エピローグ

 日常は強固だ。

 どれほどの事件でも、一週間、二週間と時を重ねるだけで霞み、やがて消える。一ヶ月もすれば、ほとんど残ってはいない。残酷かもしれないその一面は、しかし正確な事実でもあった。

 長野原未散も、新しい学期を迎え、それに順応していった。

 何も変わらない日常は、窮屈で、それゆえに安定している。

 相変わらず、の一言に尽きてしまう。

 それはそれで平和なのだろうが。

 石川めぐみ達が引き起こした騒動も、すでに落ち着きを取り戻し、人々の記憶からも薄らいでいる。校内で自殺者を一人、自殺幇助の罪で逮捕者を四人、この高校から出したにもかかわらず、だ。

 苦笑するしかない。

 相も変わらず、海椙葵は鬱陶しかったし、お局嵯峨根の毒牙は健在だった。三木智文は気持ちがいいほどさわやかで、永田行雄は無表情だった。

 そして。

 都市伝説も相変わらずだった。

 今もなお、多くの生徒達によって、オカルトめいた噂話が飛び交っている。石川めぐみが現状を見れば、きっと満足することだろう。

「死んだ甲斐があったか? 馬鹿やろうが……」

 旧東体育倉庫に供えられている小さな花を見つめながら、未散は呟くように言った。

 この倉庫も、取り壊されることがつい先日決定した。

「呪いたければ、呪ってみろ」

 未散は口の端を上げならが、そんな軽口を叩く。

 腕時計を見ると、そろそろ昼休みが終わるころだった。両手を組んで伸ばし、軽くストレッチ。

 桜のやわらかな匂いが風に乗ってくる。短くした髪が頬を撫でた。

「あー、いたいた。先輩、探しましたよー」

 陽気な声とともに、海椙葵が笑顔を浮かべこちらにやってくる。

 未散は反射的に舌を鳴らしていた。

「何?」声も自然と不機嫌なものとなる。

「今度ですね、友達の別荘に遊びに行くことになったんですけど、先輩もどうですか」

「嫌」未散は即答し、校舎へと戻る。

「えー、行きましょうよー」

 彼女に付き合えば、ろくなことにならないとわかっている。それこそ、どんなオカルトよりも怖いものがあった。

 未散は肩を竦め、ため息を重ねる。

 それをきっと何度も続けることになるだろう。嫌というほど。

 人によって価値観は異なる。

 大切なものも、それを守るための代償も。

 大抵のものは、理解に苦しむものばかりだ。

 他人を理解することなど、簡単なことでは当然ないし、気軽に望むものでもない。

 譲れないものを持っている人間は、とても強い。特に、それが生きる意味になっているのなら、ほとんど敵無しだろう。

 未散にもそれはあった。いつだったか、どこかに落としてしまったけれど。

 だから。

 羨ましいのだ。

 掛け値無しに、譲れないものを持った人間が羨ましくてしょうがない。

 正体を頑なに守ろうとしたプロレスラー。

 贋作に真作以上の価値を見出した陶芸家。

 都市伝説のために自身の命を懸けた少女。

 思わず嫉妬してしまう。

 そして嫉妬している自分に、辟易するのだ。

 面倒な女だと、自分で呆れてしまう。

「それでですねー、今度の連休なんですけどー、朝の九時に集合でいいですか?」

「いつ行くことに決まったのよ」

「え?」海椙は不思議そうに目を丸くさせる。

「嫌。本当に嫌。絶対に嫌」

「いいじゃないですか。きっと、何らかのハプニングが私達を待ってますよ」

「わかってんのかよ」

 泣きたくなる未散だった。


 どんなことがあっても。

 どんな日常であっても。

 ニヒルに笑い、肩を竦める他ないのだろう。

 未散はもう少しだけそれを続けるだけだ。少なくとも、自分からやめることはないだろう。多少みっともなくとも、足掻けるだけ足掻こうと思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日常の価値は @wataringo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ