第2話 隣の異世界は青く見える
少しだけ、昔の話をしよう。俺があっちの世界に居た時の話だ。
十六年前――、と言うと不適切かもしれないが、敢えてそう呼ばせてもらう。その時も、今回同様に2017年の夏の暑い日だった。俺はトラックに跳ねられて、一度死んだ。
死んだことを理解する間もなく、俺は真っ白な部屋に案内された。そこで俺は神様に出会ったのだ。純白の衣をまとい、白い髭を生やした、白髪の老人だった。俺はそれを見た瞬間、直感的に「嗚呼、神様だ」と感じた。どこからどう見ても、西洋神話に出てくる神様の姿そのものだったのだ。ご丁寧なことに、頭の上には光る輪っかも浮いていた。さらに、本人が「わしは神様じゃ」なんて言ったものだから、俺はそれを完全に信用した。今思い返せば、これほどステレオタイプな神様なんて、逆に怪しすぎるというものだが。
目の前に神様が居ることを理解した瞬間、俺は自分が死んだことも理解した。さすがに狼狽えて、しばらく神様と押し問答を繰り返したが、それでも最終的には俺は自分の死を受け入れた。一度受け入れてしまうと、あとは簡単だ。やけに冷静になり、「俺は天国に行くのですか? それとも地獄行きですか?」なんて質問を神様に投げかけると、全く想定外の答えが返ってきた。この時のことはよく覚えている。
「お前が今から行くところは、異世界じゃ」
「はい?」
「異世界に転生し、邪悪なドラゴン ディ=ヴァルトを打ち倒すのじゃ」
それだけ言われると、白い部屋の床にぽっかりと穴が開き、俺は奈落の底へと落とされた。落ちていく間、俺の悲鳴を上書きするかのように、神様の声が響いた。
「忘れるな。ディ=ヴァルトを殺すのだ。さすれば、元の世界に帰してやろう」
こうして俺は、異世界へと飛ばされた。
そこは天国か地獄かと聞かれると、間違いなく断言できる。そこは、地獄だった。
* * *
目が覚めた時、俺はナインツ大陸の最南端 要塞都市サタミーザの商人 エリック邸のベッドの上にいた。介抱してくれたその商人――エリック=ウルルの話によると、俺は街の郊外に全裸で倒れていたらしい。
今にして思うと、出だしから俺はつまづいていた。
俺がまだぼんやりとした頭のまま、「ディ=ヴァルトを倒したい」と言うと、それを気の毒に思ったのか、エリックは俺に服と食料を与えてくれた。そして、「こんなものでは竜を倒すには足りないかもしれないが」と添えて、短剣まで貰った。その時、俺はエリックのことを「なんて親切な人だ」なんて思ったものだ。
だが、俺がその世界の文字を読むことができない、と知るや、エリックの様子が一変した。
突然そわそわしだした彼が「この街では、住民以外が滞在するときに、書類にサインが必要なんだ」と言って、一枚の紙を手渡してきた。俺は言われるがままに、その書類にサインをしたのだが……、まさかそれが奴隷契約の誓約書だったなんて、知る由もなかった。
そこから先は、まさに地獄の日々だった。まずは、エリックの経営する鉱山で強制労働に就くこととなった。当然ながら、貰った短剣はすぐさま没収された。
それから六か月後、俺は同じ境遇の強制労働者たちを焚きつけることに成功し、その反乱のどさくさに紛れて鉱山から脱出することに成功した。だが、エリックは俺の脱走に気付き、反乱の首謀者として俺の首に三万ギルダンの賞金を懸けやがったのだ。
大陸中の賞金稼ぎが俺の命を狙ってきた。中でも厄介だったのが、アイシャ=カールトンだった。彼女は名うての賞金稼ぎであり、暗殺術や影魔法の使い手でもあった。さらに、一度狙った獲物は決して逃がさないという信条の下、俺を何度も何度も襲撃してきた。その執拗さに、俺は寝ることすらままならない日々を過ごした。
なんとかアイシャの手を逃れ、俺は東のフォーカーン大陸へと渡った。その大陸の内陸部にあるシマートンの街の外れで、とある魔女と出会ってしまい、また俺は捕らわれの身になってしまった。
その魔女の名は、ヴェルチェリナ=フィッツ=クレイザールといった。大陸を超えてもなお追ってくるアイシャの襲撃に憔悴しきっていた俺を屋敷に匿い、そして俺に古代の秘術の一つでもある
ある日、ちょっとした興味本位でプラチナ=フェザーを彼女の部屋に忍ばせた時、俺は真相を知ってしまった。一見、二十歳前後の若い女性に見えた彼女は、実際は百九十歳の老婆だったのだ。その若さの秘訣は、彼女だけがその製法を知っている秘薬によるものだ。そして、その秘薬の原料は、俺のように他の世界から来た“転生者”の生き血だったのである。思い返せば、時折「健康診断よ」なんて言われて血を抜かれたことが数度あった。
実は、俺以外にもこの世界に転生させられた人間は数名いたらしい。だが、そのすべてがヴェルチェリナによって体内の血を搾り取られ、その屋敷の裏庭にある墓地の地中深くに眠ることを余儀なくされていた。
全てを知った俺は、彼女から逃げ出そうとしたが、魔女はそれを許さなかった。一旦は屋敷を抜け出したものの、ヴェルチェリナの使い魔にあっさりと捕らえられ、俺は屋敷の地下牢で毎日のように血を少しずつ抜かれ続けるだけの日々を過ごしたのだった。
そして三か月後、皮肉にも、俺の命を狙うアイシャ=カールトンがヴェルチェリナの屋敷に殴り込んできたことで、俺は脱出の機会を得ることができた。そして、俺は這う這うの体で逃げ出し、北のホントゥール大陸へと渡った。
アイシャだけでなく、ヴェルチェリナもまた俺を執拗に追ってくるようになった。さらに新たな大陸で、俺はもう一人、厄介な追跡者を増やしてしまう。
その名は、ミオーネ=エルシュタインといった。俺が一晩だけ宿を借りた、オーザナ国の貴族 エルシュタイン家の一人娘である。
よりにもよって、俺が宿を借りた晩、その当主が何者かに惨殺されるという事件が起こってしまったのだ。そして、その家に仕える執事が、俺が主を殺した犯人だと騒ぎ立てた。まったくの冤罪だったが、必死の弁明も虚しく、裁判官からは有罪の判決を下された。俺は暫くの間投獄されることになった。
やがて、証拠が出そろうと、執事が真犯人だったと判明し、俺の無罪が証明された。無事に牢獄から解放されたまでは良かったのだが、問題はその当主の一人娘が、未だ俺が犯人だと信じて疑わないことだった。
やたら思い込みの激しい彼女は、父親の形見のレイピアを手に、俺に仇討ちの決闘を挑んできたのだ。プラチナ=フェザーの扱いにも慣れてきた頃だったので、俺は魔法を駆使して彼女の挑戦を跳ね返してやった。だが、まだ十三歳の少女の息の根を止めることは気がとがめたので、命までは奪わず、そのまま彼女に背を向けた。しかし、それが良くなかった。
アイシャ顔負けのプライドの高さとしつこさを併せ持ったミオーネは、俺の足跡を辿って後を追ってきたのだ。事ある度に彼女に決闘を挑まれ、俺は逃げるようにオーザナ国を後にした。だが、ミオーネは諦めることなく、国境を越えてまで俺の命を狙ってきた。さらには、どこで知り合ったのか、アイシャと結託して、共同で闇討ちを仕掛けてきたこともあった。あれは、今思い返しても背筋が凍るような夜だった。何故生き残れたのか、未だに不思議でならない。
散々な目に遭ったエピソードは他にも多々あるが、それはまた追々語るとしよう。とにかく、この三人の女たちが、俺が異世界に行きたくない最大の理由である。もしも、俺がまたあの世界に現れたと知れば、彼女らは喜び勇んで俺の首を獲りにやってくるだろう。
だからこそ、俺はこの世界で生き延びなければならないのだ。あの女たちに、二度と出くわさないためにも。
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