第二話 封鎖された雪都(3)議会の地下

 04 議会の地下


 ★

 それから五芒星の他の四つを回り、一行は妖樹との戦闘に明け暮れた。そして日が明ける頃には、五つすべての妖樹を倒し終えることができたのである。

 もちろん、深雪とスサノオはすっかり疲れ果てている。

「休憩、休憩」

「私もだ」


「ごくろーさんだったな! 盟主!」

 蒼人が珍しく深雪の背中を叩いてねぎらう。

「蒼人くんは、こんな時だけ僕のことを盟主って・・・・・・」

「まあまあ。これで、ちょっとは天候がよおなるんちゃう?」

「これでいいわけか? 何か、あっけないな」

 蒼人が思わず、全てが解決したような事を言う。反論したのは深雪である。

「待ってよ、蒼人くん。肝心のツクヨミっていうか、親玉に会えないままだから別に解決してないよ。大体、雪都の封鎖令の方は、誰がどうして出したのか解らないままだし」

「せやな」

 大之木が頤に手をあてて相槌を打つ。

「あの妖樹が、ただ植わっていたわけはないわな。誰かが、あそこに植えた。もちろん、そいつは雪都を封鎖した奴や。そいつは、やっぱりツクヨミっちゅう奴か・・・・・・」

「うん・・・・・・たぶんね・・・・・・」

 深雪が頷いた途端、雪のように輝く虫が飛んできて、小さな紙を深雪めがけて落とした。



「あ、羽根虫はねむしが来たね! ご苦労様!」

「なんだ、そりゃ」

 蒼人が訝しげに尋ねる。

「この虫は本州にいる琥珀との連絡手段だよ。琥珀が手紙を羽根虫に託して、この北海道地区まで飛ばしてくれたんだ」

 もちろん伝書をしてくれる羽根虫は、神の遣いの虫である。雪とみまごう柔らかな白い羽根が目を惹くので、この名前で呼ばれている。

 深雪は羽根虫に向かって相好を崩した。

「琥珀ー! 会いたいよ!」

「おまえ・・・・・・」

 呆れつつ、蒼人が深雪の手の中の手紙を横から見やる。

「なになに・・・・・・」

 一行は、琥珀が羽根虫に運ばせた情報を見るなり、顔を見合わせた。



 ★ ★



「とりあえず、粗相のないようにしようね」

「俺は大感激やで!」

 数刻後のことである。太陽は高い位置まで昇ってきていた。

 五芒星を取り囲むように配置された五つの妖樹を倒した疲れも癒えないうちに、深雪たちは雪都の中央部を訪れていた。

 そして雪都の議会に辿り着つくと、深雪は眼前に聳える建物を見渡した。

「こりゃあ綺麗やなあ」

 大之木が感嘆の声を上げる。

「おい、俺は議会なんて初めて入るんだぜ」

「だいぶ緊張してるみたいだね、蒼人くん」

「うるせえっ」

 議会があるのは、秀麗な異国の様式の尖塔を有する高層建造物だった。そこの玄関口に続く前庭を通り、一行は歩いていく。

「・・・・・・それにしても、ものものしいね。やっぱり戒厳令が敷かれているみたいだ」

「ああ」



 雪都の国主である宮兎昇一みやとしょういち。その宮兎国主に目通りが叶うのは、ひとえに深雪の持つコネクションあってのことである。

 だが記者は出入り禁止とのことで、大之木は玄関口で待機させられることになってしまった。ひとしきり文句を言う大之木をどうにか宥め、深雪と蒼人は、二人で国主の執務室に通されることになった。

「まあ、あれだよね。反アマテラス同盟の盟主として培ってきた信頼と実績の賜と言ってもいいよね」

「うるせえな」

 蒼人が眦を吊り上げ、穏やかな顔で悦に入っている深雪を見やる。

「ところで蒼人くん。僕らの目的、わかってるよね?」

「ああ。・・・・・・とにかく国主に会わなきゃな」

 蒼人は真剣な面持ちになる。



 通された国主の執務室は、思いのほか簡素な部屋だった。調度品といえば流麗な細工が施された衝立くらいのもので、後は長机と機能的な椅子が置かれているだけだ。部屋に作り付けの書棚には、雪都の歴史書や農学書の類が所狭しと並べられている。

「深雪は宮兎国主に会ったことはあるのか?」

 蒼人が問いかけると、深雪は肩をすくめて頷いた。

「うん。優しいおじいちゃんっていう感じの人だったよ」

 深雪は、濃紺の軍服に身を包んだガードマンに促されるままに、長椅子に腰を下ろした。蒼人も隣に座る。



 武器の類は携帯禁止であり、スサノオは議会所の玄関部で預けさせられた。蒼人は不服そうだったが、深雪はあっさりと従うことにした。

「スサノオを持ってないと不安かな? まあ、しょうがないよ」

「違う! 別に不安なわけじゃねえ。ただ気に入らないだけだ」

 スサノオと大之木は、深雪たちが出てくるのを従容として待たざるを得ない状態だというわけだ。

「ここは、国家の中枢なんだから、まあ刀剣の類はね。向こうにしてみたら、いつクーデターが起こっても仕方ない状態なんだし」

「・・・・・・それだよ。解らねえのは雪都の住民だ。なぜ黙って従う? こんな異常事態に」

「蒼人くん。それは僕も気になってるよ」

 ガードマンは部屋の外にいる。人が聞いていないのを確かめるように周囲に目を配ってから、深雪は囁いた。



「北海道に来る前は、封鎖された雪都の中は、さぞかし騒然としてるだろうと踏んでいたんだ。それが、来てみたら拍子抜けするほど都が静かだ。もちろん、戒厳令のせいで家の外に出られない不自由さは感じるけれど、住民たちの空気がね。何て言うか・・・・・・」

「緊迫感がねえんだよな」

 蒼人が眉を寄せて言葉を続けた。深雪が同意する。

「そう。人々は行動を制限されているし、しかも食糧難の危機という、生命の危険が差し迫る事態なわけだよね。これから冬になるし、航行許可制度のせいで都を出ることもままならない。そんな状況下にしては、民が穏やかでありすぎる」

「つまり?」


 蒼人が窓の外に視線を送りつつ、確認するように言葉を放つ。窓の外は前庭と、議会所を取り囲む外苑の緑地が広がり、その外側には円周状に市街地が広がっている。市街地は、あるところで途切れて、やがて幅を狭めていき、五茫星の先端に向かって、都の敷地が閉じていく。都の外側には畑地や湿地帯が広がるばかりだ。

 くだんの五茫星の先端にあった妖樹は、五つとも倒した。

 よって現在は太陽が雲間からわずかとはいえ覗いているのである。

 畑作や稲作の危機も免れるだろうし、もっと歓声が湧いても良さそうなものだ。なのに、その気配がいっこうにない。



「蒼人くん。これ、壮大な茶番かもしれないよ」

「・・・・・・だよな。盟主」

「何。盟主だなんて、珍しい」

「うるせえ」

 今の段階で一つ言えることは、この雪都の民は、ただ封鎖によって出入国を禁じられた力ない人々などではないのかもしれない、ということだった。

「この件の裏は、早めに掴んでおきたいね」

 深雪が口の端を吊り上げると、蒼人はどこか落ち着かない様子になって腕を組んだ。

「おい、民を傷つけるようなことはするなよっ」

「そんなことはしないさ」

「嫌だぜ、こんな場所で方針の違いから仲間割れに発展するとか」

「何言ってるんだ。僕はあくまでも、人間世界である葦原中国のために尽力する神なんだ」

「おまえって信じていいのか解らねえ」

「君こそ、いきなり裏切らないでよね」

「へーへー」



 不穏な空気を漂わせる二人だったが、唐突に扉が開き、ガードマンが姿を見せた。その背後からふくよかな体格の年輩の男が部屋に入ってくる。もちろん、この執務室の主である。

「やあ。待たせてすみませんでしたね、深雪くん」

「お久しぶりです、宮兎国主」

 深雪が立ち上がり、一礼する。いきおい蒼人もそれに倣った。

 国主である宮兎昇一は、ラフな洋装に身を包み、半分が白くなった髪の下で穏やかな目を、丸縁の眼鏡の下で輝かせている。物腰は穏やかで柔らかく、とうてい腕が立ちそうには見えない。

「星都での会食に君が呼ばれた時以来ですね」

「ご無沙汰しております。国主。今回は取り込んでおりますのでチェスゲームの続きができなくて残念です」

「ええ」

 蒼人が憮然とした顔になり、深雪に釘をさした。

「おい、何を和んでんだよ」

 小声になる蒼人をよそに、深雪は安堵させるように背中を叩いた。

「それでですね。宮兎国主。僕がここへ来たのは、もちろん北海道地区を巡る不穏な事情について耳に挟んだからです。昨夜も、五茫星の先端の各所に配された奇妙な木々たちとの攻防を余儀なくされまして」

「・・・・・・深雪くん」

 国主は、渋るガードマンを退室させ、人払いを命じた。



 これで執務室の中には蒼人と深雪、そして宮兎国主の三人だけとなった。

 国主は声を潜め、言い募った。

「私どもの元に、妖鬼が訪れたのは一月前のことです。連中は集団で議会所を襲い、職員を人質に取って、都を封鎖するように命じたのです。私どもはもちろん抵抗しましたが、五つの妖樹が都の外周で妖力を振るい、ある種の結界のような場を生じさせて都を囲ってしまいました。民たちの安全を縦に取られた我々、議会の者たちは、妖鬼の要求を呑まざるをえない状況に追い込まれたのです」



「しかし国主。住民の中からあらがう者たちは出なかったのですか?」

 国主に対峙しつつ、深雪は問いかける。

「ええ。おりました・・・・・・。航行許可制の撤廃を求める若い連中が、この議会に押し掛け、動乱となる寸前で取り押さえられたのです・・・・・・」

 深雪は眉間に皺を寄せて問いつめる。

「彼らは、今どこに?」

「議会に地下におります」

「拘束したのですか?」

 宮兎は頷いた。

「やむをえません。血気盛んな連中は、私どもをも攻撃しようとしましたから、国政に支障が生じると判断せざるを得ませんでした・・・・・・」

 深雪がテーブル越しに、わずかに宮兎に近づいた。

「国主。お言葉ですが矛盾を感じざるを得ません。あなたが対峙すべきは都の若者たちではなく、その妖鬼なのではありませんか? なぜ、むざむざと要求を呑み、抵抗する者たちの動きを押さえたのです」

「それは・・・・・・」

 国主が口を開いた途端、彼の体が裂け、異形の影が飛び出した。蒼人は飛び退る。反射的に扉の側に移動した蒼人は、深雪を呼んだ。

「おい深雪! やっぱりこいつ!」

「ああ、素手になるけど、君の腕に期待してるよ!」

「おまえ、傍観してるだけじゃねえだろうな!?」



 ★ ★



 05 バトル・オブ・スノウシティ



 その直後、宮兎国主の皮を脱いだ妖鬼は、深雪と蒼人に襲いかかろうとしてくる。深雪は目を瞑り、祝詞を唱える。そうしている間にも蒼人が拳をくりだし、足を高くあげて影を蹴り上げる。

「僕が、やつの妖力を封じる。君はそのまま攻撃してくれ!」

「わかった!」

 勾玉に念じる深雪と、肉弾戦に持ち込む蒼人の連携で、戦いは進む。当然ながら扉の外からガードマンが入室し、蒼人たちを取り押さえようとしてくる。蒼人は制服姿のガードマンを薙ぎ払い、妖鬼に狙いを定めて攻撃を繰り返した。



「蒼人くん、今だ!」

 執務室に深雪の声が響くやいなや、蒼人が妖鬼の頭部に攻撃を加えた。機敏な動きで拳で突き、踵を返してガードマンの動きも封じる。

「強いじゃない。スサノオがいなくても」

「てめーは一言、余計なんだよっ!」

 深雪に一喝した後、蒼人は妖鬼を羽交い締めにする。元は霊体とはいえ、深雪によって妖力が封じられているせいで、実体化しているのである。



「よし、僕が封じ込めるから、そのままでいて!」

「おう! でも早くしろ!」

「うん! なるべくね!」

 深雪は深く目を瞑り、祝詞を口の端に乗せ続ける。空間が裂け、ふいに異形の影が吸い込まれるようにして、裂け目の中に消えた。

 叫びの残響が、空気を震わせる。

「・・・・・・消えた」

 蒼人が、目撃したものが信じられない様子だ。しかし深雪はさらに眉間に皺を寄せ、蒼人を促した。

「蒼人くん、今のうちに地下へ行くよ! 拘束されている者たちを外へ出そう!」

「ああ!」

 二人はガードマンから、地下牢の位置を聞き出すことに成功した。そして執務室を出るなり、地下牢に向かう。

 やがて廊下の東の突き当たりにある階段を駆け下り、地下にたどり着いた。

 地下通路を暫く走ると、鉄格子で区切られた場所に着く。どうやら、ここに暴動を起こした若者たちが幽閉されているようだ。



「おい。鍵とか、開けられるんだよな」

「まあね。できるよ。でも、その前に彼らと話をつけた方がいいね」

 深雪が答えた直後、牢の中から荒々しい声が響いた。

「おい、さっさと開けろ!」

「それは君たち次第だね」

 友好的とは言いかねる口調で深雪が答える。蒼人は、額を押さえて呻いてしまっていた。

「あのね。僕がここへ来たのは確かに君たちを解放するためだけど、それには君たちの協力が不可欠なんだ。まずは、君たちが幽閉された経緯を簡単に聞かせて貰えるかな」

 これには幽閉された男たちの反論が続いた。

 蒼人が深雪に囁きかける。

「おい、何を悠長なこと言ってんだよ。さっさとこいつらを出した方が得策じゃね?」

「いや・・・・・・。確認したいことがあるんだ」

 深雪は短く答えると、牢の方を向き直った。



 牢の中にいるのは五人の男たち。いずれも筋骨隆々で、腕に覚えがありそうな立派な体躯の若者ばかりだ。

 その中でもリーダー格とおぼしき癖毛の男が、深雪の問いに答える。

「経緯ったって。急に、『国から出るな。食糧は配給で必要分を確保してある。本州の各都市の攻勢から身を守るために、都を封鎖して航行許可制にする』って発表があったんだ。守護神に雪都を守らせるし、食糧自給率は100%になるから民は何も心配いらねえって。あの国主が言ってよ」

「・・・・・・聞いてた話と違うね」

 深雪が呟くと、蒼人が眉をひそめた。

「国主っていうか、あの中身の妖鬼が言ったんだろ?」

「うん。だと思うよ。本物の国主は、たぶんどこかに隠されてるんだろうけど」

 癖毛の男が鉄格子越しに怒声をあげる。

「おい、聞いてんのか。しかし、そんなことで納得するわけねえだろ。民は二分した。外敵からも守られ、食糧も配給して貰えるなら構わないという奴らと、事態が受け入れられねえ奴らが現れた。俺たちは、もちろん後者だ。そもそも、本州の三都市が、いきなり雪都を攻撃しようとしてるって話からして胡散臭え」

「そういう話は、確かに初耳だね」

 深雪が浅く頷き、癖毛の男に話の先を促した。

「それでよ。俺たちは独自で評議会を作って、情報収集と事態の収束を図ろうとしたんだ。もうお上は信用ならねえ。都の外へ出て、何が起こってるのかを、この目で確かめようとした」



 蒼人が首を傾げる。

「お前ら、何で議会所に来たんだ? 例の航行許可証を貰おうとしたのか?」

 すると癖毛の男は呆れた様子で首を振る。

「誰が正面から行くかよ。国主が何か企んでるのは承知だ。俺たちは雪都を出ようとしたんだ。密航船の噂があったから、浜へ行くつもりで林道を歩いていたら、都を囲むように妖樹が立っている。逃げようとしたが、あの妖樹にやられ、気がついたら、この牢の中に五人まとめて閉じこめられてたんだ」

「暴動を起こしたんじゃないんだね?」

「その前に、こうなったんだ!」

「なるほどね・・・・・・。妖樹の方は倒しておいたけど、議会にいるのは、どうやら本物の国主じゃないようだし・・・・・・。そうだね・・・・・・」

「おい、ここから出せよ」

 喚く男たちに、深雪は頷いた。蒼人は何やら顎に手を当てて考え込んでいる。

「わかってる。今から開けよう。ここが開いたら、君たちは地上に出て、市街地で妖樹が倒れたことを流布してくれればいい。都の外に出られることを民に教えてやってくれ」

「てめえらは、どうする」

 深雪は、蒼人に視線を向けた。

「僕らは、まだ議会に用がある。後から行くよ」

 癖毛の男はしばらく沈黙していたが、やがて首肯した。

 かちりと金属音がして、牢の扉が開いた。深雪は念じただけで閂を開けられるようである。今更なのだが蒼人が目を瞠っている。

「よし、住民たちを、とりあえず雪都の外に出しとくぜ」

「頼んだよ」

 五人の男たちが先を争うように外へ出て行く。みな無精髭に覆われた強面ばかりだが、気のいい連中らしく、深雪と蒼人に礼を述べる者もいる。



「後で会おうぜ!」

 癖毛の男は、そう告げて地下を去った。



 ★


 後には静寂の漂う薄闇の地下に、深雪と蒼人だけが取り残される。

「おい、深雪。それで、どうすんだ」

「少しは考えてよね。執務室に戻ろう。どうせ、親玉がこの議会所に来るに決まってるんだから。早くスサノオや大之木さんと合流しよう。それから、どうせなら待ち伏せするんだ」

「待ち伏せ?」

 蒼人の声が、階段に響きわたる。二人は階段を昇り、地上階に戻ってきた。窓から差し込む光がまぶしく、蒼人は目を眇めてしまっている。



 それから二人は玄関口まで戻り、大之木の無事を確認する。

「えらい勢いの男たちが五人、走っていったで! あんたら大丈夫か!」

「おう! 大之木、俺たちは平気だ。スサノオは!?」

「ふん。議会所が管理するっちゅうのを、なんとか説得して、俺が持っとるわ。ほら、蒼人」

「サンキュ」

 スサノオが包まれた濃紫色の布を受け取ると、蒼人は口元を綻ばせる。

 深雪は一言、言わずにいられなくなってしまう。

「やっぱり蒼人くん、スサノオがいると安心するみたいだね」

「てめー!」

 もちろん深雪は蒼人に睨まれる。こうして、いつものようにスサノオを背中に抱えた蒼人と深雪、そして大之木が、議会所の玄関口に揃った。

 そして全員で、窓の外に視線を送る。



 こちらに向かって飛翔してくる、黒い影が深雪の視界を過ぎったのは、その時だった。

「妖鬼だ! おいスサノオ!」

「了解した!」

 スサノオは即座に戦闘態勢となり、刀身が光を帯び始める。ゆうに五百はいようかという数の妖鬼たちが隊列を組んで突進してくる。まるで妖鬼の軍団である。スサノオを奮い、蒼人は妖鬼たちを片端から倒していく。

 しかし、相手の数が多すぎる。それに深雪が参戦しようとしないので、明らかに劣勢である。

「深雪はんっ! 弟はん、いますか!?」

 大之木は深雪の意図を察したらしく、蒼人の背中に庇われつつ問いかける。深雪が臍を噛んでいる。



「先頭に立つぐらいはすると思ったよ。この臆病者」

 後方で全軍を指揮していると思しき、ひときわ巨大な妖鬼に向かって、深雪は苦々しい顔で一喝した。

 その妖鬼は、影でしかない姿から、徐々に人型へと変わる。すると長身で痩せた若い青年の姿になった。

「深雪? あいつがツクヨミなのか?」

 蒼人がスサノオを奮いながら息を弾ませて訊ねる。深雪は頷いた。


「うん。不肖の弟だ。迷惑をかけるね、蒼人くん!」



「アマテラス。お久しぶりです。相変わらず、余計な時に現れて下さいますね」

 険のある口調でツクヨミが告げる。和装の似合う短髪の青年で、切れ長の目は美しいが、どこか禍々しい光を湛えている。

「僕の名前は雨宮深雪。そう呼んでくれると嬉しいね」

「あなたはアマテラスですよ。ご自覚はしておられないようですが、昔と何も変わっていません」

「お前の生意気さも変わってないみたいだけどね」

 アマテラスとツクヨミは元々、不仲だったとスサノオが耳打ちしてくる。蒼人はこめかみを押さえている。大之木は爛々と輝く目でツクヨミを見ている。場合が場合でなければ、大之木はツクヨミにインタビューでも取りそうだ。

「あんたが、この北海道地区を封鎖した張本人やねんな?」

「おいおい、大之木」

「せやかて、こんな機会やないと聞かれへんことや」

 ツクヨミは妖鬼の軍勢の動きを止めさせると、大之木の方を向いた。

「相変わらずアマテラスは人間に甘い。二人も引き連れてくるなんて。そこにいるのは、スサノオか? おまえとも久しぶりに会うな」

「ツクヨミ・・・・・・。なぜ、このような真似を」

「『なぜ』だと?」

 ツクヨミはスサノオに対しては、友好的といえる態度を取っている。同じ姉兄弟でもアマテラスに対するのとは違って好意的であるらしい。



「もちろん雨宮一族などに囚われているつもりはないからだ。私は他の神々を引き連れ、北海道まで逃げのびた。ここを封鎖し、雪都を日本国全体から独立した国家とする。そうすることで雨宮の支配から逃れ、自由を得るのだ。皆も賛同してくれた」

 皆というのは背後にいる妖鬼の軍勢のことであるらしい。ツクヨミは神々と呼んだが、彼らは皆、一様に黒い影の姿となっており、妖鬼と呼ばれるものに変化した後であるようだ。

 深雪が眉をひそめて弟神に呼びかける。

「ツクヨミ。おまえも部下も、神のつもりでいるが、その姿は妖鬼と呼んで然るべきもの。・・・・・・邪念を抱えている証ではないのか? 私利私欲や攻撃欲に囚われると、僕ら神は妖鬼になってしまうんだ」



 どうやら戦場をさまよっていたスサノオが神のままであるのは、彼に邪念がなかったからであるらしい。蒼人は自分の剣の、いっそ見事なまでに生真面目な性格がふと、得難いもののように思えたのか、大事そうに柄を握っている。

「アマテラス、それは言いがかりというもの。神とはいえ、環境が変われば姿が変わることもある。それに私は人間たちを尊重するし、悪いようにはしない。この雪都の人間には、いずれ恩恵がもたらされる。もとより天候は早々に戻してやるつもりなので、飢饉には至らせないつもりだ。ただ、私は、ここの国主と取引するために、手っ取り早く自分の力を示したに過ぎません」



「・・・・・・そんなことをして、自分の力を誇示しているうちに、妖鬼になってしまったんだね。残念だよ」

 深雪が悲しげに目を伏せる。ツクヨミの言葉を信じたい。だが、弟神の瞳は紛れもない闇を宿しており、彼の主張の偽りを映し出してしまっていた。

「アマテラス・・・・・・。この雪都を独立帝国にするんですよ。私ども神が、都の防衛を担うことで人間たちもまた、守られるのです。悪い話ではないでしょう。事実、国主を通じて都の民に、私の計画を打ち明けたところ、人間たちの約半数の賛成を得ました」

 雪都の住民たちの奇妙な静けさは、それが理由だったのだろう。自分たちの身に危険が及ばないどころか、防衛と食糧の保証がある程度なされるのなら、喜んで支配下に入る住民も多いはずだ。



「人間たちが立ち上げた評議会のうち、議会に乗り込んでいった五人を幽閉したのは、あの五人が、反対派の急先鋒だったからです。日本国からの独立を望まず、あまつさえ他都市に援軍を呼ぼうとし、船で本州へ渡ろうと画策していました。ですから多少、乱暴な手段を使いましたが、彼らには地下で大人しくして頂きました」

 弟神の言葉に、深雪はさらに眉間の皺を深くする。

「おまえのやってることは、ただの身勝手な狼藉だ。いつまで、そんなことができると思う? 自治をしなくなった人間は必ず堕落し、都の生産力は落ちるばかりだろう。そうすれば食糧自給率もいずれ下がる。まともな貿易をしないのなら、その時点で民は飢える。だいたい、そのような政は、ここの人間が執り行うべきものだ。お前の出る幕ではないよ」

 蒼人と大之木は、神妙な顔になって耳を傾けている。



「では、このまま雨宮悟の支配下に置かれ、みすみす統治されるのを待てというのですか?」

 ツクヨミの問いかけに、深雪は微笑を口の端に湛えて答える。

「もう悟叔父さんにはご退陣頂いたよ。今の雨宮家の当主は、この僕だ。日本統一も僕がなす。だから観念して、独立を諦めろ」

 蒼人が驚いてスサノオを見る。深雪が本気で日本統一を望んでいることが、蒼人には意外だったのだろう。



「アマテラスが、雨宮悟を追い落としたのですか。これはこれは、ますます日本国に帰属するわけにはいかなくなりましたね」

「お前、僕と全面戦争をする気なのか?」

 深雪が不敵な表情になると、ツクヨミが肩を竦める。

「全軍、前進! 魚鱗の陣!」

 ツクヨミは妖鬼たちに命じて陣形を変えさせる。アマテラスに向かって、三角形を描いた陣形の妖鬼たちが集中攻撃を仕掛けてくる。

「おい、スサノオ!」

 咄嗟に反応しきれなかった蒼人の腕から飛び出すかのような勢いで、スサノオがツクヨミに向かおうとする。蒼人の慌てたような声が響く。

「ツクヨミ! われら三神が争えば、この地は荒廃し、一千年の時を経ても何も育まぬ不毛の地帯となり果てる!」

 スサノオが、ツクヨミを諫める。しかしツクヨミは耳に入れようとしない。

「それなら別の島を探すまでのことさ」

 そう言って微笑するツクヨミを見るなり、深雪の頬に赤みが差した。怒りを含む色だった。

 その深雪が口を開く前に、怒鳴っていたのは蒼人だった。

「おい、ツクヨミって奴! この北海道が荒廃したら、別の島を探せばいい? 俺たち人間は、簡単に自分たちが住んできた場所を捨てるなんてできねーんだよ! 移住には必ず別離や、色んな事が起こるんだ! そんなことも考えねーような奴は、神だろうが妖鬼だろうが人間だろうが、民の未来を決める立場にいる資格はねえ!」

 一喝した蒼人に、深雪が頷いた。



「・・・・・・蒼人くんの言う通りだ。お前が、ここまで利己的だとはね。そもそも我らは、人を守るのが役目。このたびの過干渉といい、さっきの暴言といい、おまえを放っておくわけにはいかない」

「私を、勾玉に封じるのか? アマテラス」

「いいや・・・・・・」

 深雪は目を瞑り、祝詞を唱える。すると黒雲がわきあがり、議会所の上空を覆った。

 暗い空に広がる雲間から、竜巻が起こり、みるまに近づいてくる。深雪が窓を開けると、狙ったかのように竜巻はツクヨミを飲み込み、雲の隙間に向かって吸い込まれていく。

 ツクヨミの姿が見えなくなってからも、暫く辺りを静寂が支配していた。

「・・・・・・姉上。ツクヨミをどうされたのです」

「おい深雪。殺したのか?」

 実弟を、とまでは言わなかったが、蒼人の口調は影を含んでいる。深雪は小さく頭を振った。

「僕には、ツクヨミを封じたり、ましてや殺したりする力はないんだ。今のは転移させたんだ。神々だけが行ける世界に。しばらくは戻って来れないはずだから、その間に僕らは、雪都を人間に戻してやろう」

 するとスサノオが安堵したような空気を醸し出す。蒼人も、一息ついている。



「なあなあ深雪はん。神々だけが行ける世界って、どこにあるんや」

 呑気に訊ねてきた大之木に、深雪は晴れやかに笑いかけた。

「空の上だよ。高天原っていうんだ。神代島のことじゃなくて、本物のね」

「はあー」

「うむ。まことの高天原は我らの故郷にして、遙か遠き憧憬の地。姉上の力でもなければ、そう簡単に行き来はできない。ツクヨミにとって良い薬になるといいが・・・・・・」

「あの子も反抗的で困るね・・・・・・」

「おい、深雪! おまえ、日本統一が目的なのか!? 人類の本当の敵って、やっぱりお前なんじゃねーのか!?」

 いきなり気がついたように態度を硬化させる蒼人に、深雪は笑った。

「やだなあ。蒼人くん。僕が暴走したら君たちが止めてくれるんでしょ。だから大丈夫だよ」

「お前なあ・・・・・・」

 呆れる蒼人の横で、大之木が呟いた。

「せやな。せや、それが俺ら人間の役割や。そうやとええなあ」

 スサノオは、無言だが穏やかな様子である。

 深雪が見上げると空は高く、どこまでも碧い。深雪は、遙か彼方に思いを馳せていた・・・・・・。



 ★ ★



 後始末というほどの事はなかったのだが、蒼人は議会所の地下牢の、さらに奥まった場所に、本物の宮兎国主が幽閉されているのを見つけて、彼を出してやった。


「助かります。いや、どうなることかと思って」

 恰幅のいい雪都の国主は、存外に妖鬼の偽物と似ていなかった。いかにも農作業が似合うおじいちゃんと言った趣の男で、醸し出す雰囲気がまるで違うのだ。

 牢から出され、衰弱しきっていた宮兎は一週間ほどで回復したらしく、蒼人たちに雪都の特産品のチーズケーキと海鮮セットを送ってくれることを約束した。

「船で運ばせますよ。もちろん通行許可制などは廃止です」

 宮兎国主は、いかにも人の良い笑顔を浮かべて告げたのである。

 時を待たずして雪都による貿易は再会され、封鎖も解けて本州へ渡る定期船が復活する運びとなった。


 評議会の五人組も、都の民とともに人による治世を守っていくことを誓ってくれた。

 こうして雪都独立計画は阻止されたのである。雪都は、他の三都と共に、日本国の誇る大都市として、その歴史を続けていくこととなった。

 五茫星の先端には、背の高い樅の木が植樹され、至って平穏に雪都を見守っている。

 都の外に広がる畑にも、徐々に作物の芽が生えつつあるという。

 そして紺碧の空の下で、まばゆく輝く太陽に見下ろされながら、深雪たちは北海道地区を後にしたのだった。



 ★


 その一連の出来事を、大之木が自身の発行するかわら版に載せた号が、評判を呼んで大増刷となったのは、少し後の出来事である。

「ねえ。これ、何かわかる? 蒼人くん」

「あ?」

 秋も深まる頃である。

 大阪地区、水都。西の外れにある反アマテラス同盟の基地の一室で、雨宮深雪は紅茶を置いたテーブルの前に陣取り、くつろいでいる。

「種」

「何の種だよ?」

 深雪は屈託なく笑った。


「例の妖樹の種だよ。ツクヨミの部下なんだけどさ、何かの折に使えないかと思って、少し失敬したんだ。これがあると僕の力を行使しなくても天候が動かせて、楽できるかもと思ってね」

 その笑顔の裏は、蒼人にはいまいち読めないらしく、不安を煽らせてしまうようである。ツクヨミも頭が痛そうに呻き声をあげている。

「てめーは。あんなに大変だったのに、よく妖樹を利用しようって気になるな・・・・・・」

「だって使えるもの」

「・・・・・・お前が人間の最大の敵だってこと、俺は忘れねえからな!」

「うん」

 満面の笑みを浮かべる深雪の横で、ちょうど折よく扉が開いた。桜と緋菜、そして琥珀が入ってくると、盟主の帰還を喜んでくれた。

 窓の外では、道沿いの木々が色づいた葉を煉瓦敷きの路面に散らせている。

「深雪さん。羽根虫は間に合いましたか?」

 琥珀が首を捻って問いかける。

「うん、琥珀。君のおかげで今回も助かったよ」

「それなら良かったです・・・・・・」

「君のところに帰って来れて嬉しいな」

 蒼人は思わず、桜のことを気にしてしまう。

「お、おい桜」

「あいにくだけど、私は盟主と琥珀さんのことは応援してますから」

「桜さん、偉いですっ! 僕は桜さんの味方です!」

「緋菜ちゃん!」

 桜と緋菜は、二人でどんな話をしているのか、蒼人が帰還するたびに意気投合しているようだ。蒼人は、そんな二人の女性に言葉をかけようとして、少し考えこんでしまう。


「まー、その、何だ。全員、無事に帰ってこれて良かっただろ。お前らも何もなかったようだし」

「うん。僕らは、平和だったよ!」

 緋菜が無邪気に笑う。桜は、やっぱり少しだけ寂しそうな様子で、琥珀と深雪を眺めている。そんな桜のために、緋菜が改めて紅茶を煎れてやっている。

 すべて、世はこともなし。北の都から届いたチーズケーキと海鮮の香りが、厨房から漂ってくる。桜たちが海鮮丼を用意してくれたようだ。



 目指すは、平穏。

 いつまでも続く笑い声。


 そんな日本国の、心地よい秋の出来事である。



 ★ ★

 終

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