第五話 期末テスト間近 乃利子ちゃんちでサクラも一緒に勉強会

六月下旬のある日。

「いよいよテスト一週間前かぁ。期末の成績で受けれる高校がほぼ決まるみたいだから、頑張らなきゃ!」

 茉里は帰りのホームルームで配布された期末テスト日程・範囲表を眺め、げんなりすると共に気合を入れる。

 主要五教科に加え、技術・家庭科、音楽、保健・体育、美術の計九教科で、七月三日から五日までの三日間に渡って行われるのだ。部活動も今日からテスト終了日まで禁止。

「テスト終わるまで、放課後毎日わたしんちで勉強会をしましょう。サクラとやると、勉強がより一層捗るよ」

乃利子の誘いに、

「それはいいね。ワタシのお部屋は誘惑が多過ぎるし」

「乃利子ちゃん、グッドアイディアだね」

 茉里と実鈴は快く乗る。

「タダユキくんも来なきゃダメだからね。ワタシの勉強指導者なんだから」

「分かってるって」

 貞之は若干嫌そうだった。

「聡也さんと栄作さんも、もしよかったら来て下さいね」

「俺はやめとく」

「ボクも、余計に効率が下がりそうですしぃ」

 乃利子は誘ってくれるも、聡也と栄作は即、きっぱりと断った。

「そう言うと思ったわ。それじゃ、他の皆はわたしんちに五時頃に来てね」


 約束の午後五時頃。

「こんばんはー、乃利子ちゃん」

「こんばんは、来たよ」

「どっ、どうも」

実鈴、茉里、貞之の三人は一緒に衣笠宅を訪れた。玄関チャイムを鳴らしたのは実鈴だ。

「いらっしゃーい」

「うわっ!」

 乃利子が三人の前に姿を現した瞬間、貞之は思わず仰け反った。

「あっ、ごめんなさーい、貞之さん。わたし、お風呂上りはいつもしばらくこんな格好だから」

 乃利子は水玉模様のショーツと、真っ白なブラジャーだけの下着姿だった。

「みんなお久し振り」

 乃利子の背後から、姉の智恵子も現れた。

「ちょっ、ちょっと、ちょっと」

 貞之は咄嗟に手で目を覆った。智恵子は乃利子以上に露出度が高く、バスタオルを一枚肩から膝上に掛けて巻いただけの姿だったのだ。

「お姉ちゃん、貞之さんに悪いから、上の服も着るよ」

「えー、上着ると暑いのにぃ」

「みんな、リビングで待ってて」

 乃利子は智恵子の背中を押して、脱衣場へ戻っていく。

 訪れた三人は、乃利子に言われた通りリビングへ向かい、ローテーブル横のソファに腰掛けて待つことにした。

 ほどなくして、二人ともお揃いのパジャマ姿でリビングへやって来る。

「ねえ乃利子ちゃん、お姉ちゃんと一緒にお風呂入ってるの?」

 実鈴は笑顔で問いかけた。

「うん、いつも一緒に入ってるよ」

「いいなあ、羨ましい。私もお姉ちゃん欲しいなぁ。ねえ乃利子ちゃん、私もお風呂借りていい? シャワー浴びたい。ここに歩いて来るまでに汗いっぱいかいちゃったし」

「ワタシも浴びたいなぁ。背中とか汗びちょびちょ」

「どうぞ、その方が気持ち良く勉強出来るし。バスタオルは脱衣場の棚の中にあるから自由に使ってね」

 実鈴と茉里からの要求を、乃利子は快くオーケイする。

 二人が脱衣場へ向かっていった後、

「貞之さん、さっきはお恥ずかしいところをお見せして大変申し訳ございません」

 乃利子はぺこんと頭を下げて謝った。

「いやいや、気にせずに」

「貞之ちゃん、あたしと一緒に入りたかった?」

「そっ、そんなこと断じてないよ」

 智恵子から唐突に質問され、貞之は慌てて否定する。

「お姉ちゃん、貞之さんからかっちゃダメよ」

「ごめんね貞之ちゃん。あたしも今度の期末テストは本気出すよ! だって、総合得点でクラス順位二〇番以内に入れたら、乃利子がヌードデッサンのモデルになってくれるって言うし」

 智恵子はニヤッと笑った。彼女の所属する橙宮東高校二年理系クラスでは、七月一日から五日まで現代文、古典、数学Ⅱ、数学B、英語、地理B、物理or生物、化学、保健、家庭科の七教科十科目で五日間に渡って行われる。

「どうせ取れるわけ無いからね」

 乃利子は余裕の表情であった。

(衣笠さん、そんなことを、約束していたとは……)

 貞之の今の心の声。

「乃利子、いつも一緒にお風呂入ってるんだから、生まれたままの姿見せるくらい全然恥ずかしくないでしょ?」

「お風呂に入るのと、ヌードでモデルになって長時間じっとしてるのとでは、全く違うよ」

 乃利子は頬をポッと赤らめた。

「もう、乃利子ったら。貞之ちゃんも、ご協力よろしくね♪」

 智恵子は貞之に向かってウィンクする。

「えっ、僕も?」

 貞之はきょとーんとなる。

「あのう、わたし、貞之さんに、謝っておかなきゃならないことがあるの……」

「えっ、なっ、何かな?」

「……貞之さんも、ヌードになるってお姉ちゃんに約束しちゃったの」

「えええっ!」

 乃利子からの突然の報告に、貞之はあっと驚く。

「あたし、男性ヌードも描きたくて、あたしのクラス、理系ゆえに八割以上は男の子で選び放題なんだけど、直接頼むのは、恥ずかしかったし、卒業するまで同じクラスだし、気まずい関係になっちゃうといけないから」

 智恵子は頬を赤らめながら言い、舌をぺろりと出した。

「ごめんなさい、貞之さん。つい勢い余って勝手な約束しちゃって。わたしを思いっきりぶっていいから。というかぶって下さい。わたしはとても悪い子です」

 乃利子は歯をぐっと食いしばり、目をぎゅっと閉じる。ぷるぷる震えていた。

「いっ、いや、そんなこと、出来ないよ。衣笠さん、まあ、気にしないで」

 貞之は怒りよりも恐怖心の方がずっと強かった。その証拠に、彼の顔は青ざめていた。

「さすが貞之ちゃん、心優しい。乃利子と貞之ちゃんのヌードデッサン、今からとても楽しみだなぁ」

 智恵子はかなりご機嫌良さげ。

「あっ、あのう、衣笠さんのお姉さん、男性ヌードデッサンでしたら、僕よりももっと、筋肉質のお方をモデルにした方が、良いと思いますが……」

 貞之は恐怖心からかカタカタ震えながら意見する。

「貞之ちゃんの方が良い! あたし、筋肉盛々な男の人は苦手だから。貞之ちゃんみたいにスマートで、胸のふくらんでない女の子みたいな体つきの男の子の方が好きなのぉ」

 智恵子ににこっと微笑みかけられ、手の甲をなでられた。

「…………」

 貞之の背筋がゾクッとなる。

「貞之さん、お姉ちゃんはこの前の中間は三八位で、クラスでビリから三番目だったから、きっと心配は杞憂に終わるはずだから……」

 乃利子は安心させようとして来た。

「そっか。それなら、回避出来そうだ」

 乃利子の説明を聞き、貞之は少し安心出来た。

「もう、貞之ちゃん、失礼よ。あたし、絶対二〇番以内に入ってみせるもん!」

 智恵子はぷくりとふくれた。

「お姉ちゃん、期末テストの対策より、八月にある記述模試の対策の方をした方がいいよ」

 乃利子は説得する。

「そっちは範囲が広過ぎて絶対いい点取れないよ」

 智恵子は困惑顔になった。

「大学入試では、記述模試よりもさらにハイレベルな問題が出題されるよ」

 乃利子は真剣な眼差しで忠告する。

「乃利子ぉ、お姉ちゃんに期末で良い順位取って欲しくないから、そんなこと言ってるんでしょう? お姉ちゃんの本気の実力を見せてあげるよ」

 智恵子はそう告げてリビングから出て行き、二階にある自室へと向かっていった。

 乃利子も勉強道具を自分の部屋に取りに行って戻って来た。

 今、リビングには乃利子と貞之、二人っきり。(一応、サクラもいるが)

「あのう、貞之さん、お飲み物は、どれがいいですか? 烏龍茶にサイダーにみかんジュース、いろいろあるけど」

「じゃあ、烏龍茶で」

「分かったわ。あと、冷蔵庫に水羊羹とかゼリーとか、プリンとか、チョコレートとかいろんなお菓子もあるから、ご自由に食べてね」

「うっ、うん」

 二人とも会話するのにやや緊張してしまう。

 そんな時、

「あー、さっぱりしたよ。ノリコちゃんちのお風呂、広くて最高」

「ラベンダーの香りの石鹸、すごくいいね。お風呂使わせてくれてありがとう」

 茉里と実鈴が風呂から上がり、リビングに戻って来た。

(なんか、女の子特有の匂いが……)

 二人から漂ってくる、シャンプーやボディーソープの香りが、貞之の鼻腔をくすぐっていた。

「貞之さんも、お風呂どうぞ」

「いや、僕はいいよ」

「入った方がさっぱりして気持ちいいよ」

 乃利子は強く薦めてくる。

「貞之くんも背中汗びしょびしょだから、入ってきたら」

「タダユキくんちょっと汗くさいよ。ここにはタダユキくん以外、女の子しかいないんだから、入って来てね」

 茉里は鼻を近づけ、くんくん匂いを嗅いで来た。

「わっ、分かったよ」

 貞之は嫌々ながら、脱衣場へと向かっていく。

「サクラ、おいで」

 乃利子は鳥かごの扉を開けてサクラを誘う。いつものように手の甲に乗って来てくれた。

「サクラちゃん、ちょっと大きくなったような。ワタシはもう止まったのに」

「まだ成長中なんだね」

「体だけじゃなく、知能もぐんぐん成長してるよ。最近は三角関数や対数関数の微積の問題も解けるようになったよ。もう高校数学は完全にマスターしちゃったみたい」

 乃利子は嬉しそうに伝えた。

「サクラは本当に恐ろしい子だよ」

 茉里が苦笑顔で突っ込むと、

「タイシタコトハナイヨーン」

 サクラは俯き加減になり、謙遜した。

「ねえ、今貞之ちゃん入ってるんだよね? あたしももう一風呂浴びてこようっと」

 智恵子は一旦リビングに顔を出したあと、お風呂場へと向かっていく。貞之の後を追おうとしたのだ。

「お姉ちゃん、ダメ!」

 けれども乃利子に背後から抱きつかれ、動きを封じられてしまう。

「あーん、残念」

「お姉ちゃんは真面目に勉強、いや、今回はほどほどにでいいや。サクラ、お仕置き頼むよ」

「D‘accord!」

 サクラはフランス語で返事をし、

「きゃぁーん」

 智恵子に襲いかかった。智恵子は観念して自室へと逃げていく。

それから十分ほどして貞之がリビングに戻ってくると、

「それじゃ、勉強会を始めましょう」

 乃利子は笑顔で告げる。やる気満々な様子だった。

「期末は副教科もあるのが面倒だなぁ」

「茉里さん、副教科もしっかり頑張らなきゃダメよ。内申点に大きく響くので」

 ため息交じりに呟いた茉里に、乃利子はエールを送る。

「期末の時って、夏の新作アニメの放送開始日と被ってるよ」

「茉里ちゃん、あんな塾行くことになるとますます見る時間がなくなっちゃうよ。テストが終わるまで大好きなアニメは我慢して、一生懸命テスト勉強頑張ろうね」

 実鈴もエールを送った。

「わっ、分かったよ。アニメはテスト終わるまで我慢するよ」

「わたし、中学に入ってから今までに行われた中間・期末・実力・課題テストの総合得点、茉里さんとは全勝なの」

 乃利子は少し自慢げに言う。

「教科毎では英語や社会で勝ったことがあるけどね」

 茉里はむすっとした表情で言い足す。

「わたし、栄作さんには総合得点でどうやっても勝てないな。あの子のせいで万年二位なの」

 乃利子は少し悔しそうに伝える。

「栄作は小学校の時から数学とか高校レベルのを解いてたからな。僕は、期末は五教科四三〇点以上を目標にしてる。副教科も技術は僕の好きな情報とコンピュータの分野だから、良い点取れそうだよ」

「私は四六〇以上かな。学年一〇番以内に入りたい」

「わたしは栄作さんに勝って、初の学年トップを目指すよ!」

「タダユキくんも、ミスズちゃんも、ノリコちゃんも志し高いね。職員室に忍び込んで問題を盗めたら簡単に点取れるのになぁ」

 茉里は残念そうに呟く。

「茉里さん、高校でそんなことしたら退学処分になるわよ。試験は正当な方法で臨まなきゃ」

 乃利子は険しい表情になった。

「冗談だって。ノリコちゃんも京大志望なだけに不正行為に関しては厳しいね」

 茉里はびくっとなった。

「じゃあまずは、国語からやっていきましょう。おくのほそ道の冒頭の暗記完璧に出来てる? これで二〇点は稼げるよ。サクラも覚えてるよ。サクラ、おくのほそ道の冒頭言ってみて」

 乃利子がサクラに向かってこう命令すると、

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり……(中略)……表八句を庵の柱に、掛け置く」

サクラは一度もミスすることなくそらんじてしまった。

「すげえ! ワタシよりもずっと記憶力良いね」

「僕も適わない」

「私も、まだ全部空で言える自信は無いなぁ」

 三人はほとほと感心する。

「サクラは一回教科書を見ただけで覚えちゃったから、わたしよりずっと凄いよ」

 乃利子もサクラに一目置いていた。

「「「「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり……」」」」

四人は冒頭部分を改めてノートに書き写し、記憶の定着を図るべくさらに音読もし始めた。その最中に、

「おくのほそ道だ。懐かしいなぁ。お姉ちゃんも中三の頃、一生懸命覚えたよ」

「お姉ちゃん、邪魔っ!」

 智恵子が再びリビングに現れた。乃利子は不快に感じ、一喝する。

「アイスを食べに来たの」

 智恵子はてへりと笑いながら言い訳する。

「お姉ちゃんは大のアイス好きだからね。一日に五本以上食べる日もあるよ、冬でもね。あんまり食べ過ぎるとお腹壊すよ。わたし達この後は、数学の勉強するから」

「数学かぁ。あたしはそんなのより保健の方が好きだよ。貞之ちゃんは保健好き? 保健って、性教育分野があるでしょ」

 智恵子が興味津々な様子で問いかけてくる。

「そっ、その分野は一年生の時に習ったよ。今回の範囲は環境問題のところだから」

 貞之はかなり迷惑がる。

「なぁんだ。性教育じゃないのかぁ、残念。あたしの学年では今ちょうどそこだよ。ねえ、貞之ちゃん、高校の保健の教科書読んでみる? 中学のよりもずっと説明が詳しくてエロイよ」

 智恵子がいちご練乳味のアイスキャンディーをぺろぺろ舐めながら、貞之に顔を近づけ問い詰めてくる。

「ダメだよ、智恵子ちゃん、高校生向けなんだから貞之くんにはまだ早いよ」

 実鈴は困惑顔で注意した。

「お姉ちゃん、純情な貞之さんをからかっちゃダメよ」

 次の瞬間、コツーンッという音が響く。

「あいだぁーっ! からかってないのにぃ」

 乃利子が背後から国語の教科書の角で頭を叩いたのだ。

智恵子は両目を×にし、かなり痛がっていた。

「サクラ、お姉ちゃんを追っ払って」

 乃利子が命令すると、

「リョウカイ」

 サクラはすぐさま従い、攻撃開始。智恵子の顔面や手足を嘴で断続的に突っつく。

「サクラァー、やめてぇー」

 智恵子はすぐに降参し、自室へと逃げていった。

「智恵子ちゃん、ちょっとかわいそう」

 実鈴は同情する。

「あれくらいやっても、お姉ちゃんは全然懲りてないと思う。それじゃ、数学の勉強を始めましょう。茉里さんは数学が相当苦手なようだから、数学の特訓を重点的にさせなきゃいけないと思って、期末テストの予想問題を作ってあげたよ」

 乃利子は自作の数学演習プリントをローテーブルの上にポンッと置く。

 問題用紙と解答用紙の計二枚あった。

 数学のテスト範囲は、前回の中間テスト後最初の数学の授業から今までに習った範囲のみならず、それ以前に習った範囲も全て含まれていた。

「ノリコちゃん、ワタシのためにわざわざ作ってくれたの! ありがとう」

 茉里は嬉し涙を浮かべ、乃利子の体にぎゅっと抱きつく。

「まっ、茉里さん、お礼はいいから、シャーペン持ってさっさと解き始めて」

 乃利子は照れくさそうに命令した。

「分かった。頑張るぞぅーっ!」

 茉里は気合十分だ。

「予想問題って、なんか進○ゼミみたいだね。乃利子ちゃん、私もそれ、やりたぁい。私も数学苦手だから。中間・期末は九〇点近く取れるけど、実力テストになると七〇切っちゃうこともあるし」 

「僕も実鈴ちゃんと同じような感じだから、練習したい」

「素晴らしい心構えね。それじゃあ、このプリント、コピーしてくるね」

 乃利子は嬉しそうにそう言うと二階へ上がっていく。三分ほど後、コピー四枚の計六枚を持って戻って来た。

「間違えたり、制限時間内に解けなかったりしたら、サクラが容赦なく攻撃してくるよ」

 乃利子はさらりと言う。

 サクラは目をピキーンと光らせた。

「それは恐ろしやー。ワタシ、真剣にやらなきゃ」

「緊張感があるねー」

「僕もケアレスミスしないように慎重に解こう」

 三人はシャープペンシルを手に取る。

「それじゃ、始めてね」

乃利子からのこの合図で、三人は問題を解き始めた。

サクラはバッと羽を広げ飛び立ち、三人の頭上をぐるぐると旋回し始める。

 開始から一分ほどして、

「あいたぁーっ! 答え合ってるはずなのにぃ」 

 茉里がサクラに攻撃された。後頭部に勢いよく突進される。

「確かに答は合ってるわ。でも、導き出すまでに時間がかかってたら無意味よ。もっと手際よくパッパッパッと解かなきゃ! 入試では制限時間内に数多くの問題をこなさなきゃいけないんだから」

 乃利子は凛々しい表情で学習塾の熱血指導型の先生のごとく忠告するや否や、

「きゃぁんっ!」

「うわっ」

 今度は実鈴と貞之が襲撃された。茉里にした時よりは手加減していたように見えた。

「サンニントモ、セイカイダケド、オソイ! モットハヤク。コレクライハ三〇ビョウイナイニトケナキャダメ」

 サクラがせかしてくる。

さらに三〇秒ほどして、

「バッカモーン!」

 こんな声が響き渡る。

「うわっ、びっくりした」

 茉里はビクーッとなった。サクラが茉里の耳元でこう叫んだのだ。

「ココ、ケイサンマチガッテルデゴワス」

 サクラは解答用紙の上に止まり、該当箇所を足でタンタンと踏んで指し示す。

「あっ、二乗するの忘れてたよ」

 茉里もすぐに自分の間違いに気づいた。

「サクラ、サ○エさんでたまに聞く台詞も覚えちゃったのね」

 乃利子はにっこり微笑む。

「ハァーイ」

 サクラは嬉しそうに返事した。

 三人は、サクラの襲撃にやや怯えながら引き続き問題を解いていく。

 開始から五〇分後。

「はいそこまでっ! シャーペン置いてね」

 乃利子は終了の合図を出した。

「私、最後の問題まで行き着かなかったよ。問題数多いよね」

「僕もあと二問まるまる残ってる。図形の証明問題と確率のとこ」

「ワタシはあと四問だ。サクラに邪魔されたのが原因のような……」

 試験時間中、実鈴は五回、貞之は四回、茉里は十数回サクラに襲撃された。

「それじゃ、採点するわね」

 乃利子は赤ボールペンを手に取り、自分で作った模範解答と照らし合わせつつ、困惑顔を浮かべながら三人の答案を採点していく。

「茉里さんは五六点、実鈴さんは八四点、貞之さんは七三点ね。三人とも解いた問題の正答率は高いけど解くのが遅いのが勿体無いわ。満点を狙うなら、見直す時間を余らせるくらいじゃないと難しいよ。三人とも、小学校の時の計算ドリルとか、数学の問題集とか、いつも自分の力で真面目にやってた? 分からない問題は答えを写さずに自分で一生懸命考えて解いてた?」

「いやぁ、ワタシいつも答え丸写ししてたよ」

「私も分からない問題はけっこう写してたなぁ」

「僕も同じだ。いくつかわざと間違えたりしてた」

 乃利子からされた質問に、三人は決まり悪そうに答えた。

「やっぱり。それも、宿題で出された時だけでしょ? 宿題に関係なく、ドリルや問題集を自分の意思で繰り返し解こうとはして来なかったでしょ?」

「そうだねぇ。宿題に出てないのに、わざわざやろうとは思わないよ」

「私も茉里ちゃんと同じ」

「僕もだよ」

「それが、あなた達の計算スピードが遅い原因よ。小学校の頃からの計算練習の累積量がまだ足りてないの。数学は反復練習の積み重ねで差が付く教科だからね」

 乃利子はおっとりした声でありながらも、厳しく忠告する。

「乃利子ちゃんの言うことはごもっともだよ」

「僕も今になって、小学校の頃ほとんど算数の勉強しなかったことちょっと後悔してる」

「でも、もうどうにもならないよね」

「大丈夫よ。これからでも毎日計算練習をしっかり続ければ、計算スピードが養われて併せて見たことの無いようなタイプの問題にも、焦らず落ち着いて対応出来る直観力や思考力も高まるから。自然と一夜漬けみたいな一時凌ぎじゃない本当の実力がついて、実力テストや入試本番でも数学で高得点が取れるようになるからね。それが、他の教科のさらなる成績アップにも繋がっていくの」

 乃利子は三人に向かって優しく微笑みかけ、ウィンクした。

「ワタシ、頑張るよ!」

「私も数学の勉強はこれから毎日続けるよ」

「僕も頑張ろう」

 三人の向上心は、ますます高まる。

「その調子よ。家に帰った後も、もう一度数学の問題集を何題か、すぐに答を見ず自力で解いてみてね」

「ケントウヲイノル!」

 乃利子とサクラは、励ましの言葉を送ってあげた。

こうして今日の勉強会は終了。三人は衣笠宅をあとにし、自宅へと帰っていく。


夜九時過ぎ、天羽宅。

「茉里、期末テストも主要五教科四〇〇なかったら、分かっとるでぇ?」

 茉里は風呂から上がると、母からこんな質問をされた。

「うん、風叡館行きと本を捨てるってやつじゃろ」

「その通りじょ。ちゃんと覚えててえらいわ茉里。そうならんよう頑張ってね」

「はい、はい。任せてよママ」

お気に入りの暗闇で光るフォトプリントパジャマを着た茉里は、機嫌良さそうにこう答えて自室へ。普段はベッドに寝転がってラノベや雑誌を読むのだが、

「頑張らなきゃ!」 

 今日はまっすぐ机に向かって、苦手な数学の勉強をし始めた。


衣笠宅での勉強会はこの日から放課後、毎日のように続けられたのであった。

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