第6話
「だから何度も説明してるじゃないですか。まずわたしが突き飛ばされたんです。それで彼はそれを止めようと……」町長の部屋で集まった街の人を前に、わたしはバルクロックを弁護した。町長は片手を上げてわたしを制すると、
「解った解った。彼が君を守ろうとして向かっていったのは解る。だがね。限度というものがある。役場をめちゃくちゃにして、大怪我を負わせた。本来ならばそれだけで投獄だ」
「本来なら? あの男が何をやったか知っているでしょう? あの男は許されてなぜバルクロックは許されないんですか?」
「それとこれとは別問題だ」
「大体、獣人を街に入れることが間違いでした。彼らはすぐに犯罪に走ります。それはしっかりと確かめられていることではないですか」そう発言したのは、老婦人だ。ある程度の財産が有り、福祉団体に関わっている。いわゆる、地元の名士という人だ。そしてそれに偽りはない。心優しく、多くの人に慕われて。わたしがこの街に来てからも、事ある度に親切にしてくれた。でも、その優しさがバルクロックには向かないのだ。
わたしは胸が詰まった。嫌な奴、殴り飛ばしたい奴ならまだ良かった。善良で親切な人間が、バルクロックを追い詰めていくのを見るのは、耐え難い。
「ええ、婦人。でもいくら獣人に犯罪者が多いからと言って、何もしていないうちから排除するのは……」わたしはやんわりとした言葉で言う。
「いいえ、最初から全て締め出すべきでした。あんな獣がうろついていては街の子供は安心できません」
「その安心のために、彼の人生を犠牲にしろと? ほんの少しの人の気持ちを害するというただそれだけの理由で、彼は街に入れないっていうんですか?」
「安心を求めるのはわたし達の自然な気持ちでしょう?」老婦人はきっぱりと言った。
「自然な気持ちですって!? 安心だなんて、恐怖の裏返しじゃないですか。恐怖と向き合い乗り越えなければ、どこまで行っても終わりません。また次の何かを怖がるだけです。こんなことをいつまで続けるんですか? 自分の影に怯える子犬みたいに生きていくんですか? わたしたちは人間なんです。理性があるんです!」
「何かが起きたらあなたは責任を取れるのですか? 大体、あなたは女の子でしょう。いくら仕事とはいえ、彼と一緒にいるというだけで私は心配でたまらないのです。その気持ちもわかってほしいものです」
「わたしの性別はいま関係ないでしょう! それに彼はそんなに人間じゃ……」
「しかしだね。君。あの獣人は既に問題を起こしたのだぞ」町長がそう口を挟んだ。何も言い返せなかった。その通りだ。役場が壊滅したのは、変えられない事実だ。
「私は彼の街への立ち入りを禁止することを提案する。追放だ。他の町民から異論がなければそれでいく。いいかね?」わたしはうつむいた。街の人間でないわたしは、最終的に口を挟めない。不幸中の幸いと言うか、バルクロックが役人を傷つけた件に関してはわたしの主張が認められ、ただの喧嘩として処理された。ただ、壊した机はバルクロックが弁償しなければならない。
会合は終わり、皆が席を立った。さり際に老婦人は「これは差別ではなくて区別です。獣人と私たちは違うのだから」と言い訳のようにわざわざ言い残して去っていった。
「バルクロック、居るんでしょ?」二、三日して彼のねぐらを訪ねると、バルクロックは壁を向いて座っていた。もう日は落ちかけていて、焚き火の炎がぼんやりとねぐらを照らし出している。
しばらくどちらも口を開かなかった。しばらくして、バルクロックは「帰ってくれ」というと、両膝の間に頭を沈めた。
わたしは、バルクロックの隣に座り込むと、手短に会合で決まったことを伝えた。
「壊れたものは弁償しなきゃならないけれど、あの役人が先に手を出したこと、あなたがわたしを助けようとしてくれたことは、わたしが説明して分かってもらいました。だからバルクロック。大丈夫よ。貴方は悪くない」
「……嘘を言わないでくれ」暫く無言だったバルクロックが、唐突に口を開いた。
「え?」
「おまえが満足するためだけの優しさはもうたくさんだ。おれは悪くないって? そんなことはない。おれは悪い。おれは悪いから追放されて当然なんだ。それをごまかさないでくれ。そんなごまかしを優しさだと思っているなら、おまえのことを見損なったぞ」
「バルクロック、わたしの話を聞いて。バルクロック、今はまだあなたは受け入れられない。でも……でも、きっといつの日か、貴方が正しくなる日が来るはずよ。いろんなことが変わってきたじゃない。だから今は……」
「正しさだってッ!!」突然バルクロックがそう叫んで立ち上がった。その剣幕にわたしは言葉を失う。
「おれが悲しいのは、おれが苦しいのは。自分が正しいと思っているからじゃない。おれは間違っていて、正しいのは連中のほうだと、はっきりと解るからだ。ああ、そうだ。解ってしまうんだ。だからこそ、それがおれを苦しめる。
ちきしょうなんて言えばいいか解らない。この気持ちは正しさに踏みにじられた者にしかわかるまい。おまえだけには、正しさなんて言ってほしくなかった。それをおまえは……」今にも泣き出しそうな声だった。
「バルクロック、何を言っているの。あなたは……」
「なあ、おれは怖いか?」
「なんですって?」
「怖いかと聞いているんだッ!」
気がついた時には、わたしはバルクロックに押し倒されていた。顔のすぐ近くに狼と化したバルクロックの鼻先が来ている。バルクロックの爛々と燃える瞳がわたしの目を至近距離から睨みつけていて、思わず身を固くした。
「この姿を見ろ。これを見てもう一度言ってみろ。人に暴力を振るうのは正しいことなのか? 怒りに任せて人を殺すことは正しいことなのか? おれにだって解る。正しくない。何一つ正しくない。だが、おれはそれをやってしまうのだ。そんな人間は街から追放されて当然だ。そうだ、当然のことなんだ。おまえの感情で勝手に正当化するなっ! おまえが正しくなりたいためにおれを利用するなっ!」
その気迫に思わず目をつぶってしまう。
「おれはッ!!!! 俺はッ!!!」バルクロックはわたしの上から飛び退くと、仁王立ちで天を仰いだ。
「おれは正しくなりたかったんじゃないッ!!」バルクロックの絶叫が響いた。
「……ただ、そのままでいたかったんだ」少しの沈黙の後、そうぽつりとつぶやき、バルクロックは背中を向けて立ち去ろうとした。
「バルクロック待って!」わたしが思わず伸ばした手を振り払うと、バルクロックは瞬時に大きな狼になってねぐらを走り出していった。
わたしは急いで後を追うが、暗い荒野のどこにも彼の姿は見えなかった。
彼を探して荒野を彷徨いながら、彼の言葉を何度も思い出した。
「正しくなりたかったんじゃない」不器用な言い方だったけれど、彼が何を言いたいのか分かる気がした。
彼になんというべきだったか、彼はなんと言ってほしかったのか。頭の中で言葉がぐるぐると回り続ける。
いつのまにか月が出て、足元は明るかった。彼と一緒に歩いた荒野を今は一人で彷徨う。一人で歩くとこんなに心細いということに初めて気がついた。ただ、バルクロックに会いたいと思った。結局彼は見つからず、わたしはねぐらの近くまで戻ってきた。
泉のほとりに腰をおろし、水面に映る月を眺めた。
わたしはどうすればよかったのだろう。バルクロックはどうすればよかったのだろう。
あんなに感情的にならず、相手を糾弾していれば平和的に解決できたのだろうか。いわゆる大人の対応で、最初からあんな嫌がらせなんて見なかったことにすればよかったのだろうか。ただ結果として、バルクロックはわたしの為に戦って、そして彼は自分を正当化なんてしなかった。
気がついたら、月の光が滲んでいた。わたしは目をこする。ふと何かの気配がした。
「いるんでしょ。バルクロック」自然とそんな言葉が口から出た。
音もなく、一匹の獣が姿を表した。月明かりの下で、黒い毛並みがそこだけ新月の夜が来たみたいに沈んで見える。バルクロックだと、解った。
手を伸ばして、湿った鼻先に触れる。バルクロックは大人しく動こうとしない。
鼻すじを静かになでながら、わたしは言った。
「バルクロック、きいて」
バルクロックは静かにわたしの言葉を聞いている。
「バルクロック。わたしね。あなたを助けてあげようと思ってたのかもしれない。それは、心の何処かでそれが正しいことだと思っていたから。あなたは本当は正しい人間で、街の人はそれを分かっていない人間だって勝手に思ってた。でもそうじゃないのね。あなたは、たとえ正しくなかったとしても、そばに居てほしかったのね。
ねぇ、あなたの話を聞かせて。獣人でも、
狼の姿から人間の姿に彼は戻りつあった。服はどこかに落としてきたのだろう。月明かりの下に照らされた彼の裸体は彫刻のように美しく見えた。あまり見ないように気を使いながら、彼のそばに座り直した。
「――好きな子がいたんだ」しばらくの沈黙の後、唐突に彼はそう言った。
「昔、街に住んでたんだ。本当は、おれ
だから、家を出て、遠くのもっと大きな街に行った。
可愛い子だったよ。目は大きくて、声が可愛らしくて。おれと同じ獣人だったんだ」彼はそういうと、暫く言葉を切った。虫の声だけが響く。
「おれは、その子のためだったらなんでも出来ると思っていた。その子が世界で一番大切だったから、その子が悲しむようなことは存在しちゃいけないと思っていたんだ。
だから、その子がおれでない人と結婚することになっても、おれは幸せを祈るしか無かった。
ある日、その子が泣いているのを見た。何人もの人間の友達が彼女を慰めていた。おれは聞いた『なぜ泣いているの?』と。その子は答えた『結婚式ができないの』と」
「……獣人だから?」前に聞いたことがあった。宗教によっては、獣人の結婚を認めていないのだ。時代が移り変わり、書類上は獣人の結婚が認められるようになっても、儀式としての結婚式を認めない宗派はまだある。まだ、カビの生えた風習に固執する人は世の中にいるのだ。
バルクロックは静かに頷くと続けた。
「おれは聞いた。『なぜ、結婚式をしたいんだ?』と。『そんなくだらない連中は無視して、勝手に結婚を宣言すればいいじゃないか』その子は言った。
『それではだめなのです』『なぜだめなんだ。教会じゃなくていいだろう』彼女はただ悲しそうな顔で頭を振った。
おれはわからなかった。なぜその子が悲しんでいるのかがわからなかった。なぜ、おれたちを憎み、踏みつけ、救おうとしない存在に幸せを与えてもらわなければならないのかわからなかった。彼女の周りにいた人間は、おれに対して怒った。『彼女の気持ちが解らないなんてあなたは酷い人間だ』と。そう言われてもおれにはやっぱり何も解らなかった。でも彼女が悲しんでいることは解った。そのことがおれを動かした。
おれは教会を壊すことにした。彼女を苦しめるものを、この世界から消してやろうと思った。おれは次の日の朝、バールを手にすると、教会に向かった。ドアにバールを叩きつけると、鍵が壊れてドアが吹き飛んだ。青い顔をした司祭が飛んできて、何か言ってきたが、おれは無視した。左右に長椅子が並んだ通路の真ん中を、力任せにバールを振り回しながら、おれは吠えた。長椅子が木切れの破片となって飛び散った。説教台を引きずり倒し、蹴りを入れて、投げ飛ばした。人の頭より高く飛んで、乾いた音を立てて床の上でばらばらになった。祭壇にバールを打ち込み、引きずり倒した。
全部、何もかもぶち壊してやるとおれは心に決めていた。
『やめて!』と言う声がして、我に返った。めちゃくちゃになった教会には騒ぎを聞きつけた街の人が集まっていて、その中にその子が居た。
その子の目から溢れる涙を見た時、煮えたぎっていたおれの怒りがすうっと消えた。
街の人はおれをすごい形相で睨みつけて、なぜこんなことをしたのかと言った。おれは何も答えなかった。
「決まってるさ。こいつ嫉妬しているのさ。この子が結婚式をあげるこの教会を壊したくなったんだ」と誰かがいった。
「そうなのか?」とおれは聞いた。彼女の結婚式はここではあげられなかったはずだ。でも、彼女は頷いた。断片的に聞こえてきた話を聞くと、教会の中でも獣人の結婚を認める派閥と、そうでない派閥があり、彼女の処遇で揉めていたらしい。そして、つい昨日の晩、彼女と、彼女の支援者の訴えは教会を動かし、彼女の結婚式は認められたのだという。
ただ、おれだけがそれを知らなかった。
彼女は泣きながらおれに向かって言った。
「本当にそうなの? 本当にそうなのバルクロック。本当にわたしの結婚式を邪魔したかったの?」
おれはなにも答えなかった。胸の中がぐちゃぐちゃで何を言ったら良いかわからなかった。
ただ、一つはっきりとわかったことがある。彼女はあちらがわだった。
おれと彼女は違ったんだ。彼女には、結婚を誓った相手がいて、不条理に怒り、声を上げて行動してくれる友達がたくさんいた。おれにはそんな友達は一人も居なかった。人の気持ちがわからない獣人は、人の気持ちが解る人間の輪に入れてもらえないのが当然なんだ。おれは、何も答えないまま、バールを地面に落とした。カランと言う乾いた音が聖堂に響いた。そのまま出口に向かうと、街の人々は無言でおれの進路をあけた。
それで、そのまま街を出て、気がついたら爺ちゃんが暮らしていたここに戻ってきた。爺ちゃんは戻ってきたおれを何も言わずに受け入れて、それでずっとここに居る」
話し終えると、バルクロックは暫く無言でうつむいた。わたしは静かに彼の手を握った。
誰に聞かせるわけでもなく、彼はぽつりぽつりと続けた。
「なぜ、なぜ人と同じでなければならないのだ。なぜ与えてもらう幸せでないと幸せになれないのだ。おれは解らない。いや、それは嘘だ。おれも本当は人と同じになりたいと思っていたのだ。彼女の気持ちがわかることができればどれだけ良いだろう。おれだって正しくなりたかった。ただそれはおれにはできないんだ。なんどやっても、なんどやってもおれには獣の耳があって、それを変えることはできないんだ。あの子のように、愛され街で生きていくことができないのだ。おれは、贖いようのないぐらい狼なんだ。分かってくれだなんて思わない。認めてくれだなんて絶対にいうものか。
おれがもっとまともだったら、おれが普通だったら、普通に生きて、普通に笑って、普通に友だちができて、普通に恋をして、
……そして君を愛することだってできたのに!」最後の言葉を言い切った後、バルクロックは背を向けて、うずくまると、ただ「ごめん」と言った。
「なぜ謝るの」
「君に触れては行けなかった。君に出会ってはいけなかった。おれには人を愛することなどできやしないのだ」
わたしは、自然に彼を抱きしめていた。
「いいのよ。バルクロック。謝るのはわたしの方よ。バルクロック。わたしね。あなたのことを見てなかった。立派な理想や信念ばかりみて、目の前のあなたのことを見ていなかった。あなたの気持ちがわかるなんて大嘘をついていた。あなたの気持ちなんてわたしにはわかりはしないわ。わたしはあなたじゃないし、あなたはわたしじゃないもの。でも、解らなくても、あなたを尊重することはできる」
バルクロックは静かに泣いていた。わたしは彼の背中を優しく叩いた。
「バルクロック、もしよかったら、一緒に生きていきましょう。ここから離れて、別の所に行きましょう。大きな街にいって、そこで生きていきましょう。街の生活が合わないのだったら、別の土地で、
バルクロックは泣きながら、頷いた。わたしたちは手を繋いで、一緒に月明かりの下を帰った。
星が綺麗だった。何千年も昔から夜を飾る星たちの光に比べれば、人と獣の違いなど途端にくだらなく思えてきた。
理解できない。それが何だというのだろう。彼も、わたしも必死に生きて、そしてここに居る。ここで二人が手を繋いでいる。ただ、それだけでいいんだと思った。
ねぐらで目を覚ますと、バルクロックはもう目をさまして外に居た。わたしは布団から体を起こし、衣服を身につけると、乱れた髪を手ぐしで整えた。
彼の側に腰をおろして一緒に朝日を眺めた。温かい光の束が地平線からやってくるのを、目を閉じて感じた。頬を寄せ合い、二人でとりとめのない話をした。やがて、太陽が完全にその姿を地平線から表した時、バルクロックの耳がぴくりと動いた。
「どうしたの? バルクロック?」わたしが聞くと、バルクロックは真剣な顔をして街の方を見た。「悲鳴が聞こえた。街の方だ」
そして、遠くに何かを見つけたようで、途端に顔つきをかえると、「フォルトだ。街を襲っている」と言った。
わたしは理解した。理解すると同時にとても悲しくなった。思わず胸を抑えて泣きじゃくる。
「なぜ、泣くんだ」
「あなたは、いくのでしょう。わたしがとめてもいくのでしょう」
バルクロックは悲しそうに頷いた。
「バルクロック、あなたをあれほど憎んでいる街の人のために。あなたを追放した街の人のために、なぜあなたは戦うの。なぜあなたが傷つかなければならないの」
バルクロックは、わたしをそっと抱きしめると、囁いた。
「ごめん。でも行かせて。おれがおれであるために」
「わからない。わたしにはあなたの気持ちがわからない。でもあなたはそうきめたのね」
「わからなくていいんだよ」彼はそう言うと、わたしの目をしっかりと見て言った。
「好きだ。この大地の何よりも。君のことを理解できなくても、おれは君のことが大好きだ。どうか、元気で」
そういうと、彼は振り返り、狼になって駆け出していった。わたしは朝日の中で、ただ泣き続けていた。
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