第二話 封鎖された雪都(1)月夜見の逃走~渡海

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 ~プロローグ~



「深雪さん」

「うん?」

 日本国には四つの大都市がある。

 中でも雪都と星都は、貿易が盛んに行われるので経済的結びつきが強い。その上、近年、軍事同盟まで結ばれることになることになったので連携は盤石だ。もとより水都は、その二つと同盟を結んでいるので、今年になって初の三国軍事同盟条約が締結されることになった。

 南で虎視眈々と覇権を狙う陽都への警戒が、三都市の同盟に結び付いたのである。

 三つの大都市。そして、それらの中でも、とりわけ謎に包まれている都市が、雪都である。


 初秋のある日。水都に敷かれた赤煉瓦の上を歩く、二つの人影があった。

「深雪さん、雪都の国主に会いに行かれるんですか?」

「そうだね・・・・・・」

 深雪は琥珀に視線を注ぐと、ゆっくり頤に指先を当てた。

「私も行きます」

「構わないけどね」

 どこか不満そうな琥珀をなだめるように告げると、深雪は歩を進めた。

 琥珀は少し苦労性かつ心配性のきらいがある。

 雪都へ行くのも、単独行動が望ましいのだが、この分では難しいかもしれない。

 といっても琥珀が深雪のことを気にかけるのは、個人的感情からではないそうだ。もっぱら二人のお家事情に理由があるからだという。

「琥珀」

「何です?」

「君って本当に生真面目っていうか、義理堅いよねえ」

「どういう意味ですか」

「睨まないでくれよ。僕は感謝してるんだから」

「そういう風には聞こえません」

 秀麗な瞳で琥珀が、深雪を睨む。その顔を見るなり、深雪は笑みを零したのだった。



 水都は賑わいを見せている。点在する四つの都は、いずれも日本国の誇る美しい街なのだが、とりわけ水都の幻想的な美しさは格別だった。繊細な装飾が施された煉瓦の路面が、至るところに敷かれており、都を照らす灯篭も華やかだ。

「宮兎国主に会えるかなあ」

「何を心配してるんです? あなたなら約束を取り付けられるでしょう」

「うん。そうなんだけど」

 往来を闊歩するのは洒落た格好の若者が多く、街道までは現れていた妖鬼の姿もない。今日の水都は平穏そのものである。

「あ、ねえ見てよ。琥珀」

「はい?」

「・・・・・・あの紅色の花」

 深雪が記憶を手繰りながら言葉を続ける。

「あれは雪都に咲く花だ。この水都では気候が合わない筈。それが、炉端にあんなに咲いているなんておかしい」



「種子が飛んできたんでしょうか・・・・・・? 空に異変があるという噂ですが」

「もしかしたら、何かの理由があって種子が変異しているのかもしれないね」

 日本国の気候は、都によって異なり、一つの都でしか開花しない植物も多い。

「琥珀。最近、星都と水都の国主は、特殊な力を持つ軍人たちを集めているらしいんだ」

「特殊な力?」

「うん。雪都と三都軍事同盟を結んだのも、ただ結束を強めるためだけじゃない。戦が起きる・・・いや、起こすために・・・」

「戦を起こすですって? 都市の国主みずからですか?」

「妖鬼を倒すためだと言えば、志願兵も集まるし、他都の理解も得られる。でも、その実、他都を支配するために誰かが軍備を増強してるんだとしたら?」

 深雪は小声で、そこまで告げると口を閉じた。

「妖鬼たちとすら手を組む。そんな人間だって存在するだろうね」

「為政者の中に、ですか」

「・・・・・・悲しいけどね」

 人間を妖鬼から守るという大命題を持つ琥珀と深雪だが、各国の国主が絡んでくると、ことは単純ではなくなる。それはとりもなおさず各都市との共闘が必要になるということに繋がるからだ。

「そうなっても責任は、『我ら』にはありません」

「君はそう言うと思ってた」

 深雪は琥珀を横目で眺める。



「でも、放っておくわけにもいかない。妖鬼の被害は広がるばかりだから」

「では私が単独で」

「駄目だよ。君は使える法力は、妖鬼を封じることはできても、性質を変えることはできない。鬼性を抱えたままにしてしまう」

 琥珀一族は雨宮の傍流なので、この琥珀も神通力に近い力を有している。彼女は基本的に有能だが、やはり鬼性を消してしまえる深雪の力が有効になるケースの方が多い。

「ね。だから琥珀。僕といっしょに来てほしい」

「一緒に行くのは、初めから決めていることですが」

「じゃあ充分だ。どうせ帰郷してもいいことはないさ。それなら本州にいた方が、ましじゃない? 僕としては、それ以上の希望は何もないよ」

 曇りのない笑顔を浮かべて深雪が言う。琥珀が深雪の繊細な美貌を凝視した。

「深雪さん・・・・・・」

「君には協力してほしい。君の持つ能力は得難いし」


「・・・・・・もちろん私も行きます。当然です」

「ありがたい」

「あなたの心配をするとわかっていて」

「藪蛇だったな。ごめんごめん」

「・・・・・・全く」

「先代に僕が怒られそうだね」

「私は先代に雇われたんですから、それは覚悟していただきましょう。私と、高天原へ行かれた先代の苦情つきでね」

 琥珀が不服そうに言うと、深雪は快活に笑ったのだった。ここでいう先代というのは、亡くなった深雪の父親だ。

「わかった。覚悟してる」


 水都を離れるにあたって、深雪は一つ準備をした。

「私たち、行先が違うんですか?」

「そういう事もあるよ。臨機応変にいかないとねえ」

 深く頷きながら述べる深雪に、琥珀は眉をひそめた。

「詐欺みたいですね」

「やだな。違うよ。それより、はいこれ」

 深雪は言うなり、手のひらに収まるほどの大きさの小動物を琥珀に手渡した。それは、粉雪のような体毛に包まれているおり、鳥のようだが、少し違っている。

「何です、この生き物は」

「事前準備さ。好みじゃないかな」

「可愛いですけど、この生き物の正体は」

「羽根虫っていうんだ」

 得体のしれない生き物を手にして笑う深雪を、琥珀はいささか不気味そうな目で見ている。傷つくではないか。

「・・・・・・深雪さん」

「ほら、君も旅支度する。ところでさ」

 琥珀が不機嫌な顔を隠そうともせず、羽根虫に手を伸ばした。

「これからはスサノオにも、苦労かけることになるかもしれない」

 琥珀は沈黙を落とした。

「琥珀?」

「・・・・・・ええ」



 雨宮家の傍流である四つの分家。

 近年、東西南北の監視にあたっている四家は、反アマテラス同盟を壊滅させるための組織を招集した。

 その組織を統括するのは、もちろん四家の長だ。

 妹尾家

 羽根美家

 早蕨家

 鷲沢家

 反アマテラス同盟の盟主は、この四つの分家のターゲットになって然るべき立場なのだ。

 しかし本来、雨宮を統べる立場である深雪こそが、反アマテラス同盟の盟主であることを、まだ四家の長は知らないはずである。

 それなのに、ここ数日、深雪たちの周囲を探る何者かの気配がある。

「琥珀、僕らがここに来てることは、誰にも知られてない筈だよね」

「私は口外していません」

「僕もだ」


「・・・・・・鷲沢が動いたんでしょうか」

 数年前、琥珀と深雪が神代島を出る直前。二人が本宅で密談していた時、鷲沢の当主に深雪たちの会話を聞かれてしまったことがあった。情報が漏れるとすれば、そこからしかない。琥珀を疑うという発想は深雪にはなかった。どれほど甘かろうが、もし琥珀が自分を四家に売るとしたら、何か退引ない事情があってのことだろうし、その時は・・・・・・事情を慮ってやるつもりだ。琥珀とは、この先も真剣に戦うことにはならないと信じている。

 盟主としての立場と、琥珀という人間と付き合う一人の人格としての深雪。その錘は、時に半分の場所で止まることがある。

 ただ、現実には琥珀は盟主である深雪を助けてくれるのだから、葛藤する必要などないことだった。



 鷲沢家には、そもそも妹尾家と反目し合ってきた歴史がある。おいそれと四家で情報を共有したりするだろうか? むしろ情報を独占し、他の三家の優位に立とうとするのではないだろうか。

 深雪は思案に暮れると、隣にいる琥珀を仰ぎ見た。

「ねえ、僕らが最優先でするべきことは、変わってないよね」

 琥珀は穏やかに微笑した。

「はい。本来のアマテラスとしての実権を取り戻し、雨宮悟が築いた体勢を解体することです」

 そして『雨宮による天災と人災』から人間たちを守ることだ。

「僕についてきて、後悔してない?」

「何ですか。その弱気な質問は。してるわけないでしょう」

「・・・・・・琥珀は変わってるなあ」

「心外です」

 苦笑する深雪に、琥珀は再び微笑して見せたのだった。





 01 月夜見の逃走



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 月夜見と書いて、ツクヨミと読む。ツクヨミは、雨宮一族から逃れたいと思っていた。呪縛の術をかけられ、雨宮の分家である羽根美家に使役される身となったが、持ち前の独立心は到底消えそうになかった。

 ツクヨミは、アマテラスやスサノオの兄弟神として生まれてきた。

 たかが人間である羽根美、そして雨宮になど、いつまでも使役されているつもりはなかった。ツクヨミの漆黒の瞳は、爛々とした輝きを徐々に取戻しつつある。

 呪縛の術は、破れかけている。


 そして日本列島統一の動きは急速に進み始めている。


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 02 渡海


「飢饉の可能性がある?」

「せやねん」

 季節は秋の始めであり、田畑が色づき始める頃だった。

 逆井蒼人は、情報屋の大之木が持ってきた話を聞くなり、声を荒げた。

 例によって水都大阪の西の端にある、『反アマテラス同盟』の基地である。煉瓦で覆われた洋館の二階にある応接室。

 蒼人は紺絣の着流し姿で、好物の珈琲ゼリーに舌鼓を打っていた。



「どこからの情報だよ?」

「おっと。そいつは言われへん。守秘義務っちゅうやつや」

「へーへー」

「すまんな。蒼人。俺にも、浮世の義理があるんや」

「これからも大事にしろよな、その義理」

「もちろんやないか」

 西のなまりのある言葉で頷き、大之木は、自作のかわら版の試し刷りを懐から取り出し、蒼人に示した。

 テーブルの上に置かれたかわら版をためつすがめつして眺めているうちに、蒼人の顔色が変わってくる。

「雪都で、悪天候が続いていて農家の作物が大打撃を受けているのか。それで飢饉に繋がる可能性が高い・・・・・・」

「せや」

 二人は部屋の中央に据えられた黒檀のテーブルを挟んで向かい合っている。



「北海道から本州へ渡る船と連絡不能になってるっちゅう噂もあるねん」

「船と連絡不能?」

「あくまでも、まだ、噂やけどな」

「じゃあ、雪都の人たちは・・・・・・」

 もともと雪都が置かれている旧北海道地区は一大農業地帯である。しかし冬が長く、日照時間も少ない土地だ。それに加えて、今年は例年の比ではないほど曇りや雨の日が多く、雪都では冬を越すための食物の収穫が見込めない有様なのだという。

「まあ、もちろん、その場合でも水都や東京地区の星都から食料を輸入するっちゅう手があるわな。貿易で何とかするしかあらへん。しかし、雪都はもともと観光と輸出で経済が回っている都や。そこを一転、輸入を超過させてもうたら、財政がたちゆかなくなるっちゅう懸念があるんやないか。そういうわけで雪都の国主が今、頭を痛めてるそうなんや」

「ふうん・・・・・・」

 蒼人はいささか気の抜けたような相槌を打った。



 雪都の台所事情については気の毒だとは思う。しかし、それが大之木が、この『反アマテラス同盟』に持ち込んでくるべき話であろうか。

 むろん、ただの世間話と聞き流すほど薄情ではないつもりの蒼人だが、気候が理由では、いくら最強の妖鬼バスターといえども、何もしてやりようがないだろう。

「そりゃ、気の毒だけどな・・・・・・」

 他のかわら版屋の情報なら眉唾な話と思うところだが、大之木の情報収集能力は卓抜なので、蒼人も信憑性を感じている。

「まあ、雪都のじゃがバター、いくらと海胆の海鮮丼、牧場のチーズケーキ。悪天候で、西都まではとても回って来ねえかなあ」

 すると大之木が、ことさらに大きく首を横に振る。

「おいおい、蒼人。それが、違うんや。それどころやない・・・・・・。どうやら、この悪天候は妖鬼のしわざらしいと評判なんや」

「妖鬼のしわざ?」

 その途端、大之木は得意げに胸を張る。



「せや。まだウラを取ってへんから、今号のかわら版には未掲載やけど、次の号には載せられるかもしれん。雪都の悪天候のかげに、妖鬼の存在ありっちゅうて」

「じゃあ、天候を操れる妖鬼がいるってことか・・・・・・」

 蒼人の脳裏に閃いたのは、嫌な想像としか言いようがない考えだった。

「まさか・・・・・・」

「せや。その、まさかや。いわば妖鬼の、親玉クラスや。つまり『神様』とも呼ばれる存在やな」

 自らの立てた仮説に、大之木は悦に入っている。

 そもそも妖鬼というのは、数々の思念や霊体が異形の影となったものである。その中には、古代や鎖国前の時代において『神』と呼ばれていた者たちも含まれるのだ。

『神』はやはり強大な力を有しているので、いわば妖鬼たちの首領なのである。もっとも、その神たちをしてさえ使役してしまう人間の一族がいるのだが・・・・・・。

「晴天を遮ることができる妖鬼やから、『神』である可能性が高い。そんなことが可能な神といえば・・・・・・」



「あいつじゃねえだろうな」

 蒼人が、テーブルに拳を叩きつけて言った。

「って蒼人。それはないわ」

「いや。わからねえ。あいつは何たって太陽神様だ。太陽を隠すことくらい、朝飯前だろう」

「おいおい、蒼人。そりゃあ、あらぬ疑いって奴やで」

「だけどな」

 珈琲ゼリーを前に熱くなる蒼人と呆れ顔の大之木の間に、柔和な声が差し挟まれたのは、その時だった。

「ひどいね。蒼人くんは、自分が入ってる同盟の盟主を疑うんだねえ」

「深雪っ」

 雨宮深雪は繊細に整った容貌に似つかわしい白いシャツと紺色のパンツという洋装に身を包み、栗色の髪を風に靡かせている。

「大之木さん、いらっしゃい。ゆっくりしていって下さい」

「こりゃ、どうも。盟主はん」



「興味深いお話ですね。僕にも詳しく聞かせて頂けませんか?」

 品のいい笑顔を浮かべて深雪が大之木に訊ねかける。眉間に深い縦皺を刻んでしまっているのは、蒼人だ。

「おまえ、立ち聞きしてたのか?」

「君たちが大声で話してたから、聞こえたんだよ。僕の執務室は一応、この応接室の隣なんだから」

「まーったく」

 口を尖らせる蒼人を横目にして、大之木が深雪に事情を説明した。

 深雪は暫く考え込んでいたものの、やがて面を上げて蒼人たちに視線を巡らせてくる。

「事情はわかった。それは、もちろん僕ではないけれど、確かに神のしわざだろうね」

「おまえって、天岩戸に隠れて太陽が出ないようにしたり簡単にできるんだろ?」

「ちょっと待ってよ。それは僕じゃなくて、女神アマテラスが太古にしたことだよ」

 心外そうに深雪が告げる。

「でも、やろうと思えばできるんだろ?」

 食い下がる蒼人に、深雪は困惑してみせる。

「まあ、できないことはないね」

「ほら、やっぱり怪しいじゃねーか」

「蒼人、やめときや」



 この若き美貌の盟主に対する蒼人の疑念は消えそうにない。そもそも蒼人は、深雪という人物そのものが得意ではない。そろそろつき合いが長くなり、慣れてきた今でさえも、いささか気味の悪い人物だという思いにかられてしまうのだ。

 深雪に付き従っている琥珀などに聞かれたら怖い目に遭わされそうなので、普段はさほど表に出さないのだが。


 いや、弱気になってはいけない。深雪も琥珀も怖くねえ、と蒼人は頭を振る。べつだん彼らに気後れするつもりなどないのだ。

 深雪はというと、蒼人に言い含めるように丁寧に説明してくる。

「あのね、蒼人くん。確かに僕には、天候を変えることなんて簡単にできるよ。その気になればこの本州秋津島はおろか、北海道地区も九州地区もすべて、万年日照りにしてカラカラに乾かすことだってできるし、大雨で河川を氾濫させることだって、片手間でできる。だけど、僕はそんなことはしない。したくないから、しない」

「お、おう」

 怖い事を言いだす深雪に、蒼人は脅されているような気分になる。

 いまいち信用しかねる言い方だが、深雪としては懸命に否定したつもりらしい。蒼人は額を押さえて呻いた。大之木は呑気に珈琲ゼリーを、銀のスプーンで口に運んでいる。妻帯者かつ子持ちで恰幅のいい大之木は、大の甘党でもあるのだ。



「だが、僕には心当たりがある」

 やがて深雪は、思案げな顔になって言い出した。

「心当たり? その、肝心な話をしろよな。おまえの身の潔白を証明したいなら」

「だから、してるじゃないか。つまり雨が問題なのさ」

「あ?」

 蒼人は眉根を寄せて首を傾げた。

「たとえば、僕の姓である『雨宮』は、古来、かの一族が神を使役した際に、新しくつけた名前なんだ。それより前は東北の豪族としての名前があったはずだよ。つまり雨宮というのは太陽神アマテラスなり太陽そのものなりを制御するという意味だよね。・・・・・・まあ、それの是非はともかくとして、発想としては太陽を隠すには雨」

「はあ」

 それが何だ、と言いたいのを蒼人は懸命に呑み込む。深雪は、そんな蒼人に頓着せずに言葉を続ける。



「だからさ。雨の神だよ。雨と夜を司る神なら、心当たりがある。しかも雪都の全域に影響を及ぼすことのできるほどの力の持ち主だと思うと、自然と限られてこようというもの。そうだろ、スサノオ! 君、さっきから見事に黙っているねえ」

「え。スサノオ?」

 蒼人は、背中に預けたままの刀に手を当てて問い返した。アマテラスの弟神であるスサノオは、蒼人の刀に宿っているのだ。姿は現さないものの、周囲と会話することはできる。

「いや。スサノオは何もしてないよ、蒼人くん。僕と同様で、スサノオは潔白だ。それは濡れ衣というものだよ」

 スサノオも、姉神を宿す青年が苦手らしく、普段からあまり深雪がいる時は口を聞こうとしない。

「もともと僕ら、というかアマテラスたちは三姉弟なんだ。僕とスサノオの他に、もう一人いる。それがツクヨミという神だ。彼は、その名の通り月と夜を司る。雨を自在に降らせることもできる。ね、今度の件の主犯だっていう疑惑に拍車が掛かるよね」

 雪都全域という被害地域の広さを鑑みると、ツクヨミが悪天候の影にいる可能性は高いと深雪は言う。



「おまえの弟なわけ? じゃあ姉命令でやめさせればいいんじゃねえか?」

 蒼人は短絡的に告げる。

「昔、幼なじみに姉ちゃんがいて、姉の命令は軍隊の上官命令に等しいって嘆いてたぞ」

 蒼人には姉はいないが、近い存在といえば、やはり桜だろうか。緋菜は妹のようなものだし、と蒼人は可憐な二人の女性の姿を脳裏に蘇らせる。

 そして、そんな自分に気づいて頭を振った。

 べつに彼女たちのことなど、深く考えたりはしていないぞ、と。



「ところが、スサノオもツクヨミも姉の言うことなんか聞きゃしない。おっと、これは僕の中のアマテラスの声が告げてるんだけどね。特に、このスサノオなんかは今じゃ落ち着いて見えるけど、大した暴れ者でね。まあヤマタノオロチを退治して英雄扱いされた向きもあるけど、基本的には乱暴者で手を焼いて」

「へえー」

 蒼人が初めて感心したような声音を深雪に向ける。

 すると、スサノオが口を挟まずにいられなくなったようだ。



「よさぬか。姉上、昔のことだ」

 深雪の弁舌は止まりそうにない。

「スサノオ! まあ、兄貴が粗相をしている可能性が高いんだから、今回も協力してよね」

 やはり身の内のアマテラスが影響しているのか、深雪はスサノオに対して当たりが強いようだ。

「じゃあ、自動的に俺も駆り出されるってことじゃねーか」

 絶望的な表情で蒼人が言う。深雪が笑いながら頭をさげた。

「すまないね。蒼人くん。申し訳ないけど、不肖の弟たちのことをお願いするよ。反アマテラス同盟の盟主として」


 深雪は、相変わらず自分に反するという名を戴いたままの同盟の名前を口にした。

 改名するという手段もあったものの、ようやく名が通るようになってきた地下同盟なので、それには及ばないという考えであるらしい。

「よっしゃ。次に来るまでには、もう少し詳しい情報を仕入れてくるわ」

 大之木が椅子から立ち上がり、明朗に告げた。

「ご苦労様。大之木さん。報酬はいつも通り、支払うから。あなたの情報には、うちの同盟は絶大な信頼を置いてるんですよ」


「おおきに。光栄やわ」

 大之木は大福餅を思わせる丸顔をほころばせると、深雪を見据えて改めて相好を崩したのだった。




 ★ ★



 それから四日後の午後である。この日、大之木が再び訪れる予定だった。

 しかし大之木は、いっこうに反アマテラス同盟の基地に姿を見せようとしない。約束の三時から一時間余りも過ぎた頃になり、ようやく深雪が蒼人に告げた。

 例によって反アマテラス同盟が所有している洋館の応接室である。艶やかに照明を反射して照り輝くテーブルを挟んで、蒼人と深雪がチョコレートティーを飲みながら相対している。この空間が、やたら優雅なのは深雪の趣味だ。

 蒼人にしてみれば風雅すぎて、この洋館は少しばかり居心地が悪かったりする。



「ねえ、蒼人くん。もしかして、やばい事態になってるんじゃないかな」

「ああ!?」

 深雪は窓の外に視線を向けている。

「大之木さんだよ。あの人が遅れるなんて、よっぽどのことがあったんじゃ・・・・・・」

「・・・・・・ああ」

 月に二度ほど、使えそうな情報を仕入れてきては、この反アマテラス同盟に意気揚々と売りにくる大之木である。今まで約束を違えたことなどなく、深雪も蒼人も、そういう意味では大之木に対する信頼は篤い。

 気のいい関西弁の男だが、大之木とは仕事に関しては責任感が強い。何かあったと考えた方がいいだろう。

「もしかしたら、僕はツクヨミを甘く見すぎていたかもしれない・・・・・・」

 深雪が呟いた。

 大之木はツクヨミの情報を得ようとして、何か不測の事態に巻き込まれてしまったのではないか。定刻に姿を現さない情報屋への心配が、深雪の声音に含まれている。

 蒼人はテーブルの脇に立ち、椅子に腰かけている深雪に問いかけた。

 大之木は蒼人の旧友である。心配でならない。

「深雪。おまえ、弟に連絡取れるのか?」

 深雪は嘆息しつつ答えた。

「それがね。僕が深層意識を伝って呼びかければ、ツクヨミには声が聞こえるはずだ。だけど何度呼んでみても、何の返事もないんだ。ツクヨミが意図的に僕の声を遮断してるんだと思う。こうなってくると、ツクヨミへの疑惑は深まってきてしまう」



「あいつは、姉上が苦手だった。雪都の事件に関係がなかったとしても、聞こえないふりをするかもしれない」

 ぼそっとした低い声でスサノオが口を挟んでくる。すると深雪は恐ろしげな笑顔になって弟神に答える。

「何か言った? スサノオ。その昔、大暴れして高天原に入れろと蛮行に及んだ君のために、周囲がどれだけ苦労を」

「あれはっ」

「あー、やめろやめろ! 謎の姉弟喧嘩は!」

 放っておくと続きそうな姉弟の会話を遮るようにして、蒼人が辟易した風に口を開く。

 しかし、大之木の安否が気にかかる。それに失踪したままいっこうに見つからない両親のことを思って蒼人が神妙な顔になった瞬間、応接室の鉄製の厚い扉がノックされた。

 おもむろに鈍い音が室内に響く。

「はい?」

 思わず深雪が返事すると、聞きなれた関西弁が響き渡った。

「わしです。大之木です。深雪はん、蒼人。遅れてもうて、えらい申し訳ありまへん」

「大之木さん」

 声を確認するなり深雪が安堵して鉄扉を開いた。すると、そこには腕から血を流した満身創痍の大之木の姿があった。



「大丈夫ですか!?」

「おい大之木、やっぱりツクヨミっていう、こいつの弟にやられたのか!?」

 深雪と蒼人が顔色を変え、口々に大之木に問いかける。ようやく現れた情報屋は、椅子を勧められるなり倒れ込みそうになりながら腰を下ろした。傷だらけの姿があまりに痛々しく、深雪が顔をしかめる。

「おーい、緋菜ちゃん! 大之木さんに紅茶煎れてあげて!」

「はーい、盟主っ!」

 即座に、基地の奥にある簡易厨房から、緋菜の元気な声が聞こえてきた。

「おい。治ってきたぞ」

 深雪が大之木の体に手をかざすと、切創が少しづつふさがっていく。蒼人が改めて、不思議そうな顔で、というより不気味そうな顔で深雪を眺めやった。

 敵に回したくねえ、と思っているのが蒼人の表情にありありと現れてしまう。

「少しなら僕の能力で治癒できるよ。ただ、ツクヨミくらいの位にある神や、儀式を終えて力を有する雨宮一族がつけた傷となると、僕の治癒能力もあまり利かなくなってしまうから」

 大之木が安堵の声をあげる。



「ふう。おおきに、深雪はん。痛みが引きましたよ。さっき、この基地に来る途中で、襲われたんですわ。相手は妖鬼でした。普段なら逃げきれるくらいの数やったから、油断しました。通り魔的に襲ってくる妖鬼じゃないらしく、明らかに俺を狙っているようでした」

 執拗に妖鬼にまとわりつかれ、大之木は怪我を負ってしまったらしい。

「とにかく無事で良かったです」

「面目ない」

「大之木。おまえ、何か掴んだのか? おまえが妖鬼に狙われたんなら、その理由があるはずだよな」

 痛ましげな目になり蒼人が訊ねる。

 大之木は深々と頷き、緋菜が運んできてくれた紅茶に手を伸ばした。馥郁たる香りが応接室に立ちこめる。ティーカップから出る白い湯気が拡散していった。



「はあ。それなんです。ちょうど、ここへ来る直前に、なじみの同業者から仕入れた情報なんですが。雪都で情報統制が敷かれているっちゅうんです。つまり、ただの悪天候や飢饉の危機があるというだけではなく、今、雪都は完全に、ある妖鬼の支配下に入ってしまったというんです」

 途端に、蒼人の目が鋭さを帯びた。

「支配下だと?」

「はあ。せやねん、蒼人。雪都の議会ごと妖鬼たちに乗っ取られ、国主も奴らのいいなりになってもうて、国政がままならぬ状態らしい。どうやら悪天候を直すように国主が妖鬼と取引をしようとして、反対に取り込まれる結果になってもうたそうや」

 深雪が神妙な顔で、大之木の説明に耳を傾けている。



「大之木さん。それをあなたに教えた同業者というのは?」

 大之木は首を横に振った。

「全国を回っとる男です。星都出身なので、北へも南へも行く。若いが腕のいい奴で、周囲の信頼も篤い奴ですわ。そいつが、十和田湖へ取材に行った折り、オホーツク海の向こうの北海道区の雪都では、そないな状態に陥ってると聞いたらしい。それを奴に教えた人物は、北海道区が封鎖される直前、慌てて一家ともども本州へ逃げてきたそうなんです。雪都はいま、戒厳令が敷かれて、一般市民はろくに家から出ることもかなわん状態らしいですし、もうすぐ厳しい冬がきますやろ? 大量の餓死者や凍死者が出てまうんやないかと、情報屋連盟は危機感を募らせとります。それを、急いで深雪はんたちに知らせようと思ったら、このざまですわ」



 大之木は、深雪の力だけでは癒され切らない腕の傷を見せると、ぼやくように告げた。

「雪都で何が起こってるのか、詳しく調べる必要があるみたいだね」

 深雪が口火を切った。

「もし本当にツクヨミが影にいるなら、僕が直接行った方がいいだろうね。もちろんスサノオも来てくれるね?」

「・・・・・・姉上」

「来てくれるね?」

 深雪の言葉に、うなだれたのは蒼人である。

「刀の持ち主に聞けよ・・・・・・」

「蒼人くんは人間だから。僕としてはスサノオを僕に預けてくれて、君にはここの留守を守ってもらうっていう方法も考えてるんだけど」

 一応、深雪は部下を危険に晒したくないと思ってくれているらしい。気持ちはありがたいと思わないでもないが、蒼人にとっては要らぬ気遣いでしかない。

「ばーか。最強の妖鬼バスターが行かずして、誰が行くんだ」

「・・・・・・ありがとう」

「ふん。それより、おまえ相手が弟だからって手加減するなよ。今までの話を総合すると、控え目に見ても人間の大量殺戮を目論んでいる相手だぜ」

「・・・・・・わかってるよ」

 深雪は一転して、柔和な笑顔になって答えた。

 スサノオが何か言いたそうにしていたが、無言のままだった。



 星都、水都、陽都の三都に対して、雪都から正式に封鎖令の知らせが届いたのは、その翌日のことだった。

 これにより、他都市または町村の人間が雪都に入ることは、叶わなくなった。特例通行許可証を持つ者のみが、雪都のある北海道地区に足を踏み入れることができる。

 もちろん、雪都の者が外へ出ることも叶わないのだという。



 ★ ★



 その翌日のことである。

 行きたいと駄々をこねた女性陣を置いて、蒼人と深雪、そしてジャーナリスト魂に燃えている大之木の三人が、民間船で雪都に向かうことになった。

 桜と緋菜は最後まで抵抗していたが、今までとは危険度が違うということで、深雪と蒼人はむりやり二人を置いてきたのだ。

 後で恨まれそうだが、彼女たちを危険に晒すよりは遙かにいいだろう。

 ただ一人、琥珀については単身、別行動で水都を離れているとのことだ。つまり琥珀は今回の作戦行動そのものに一枚噛んでいるのだという。

「あの女、大丈夫なのかね」

 ふと蒼人は、呟きを落とす。



「琥珀のこと? 彼女は危険が迫ったら、自分から退却するよ。緋菜ちゃんたちほど無謀というか果敢に立ち向かってはいかないから。かえって同行してもらうことが多くなってしまうんだけど」

「まあ、雪都に来るんじゃないなら、いいけど」

 琥珀については興味本位で聞かない方がいいなと蒼人の野生の勘が告げたので、それ以上は訊ねなかった。

 人間誰しも、突つかれたくないことの一つや二つはある。蒼人はべつに深雪の逆鱗に触れたいとは思わないし、個人的感情に興味があるわけでもなかった。


「せやけど、寒うて適わんわ。ちょっと前まで海風が爽快やったけど。どんどん風が冷たくなってくるで」

 大之木が愛妻に編んでもらったとかいう毛糸の上着を羽織りながら呟く。大之木は希代の愛妻家にして子煩悩な一児の父でもあるのだ。

 本州に残してきた彼の妻子のためにも、大之木の身を守ってやろうと蒼人は人知れず決意した。

 日本海沿いに船は猛スピードで北上し、雪都をめざしている。丸二日の航海で到着するらしく、そう長い旅路ではない。しかし、日本国が南北に長く、気候が地域によって違うという事を実感させられるのには充分だった。

「寒いね。海風のせいで余計に寒いとはいえ、雪都はさらに北にあるわけだよね。しかも日が照らず、食糧難が懸念されている。やっぱり、早く何とかしないとね」

 太陽神である深雪も一応、船上は寒いようだ。

「ああ」



「ところでさ、蒼人くん」

「何だよ」

「保存食は、君と大之木さんで分けていいよ」

 小声になって深雪が言う。深雪なりの、大之木に聞こえないようにとの配慮らしい。

「あ? おまえはどうすんの?」

 訊ねてから、蒼人は愚問だったと後悔せずにいられなくなった。

「僕は食べなくても死なないから」

「・・・・・・さすが」

「神は、こういう時は便利だよね。でも、君たちはそうはいかないだろ。だから食糧はきちんと備蓄して、大之木さんと山分けすること。願わくば食糧を巡って、醜い争いを繰り広げたりしないでくれるとありがたいな」

「・・・・・・肝に銘じるぜ」

 蒼人は呆れ半分に言う。

 極寒の封鎖地域への潜入が必至とされるうえに、食糧事情も悪いときている。過酷な戦いになるのは避けられないだろうというのが、戦闘能力の高い緋菜までもを本州に置いてきた理由の一つである。

 船は蛇行しながら日本海を北上していく。

 緩やかに波が立つ水面。海は凪いでおり、航海は穏やかなものだった。



「ところで一つ聞きたいのだが」

「何。スサノオ」

「もしツクヨミがあくまでも反抗したら、姉上はどうされるつもりなのか」

「・・・・・・あくまでも反抗されたら?」

「おい、やめろよスサノオ」

 しかし兄弟としてのツクヨミへの情はスサノオにもあるだろうし、蒼人は言葉に詰まってしまった。

「もちろん命を奪うことは避けたいけど、大人しく封じられてくれるツクヨミでもあるまいし・・・・・・」

 深雪は悩んでいるような口振りで答える。だが、すでに心のうちでは決意を固めているのではないかと蒼人には思えた。

 船は電動力なる力で動くので、船頭が櫂を漕いだりはしない。しかし、その電動力なるものが、ふいに弱まった。

 突如、激しい振動が、蒼人たちを襲う。

 船上が浸水し、数少ない乗客たちの悲鳴があがる。座礁した気配もないのに、船が激しい衝撃を受けたのだ。

 しかし、北海道地区は目と鼻の先まで来ている。



「おい、深雪!」

「わかってるよ! 船を持ちこたえさせればいいんだよね!?」

「おう! 頼むぜ!」

 深雪が瞼を閉じ、祝詞を唱える。すると浸水が止まり、船が何とか潮流に乗って北海道地区をめざして進みはじめる。

 客たちの悲鳴と安堵の声とが入り交じる中、船は進んでいく。

「おい船頭! どういうことだよ!」

「電動力が・・・・・・」

「欠陥船じゃねえだろうな!」



 あわや海難事故に遭う羽目になるところで、何とか北海道に上陸することができた。気の短い乗客が船頭に食ってかかる。

「やめなさい、皆、助かったのだから、それを感謝しましょう。最後まで舵を取ってくれた船頭の方々には感謝しています」

 穏やかな目をした老人が前へ出ると、気の荒い若者客を取り押さえる。

 若者はばつが悪そうに、船頭の胸ぐらを掴んでいた腕を離した。

「前金で船代は渡してあるんだ。全額、返してほしいところだが、何とか雪都に着いたんで、不問にしてやらあ。俺は、ここで別れるぜ。じゃあな!」

 血気盛んな口調のまま、若者は去っていった。

 穏やかな目をした老人も一礼して、船から離れていく。



 この船に乗っていたのは密航者ばかりだ。封鎖状態の北海道へ向かうべくして、本州から密航してきた者たちなので、上陸した以上は散り散りになる。

 往来が不可能になっているとはいえ、北海道に家族や知人がいる者も多い。また、別な理由で渡海したがる者たちもいる。密航者は後を絶たないらしく、船頭は礼金で大儲けしているのだとか。

 船頭も、人目につきたくないのだろう。ただし引き返そうにも船が半壊しているので、雪都の中にいる仲間のところへ寄るという。


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