最終話 いよいよ期末テスト本番 茉里、風叡館行き回避なるか?

「ただいまママ」

「おかえり茉里。明日からの期末テスト、全力を尽くすんよ」

「うん! ワタシ、めっちゃ頑張るよ」

期末テスト初日前日、授業は四時間目までだったため、茉里は午後一時過ぎに帰宅した。

昼食に母が用意してくれたカツカレーを食べた後、自室に向かう。

数十分後、茉里は明日行われる理科、美術、保健・体育の教科書やワーク、ノート、プリント、筆記用具をリュックに詰め、いつものように実鈴と貞之と一緒に衣笠宅へ。

乃利子は、今日は理科の彼女自作予想問題を三人に解かせた。

 数学と同じくサクラが監視。さらに採点も担当した。赤ボールペンを嘴でくわえ、きれいな字体で○×を付けていったのだ。サクラにはこんな能力まで備わっていたのである。 

「茉里さんは七四点、実鈴さんは八九点、貞之さんは八五点か。本番の試験はわたしが作った問題より若干難しいと思うから、もう少し頑張ってね」

 乃利子はこう忠告し、答案を返却した。

「もちろん頑張るよ!」

「任せて乃利子ちゃん」

「僕は、九〇は狙うつもり」

 三人は自信満々に宣言する。

 続いて保健・体育の教科書、ワークの再確認。体育分野はハンドボール、器械運動、水泳に関することなどが範囲となっている。三〇分ほど学習して、最後は美術の勉強。

「ワタシ、実技の練習しようと思ってこれ持って来たんだ」

 茉里はそう伝え、リュックサックからB4サイズのスケッチブックを取り出した。

「茉里ちゃん準備良いね。じつは私も持って来たの」

 実鈴もスケッチブックを自分の鞄から取り出した。

「わたしも実技の練習しようっと。みんなでサクラの写生をしましょう」

 乃利子は自室へスケッチブックを取りに行く。4B鉛筆も併せて一分ほどでリビングに戻って来た。

「僕は特に何も……」

 貞之は、美術に関する勉強道具は不持参だった。どうでもいい教科だという考えがあったからだ。というわけで彼は理科の勉強を再開することに。

「カッコヨクカイテネ」

 サクラはローテーブルの上に立ち、直立姿勢になった。

 女の子三人はソファに腰掛け、太ももの上にスケッチブックを置き、4B鉛筆でサクラを写生していく。

 描き始めてから五分ほどして、

「出来たぁーっ!」

 茉里が最初に鉛筆を置く。

「なんか幼稚園児の絵みたい。わたしの絵を見なさい」

 乃利子はくすっと笑い、自分の絵を茉里に見せつけた。

「ノリコちゃんの絵はリアル過ぎるよ。ワタシの方がかわいいもん!」

 茉里は顔をぷくっとふくらませ、強く主張する。

「はいはい、茉里さんの方が上手ね。実鈴さんの絵は、メルヘンチックでとっても素晴らしいです」

「そうかなぁ?」

 乃利子に大絶賛され、実鈴は照れてしまう。

「ワタシと似たような絵なのに、なにその扱いの違い」

 茉里は乃利子をむすっとした表情で睨み付ける。

「茉里さんは美術科受けようとしてるんだから、厳しめに採点してみたの」

 乃利子はくすっと微笑んだ。

「なんかバカにされてる感じ。タダユキくんも写生してみる?」

 茉里がスケッチブックを渡そうとしてくる。

「いいよ。僕、絵は自信ないし」

 貞之は理科のワークをチェックしながら丁重に断った。

「あーん、タダユキくんの絵、見たいよぅ。写生してしてぇ」

「私も見たいなぁ。貞之くんの描いた絵」

「わたしも見てみたいです。貞之さんの几帳面な性格からして、サクラを細かい所まで丁寧に描いてくれそうですし」

三人は強く要求してくる。

「勘弁して。僕、本当に下手だから」

 貞之は苦笑顔でお願いした。

「ごめんなさい貞之さん、プレッシャー感じて余計に描けなくなるよね。サクラは、どれが一番お気に入り?」

 乃利子は自分のも含めた三人の絵をサクラの眼前にかざした。

「ウーム、オイドンニハキメラレナイヨーン。セキニンガオモスギテ」

 サクラはちょっぴり困惑しているようだった。

「サクラのそんな優柔不断なところ、栄作さんにそっくりね」

 乃利子は嬉しそうに微笑む。


迎えた翌日、期末テスト初日。三年五組の教室。今日は出席番号順、つまり学年始まった四月上旬当初の席に座るよう指定されていた。

「ただゆきぃ、昨日は勉強したか?」

「まあ、一応ね」

 朝八時一五分頃に登校して来た貞之は、指定の席に着くなり聡也から話しかけられた。聡也はテスト期間中だけは早めに登校してくるのだ。

「やるなぁ。俺、昨日は全然勉強出来んかったぜ。新作アニメのチェックが忙しくて」

 聡也はにっこり笑いながら言う。

「やっぱ誘惑に負けたのか」

「あー。でも俺、美術だけは偏差値六〇以上取れる自信があるぜ」

「僕はペーパーテストでは美術が一番苦手だ。絵を描く実技試験があるから」

「それはボクも同じでございます。ボクも絵の描写はすこぶる苦手なのでぇ」

 栄作は自信無さそうに伝え、自分の指定席へと向かっていく。

 まもなく八時半になろうかという頃、

「間に合ったぁーっ!」

 茉里が登校してくる。いつもと同じくらいの時間だった。

「茉里さん、テスト期間中くらい早めに来なさい。聡也さんですら早めに来てるのに」

 乃利子は呆れ顔。

「だって、昨日、というかもう今日だけど深夜まで勉強してて朝寝坊したんだもん」

 茉里はにこにこ顔で言い訳し、指定席に着いた。いつものようにハンカチで顔の汗をぬぐい、水筒のお茶を鞄から取り出してごくごく飲む。

「皆さん、ちゃんと出席番号順に座っていますか?」

 八時半のチャイムが鳴ってまもなく、担任の菱池先生がやって来る。机の中に物が入ってないか、携帯電話の電源は切って茶封筒に入れ机の上に出すようになどの諸注意をした後、一教科目理科の問題用紙と解答用紙を裏向きで配布していった。

 八時四五分。チャイムが鳴り、

「それでは始めて下さい」

菱池先生からのこの合図で試験開始。クラスメート達は問題用紙、解答用紙を表に向け、問題を解き始める。試験時間は普段の授業と同じ五〇分間だ。

(おううううう! ノリコちゃんが作ってくれた予想問題と、全く同じ問題がけっこう出てるじゃん。ラッキーッ!)

 問題を最後までザッと見渡してみて、茉里のテンションは高まった。

 絶好調な出だしだ。

 ところが試験開始から一五分ほどが経った頃、

(どっ、どうしよう。おしっこ、したくなっちゃったよ。朝行くの忘れたからなぁ)

 茉里に突如、尿意が襲い掛かって来た。紛らわすため、体をくねくねくねらせる。

(あぁーん、頭が働かないよう)

 さらに十分ほど後、尿意はさらに強くなってしまった。体をプルプル震えながら、両足をゆさゆさ動かし始める。自転車のペダルをこぐ時のような仕草も交えて。

「……」

 茉里のすぐ後ろにいる、出席番号三番の子(男)は、茉里の不審な行動を少し気にしながらも黙々と問題を解いていた。

(これは、試験時間が終わるまで我慢出来ないよぅ。こうなったら手を上げて、おトイレ行かせてもらおう。でも、恥ずかしい……いやっ、ここで漏らしちゃう方がもっともっと恥ずかしいよ。幼稚園時代のタダユキくんのこと笑えなくなるよ)

 そう感じた茉里は、挙手。

「あの、天羽さん、おトイレ行きたかったら、行って来ていいわよ」

 する前に、試験監督の菱池先生に気づかれてしまった。菱池先生は苦笑い。

「ありがとう、ございますぅぅぅ」

 茉里はシャープペンシルを置くと椅子を引いてガバッと立ち上がり、急いで教室から出て行った。

(漏れる、漏れる、漏れちゃうよぅうう)

 都合の悪いことに、三年五組の教室から最寄りのトイレまで、同学年他のクラスの教室に比べて距離が長いのだ。

(やっ、やっと着いたぁ)

 トイレに駆け込むとすばやく個室へ。

(もうダメェェェェ、限界)

 便座に背を向けてスカートをめくり上げ、ショーツを膝の辺りまで脱ぎ下ろす。そして便座にどかっと腰掛けた。

(あっ、危なかったぁ。あと一秒遅れてたらミスズちゃんに買ってもらった大切なミカン柄のパンツが大変なことになってたよ)

 なんとかギリギリセーフ。茉里は安堵の表情を浮かべるも、彼女の心臓はしばらくの間バクバク激しく鼓動を打っていた。

(早く戻らなきゃ)

 用を足し終えると、茉里はすっきりとした気分で個室から出た。

(……ってここ、男子トイレだぁーっ!)

 瞬間、茉里は目を大きく見開き驚愕する。

扉を開けて眼前に広がった横並びの小便器に、茉里はたった今気付いたからだ。それだけさっきは無我夢中だったのだ。

(はっ、恥ずかしぃーい。誰も来なくて良かったよ)

赤面させながら慌てて男子トイレから飛び出て、女子トイレに入り直し、そこの洗面所で手を洗って大急ぎで教室へと戻っていく。

茉里は三年五組の教室後ろ扉をそーっと引きそーっと閉め、静かに自分の席へと戻る。

(早く解かなきゃ)

 残り時間は、もうあと二〇分を切っていた。

 五分以上、タイムロスしてしまったわけだ。

 茉里はシャープペンシルをすばやく動かし、あまり考え込むことなく解答用紙に答えをどんどん記述していく。

(わぁーん、全部埋められないよぅぅぅ)

 配点一〇点の大問一つをまるまる残したところで、終了を知らせるチャイムが鳴ってしまった。

「はいそこまで。皆さんシャープペンシルを置いて下さい。一番後ろの人が回収してね」

「先生、あと一分だけ下さーっい! トイレに行ってた時間を差し引いて」

 茉里は焦りの表情を浮かべながら挙手をして、菱池先生に懇願した。

「なりません。不正をすると全教科0点になりますからね♪」

 菱池先生はにこにこ微笑みながら茉里に優しく注意。

「わぁーん。まだ全部埋まってないのにぃーっ」

「……あのう、天羽さん」

茉里の答案を回収しに来た出席番号六番の子は、申し訳なさそうに回収していった。

茉里はいくつか空欄を残したまま、提出する羽目になったというわけだ。

「茉里ちゃん、どうだった?」

 一教科目終了後、答案用紙が回収されると、実鈴はすぐに茉里の席へ近寄ってくる。

「全部、解けなかったよ」

 茉里はずーんと沈んでいた。机に突っ伏す。

「もう、茉里さん、何やってるのよ?」

 乃利子も近寄ってくる。くすくす笑っていた。

「ノリコちゃぁん、ワタシ、もう四〇〇越えは無理なこと確定だよぅ。理科は七〇あるかないかくらいだよぅ」

「茉里さん、まだ主要五教科のうち一教科目が終わったに過ぎないじゃない。自分は絶対四〇〇取れるんだって気持ちでいなきゃ」

「そうだよ茉里ちゃん、理科は苦手教科でしょ。得意教科で九〇点くらい稼いで挽回すればいいんだよ」

 乃利子と実鈴に明るい表情で励まされ、

「そうだよね、ネガティブ思考は良くないよね」

 茉里は何とか立ち直れたようである。

 同じ頃、貞之と聡也のいる席。

「ただゆき、今回は俺、理科四〇くらいしかないと思う」

 聡也は後ろを振り返って、にこにこ顔で伝えてくる。

「さすがにそれはかなりまずいだろ」

 貞之が呆れ顔で突っ込むと、

「まあ、夏休みから頑張ればなんとかなるだろ」

 聡也はにこにこ顔のまま主張した。相変わらず楽天的な様子だ。

 栄作は自分の席から動かず、次の教科のテスト範囲内容の最終確認をしていた。

続いて行われた二教科目、美術。

(……ほとんど、実技だ。前の小野先生の時は、ほとんど知識問題だったけど)

 試験時間が始まり問題用紙に目を通した瞬間、茉里は歓喜する。

 知識問題二〇点、実技八〇点という配点だったのだ。

(これは良い点取れそう。頑張るぞーっ!)

 茉里はハイテンションで記述、描写をしていく。

(これはないよーん。正解不正解で図れない、不公平な採点になりかねないですよ)

 一方、栄作は愕然としていた。

 知識問題は漫画の歴史、有名漫画作品のタイトル名と作者名、画材道具の名称に関するもの。実技はあなたのとある日の行動を5本の4コマで表しなさいという課題であった。

三教科目保健・体育、茉里は前回期末と同じような調子。

初日が終わると、四人は衣笠宅へ集い二日目に向けて勉強会。

「今回は理科、難易度少し高かったね。わたしにとっては相変わらず楽勝だったけど。解答作ってみたよ」

 乃利子は数式や図、文章でびっしりになったA4用紙を茉里に手渡す。

「……どんな答えを書いたか、あんまり覚えてないけど。八〇は絶対ないよ。超えたかったけど」

 茉里はちょっぴり落ち込んでしまった。

「茉里さん、落ち込んじゃダメよ。明日は全て得意教科でしょ」

「茉里ちゃん、そういうネガティブな気持ちは入試本番で命取りになるよ」

 実鈴は茉里の頭を優しくなでてあげる。

「分かってはいるけどね。まあ、明日は頑張ろう」

 茉里の気分はあまり晴れなかった。

二日目は国語、社会科、技術・家庭科が組まれてある。

四人でおくのほそ道の冒頭部分をもう一度書き写したり音読したり、現代文・漢文のワークの確認。社会科、技術・家庭科のワークやプリントの暗記などを行った。

 

     ☆   ☆   ☆


(今日のでなんとかカバー出来そうだ。国語は九〇超えれるかも。社会も、今度は手応えあったし八〇超えれそう)

期末テスト二日目終了直後の茉里の心境。彼女は副教科も含め本日は絶好調で乗り切ることが出来た模様。 

解散後、貞之、聡也、栄作の三人は近くに寄り添う。

「今日は得意教科ばっかりだったけど、明日が一番嫌だな。全部僕の苦手教科だし」

「ボクは数学一番好きだけどねん」

「数学が得意なやつの頭の構造は理解出来んな。俺は美術以外全部苦手やから」

「聡也、それはやばいぞ。僕も頑張らないと」

 最終日の明日は英語、音楽、数学の順に組まれてある。

「今日は四日だよな。ジャ○プSQとジャ○プコミックの新刊、今日発売だから駅前の本屋に一緒に買いに行こうぜ」

「聡也ぁ、あと一日だけなんだし、終わってからにしたらどうだ。今日買うと、絶対気になってテスト勉強に集中出来なくなるぞ」

 聡也の誘いに、貞之は眉を顰めながら意見した。

「俺は明日の試験完璧に捨ててるし。俺が買いたいやつは人気作だから明日には売り切れるかもしれねえし」

 けれども効果なし。聡也の意思は全く変わらず。

「そういうのはたくさん入荷されるから、むしろいつでも手に入れ易いだろ」

 ほとほと呆れ果てる貞之に、

「あの、東垣君。ボクも、いち早く読みたいですし。一緒に行きましょう」

 栄作も申し訳無さそうにお願いしてきた。

「……栄作まで。それじゃあ、行くか」

 貞之は五秒ほど悩んだのち、こう意志を固めた。

 その時、

「コラーッ! タダユキくん、遊びの誘いに乗っちゃダメでしょ!」

 背後からこんな声。

「!!」

貞之はビクッと反応する。

 声の主は茉里であった。

「遊んでても余裕な栄作さんはともかく、聡也さんは順位下がっても知らないわよ」

「テスト期間中に遊んじゃダメだよ」

 乃利子と実鈴からも注意されると、

「……分かりました。テスト終わってからにします」

「申し訳ないでありますぅ」

 聡也と栄作は素直に従う仕草を見せた。

「こんな悪い子達は放っておいて、ワタシと勉強会だよ」

「わっ、分かった」

 こうして貞之は今日も衣笠宅へ強引に連れられてしまう。

 今日は三人、音楽の勉強を一通り済ませた後、英語と数学の乃利子自作予想問題を解いていった。

 サクラによって採点された結果、英語は茉里八一点、実鈴九四点、貞之八七点。数学は茉里七六点、実鈴八九点、貞之八八点を取得。

 この三人はおウチへ帰った後も、乃利子に忠告されたように英語と数学の予想問題をもう一度自力で解き直し、明日に備えた。

 もちろん乃利子自身も、しっかり勉強に励む。

「乃利子ぉー、あたし明日の物理と数B、特にやばいよぅ。0点取りそう。出そうなとこ教えてぇーっ」

「もう、お姉ちゃん、邪魔! わたし今時間計って問題解いてる最中なのに」

 時折、姉の智恵子に干渉されながら。

     ※

 いよいよ迎えた最終日。

(英語、ノリコちゃんが作ってくれた予想問題と全く同じのが三分の一くらいあったな。最初のリスニングもけっこう聞き取れたし、長文問題も三分の二以上は解けたと思う)

一教科目の英語、茉里はかなり高調だったようだ。

最後の教科、数学のテストが終わり回収された後、

「やっとテスト終わったぁ! これで思う存分遊べるぜ。あとは授業昼までやし、もう気分は夏休みやーっ! 夏休みはアニメ・マンガ三昧だな。夏コミにも行きてぇ」

 聡也は貞之の席を振り向き、陽気な声で話しかけてくる。

「おーい聡也、中三の夏休みは普通、必死に受験勉強だろ」

 貞之は呆れ顔で突っ込んでおいた。

「四〇〇、いけるかなぁ」

 茉里は不安な気持ちでいっぱいだった。数学は思ったより出来なかったのだ。

「茉里ちゃん、後は結果を待つだけでしょ。気楽に行こう。テイク、イット、イージー」

 実鈴は茉里のポンッと肩を叩き、勇気付けようとしてくれた。

「もし無くても、風叡館入れられるだけの話だし」

 乃利子はにこにこ微笑む。

「ワタシにとっては生死に係わる大事な問題だよ」

 茉里はげんなりとした表情で主張した。


      ☆

 

週明け月曜日から、答案が続々と返却されていく。

 最初に返却されたのは、社会科だった。

(……嘘でしょ。六二って。前よりも下がってる)

 茉里は中学に入ってからの自己最低点に落胆し、顔も蒼ざめた。

 一応は得意教科なので、ショックの強さは一入だったのだ。

「茉里ちゃん、元気出して」

実鈴は慰めてくれる。

けれども茉里の気分は晴れなかった。

「今回、平均点は五四点でした。記号問題さらに減らして論述問題を増やしたから、前回以上に皆さん悪くなってたわ」

 全員に返却した後、菱池先生がそう告げても、

(平均は関係ないよね)

茉里の気分はやはり晴れなかった。

 続いて返却された国語は、八七点。

(これはまあ、想定通り。得意教科だから九〇点以上取りたかったけど)

 茉里は少しだけ安堵した。

 続いて英語。前回より平均点は下がったものの、茉里は八五点で中間よりもアップしていた。

「平均は、あったけど……」

 茉里は三教科の合計点を早速計算してみる。

二三四点だ。社会科で大きく足を引っ張ってしまい、八割に惜しくも届かなかった。


「茉里ぃ、国語と英語は褒めてあげるけど、社会科でこんなひどい点数取って。もっと本気で勉強しなきゃダメやないのっ!」

「マッ、ママ、どれも平均点よりは上だったんよ。社会も今回は難しかったし」

「茉里は東高を受けるんじゃろ?」

「そっ、そうじゃけど」

「だったらどの教科も平均より相当上じゃないとダメなん分かってる?」

「わっ、分かっとるって」

「乃利子ちゃんは、社会科何点取ったん?」

「……九七点じょ。ちなみにエイサクくんは一〇〇点満点じゃ」

「ほらね。日々コツコツ真面目に勉強してきた子ぉは、いくら問題が難しくなって平均点が下がっても関係なく高得点が取れてるじゃろう」

「ワタシも今回は真面目に勉強したんよ。ノリコちゃんやエイサクくんはワタシと地頭が違うんじょ」

 その日、茉里が帰宅した後の母とのやり取り。デジャブが感じられた。

「国社英で合計二三四点か。得意教科でこの有様じゃ、もう風叡館行き決定的ね」

「ママ、数学と理科で計一六六以上取ったら四〇〇超えるでぇ」

「どっちも苦手教科なくせに、そんなに取れるわけはないじょ。前の中間、どっちも六〇点台前半だったやない。明日さっそく風叡館に申し込んでおくけんね」

「待ってよママ。今度こそ絶対取れてるけん」

「ふふふ。それじゃその結果が出るまで申し込むのを一応待っててあげるじょ。どうせ無駄じゃろうけど」

「ママァ、少しは期待してよ」

 茉里は三つの答案を取り返すと不機嫌そうにこう告げてリビングから立ち去り、自室へと逃げていった。


迎えた翌日火曜日一時間目、さっそく数学の答案から返却されることになった。

「今回、数学の平均点は五八しか無かった。高校入試の問題はこれよりもっと難しいからなっ、みんな夏休みしっかり頑張れよ」

 教科担任は授業開始早々、苦笑顔で告げて答案を出席番号順に返却していく。

「天羽さん、今回とてもよく頑張ったな」

「えっ、嘘ぅ?」

 茉里は受け取って点数を眺めた瞬間、驚愕の声を上げた。

 数学は、八八点もあったのだ。

「茉里ちゃん、おめでとう!」

 席へ戻ると、実鈴が拍手で祝福してくれた。

「数学でこんなに良い点取ったのは、一年生の時以来だよ。めっちゃ嬉しい」

 茉里は目をきらきら輝かせ大喜びするが、

「公立中学の数学のテストなんだから、八八点くらい簡単に取れるでしょ」

 乃利子はあえて辛口コメント。

 その後返却された結果、実鈴は九二点。数学を苦手としていたが、久し振りに九〇点以上が取れ今回は好調だった。

乃利子は中間に引き続き一〇〇点満点。

栄作も当然のように満点。

さすがにこの三人には適わなかった。

しかし、

「俺はさらに下がって四五や。まあ、平均も下がったから問題ないやろ」

「聡也、大いにあるぞ。東高狙うなら平均点に関係なく八〇は取らないと。僕は八四だった。計算ミス多かったからな。もう少し取りたかったよ」

 聡也と貞之には勝利。

 三時間目に保健・体育の答案も返却され、四時間目、理科の授業の始まりを告げるチャイムが鳴った瞬間、茉里は今まで体験したことのないくらい心拍数が上がった。

「では、試験を返すぞーっ。朝倉さん」

 他の教科と同じく出席番号順。

「茉里ちゃん、いよいよ運命が決まるね」

「うっ、うん。数学であんなに良い点取れるとは思わなかったし、七八点以上あれば、四〇〇になる。もしかすると、いけるかも」

「絶対あるって」

「茉里ちゃんなら、きっとあるよ」

 ガチガチに緊張していた茉里を、貞之と実鈴は優しく勇気付けてくれる。

「天羽さん、早く取りに来てね」

「はっ、はい」

(どうか七八点以上、あって下さい! 神様、お願いします!)

 茉里は心の中で強く唱えながら、手をプルプル震わせながら、答案を受け取った。

(…………四〇〇、いかなかった。あんなに、勉強頑張ったのに)

 点数を知った瞬間、茉里は目にちょっぴり涙が浮かんでしまった。

理科は、七七点だったのだ。よって主要五教科の総合得点は、三九九点。

(あの時、学校行く前にトイレに行ってれば、絶対八〇超えられただろうなぁ。まあ、今さら悔やんでも仕方ないよね。これが現実かぁー)

 茉里は暗い表情で、とぼとぼ自分の席へと戻っていく。

「四〇〇、いかなかったんだね。元気出して」

「茉里ちゃん、残念だったね。でも、気を落としちゃダメだよ。夏休み明けの課題テストで頑張れば、挽回出来るよ」

「茉里さん、二年生の初め頃の水準には戻ってるじゃない。その調子で次は頑張って」

 貞之と実鈴、乃利子だけでなく、

「天羽さん、前回よりは点数がかなり上がってるから希望を持ちたまえ」

 栄作も慰めてくれた。

 その後も答案が返されていく。

 乃利子は見事満点。

「私、前より悪かったよ」

 実鈴は答案を受け取った後、浮かばない表情で席へ戻って来た。

(それでも、八九点か。すご過ぎる)

 ちらっと見えた点数に、茉里はとても羨んだ。

「鶴目くん」

「あっ、もう俺か」

 呼ばれた聡也は慌てて立ち上がり、答案を取りに行く。

 貞之も彼の後なのですぐさま教卓の方へ向かった。

「四八か。まあ、こんなもんやろな」

 聡也はにこにこ笑う。全く気にしてない様子だった。

「この成績はまずいぞ。僕は前と全く同じ。五教科の合計は四三四になった。目標達成出来て良かったよ」

 貞之は八三点。

 栄作は、いつものように満点だった。

「採点間違いがあったら、持って来てねー」

 全員に返し終えた後、高嶋先生は模範解答が書かれたプリントを配布した。

(あとたった一問だけでもあっていれば、四〇〇超えるのに。こっ、こうなったら――)

 それを眺めているうち茉里の心に、ふと邪な考えが芽生えてしまった。

 間違っている答えを正しい答にこっそり書き直して、採点間違いとして持っていこうと考えたのだ。

「私、採点間違いがあったよ」

 実鈴はこう呟くと立ち上がって、高嶋先生のもとへと向かう。

「あのぅ、高嶋先生。ここ、間違ってるのに○が付いてました」

 そして正直に伝えた。こうして実鈴の点数は当初のマイナス二点で、八七点となる。

(ミスズちゃん正直者ね。普通そういう場合は黙っておくものだけど)

 茉里は実鈴の振る舞いに感心し、自分はなんて悪いことをしようとしたんだ、と自責の念に駆られ、引き留まった。

――現実を、受け入れようとした。

「ママにどうやって言い訳しよう?」

 茉里は俯き加減でため息混じりに呟く。

「茉里さん、たった一点の差だったら、なんとかなるかもしれないわよ」

 乃利子はにこやかな表情で慰めてあげたが、

「たった一点でも、ママは絶対認めてくれないよぅ。ママはそういう人なんだ」

 茉里はますます落ち込んでしまった。

「ここは天羽さんの高度な説得力が試されますね」

 栄作はきりっとした表情で言う。

「茉里ちゃん、塾に行きたくないってこと、私も一緒におば様に交渉してあげるよ」

 実鈴はとても心配してくれる。

「なんか、悪いけど。頼むよ、ミスズちゃん」

 茉里は自分の力だけでは絶対無理だろうと確信し、実鈴に協力を求めることにした。


「皆さん、帰りのホームルーム始めますよ」

 四時間目終了後、ほどなくして菱池先生がやって来る。

「起立」

 学級委員長からの号令。

「天羽さーん」

「……あっ!」

 菱池先生に叫ばれ、慌てて椅子を引きガバッと立ち上がる。

さっき茉里一人だけ、座ったままだったのだ。

「茉里ちゃん、大丈夫?」

 実鈴から心配された。

「いやぁ、ちょっと考え事してて」

本当にママへの説得が上手くいくのかな? 茉里の頭はそのことでいっぱいだった。

「気をつけ、礼、着席」

 学級委員長からのこの号令後、クラスメート達が席に着き、菱池先生が連絡事項を伝えようとしたその時、

 教室前側の扉から、コンコンッとノックされる音が聞こえて来た。

「はーい」

 菱池先生が返事をすると、ガラリと扉が開かれる。

 訪れて来たのは、理科の高嶋先生だった。

「さっきの理科の試験についてやねんけど、重要な連絡があるねん。問い5の2、授業では教えてんけど高校の内容を出題しとったから、この問題はみんな正解にしとくわ。間違ってた子は答案持って来てや。一点だけ点数上げとくから」

 彼は続けてこんなことを伝えて来た。

「!! そっ、それじゃ」

 茉里は慌てて理科の答案を鞄から取り出した。問い5の2を確かめてみる。

しっかりと×が付けられていた。

(やったぁっ!)

気づいた瞬間、彼女の顔は瞬く間に綻ぶ。

「先生、ワタシ間違ってましたーっ!」

 即、イスを勢いよく引いてガバッと立ち上がり、菱池先生の下へと駆け寄った。

 茉里の目が、ちょっぴり涙で潤んでいた。

「天羽さん、泣くほど嬉しんか?」

 高嶋先生は優しく微笑む。

茉里の理科の点数は一点アップの七八点。こうして合計点は、四〇〇点ちょうどになった。見事大逆転! ママからのノルマを達成することが出来たわけだ。

「美術の試験も返しておきますね」

 高嶋先生が帰った後、菱池先生が告げる。いよいよ残り一教科。

「七九点かぁ。ワタシ、東の美術科はもう諦めが付いたよ。そこ目指す子は、九〇以上は取ってるみたいだもんね」

 予想よりも悪いと感じた茉里は苦笑する。

乃利子は八六点。実鈴は、八四点だった。

「おう、八二もある!」

 聡也は他の教科では取れない高得点に大喜びした。

「僕は七五だったよ」

 すぐ後ろの貞之は少し残念そうに呟く。聡也にテストの点数で一教科でも負けたのは、今回が初めてだったのだ。

 それから数十秒後、

「ぬわぁぁぁー。こんな、はずではぁー」

 とある男子の声が響き渡る。

 栄作であった。

「おう、よっしゃーっ! 一教科だけえいさくに勝ててよかった。えいさく六七か。えいさくの六〇点台って初めて見たな」

 聡也は栄作の結果を知った瞬間、喜びのガッツポーズを取った。

「実技の配点が、実技の配点が、あと四〇点、いや五〇点低ければ、こんなことにはぁ。天羽さんにまで負けてしまうとは、ショックであーる。トホホホホ」

 栄作はがっくりと肩を落とした。

「失礼よ! エイサクくん」

「いててて」

 茉里に理科の教科書で頭をパシーンと叩かれてしまった。

 平均点は六二点、学年トップは九五点、九〇点以上は十数名いるとのこと。

「えいさく、平均はあったんだから気にするなって」

「夏休みは、受験勉強と並行して絵の訓練もしてやるからね」

 爽やかな表情で慰めてくる聡也に、栄作は悲しげな表情で宣戦布告した。

「主要五教科でワタシがこんなに良い点取れたのは、タダユキくんとミスズちゃんと、ノリコちゃんのおかげだよ。ありがとう」

 茉里は嬉し涙を浮かべながら三人に感謝の気持ちを述べた。

「いやいや、僕は特に何も……」

 貞之は少し照れてしまう。

「これは茉里ちゃんの努力の成果だよ。茉里ちゃん、あんまり泣くと『あー○あん』の絵本みたいにお魚さんになっちゃうよ」

 実鈴は優しく微笑みかけ、頭をそっとなでてあげた。

「だってワタシ、本当に、嬉しくって」

 茉里はさらに涙が溢れ出て来る。

「茉里さん、学校の定期テストなんて、ただの通過点よ。泣くのは、第一志望校に受かった時よ。これでもまだ東高を受けようという子達の中では点数下の方なんだから。次はわたしに勝てるようになってね」

 乃利子はにこっと微笑みかけた。

「うん、乃利子ちゃん、次は負けないよ!」

 茉里はようやく泣き止み、無謀にも乃利子に宣戦布告する。

「あのう、ところで衣笠さん、お姉さんのテストの調子は、どうかな?」

「今のところ、地理B以外はかなり悪いよ。三〇点台から四〇点台の科目が多いし、物理なんか一八点だったし。ほぼ確実に二〇番どころか三〇番も超えられないと思う。それどころかビリかもね」

 貞之からの質問に、乃利子は微笑み顔で伝える。

「よかったぁ」

 貞之は安堵の表情を浮かべた。自分の結果よりも、智恵子の結果の方がずっと気になっていたのだ。


「ママ、これ、見てよ!」

「どうしたん茉里? そんなに興奮して」

 茉里はおウチに帰り着くとすぐに、数学と理科の答案をリビングでお昼のバラエティ番組を眺めていた母に見せ付けた。

「四〇〇、いったんよ」

「あらぁ、すごいじゃない茉里、乃利子ちゃんの答案カンニングしたん?」

 茉里の予想以上の高得点に、母は目を疑った。驚き顔で尋ねる。

「してないって。ていうか、出来るわけないじゃろ。ワタシの努力、素直に認めてよ」

「はい、はい。それにしても茉里、本当にぎりぎり回避ね」

 母にほとほと呆れられた。

「どう、ワタシもやれば出来るじゃろう」

 茉里はにっこり笑う。

「ひょっとして、今回はかなり簡単で、平均も四〇〇越えてるんじゃないでぇ?」

 母はにやりとした。

「そんなこと無いって。むしろ平均は前より下がっとるって」

「本当なん?」

「本当じゃって」

 茉里はとても機嫌良さそうだった。


        ☆


 さらに数日後の帰りのホームルームにて、期末テストの個人成績表も配布された。

「すごく上がってる。めっちゃ嬉しいーっ」

茉里は主要五教科で中間の九八位から、四六位まで一気にアップした。副教科を含めると五九位だ。

「やはり、美術の実技問題は鬼門であった。なんという不覚」

 結果を眺め、栄作は残念そうに呟く。彼の総合得点は九〇〇点満点中八五六点。学年四位に転落してしまっていたのだ。主要五教科は五〇〇点満点の四九七点で相変わらずトップであったが。

「初めて勝てて、すごく嬉しい!」

 総合一位を獲得したのは、乃利子だった。万年二位の座をついに奪還したのだ。栄作より一五点も高い八七一点で。

「本当に一教科だけえいさくに勝ててよかったぜ」

 聡也はとても機嫌良さそうに、栄作に気さくに話しかけた。

「他の教科は皆悪いんでございましょう?」

 栄作は得意げな表情で問う。

「もっちろん。総合じゃさらに順位下がったぜ。夏の新番組が良作揃いなせいやな」

聡也は苦笑いする。他の八教科は全て平均点を下回り、学年順位は一四八位であった。

「聡也、本当にもう東高は諦めろ。ていうかその順位じゃ近くの公立はどこも厳しいぞ」

「いやいや、諦めねえ。まだ入試本番まで八ヶ月もある!」

 貞之は忠告するも、聡也は聞く耳も持ってくれない。

「相変わらず楽天的だな。僕はけっこう上がったよ」

貞之の学年順位は、主要五教科については前回の三六位から、二八位までアップ。

副教科で少々足を引っ張ってしまい、総合では三七位だ。

「俺も夏休みは頑張らんとな。休み明けの課題テストでは東高に堂々と出願出来る五〇番以内を目指すぜ」

「口だけにならないようにね♪」

 栄作は得意顔で忠告しておいた。

「私も前より順位上がって、とっても嬉しい。乃利子ちゃんが厳しく指導してくれたおかげだよ。ありがとう」

実鈴は満面の笑みを浮かべ、乃利子の両手をぎゅっと握り締めた。

主要五教科四五七点で学年一〇位。総合では八二五点で学年一二位。技術・家庭科の家庭科分野と音楽で満点を取っていた。家庭科は大好きな保育分野ということもあり、楽しみながら問題が解けたのだ。

「本当だね。ノリコちゃんの教え方は先生よりもずっと上手いよ」

「僕も衣笠さんの力がなかったら、絶対前より順位下がってたよ」

実鈴だけでなく、茉里と貞之からも感謝されて、

「わっ、わたしは特に何もしてないわ。サクラのおかげよ。いやっ、みんなが勉強頑張ったからよ」

 乃利子は照れくさそうに謙遜してしまった。

この日の帰りのホームルームの後、三者面談が始まる。終業式の日まで数日に渡ってクラスメート全員に行われることになっているのだ。

茉里は初日に組まれてあった。

「天羽さん、期末テストよく頑張ったね。この調子なら、東高も射程圏内よ」

「そっ、そうですか」

 菱池先生からこう告げられると、茉里は緊張が解れ表情が綻ぶ。

「よかったわね、茉里」

 母もとても機嫌良さそうだった。

「でもまだちょっと厳しいよ。中間の成績が響いちゃって、内申点は東高第一志望の子の中では下の方だからね。二学期は今よりもっと良い成績が取れるように、夏休み返上でめっちゃ頑張らないとダメよ。夏休み明けの課題テストでは四五〇は取れるように、一日最低八時間は勉強しなさい」

 菱池先生は笑顔で忠告する。

「えーっ、そんなにぃ?」

 茉里は苦虫を噛み潰したような顔になる。

「茉里、分かった?」

 母に肩をポンッと叩かれた。

「いっ、一応」

 茉里は沈んだ声で答える。

「なるべく公立に入るんよ。私立だったらお小遣い、今の半分にするけんね」

 母はニカッと微笑みかけた。

「えっ! 高校生になって小遣い値下げはないじゃろ。そんな条件付けられるんなら、ワタシ、夏休みは本気で頑張るじょ!」

 茉里は慌ててこう宣言する。ついつい学校で阿波弁が出てしまった。

「天羽さん、頑張ってね。課題テスト、期待してるわ!」

 菱池先生は優しく微笑みかけエールを送ってくれた。

 これにて三者面談は終わり、茉里と母は教室をあとにする。

「それにしても茉里、ママはまさか四〇〇も取れるとは思わなかったじょ」

「ワタシもあれから毎日努力したけんね」

「よく言うわ。実鈴ちゃんや貞之ちゃん、乃利子ちゃんが面倒見てくれたおかげじゃろ。でも茉里、塾行かんでも大丈夫で? ママが小中学生の頃通わされた思い出の風叡館、行かせてあげたいなぁ。夏期講習だけは参加した方がいいんじゃないで?」

「大丈夫じゃって、行かんでも。あの子達から勉強教わるだけで受験対策は十二分じょ」

 廊下を歩きながら、楽しげに会話を弾ませる茉里と母。

貞之も今日の午後から行われた。

実鈴と栄作は明日。乃利子は明後日。聡也は、最終日の午前十一時から。彼の場合、通常一人一五分で済むところを、三〇分間取られていた。


「貞之さん、三者面談どうでしたか?」

三者面談の後、母と別れて一人で帰っていた貞之は、途中で乃利子に話しかけられた。

「東高第一志望で特に問題ないって言われて、今の成績を下げないように頑張りなさいって。一〇分足らずで終わったよ」

「そっか。わたしもすぐに終わりそう」

「あの、ところで衣笠さん、お姉さんのテストの結果は、どうなったのかな?」

 貞之は恐る恐る尋ねてみた。

「お姉ちゃんのクラスでも、個人成績表が今日返却されるって言ってたよ」

「そっ、そうなんだ」

 乃利子からそう聞かされ、貞之の心拍数が徐々に高まってくる。そんな時、

「乃利子ぉっ、貞之ちゃーん、やっほー」

 噂をすれば影が立つのことわざ通り、智恵子が二人の前に姿を現した。

 かなり嬉しそうに駆け寄って来て、個人成績表を見せ付けてくる。

「あたし、クラスで二〇番以内に入れたよ」

「うっ、嘘……」

「そっ、そんなぁ」

 目にした瞬間、乃利子と貞之の顔の血の気が引いた。

 智恵子の総合得点のクラス順位は三八人中、一七位だったのだ。

地理Bに至っては八位であった。

「お姉ちゃん、まさか本当に二〇番以内に入れるとは……平均点、こんなに低かったんだ……」

 乃利子はまだ信じられないといった様子。

「どう乃利子? あたしを見直した?」

 智恵子は得意げな表情を浮かべる。

「……」

 乃利子は無言のまま、こくりと頷いてしまった。

「あの、お姉さん。僕、今日は、忙しいから……」

 貞之は慌ててその場から逃げようとした。しかし、

「待って貞之ちゃん、お駄賃あげるから。時給五百円」

「うわぁっ!」

 智恵子にすぐに後ろ襟をつかまれてしまった。

「貞之さん、わたし一人だけヌードになるのは嫌なので、一緒にご同行お願いします!」

 乃利子は、助けてくれるのかと思いきや逆に応戦して来た。貞之を挟み撃ちする。

「あっ、あの、ちょっと、待って……」

 こうして貞之は強引に衣笠宅智恵子の自室に連れ込まれてしまった。

「さあ、まずは貞之ちゃんのヌードから描いてあげるね♪」

 智恵子はB4サイズのスケッチブックと4B鉛筆を手に取る。かなり興奮気味だった。

「お姉ちゃん、モデルになって下さる貞之さんの体を触るとか、ペロッて舐めるとか、くんくん匂いを嗅いでみるとか、フゥって息を吹きかけるとか、猥褻なことしちゃ絶対ダメだからね」

 乃利子は困惑顔で注意する。

「分かってまーす♪」

 智恵子はてへりと笑った。

「……」

 貞之は今、恐怖心でいっぱいだった。

「貞之さん、わたしは目を逸らしてますから、気にしなくていいですよ。お姉ちゃんが貞之さんに猥褻なことをしないよう監視しています」

 乃利子は、智恵子が学校で使っている物理の教科書を眺めながら伝えた。

「あっ、ありが、とう」

 貞之の声は震えていた。

「貞之ちゃん、やっぱり恥ずかしいみたいだね。それじゃお詫びに、あたしもすっぽんぽんになって描くから。二人だけに恥ずかしい思いはさせないよ」

「あわわわ、お姉ちゃん、ダメダメ」

 上着を脱ぎ捨てようとした智恵子を、乃利子は慌てて阻止する。

「……」

 貞之はどうコメントすればいいのか分からなかった。

「べつにいいじゃない、暑いし」

「でもそうすると、貞之さんの下半身が……」

 乃利子は頬をカァッと赤らめながら、智恵子の耳元で囁くような声で伝えた。

「それもそっか。ごめんね、貞之ちゃん。じゃあまずは上着から脱いでね」

「わっ、分かった」

 貞之は言われた通りポロシャツから脱ぎ、上半身裸となる。

「乳首、きれいなピンク色してて、いい体だね。肩の辺りがちょっぴり赤くなってるのは、プールで日に焼けた跡だね。さあ、下もいっちゃおう」

「うっ、うん」

続いて靴下と、ズボンを脱いだ。今、貞之はトランクス一枚だけの姿だ。

「貞之ちゃん、あと一枚だけだよ。さあ、勇気出してそれも脱いじゃおう」

「あっ、あの、お姉さん。もう少し、待って」

 貞之は恥ずかしそうに言う。

「もしかして……大きくなっちゃってる? 気にしなくていいのよ。思春期真っ只中の男の子なら、普通のことだもの。大丈夫よ。走れメロスの主人公も全裸になってるんだから、貞之ちゃんも恥ずかしがらずに」

 智恵子は貞之の穿いているトランクスの前面をじーっと見つめながら優しく言う。

「やっぱりこれ以上は、ちょっと無理」

 貞之は困惑してしまった。

「もう、貞之ちゃんったら、すっかり恥ずかしがり屋さんになっちゃって。あたし昔、貞之ちゃんをお風呂に入れてあげたことがあったんだよ。覚えてないの?」

「覚えてないよ」

 智恵子の質問に、貞之は即答する。

「まあ、覚えて無くても無理はないか。貞之ちゃん四歳くらいの時だもんね。あの時他に乃利子と、実鈴ちゃんと、茉里ちゃんも一緒にいたよ」

「ほっ、本当にそんなこと、あったの?」

 智恵子からの突然の報告に、貞之は耳を疑う。貞之の頬はカーッと赤くなった。

「確かにあったような。わたし、微かに記憶が……」

 乃利子は思い出してしまったようだ。

「僕は全然覚えてないよ!」

 貞之は必死に否定する。

「あたしが貞之ちゃんの大事な部分を最後に拝見したあの日から十年余り、あたし、貞之ちゃんの成長具合を見てみたいの。お願い、トランクスも脱いで」

 智恵子はしつこく要求してくる。

「あの、お姉さん、トランクスだけは、勘弁して」

 貞之は悲しげな表情で頼み込んだ。

「お姉ちゃん、もうやめてあげて。貞之さんかなり怖がってるから。これ以上無理強いすると刑法第178条準強制わいせつの罪で、お姉ちゃんがお巡りさんに捕まっちゃうよ」

 乃利子も法律用語を用いてお願いする。

「……分かったわ。貞之ちゃん、トランクスは、脱がなくていいよ。思春期を迎えた男の子のあそこは、まだ、漫画と絵画と彫刻だけに留めておきますので」

 智恵子は頬を赤らめながら伝えた。

「あっ、ありがとう、ござい、ます」

 貞之はぺこんと一礼した。

「それじゃ、その椅子に上がってね」

「うん」

 智恵子に頼まれると貞之はぎこちない動きで学習机備え付けの椅子を引っ張り出し上に乗り、気を付けの姿勢をする。クーラーからの冷風が直撃し、彼はちょっぴり寒く感じた。

「ダビデ像みたいなポーズをとってね」

「こっ、こう?」

 智恵子から指示されると貞之は少し足を広げ、顔を少し横に向ける。続けて左腕をぐっと曲げあごへ近づけ、握りこぶしを作った。

「そうよ。とっても素晴らしいわ」

 智恵子はまじまじと、貞之の全身を眺める。

「あっ、あのう、なるべく早く描き終えてね」

 貞之は気まずそうにお願いする。

「うん。あたし、貞之ちゃんを、一生懸命デッサンするよ!」

 智恵子は床の上で体育座りをし、スケッチブックを広げ太ももの上に置くと、休まず4B鉛筆を手に取った。

 ちょうどその時、ギュルルルゥゥゥゥと、お腹の鳴る音。

「あのう、貞之ちゃん、しばらーく待っててね。おトイレ行って来る。あたし、アイス食べ過ぎて急にお腹がゆるくなっちゃったから」

 音源は智恵子だった。彼女はお腹をさすりながら苦笑顔でこう伝えて立ち上がり、部屋から出て行った。

「この隙に逃げよう」

 貞之は、これはチャンスだと思い椅子から飛び降り、脱いだ服に手を伸ばそうとした。

しかし、

「貞之さん、帰らないで下さいっ!」

 乃利子に背中からガシッと抱きつかれ阻止されてしまった。

「でっ、でも……」

「お姉ちゃんはまだ一筆も描いてません! わたしもこのあとヌードになるんですから」

「いっ、嫌だよ。僕もう帰るから」

「待って下さい。お願いします!」

「それは無理」

 貞之は体をぶんぶん揺さぶり、必死に抵抗する。

 次の瞬間、

「えーい、やあっ!」

 乃利子は貞之のトランクスの裾をガシッと掴んだ。そして彼を中にふわりと浮かせたのちベッドの上に放り投げたのだ。 

「うわっ!」

貞之はビターッン! とうつ伏せ状態に叩きつけられた後ごろんと一八〇度回転し、仰向けの状態になった。

「きゃっ!」

乃利子も勢い余ってバランスを崩し、うつ伏せ状態で貞之の上半身の上に倒れこんでしまう。

「いたたた」

「ごっ、ごめんなさい貞之さん、すぐに退くので」

 乃利子は、貞之の両乳首をしっかりと両手で覆っていた。そのことにハッと気づくや否や、慌てて起き上がる。

「あっ、ありがとう」

 貞之は乃利子の想像以上の力に唖然とする。

 すごく、速かった。と乃利子は感じた。ドクドクドクドク貞之の心拍数がかなり高まっていたのだ。

「貞之さん、お相撲の技を使ってしまって大変申し訳ないです。お怪我は無いですか?」

 乃利子は深々と頭を下げて謝る。彼女は中学一、二年生の時、体育の選択武道で多くの女子が剣道を選ぶ中、柔道よりもさらに少数派の相撲を選んでいたのだ。

さっきは大相撲の決まり手の一つ、送り吊り落としを食らわしたわけである。

「うん、大丈夫。あの、衣笠さん、僕、モデルを続けるよ。お姉さんのためになるなら」

「ありがとう」

 乃利子は恥ずかしさのあまり、貞之と目を合わせられなかった。

「ん? 何だろう、これ?」

 貞之は、布団の下から出て来た一枚の用紙に目を留めた。

「これって……お姉ちゃんの個人成績表じゃない? あれ? 三九人中、三七位になってる」

 乃利子は顔を近づけ、不思議そうに眺める。

「こっちが本物で、これは、偽物じゃ……」

 貞之は勘付いた。

「一七位ってなってる方、印刷した時刻も載ってるわ。今日の、午後二時三七分」

「僕が三者面談してた時間帯か」

「お姉ちゃんの学校、今日は授業昼までで終わってるからそれまでに返却されてるはず。あれは偽物、こっちが本物でほぼ確定ね。お姉ちゃんのやつぅぅぅぅぅ!」

 乃利子は目をカッ! と大きく見開いた。

 その時タイミング良く、

「ただいまぁー。お腹落ち着いたよ。さぁーて、気を取り直して貞之ちゃんのヌードを描きまくるぞーっ♪」

 智恵子が戻ってくる。

「お姉ちゃぁん、これは、一体どういうことかなぁ?」

 乃利子は智恵子の肩をガシッと掴み、本物と思われる個人成績表を智恵子にかざしながらニカーッと微笑みかけた。

「そっ、それは…………ごめんね乃利子、貞之ちゃん、この良い方の成績表は、じつはダミーなの。あたし、今日の放課後情報処理実習室に寄って、エクセルで本物のを参考にして架空の成績表を作り直したのだ。だって、どうしても貞之ちゃんと乃利子のヌードが描きたかったんだもん♪」

 智恵子はてへりと笑う。

「あっ、あのう。僕の、ここまでの行いは……」

 貞之は悲しげな表情を浮かべていた。

「お姉ちゃぁん、ちょーっといいかなぁ?」

 乃利子はニカッと笑う。

「いっ、いやぁ。あっ、そういえばあたし、これから友達とプールへ行く約束が……」

「待って!」

「ひぃ! お詫びにあたしも全部脱ぐから、許してぇぇぇぇぇ」

「何言ってるのよ。これは文書偽造罪よ!」

 逃げようとしたところを、乃利子にあっさり捕まえられる。

「平均点と順位表しか弄ってないのにぃ、乃利子ぉ、放してぇ」

「お仕置きしてからね」

 乃利子はそう言うと智恵子の左腕を両手でガシッと掴み、自分は智恵子から背を向けるようにして肩に担ぎ上げた。

 休まず、

「えーい!」

 と掛け声を出して智恵子を中に舞わせ、ベッドの上に叩き付ける。

「きゃぁんっ!」

智恵子はうつ伏せ状態となった。

乃利子は今しがた一本背負いを食らわせたのだ。柔道の技として有名だが、これも大相撲の決まり手の一つである。

「お姉ちゃんは本当に悪い子ね。もっとお仕置きしないと」

 乃利子は続けて智恵子の穿いていたスカートを、中のショーツと一緒にズルッと引き摺り下ろした。

 智恵子のぷりんっとしたお尻が露になる。

「うわっ!」

 それを一瞬見てしまった貞之は反射的に目を覆う。彼はさっきのやり取りの間に服を着ていた。

「いっ、いたぁーい。乃利子ぉ、もうやめてぇぇぇぇぇ」

 智恵子のお尻をペンペンペンペンペンペンペンペンペンペン。

 乃利子は、十発以上は思いっ切り叩いた。

「お仕置き完了。今度同じようなことしたらこんなもんじゃ済まないからね」

「ひぃぃぃ」

 乃利子にニカッと微笑まれ、恐怖を強く感じた智恵子は夏用布団にうずくまる。ほんのり赤くなったお尻丸出しのまま。従来の意味とは異なるが、『頭隠して尻隠さず』である。

「貞之さん、お姉ちゃんを思いっ切りビンタしていいからね。殴って泣かしちゃってもいいよ」

 乃利子はにやけ顔で言う。

「そんなことは、出来ないよ」

 心優しい貞之はこう言ってくれた。

「さすが貞之ちゃん、とっても良い子ね。乃利子も見習わなきゃダメよ」

 智恵子は布団から出て来て、貞之のうなじを一指し指でそっとなでた。

「――っ!」

 貞之は背筋がゾクッとなる。

「じゃあ続きは、サクラにやってもらおっと」

「ぃやぁーん。サクラ怖ぁい」

 智恵子のかわいい悲鳴が響き渡る。

 サクラもいつの間にか、ここに入室していた。

「サクラ、思いっ切りやっちゃっていいよ♪」

 乃利子はにこっと微笑む。

「オーケイ」

 サクラはこんな返事をした後、智恵子の方を向いて、

「バッカモーン!」

と一喝した。休まず智恵子の顔面目掛けてダイブし、羽をバタバタばたつかせる。

「ひゃぁーん、もう勘弁してぇぇぇ」

 容赦なく突っつかれ、羽でほっぺたをベシベシ叩かれた智恵子は、再び布団にうずくまった。

「貞之さん、お姉ちゃんが無礼なことをして、大変申し訳ございませんでした」

「いやっ、僕は全然気にしてないから」

 貞之は帰り際、乃利子から多大なご迷惑をかけたお詫びとして、夕張産の高級メロンを戴いたのであった。

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