第3話

 まだ気温が低い午前の間に彼と連れ立って、街に帰った。歩けるようになったとは言っても、まだ本調子ではない。わたしは肩を貸すと二人三脚で、彼の示す方に荒野を歩いていった。

「あれは、フォルトだ」道中、ふとバルクロックが言った。

「フォルト?」

「じいちゃんが言ってた。数百年に一度目をさます生き物だ。あれが出てきたら、まだ子供のうちに殺さなければならない。でないと大きくなって手がつけられなくなる」

「聞いたことのない怪物だわ。未知の種かもしれない。もう、かなり大きくなっていたけれど、大丈夫かしら」

「まだ小さい。あれから際限なく大きくなるはずだ。あれを殺すのはドラゴンぐらいだ」

「ああ、またドラゴンの災厄ってわけね……」

「なあ、あんた」ふと、バルクロックがわたしの顔を覗き込んでいった。頬と頬がくっつきそうになるぐらい近い。

「なんで、ドラゴンをそんなに気にするんだ?」

 わたしは少し間を置くと、こう切り出した。

「わたしの曽祖父は、ドラゴンを殺した人なの」

「ドラゴンを? そりゃ凄いな」

「おじいちゃんの村は、昔からドラゴンの襲撃を受けていて、それでおじいちゃんの友達が立ち上がったの。おじいちゃんはその戦いに加わって、皆を集めて、ドラゴンを殺したんだって。それからおじいちゃんたちは大陸中を駆け巡ってドラゴンを倒し続けた。それで、ドラゴンは絶滅したの」

「英雄か」

「そう呼ぶ人もいるわ。聞いたことがあるでしょう。竜殺しの英雄。もっともそれはおじいちゃんの友達のことなんだけれど。

 おじいちゃんはそう呼ばれるのを嫌ってたわ。おじいちゃんは言っていた。ただ単に、人類がドラゴンとの生存競争に勝って彼らを絶滅させただけだって。わたしはまだ小さかったけれど、ドラゴンの骨を見る時のおじいちゃんの悲しそうな顔を覚えている。ドラゴンが居なくなったことで自然界のバランスが崩れると、おじいちゃんはそう考えてたの」

「ふうん……自然界のバランスか。聞いたことはあったけれどな」

「おじいちゃんの予想は正しかった。結局怪物の数が増えて、被害は深刻化した。それで怪物殺しモンスターハンターができたわけだけれど……」

「それで、ドラゴンをそんなに気にしているのか。なあ、もしドラゴンが生き残ってたら、どうするんだ?」


 わたしは慎重に言葉を選んで答えた。

「正直……解らない。今までわたしはドラゴンを保護するべきだと考えてた。本音を言えば今でもその気持はある。でも、あのフォルト……っていう生き物を見ると、考えが甘かったのかもしれない。ドラゴンは人の手におえるものじゃないわ。なんていうか、地震や大嵐を保護しようとするようなものなのかもしれない。ねぇ、バルクロック、あなたならどうする?」

「おれだったらか……おれ……もしドラゴンが人を襲うなら、戦いに行くと思う。それが怪物殺しモンスターハンターだから。どんな嫌な奴でも、どんな愚かな人間でも、怪物殺しモンスターハンターは人間を優先するんだ。おれはそう教えられてきたし、これからもそうするつもりだ。たとえそれが世界で最後のドラゴンでも、おれはその首に食らいつかねばならないんだ」

「そうね。バルクロック。貴方はきっとそうするでしょうね」


 街についたときは、もう日が落ちかけていた。傷だらけのわたし達に街の人は驚いたが、事情を説明して保護を求めた。立ち話をしながら宿に向かおうとすると、騒ぎを聞きつけてあの役人がやってきた。役人はじろりとわたし達を一瞥すると、突然バルクロックに歩み寄り、そして止める間もなく殴り飛ばした。


「おい、バルクロック、何をやったんだお前は!」

「何をするの! 彼は怪我をしているのよ!」突然のことで、何が起こったか解らなかった。

 バルクロックは地面に膝を突き、殴られた頬を手のひらで抑え、無言で役人を睨みつけた。


「いきなり何をするんですか! 彼はわたしを助けてくれたんです!」バルクロックと役人の間に割って入る。

「あんたを?」

「ええ、突然見たこともない怪物が襲ってきて……それで彼は傷を負ったんです。回復するのを待って二人で逃げてきました。それを急にあなたが……」

「そうか、俺はあんたがこいつに何かされたのとばかり。気をつけろよ。獣人は何をしてくるか解らないから」そういうと、役人はバルクロックを侮蔑を込めて睨みつけた。




「頭きた!」宿屋の部屋に入るなり、わたしはそう言った。

「そう、怒るなよ。いつものことだから」バルクロックはベッドに腰掛けて、うつむいたままそう呟いた。

「あなたは何も悪いことをしていないのに、まるで犯罪者みたい。誤解で人を殴っておいて謝りすらしないんだから。信じられない」

「ああいう人間はどこにでもいる。いちいち怒ってちゃ日が暮れる。明日になればおれは帰るよ」

「だめよ。まだ傷が癒えていないんだから」

「ここの人間はみんなおれが嫌いだ」そういうとバルクロックはベッドに上体を倒すと、寝返りをうって顔をそむけた。


 彼が横たわるベッドのシーツ代は別に取られた。獣人が触れた後のシーツは交換しなければならないと宿の主人が主張するためだ。それはおかしいのではないか、彼は何も不潔じゃないとわたしが言うと、宿の主人はすまなそうな表情を浮かべて

「ええ、でも気にするお客様がいらっしゃるのです。私どもも商売でして」と言った。わたしはそれ以上抗議するのをやめることにした。正直言えば何時間でも食い下がりたかったけれど、宿の主人の卑屈な顔を見ていると、これ以上言っても何にもならないことを悟った。

 信念や主義主張があって、獣人を敵視しているじゃない。ただたんに商売の邪魔だからという簡単な理屈で、簡単であるが故にどうしようもない。


「この街はおれのために出来ているわけじゃない。それはわかってる。でも仕方ないんだ。おれの仲間は色々と問題を起こしているから。それは本当だ」

「それはおかしいわ。バルクロック。いくら獣人に悪い人が多いからと言って、あなたは違うわ。あなたは何もしていないじゃない。本当のあなたを誰もしらないだけよ」

「『本当の自分』か。いい言葉だ。でも、あんたはおれの何を知っている?」バルクロックはゆっくりと上体を起こしてわたしを見つめた。


「あんたのような人間はいつもこういうさ『本当のあなた』は素晴らしいと。そして心からそれを信じている。でもね、本当の自分が、狂おしく、下劣で、暴力的だったら、一体どうすればいい?」

 そう語りながら、バルクロックは静かに姿を変えていった。鼻先が伸び、顔に毛が生え、牙が伸び、獣になっていく。狼の目がわたしを見据える。一瞬、わたしは身をこわばらせた。あのフォルトという怪物に睨まれた時と同じ感覚がした。ただ、目と目が合っただけで、彼とわたしは違うのだとはっきりと解った。


 バルクロックの戦いを思い出す。唸り声を上げて喰らい合う二匹の怪物を。彼が本気を出せば、わたしは簡単に死ぬだろう。彼の牙がわたしの喉をくいやぶり、彼の爪はわたしの皮膚を切り裂くだろう。


 手汗がじんわりと出てきた。バルクロックは、それを感じ取ったのかは解らないが、少し悲しそうな目になり、「早く出ていった方がいい。噂になると、困るのはあんただろ」とだけ言うと、視線をそらした。

 わたしは何も言えずに、部屋を出た。閉まるドアの向こうで「ごめん。ありがとう」と言う声が静かに聞こえた。

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