第三話 冥府大戦(1)イザナミ事変




 ★


 01 イザナミ事変~水都の冬~



 肌寒い風が吹き始める頃である。

 ここは旧大阪地区・水都。反アマテラス同盟の基地の一室である。雨宮深雪が応接室へ入ろうとしたところ、めいっぱい主張しようとしている少女の声が聞こえた。どうやら声の主は、緋菜のようである。



「だからあ、僕、本当に見たんだよ!」

「お前なー。酔ってたんじゃねえの?」

「僕は蒼人くんと違って、お酒はたしなまないよっ!」

「じゃあ寝ぼけたんだな。緋菜には、その方がお似合いだ」

「もーっ、蒼人くんっ」

 逆井蒼人は幼馴染みの緋菜の話を聞くなり、一笑に付したのである。

「どうしたんだい、緋菜ちゃん」

 この同盟の盟主である深雪が、扉を開けた。。深雪は応接室に入ると、中央に据えられたテーブルを囲む椅子に一つに座る。椅子は五つあり、深雪の左側と右側に、蒼人と緋菜が座っている。

「盟主っ! 聞いて下さいっ! 僕、団子屋の峰吉さんに会ったんですよっ!」



「団子屋の峰吉?」

 深雪が首を傾げて鸚鵡返しにした。

 知っている人物だが、峰吉といえば・・・・・・。

「だーから。緋菜は夢でも見たんだよ! でなきゃ幽霊か!? 峰吉がいるわけねえだろ。いいとこ、よく似た他人だろ」

「もう、蒼人くん、ぜんぜん信じてくれないっ!」

「だってよー」

 峰吉は気のいい団子屋の店員だったが、先日、流行り病で亡くなったばかりだ。同盟のメンバーたちにとっても馴染みの店の店員で、葬儀にも揃って参列した。皆で、彼の死を悼んだことは記憶に新しい。

 その峰吉に、緋菜は会ったという。




 それは昨夜の出来事だった。

 瀟洒な紅煉瓦の敷かれた水都の南通りだった。買い物に出ていた緋菜は、人通りがふと途絶えたことに気がつき、足を止めた。その時、足早に緋菜を追い越していった男がいたのである。振り向きざまに相手の横顔が見えた。それは峰吉に間違いなく、緋菜は思わず声をかけようとした。そして、峰吉がもう、この世の人ではない事を思い出したのである。峰吉は颯爽とした足取りで、見慣れた小袖姿に帯を締め、通りを闊歩し、やがて見えなくなってしまったという。

「峰吉さん! って呼んでみたんだけど、止まってくれなくってね。僕は峰吉さんを見失っちゃったんだ」

 緋菜はそこまで告げると、伏せていた顔を上げた。



「それ、他人のそら似だろ。だからお前が呼んでも答えなかったんだって」

 蒼人はにべもない。しかし緋菜も譲ろうとしない。

「すぐ近くを通ったんだよ!? しかも着物も同じだったし横からだったけど顔もみた! 峰吉さんに間違いないよっ!」

 そこまで告げるなり、緋菜は深雪の方へ視線を向ける。

「盟主っ! 盟主は信じてくれますよね!? なにか、流行り病でなくなった方が、この世に戻ってこれるような、そんなこともあるんですよね!?」

 一応は『神様』である深雪に、緋菜は一縷の望みを託したようである。

 深雪は唸ってしまう。

「うーん、そうだねえ・・・・・・」

「盟主ーっ」

「ねえんだろ。深雪、はっきり言ってやれ、言ってやれ」

「いや、なくもないんだよ。そういった黄泉がえりと言われる類のことは」

 深雪の言葉を聞いた途端、緋菜が顔を輝かせる。その横で、蒼人は胡乱げに眉をひそませている。

「自然の理に反すること。といっても、僕は黄泉の国へ行けるから。でも、黄泉平坂を通った人間が、最近こっちに戻ってきたという話は聞かないんだけど」

「つまり、お前は、あの世とこの世を行き来できるのか・・・・・・」

「まあね」

 太陽神アマテラスを身に宿して生まれた深雪は、こともなげに頷いた。蒼人は眉根を寄せている。

「僕にはできる。スサノオと、こないだのツクヨミにも可能だろうね。僕ら姉弟くらいの力なら、そう難しいことでもないんだ。だが死んだはずの峰吉が生きていたというのは、話が別だよ。普通の人間だけなら黄泉との往来ができるわけがない」



 しかし緋菜は目を輝かせて言い募った。

「でもさ盟主、たとえばツクヨミとかが手を貸したら、人間にも黄泉との往来ができるの?」

 深雪は思案げに答える。

「といってもねえ。ツクヨミは僕が勾玉に封印して移動させただろ? あれは黄泉とはまた別の場所で、そう簡単には出られないんだ。ツクヨミが脱走したとも聞かないし、奴は関係ないと思う」

「じゃあさ、スサノオは!? スサノオだって行き来できるんでしょ!」

 緋菜は無邪気に言ってのける。蒼人が目を剥いて自分の背中の鞘に納めてある剣を引き抜いた。




「おいおい、スサノオ。おまえ、まさか・・・・・・」

 剣から低い声が響く。姿は見せようとしないが、スサノオの声である。

「私ではない。そもそも、可能ではあるものの黄泉と現世の往来は禁じられた行為だ。断じて、そのような真似はしていない」

 スサノオが苦い顔で言うと、深雪は肩をすくめた。

「弟はこう言ってるねえ。もちろん僕でもないよ。でも緋菜ちゃん、蒼人くんの言う通り、よく似た別人だったって可能性もあるよ。だから、ちょっと考えすぎじゃないかなあ。きっと見間違えたんだよ」

 深雪が柔和な顔で告げると、緋菜は不満げに声を荒げた。

「えーっ、盟主までっ!」

「ほら見ろっ」

「ほらほら、二人とも、そろそろ通常業務の時間だよ」

 深雪が笑いながら、緋菜と蒼人に都の見回りの時刻だと告げる。

「はあーい。あーあ」

 冬の一日が始まったばかりの午前である。反アマテラス同盟の面々はいつも通りの平穏な日々を過ごしていた。



 ★ ★



 02  死者帰還



 それから数刻後のことである。

 蒼人と緋菜は、水都を巡回し、大事がないか調べていた。幾つもの橋を渡り、土佐堀川沿いに西へ下り、同盟の基地へ戻ろうとした時、数名の女たちが寄り集まっているのが見えた。

 皆、一様に怯えたような表情をしている。娘たちに何かあったのかと、蒼人と緋菜は彼女たちに声をかける。



「よっ。時子ちゃん達じゃないか。どうかしたか」

「あ、反アマ同盟さんたち。ご苦労さまです。緋菜ちゃんも蒼人さんもお久しぶりです!」

 答えたのは酒屋の看板娘である時子である。時子と友人たちに話を聞いてみると、水都に異変が生じているという。

「あの、蒼人さん。こんなことを言っても信じてくれないかもしれませんが・・・・・・。黄泉平坂を通って、亡くなった方々が現世に戻って来てるっていうんです」

「え?」

 蒼人と緋菜は顔を見合わせる。やはり、峰吉のような死者を見かけた者が、緋菜の他にもいるのだろうか。

「八百屋の綾香ちゃんなんですけど、亡くなったお姉さんに会ったっていうんです」



 時子の声に重ねるようにして、別の娘が声を上げた。

「それだけじゃないんですよ! あたしのお向かいのお爺さんも、亡くなったお婆さんが家に来たって言ってます。みんな、一晩くらいで消えてしまうらしいんですけど・・・・・・」

「あたしの語学校の先生も見たっていってます!」

「・・・・・・ね。この水都の雑踏にまぎれて、たくさんの死者が帰って来てるって」

 娘たちは囁き合いながら口々に言い募っている。

「ほら、蒼人くん!」

 緋菜が蒼人の腕を掴んだ。蒼人は両腕を組んで唸り声をあげる。



 どういうことなのか、蒼人には掴めないものの、何がしかの異変が都を覆っているのは確かであるらしい。蒼人はさらに詳しく調査しようと、娘たちに詳しい話を聞くことにした。

 それによると、どの事例でも時刻は夕刻。亡くなった筈の人間が親しい者のいる場所を尋ねてきたり、都を歩いているのが目撃されたりしたらしい。およそ十件近く、同じような事が、この数日間で起こったそうだ。

 尋ねてこられた方は皆、驚きつつ死者を迎え入れたらしい。留めようとした者も少なくないそうだが、死者たちは明け方には去ってしまっていたという。

 死者たちは皆、生前、親しかった者たちに『一緒に来ないか』と持ちかけたそうだ。

 蒼人は真顔になって娘たちの話に耳を傾ける。

「みんな親しかった人ばかりで、間違えるなんてあるわけない。本当の黄泉返りだったって」

「『一緒に来ないか』ってのは何だよ。ついて行ったら死んじまうなんて事はないだろうな」

「・・・・・・それは」

 口篭る時子に、蒼人はさらに問いかける。

「でも、何だって一晩で消えちまうんだ?」

「それも解らないけど・・・・・・」

 時子が困惑した様子で告げると、蒼人は彼女を安心させるように豪快な笑みを浮かべた。

 死者が『一緒に来い』と親しかった者に告げるというのが引っかかった。やはり、この件は調べてみるべきだと蒼人は決意を固める。

「よし、わかった。その件、反アマテラス同盟で調べてみるぜ。調査結果がいつになるかは解らねえけど、何か解ったら知らせてやるよ」


「ありがとう!」

 顔馴染みの娘たちに口々に礼を言われ、蒼人がまんざらでもない様子である。そんな姿を横目で見ながら、珍しく緋菜が不機嫌そうに唇を尖らせていたのだった。


 ★ ★



「なるほどね」

 さらに数刻後の、反アマテラス同盟の基地の応接室である。戻ってきた蒼人と緋菜から事情を聞くなり、深雪は眉間に皺を刻ませる。

「解った。僕の方でも調べてみるから、君たちは現世の人間たちへの聞き込みを詳しく進めておいて」

「おう」

「盟主は、どこを調べるの?」

 無邪気な緋菜の質問を、深雪は笑顔でかわした。蒼人が目を細めている。

 もちろん深雪が調べるのは、現世ではない場所の方である。

「まあまあ。じゃあ、二日間ほど別行動をしよう。明後日の昼に、ここに集合。そこで、持ち寄った情報を確認しあおう」

「うんっ!」

 はぐらかされた自覚のない緋菜が元気に返事する。蒼人も渋々といった顔ながら答えた。



「じゃあ、明後日」

「おう」

「はいっ、盟主!」

「二人とも、気をつけて」

 蒼人たちに告げて応接室を出た後、深雪は真顔になって基地の中を歩き続ける。洋館の二階に昇り、自室へと足を踏み入れる。

 事はそう単純ではないかもしれないという予感を覚えていた。


  

 ★ ★


 そして二日後である。深雪はひとしきり調査を終えて、応接室のテーブルで書き物をしていた。

 すぐ脇には琥珀が佇み、腕を組んでいる。

「ねえ琥珀」

「はい?」

 深雪は一応、都の繁華街にも足を延ばしてみた。結論から言うと、あえて調べるまでもないほど、水都中が蘇る死者たちの話題で持ちきりとなっていた。死したつれあいや親兄弟が戻って来れるかもしれないと、幾ばくかの期待とない交ぜになった熱狂が、都を包んでいるのである。

 中には後ろ暗いところのある連中による、戻ってきて貰っては困る死者への懸念もあったが、幸いというか、そう多くはない。それらは、感傷まじりの死者への哀惜の念にかき消されそうになっていた。


「君にもいる? 蘇ってきて貰いたい人が」

 都では俄に死者を迎え入れたがるものと、それに反する者たちで議論が取り交わされることも多い。

「倫理に反してでも帰ってきてほしいと思う者ですか。一族の皆については、そう思わないことなどありません」

「ごめん。愚問だったね」

 深雪は素直に頭を下げる。琥珀は優しげな目になっている。

「深雪さんが亡くなられても同じことですよ。どんな理に反しても、戻って来て下されば喜びます」

「それは嬉しいな」

 深雪も屈託のない様子で笑う。

「まあ、僕の方は暫く現世にいる予定だけどね」

「しかし油断はなさらないで下さいね。あなたの力も立場も、どこから狙われても不思議のないものばかりですから」

「勿論。黄泉に繋がれるのは御免さ。あそこは空気が澱んでいてね・・・・・・。僕は黄泉と現世を往復できるけれど、ここに戻れないとなったら、どんなに辛いだろう」

「はい。戻って来て下さい」

「うん。君もいるしね」

 深雪は笑い返し、椅子から立ち上がって窓の外を見つめた。もし琥珀がいなければ、ここまで人間に好意的なままではいられなかったかもしれないと、深雪は思う。




「ところで、黄泉なんだけど。僕ら兄弟の他にも、黄泉と現世を思い通りに行き来できる神がいるとしたら・・・・・・」

「心あたりがあるのですね?」

「君も会ったことがある奴だよ。イザナミだ」

「・・・・・・昔、一度だけ遭遇しましたね」

 深雪は深く頷き、言葉を継いだ。

「僕の母親にあたる神だ。・・・・・・といっても育てられた記憶はとうに無いし、スサノオほど身内という気持ちはなかったりするんだけれど」

「しかし親は親ですよ」

「まあ、そうなんだけどね」



 イザナミ・イザナギといえばアマテラスの両親である。死して黄泉の国へ連れて行かれたイザナミを連れ戻すために、かつてイザナギは黄泉と呼ばれる冥府へと向かった。しかし、連れて帰ろうとしたイザナギは、約束を破って背後のイザナミの方を振り向いてしまう。するとイザナミの姿は紛れもない死者のものであり、イザナギは恐怖のあまり逃げ出したという。

「結局それから両親は和解していないみたいなんだけどね。ただ後日、黄泉を往来できる力を得ることはできたんだ。だからイザナミだったら、他者を冥府から、この現世に戻すこともできるかもしれないと思って」

 母は悲嘆に暮れていたが、それだけの女ではなかったために、冥府の王を手なずけて強大な力を授かったという。

「しかし、仮にそうだとしても、イザナミの目的がわかりませんね」

 琥珀が神妙さを帯びた声音で述べた。

「うん。そうなんだ。それを今から調べなきゃならないみたいだね・・・・・・」

「どのような手段を用いるつもりなのですか? 深雪さん」

「・・・・・・それはさ」

 深雪は殊更に声をひそめると、琥珀の耳元に唇を近づける。



「冥府へ行こうと思うんだ」

 それを聞いた途端、琥珀は眉間に皺を寄せて沈黙してしまう。暫く時間が流れてから、彼女は口を切った。

「しかし、深雪さん。その場合は、あなたお一人でですか?」

 ばつが悪そうな顔で深雪が続ける。

「うーん。君が居てくれると助かるけど、場所が冥府じゃあ。ええと」

「また私は不参加ですか」

「ちょっとちょっと、拗ねないでよ。場合が場合だしさ」

「理解しております。私の立場で申せることなどございません。冥府には辿りつけても帰れない身でありますから」

 深雪は慌てたように告げる。

「ちょっとね。いくら僕でもね、人間である君を自由に冥府に連れて行って、また戻すことは、その、倫理的にできかねるっていうか」

「物理的には可能なのですか?」

「まあまあ、それはいいじゃない」

 はぐらかしながら深雪はテーブルの上に肘を突く。目の前に置かれた緑茶はすっかり冷えきっている。



「深雪さんをお守りできないことが悔しいです」

「うん。ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ。感謝してる」

 深雪が微笑を湛えている。

 深雪にしてみれば、琥珀を冥府に連れて行きたくないのだ。現世での戦いとは別の危険が多すぎる。やはり琥珀の身の安全を思えば、今度も連れていける域を超えていると判断せざるをえないだろう。

 何かあったら取り返しがつかない。もちろん緋菜も、どれほど強くても今度も連れて行けない。大之木を庇う余裕もないだろうし、桜には、ここの留守を守って貰いたい。

 そう考えると、おのずと深雪の中で同行者は決まっていくのだった。選択の余地はなかった。

「じゃあ、蒼人くんを呼ぶね」

「・・・・・・仕方ありませんね」

「ごめん」

「謝って頂く必要はありません。ただ、ご無事で」

「うん」

 深雪は頬を綻ばせる。琥珀は、深雪の身を案じて祈りを捧げている。

 しばらく正面から互いに視線を向ける二人の間に、荒々しい声が響き渡る。




「何だ何だ、時間より少し早く着いてみれば! お前らなあ、ここは同盟の応接室。いわば公共の場所だぜ!」

 蒼人が呆れたように琥珀と深雪を見やっている。琥珀はすかさず深雪から離れると、一礼して応接室を出て行ってしまった。

「お二人とも、ご無事で」

 という一言だけを残して。

 深雪は小さく手を振り、鉄扉の向こう側に消えた琥珀を見送った。



 蒼人は呆れ顔のままである。しかし深雪の真向かいの椅子に腰かけるなり、本題に入る。

「おい深雪。で、どうすんだよ。俺は緋菜と桜を宥めてきたぜ」

 深雪は相好を崩した。

「さすが、蒼人くん。わかってるねえ」

「うるせえ。今回のヤバさは、どう考えても格別だからな」

 この蒼人の言いぐさに、深雪は深く頷いた。

「そうなんだよね。何といっても、行き先は黄泉だ。冥府ともいう、死者の行く国だから」

 それを聞くなり蒼人が嘆息する。ことの厄介さを改めて実感したようである。

「しょーがねーな」

 蒼人は背中に背負ったスサノオの柄を握ると、すかさず鞘から剣を引き抜く。


「行ってやるよ。黄泉だか冥府だかって場所に。面白え。一回、行ってみたいと思ってたんだよ、死者の行く国ってところに」

 なぜか期待の色を含んで爛々と光る蒼人の瞳を見て、深雪が釘をさした。

「言っておくけど、蒼人くん。帰ってこれなくなったなんて事のないように」

「帰ってこれなくなったら、どうなるんだよ」

「この現世の感覚では、死んじゃったって事になっちゃうんじゃない? 向こうでの君の意識なんかは生きてるんだけど」

 蒼人は慌てて声を荒げる。

「待て、待て。こっちじゃ死んでるって。それじゃ・・・・・・」

「緋菜ちゃんにも、桜ちゃんにも会えなくなるもんね。大問題だよね」

「だ、誰がそんな事を言った!」

「違うの? いいねえ両手に花だね」

 蒼人が更に慌てた素振りになる。

「ちょ、待て! 両手に花とかじゃなくて!」

「罪だね。無邪気な黄色い幼花と、凛々しくも女性らしくてか弱い花ってとこかな? 僕は二輪の花を摘みたい気持ちは解らないけど、君はいいなあとかは思わないでもないね」

「何をぺらぺらと・・・・・。おい、今はそんな話をしてる場合じゃ」

 桜と緋菜を両方とも、何となくぬるま湯のように近くに置いていることを指摘されると蒼人は慌てる。そのため、深雪は時々、からかってしまう。いささか悪趣味ながら、見ていて楽しいからだった。


「そうだったね。本題に入ろう。ええと、スサノオと僕は、普通に冥府に入れるんだよ。スサノオが持ち主として認めてる君も行ける。だから自ずと冥府へは僕ら二人で行くことになる」



 先刻までより神妙さを帯びた深雪の声を聞くがいなや、蒼人も真顔になる。

「冥府への旅か・・・・・・」

 深雪は頷いた。

「そう。行ってみれば、思うほど怖い場所じゃないよ。ただ、人間は普通なら帰れないってだけで」

「・・・・・・怖がってねえって」

「まあ、僕とスサノオが一緒にいれば大丈夫だよ」

「今回ばかりは信じるぜ、お前らを・・・・・・」

「ふふ。君の生殺与奪権を握るって、悪い気分じゃないね」


 その深雪の言葉を聞いた途端、蒼人の眉間の皺がいっそう深くなってしまった。

「だから、お前は信用ならねーって言うんだ!」 

「やだなあ。冗談、冗談」

「今回は冗談になってねー!」

 こうして蒼人と深雪は、冥府への旅支度をすることになったのだった。



 ★ ★



 03  TO  HELL


 さらに翌日のことである。思い立ったが吉日とばかりに、二人は早々に出立することにした。

 背中に背負った蒼人の風呂敷の中には、飲み物とわずかな食糧。それから幾ばくかの武器と着替えが包まれている。その風呂敷に、もちろんスサノオを差し挟んで背中にかける。

 反アマテラス同盟の基地の、玄関部分である。

 深雪は普段の洋装でも着流しではなく、なぜか小袖と裁着袴に羽織姿で、草履を履いている。聞いてみると、理由は意外なものだった。

「冥府は、凄く服が汚れるんだよね。あれ、何だろう。不浄っていうんじゃないけど、魂の破片が散らばっていて、僕について来ようとしちゃうんだよ。だから洋服じゃなくて、冥府用の和装に着替えてきたんだ」

「そんな理由かよ・・・・・・」

 蒼人がぼやいて続ける。

「その魂の破片からすると、お前って誘蛾灯みたいな存在なのかもな」

「そのたとえはちょっとねえ」

 深雪は首を捻ってしまう。



「でも元は人間の魂だったものなんだよな? じゃあ、俺は別に怖くはないな」

「・・・・・・まあね。人間以外の、動物や虫の魂もたくさんいるよ」

 深雪の言葉に、蒼人は少し黙考してから言い募る。

「そういうものは、現世にもたくさんいる。それなら大丈夫そうだ」

「・・・・・・そうだね」

 くすりと微笑して、深雪は蒼人を冥府への旅路につかせたのだった。

 まず蒼人を横たわらせて目を瞑らせる。そして深雪が隣に並び、瞼を閉じて祝詞を唱える。すると二人の魂は肉体を抜け出て、現世から冥府へと繋がる穴の入り口へと移動したのだった。




 ★ ★


 目を開くと、薄闇が漂う場所に出ていた。深雪は頭を掻きながら、蒼人が近くにいるのかを確認する。

 自分の背後に長身の姿を認めて、深雪は声をかけた。蒼人は意識を失っているようだ。

「蒼人くん、行くよ。大丈夫?」

「・・・・・・んー」



「ちょっと寝ないでよね。黄泉に行くんでしょ」

「あ!?」

 ようやく覚醒したらしく、蒼人が大声を出した。そして闇の中に佇む自分の状況を思い出したらしい。

「うわっ! ここが冥府かよ!?」

 これには深雪が呆れてしまう。

「まだ冥府についてないよ。これから、歩いて行かなきゃならないんだから」

「徒歩?」

「そう」

 深雪は、地面に視線を巡らせながら頷いた。地面は何の変哲もない土が続いており、ただの洞穴のような場所だ。穴は遠くまで続いており、その奥は暗がりになっていて見えない。足裏は柔らかく、踏みしめると僅かに沈むような感覚がある。不思議と澄んだ空気の漂う場所だった。



「さ、行こうよ」

「おう・・・・・・」

 深雪は蒼人を促すようにして歩き出した。

 深雪にとっては慣れた場所だが、もちろん蒼人は恐る恐る足を踏み出している。立ちこめる清浄な空気がかえって緊張感を漲らせるのか、蒼人は不安げな顔をしている。

「大丈夫だよ」

「別に、俺は・・・・・・」

「今回の騒動の謎をといて、解決するんでしょ?」

「も、もちろんだろ!?」

「ただ死者が帰ってくるだけ、なんてことがあるわけがない。そこには何者かの恣意的な行動があると見るべきだ。何が目的なのか。水都をどうするつもりなのか。僕らは知らなきゃならない。人間を守るのが、僕の役目だから」

 真顔で告げる深雪を、蒼人が黙って見つめていた。



 水滴が落ちるような音が響いてきたのは、その直後だった。

「何だ、あの音」

「もう少し先まで歩いてみよう。見えるから」

「見える?」

 蒼人は深雪に遅れを取らないように懸命に歩いているようだ。この独特な空間にもようやく慣れてきたようである。スサノオは無言だが、彼にとっても既知の場所なので、平然としている。

「ほら。泉があるんだ」

「・・・・・・うわ」

 洞穴の中は不思議と仄明るいので、周囲が見える。光が射しているわけではないのだが、完全なる闇にはならないのだ。そんな中、穴の片側に、どこからともなく湧き出る泉が湛えられている。蒼人が息を呑んだ。

「どっから水が来てるんだ?」

「さあね。これは、清めの水さ。ここで手を洗ったら、先へ行けるよ」

「へえ」

 蒼人は、むしろ楽しそうに泉の水で手を洗い出した。深雪も同様にする。スサノオには、一滴だけ垂らしてやった。

「よし。先に行こうぜ」

 いよいよ慣れて余裕が出てきたらしく、蒼人が緊張感が消えた口調になっている。深雪は苦笑しつつ頷いた。

「うん。もうすぐ冥府に着くよ」

「おう」



 冥府というのは、人ならざる者たちの集う村のような場所だ。最奥部に冥府を司る王がおり、その周りに神々や妖鬼の住み処が点在している。森に不可思議な植物が密集しているかと思えば、沸騰して赤く染まっている池もある。森の中には無数の妖鬼がいるらしく、深雪は蒼人に足を踏み入れないように念を押した。

「あの森は魂の欠片を養分にして育つ。うかうかしてると森に取り込まれて出て来れなくなるからね」

「へーへー・・・・・・」

 蒼人はいささか恐怖を湛えた眼差で、生い茂る森に視線を送った。

「ところで冥府の王というのはアマテラスの亡き父のことだよ。つまりイザナギだった」

「亡くなったのか。その後は?」

「いちおう、後継者がいるんだけど・・・・・・。ちょっと事情があってね・・・・・・」



 深雪は当然ながら、冥府でも一目置かれている。すれ違う神々や妖鬼たちが感激した様子で一礼したり、声をかけてきたりする。しかし、どうも彼らの様子が尋常ではない。



「お戻りになられたのですね、アマテラス様・・・・・・」

 そう言ったきり、感極まったように涙目になる者さえいるのだ。

 これは、やはり・・・・・・。



 深雪は冥府の状況を察して臍を噛んだ。

 やがて現れた石段を昇り始めた深雪に、蒼人が声をかける。

「なあ、深雪」

 深雪は振り返り、蒼人が真摯な顔をしていることに気がついた。

「どうかしたの」

「この冥府っていうのは、『死んだ人間』が皆、来る場所なのか?」

 すると僅かに身を竦めて深雪が答えた。

「みんな、とは言えないね。魂の形が、比較的まとまって残っている人間が来ることはある。でも魂は肉体を失った時に散らばって、そのまま現世に残ったり、空に溶けたりするから、ここへ来る人はそう多くないよ。まあ、死者全体の一割ほどってところかな」

 蒼人は思案げに言う。

「でも、一割はここに来るんだな?」

「まあね」

 深雪は小さく頷く。

「で、現世に戻って来る死者もいるんだな?」

「蒼人くん。あの現世で『一緒に来い』って言って回る死者だけど。あれは、本人が蘇ったわけじゃないと思うよ。もっとはっきり言うと、人間が同じ姿を取って現世に戻るとは考え難い。今まで、そういう事例はないんだ。妖鬼が絡んでいる可能性が高いと思った方がいいよ」

 深雪は一息に告げると、更に続けた。



「おおかた、蒼人くんにも誰か会いたい死者がいるんだね。気持ちは解るけど、あまり期待はしない方がいい」

 誰しも長く生きていれば、二度と会えなくなった大切な人がいるものだ。深雪にも、その気持ちは解る。

 しかしアマテラスとしての知識があるので、過剰な期待をすることはない。人の魂は体から離れると四散するものなのだ。冥府に来れる程度に形を残した魂でさえ、体に再び戻ったことはない。

 神ならばともかく、水都を賑わせた数の人間が戻れるとは思えない。

 やはり、この件には神が関わっていると考えた方がいいだろう。

 深雪は思案を巡らせる。



「蒼人くんは、誰に会いたいの?」

 答えは寄越されないと思って問いかけたが、意外なことに蒼人はあっさり告げた。

「親だよ。俺の親と、緋菜の親。合計、四人だな。身内同士でつきあいがあったから、皆、仲が良かったんだ」

「・・・・・・そう」

「冥府にいるとまでは思ってねえけど、そういうこともありえるのかなって」

「一度に亡くしたのかい?」

 蒼人は表情を曇らせて続けた。

「ああ『天岩戸』って騒動でな。お前じゃないことは解ってる。偽の予言をしていた方のアマテラスが、太陽の光を遮ったんだ。あの時、極寒の冬が訪れて、みんな病になって死んだ。俺と緋菜だけが助かったんだ」

 深雪は痛ましげな顔になる。

「・・・・・・そうか。あの時」

「緋菜とは、それからも兄妹みたいに過ごしてきた。あいつの親に会わせてやりたいし、俺も・・・・・・。四人とも、もし戻ってくればいいって思ってしまうな」

 深雪は、静かに頷いてみせた。言葉をかけることができたのは、暫く経ってからのことだった。

「そうだね・・・・・・」



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