知っているのか。そして、一体どこからこれらの車体と爆薬を調達したのか。聞きたいことは山ほどあったが、俺が最も聞きたいことは、この襲撃がいつまで続くのかということだった。俺は身体についたゴミを払いながら、神様へ質問した。


「で? 次は何だ?」


「もう無い。電車で最後だ」


「は?」


 永遠に続くとばかり思っていた襲撃があっさりと終焉して意表を突かれた。神様の声が俺の左側から聞こえてきた。


「今日のために用意した分はもう尽きた。また明日な」


「明日もやるのかよ……」


 この神様はまだまだ諦めてくれそうにはない。もしや、これが毎朝繰り返されるのだろうか、と憂鬱になった。俺は一度、はあ、と溜息を吐いた。その時だ。


 真後ろから迫る存在を感じ、俺は振り向いた。そして目の前に現れたのは、一台のトラックだった。


「わああああ!???」


 慌てて道路の脇へと飛び込んだ。前転で受け身を取り、着地する。

 背後から現れたトラックは、そのまま直進して、電車の残骸に激しく衝突した。右側から神様の声がした。


「電車で最後、と言ったな。――あれは嘘だ」


 そして神様は「ふぉっふぉっふぉ」とそれっぽい笑い声を響かせた。俺は震えた。だが、それは恐怖ではない。怒りだ。怒りで震えたのだ。


「テメェ、今度会うことがあったら、絶対ぶっ殺してやる……」


「ほう、わしに会いたいか? なら今すぐ絶命するがよかろう。そうすれば、すぐにでも会えるぞ」


「行かねええ! 絶対に逝かねえぞ!!」


 そこで、俺はあることに気が付いた。


「んん?」


「どうした、タカユキ」


 今度は正面から聞こえた。これが俺の気付いたことだ。先刻から、神様の声の出所が安定しないのだ。右から聞こえてきたと思えば、次は左、さらには頭上だったり、真後ろだったりと……。そして今は正面から聞こえてきた。まるで神様が俺の周囲を移動しているような、そんな感覚がしていた。


「つか、さっきから声の出所が移動してる気がするんだが……」


「ぎくり」


「なんつー、分かりやすいリアクションだ……」


 神様の漏らした一言に、俺は確信した。これまでは虚空から響いていたように考えていた神様の声だったが、その発生源がどこかにあるのだ。しかもそれは、この世界で実体を持ち、どうやっているのかは分からないが、俺の周囲を移動している。


「近くに居るんだな!? そうだろ!?」


「さ、さあて、なんのことやら……?」


 声の出所は俺の右側に移動した。俺はその方向を素早く察知して、「そこだあ!!!」と叫び、一枚の羽根を飛ばした。

 羽根が電信柱に突き刺さり、びいん、とその白銀の軸を揺らした。


「……違ったか?」


 俺は一度周囲を見渡した。だが、その声の発信源らしき影はどこにも見えない。だが、そこで神様の声がまた響いた。


「くっ……、不覚! 足が……!」


 悔しそうに呟くその声は、先ほど俺が突き刺した電信柱の方から聞こえてきた。まさかと思い、俺はそこへ刺さったままの羽根へと歩み寄る。


「うん?」


 見ると、電信柱に突き刺した羽根の根元に、ジタバタともがく物体が絡みついていた。その足の一本が羽根の柄と電信柱の間に挟まれ、それを外そうと必死に動く小さな生物を見て、俺は首を傾げた。


「これは、もしかして、……ハエか?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る