第5話
ある日、わたしは街に戻り、大学からきた長々とした手紙に返信を書いていた。フォルトは想像以上に厄介な怪物であるらしい。手紙によると、フォルトが数百年前に出現して暴れた時の記録が見つかったそうだ。それによると、その時は集落がいくつも壊滅して、最終的に死んだフォルトは体長が大人の歩幅で五十歩幅もあったらしい。五十歩幅というと伝説のドラゴンにも匹敵する大きさだ。また同じことが起こるかもしれないということで、今、大学と政府が連携して討伐隊の組織を議論している所だと、手紙には書いてあった。
とりあえずこちらの現状の報告と、フォルトに関する調査をすすめておく旨をしるし、ペンを置いた所で、何やら口論が聞こえることに気がついた。
通りに出てみると、役場の前でバルクロックがあの役人と言い争っている。
「馬鹿にするなよ、これが違うものだなんて俺でも分かる」バルクロックは、なにやら紙を握りしめながら怒鳴っている。
「へえ、そうですか? 何を証拠に言ってんだか、この獣人は。どこに証拠があるんだ? ぜひともそれを読んで聞かせてくれないか?」役人が冷ややかに茶化すと、周囲の人がくすくすと笑う。
何があったのか、バルクロックに話しかけようとしたが、バルクロックの恐ろしい形相に思わず気圧されてタイミングが掴めない。
「お? やる気かこいつ? おいおい、ちょっと皆聞いてくれよ。こいつ今から暴力を振るうってよ!」役人はヘラヘラしながら、両手を固く握りしめたバルクロックを挑発する。
どうしたらいいか解らなかった。間に割って入り、バルクロックに味方してやりたいと思った。でもわたしの足は動かない。重苦しい時間の後、バルクロックは地面に握りしめていた紙を投げ捨てると、役人に背を向けた。
わたしとバルクロックの目があう。するとバルクロックははっとした顔になり、目をそらすと、逃げるように去ってしまった。
「おい、大事なもんなんだろ! 忘れてるぜ!」
わたしはバルクロックが捨てていった紙を拾い上げた。そしてくしゃくしゃになったそれを開いた時、憤りで顔から血の気が引くのが解った。
「ちょっと、なんなのよこれ」自分の声が震えているのが分かる。
役人はくだらない悪戯が見つかった子供のような気軽さで
「ああ、学者センセイですかい。いや、何あいつが感謝状を貰ったって言うんでね、ちょっとお借りしてたってわけですよ」
「それで、これを彼に返したの?」
「まずいことに感謝状を紛失してしまいましてねぇ。でもいいじゃないですか。アイツどうせ文字なんて読めないんだし」役人はさも面白い冗談のようにニヤニヤと笑いながらそう言った。
「……なさい」
「え?」
「謝りなさいっていってんのよっ!!!」自分でも驚くぐらいの声が出た。
バルクロックに返された手紙、それは当然、元のものとは違う。見た目も、そして内容も。書かれている言葉は、バルクロックを罵倒する言葉や卑猥な言葉。そんなものを適当に並べただけの内容だった。
「あやまりなさいよ彼に! そして彼に手紙を返すのよ!」わたしは声を張り上げて役人に詰め寄る。思わず後ずさりをする役人を追いかけて、わたしは役場の中に入る。あまりの怒りに耳が熱くなるのが解った。
「あなたは、救いようのない大馬鹿者よ。教育を受けて、教養を身に着けて、それでやることが教養のない人間を指差して笑うことだけなの?
だったら、そんな教養に一体何の意味があるの! それこそ本当の馬鹿じゃない」
気がついたときにはわたしの目から涙がこぼれてた。
「文字が読めるなら読めるで、なんでそれで彼を助けてあげないの。なぜそれを使ってやることが、彼の心を踏みにじることだけなの。そんなのひどすぎるわ。情けなさすぎるわ」
役人は困惑した顔をした。なぜわたしが怒っているのかもわからない顔だ。バカにして良いやつを楽しく笑ってたら、突然怒りをぶつけられて困っている。そんな顔だ。役場中の人間がわたし達を見ていた。
「返しなさいよ! あれは彼にとって大事なものなのよ! 返せって言ってんのよっ!」思わず男の二の腕を掴んで詰め寄る。だがそれが良くなかった。
「離せこの野郎!」振りほどかれた反動でわたしは尻もちをつく。目の前が一瞬白くなった後、側頭部に痛みが走った。壁に頭をぶつけたらしい。
「なんなんだよ。なんでお前怒ってんだよ。ただの冗談だろ。お前おかしいんじゃねえのか。ちょっとふざけただけだろ。優等生ぶって……」
役人がそういいかけた時、恐ろしい唸り声とともに何かが役場に飛び込んできた。
一瞬のことで黒い旋風にしか見えなかったそれは、地面で一度跳ねると、まっすぐに役人の懐に飛び込んだ。バルクロックだった。全身を毛が覆い、獣の姿になっている。怒りのあまり歯をガチガチとならし、瞳に憤怒の炎を宿しながら、バルクロックは役人に詰めよった。
「この人を泣かせたな。この人を傷つけたな。よくもこの人を踏みにじってくれたな」役人の胸ぐらを掴む。役人がひっと悲鳴を飲み込むのが聞こえた。バルクロックは役人の上半身を机に叩きつけた。バーンという乾いた音がして、机の足が折れた。役場中の人間が悲鳴を上げて、席を立ち逃げる。
「お前をさっき殴らなかったのは、この人に迷惑がかかると思ったからだ。だがお前はそれを」役人の鼻からどくどくと血が流れて、こぼれたインク壺の中のインクと混じり合った。
そのまま、小石でも投げるような動きで、バルクロックは役人を壁の棚に投げ飛ばした。役人は悲鳴と共に棚を真っ二つにし、棚の上の書類が雪崩を打って落ちる。バルクロックは、絶叫に似た叫び声を上げると、そばにある机を怒りに任せて蹴り飛ばした。重量感のある木製の机が、まるで空っぽの紙箱のように宙を舞った。
そして、呻いている役人を睨みつけると、進行方向にあるものを全て拳で叩き割り、爪で切り裂き、手のひらで突き飛ばしながら、まっすぐ駆け寄る。役人は腕を抑えて情けない叫び声を上げている。肘より先が変な方向に曲がっている。折れてるのだろう。
いけない。と直感が働いた。バルクロックは、間違いなく今からこの男を殺す。そう直感できるほどの剣幕だった。役人が恐怖の表情を浮かべる。
「バルクロックやめて!」思わず大声を上げた。
バルクロックははっとした顔で立ち止まると、わたしの方を見た。その瞳は先程までの怒りが嘘のように消え去っていて、ただ虚しさだけがそこにあった。
「バルクロック、そんなことをしないで。わたしは大丈夫だから」
バルクロックは、うつむいて少し押し黙ると、そのまま入ってきた時と同じ速度であっという間に役場を出ていった。
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