第三話 貞之のドキドキ人生初デート?

そしてやって来た日曜日、朝九時頃。東垣宅玄関先。

「私服姿の実っちゃんも、とってもかわいいわねぇ」

「ありがとうございます、おば様」

 実鈴は鶯色のワンピースを身に着けて、貞之を迎えに来ていた。

「貞之、トリプルデート、思いっきり楽しんで来なさいよ」

 母に肩をポンッと叩かれにこにこ微笑まれた。

「母さん、デートじゃないって。修学旅行の班行動みたいなものだって。聡也と栄作もいるから」

 貞之は照れくさそうに否定する。彼はデニムのジーパンに、グレーと白の縞柄セーターという格好だった。

「じゃあ行こう、貞之くん」

「うっ、うん。今日は晴れてよかったね」

 それほど派手な服装ではないそんな二人は、待ち合わせ場所に指定した最寄りの駅へと向かって歩いていく。

「やっほー、ミスズちゃん、タダユキくん」

「おはよう実鈴さんに貞之さん。今日は真夏みたいに蒸し暑いですね」

 辿り着いた時には、すでに茉里と乃利子が来ていた。

「おはよう」

 貞之は少し緊張気味に、

「おはよう、茉里ちゃんも乃利子ちゃんも、かわいい服だね」

 実鈴は爽やかな表情で挨拶を返す。茉里は青色のサロペット、乃利子はオレンジ色のサマーニットにデニムのホットパンツというスタイルだった。

「聡也と栄作は、まだ来てないのか」

「まだ約束の時間まで五分以上あるからね」

 貞之の呟きに、茉里がすかさず突っ込む。

 構内で、貞之が周りをきょろきょろと見渡していたその時、彼のスマホの着信音が鳴った。

「聡也か。迷ったのかな?」

 番号を見るとこう呟いて、通話アイコンをタップする。

『ただゆき、俺、やっぱポンバシの声優トークイベント見に行くことにするわー』

「えっ!」

 聡也の突然の報告に、貞之はたじろぐ。

『ボクも一緒だよーん。ボクと鶴目君はただ今なんばウォークを移動中だよーん。東垣君は、白阪さんら三次元とのデートを楽しんできたまえ』

 栄作の声もした。

「ちょっ、ちょっと待ておまえら。こっちの方が、絶対楽しいぞ」

 貞之は焦るように説得するが、

『俺、初めっからそっち行く気全く無かったし。貞之、三次元女とのトリプルデート楽しんで来いよ。じゃあな♪』

 聡也から爽やかな声でそう告げられて、電話を切られてしまった。

「あっ、あのさ、聡也と栄作、ポンバシで声優のトークイベントがあるからそっちへ行くって言うから、今日は、中止で……」

「それじゃ、私達三人と、貞之くんとで行こう!」

 実鈴は強く誘ってくる。

「えっ、そっ、そんなの僕、嫌だよ」

 貞之は動揺する。

「タダユキくん、そんなに照れなくても。風叡館もサクラも、このメンバーで見に行ったじゃん」

茉里はくすっと微笑む。

「その時は、移動距離が短かったし、僕はただ歩くだけだったし、でも今回は……」

 尻込みしてしまった貞之に、

「ド○えもんのし○かちゃんだって、男の子三人とよく一緒に行動してるでしょ。それの性別逆バージョンと考えればいいのよ」

 乃利子は爽やかな表情で意見した。

こうして貞之は、三人の力によって強引に電車に乗せられ、近隣の大型ショッピングモールへ連れて行かれた。

貞之達の通う中学ではゲームセンター、ボウリング場、カラオケボックス等遊戯施設への立ち寄りは保護者同伴でない限り禁止。デパート、ショッピングモール、のびのびパスポートが利用出来る有料施設へは近郊に限り生徒達だけで立ち寄っても良いが、その場合も校則で事前に計画書を提出しなければならないことになっている。実際、それを忠実に守る生徒はほとんどいないが、この女の子三人はきちんと守っていた。

「ワタシも声優さんのトークイベント見に行きたかったんだけど、ディープな男の人が多くて怖いからちょっとね。声の演技だけじゃなく、あんな人達と笑顔で握手出来る女性声優さんは凄過ぎるよ」

 茉里は感心と尊敬の念を抱く。

「ああいうの、男の僕から見ても怖いよ。聡也や栄作がよく見てる、ライブイベントのブルーレイで声優さんが挨拶する度に、うをおおおおおーっ、とかオットセイみたいに叫んで、声優さんが歌ってる時はペンライトを振り回してうぉうぉ叫びながらすごい激しく踊ってる集団」

 苦笑いする貞之に、

「徳島のマチ★アソビにもそういう系の人、イベントによってはいっぱい集まってくるよ」

 茉里は爽やかな笑顔で伝えた。母の実家が徳島にあるということもあり、ほぼ毎回そのイベントを泊りがけで見に行っているのだ。

「お姉ちゃんなら、そういう系の人も、平気かもしれない」

 乃利子は暗い表情で呟いた。

「私は恥ずかしがり屋さんだし怖がりだから、声優さんは絶対無理だなぁ」

実鈴も苦笑いを浮かべる。

一階出入口を抜けて館内に入ると、

「茉里さん、迷子になっちゃうかもしれないから、おてて繋いであげよっか?」

 乃利子は見下すような声で話しかけてくる。

「誰がノリコちゃんなんかのお世話に!」

 茉里は眉をくいっと曲げ、乃利子をキッと睨み付けた。

「二人とも仲良くしようね。それじゃまずは、レディースファッションコーナーに行くよっ!」

 実鈴は楽しそうな声で伝える。

「えっ! そこって男の俺が行くのは……」

 貞之は嫌がるも、

「まあまあ貞之くん、彼女や家族の付き添いで来てる男性も多いから」

完全にスルーされてしまった。

四人はそのコーナーがある五階へ、エスカレータで移動していく。

 あっという間に辿り着いたレディースファッションコーナーの一角。

「どれにしようかなぁ?」

「選択肢がいっぱいあって迷っちゃうね」

 茉里と乃利子は商品棚をじっと眺めながら呟く。

「あの、僕、六階の本屋さんで待ってるから」

 貞之は商品棚から目を背けようとする。

 ここは、男には非常に居辛い女性用下着類の売り場なのだ。茉里と乃利子は伸びてきたからという理由で、新しいパンツを欲しがっていた。

「ダメだよ。私達のそばにいなきゃ。広いから迷子になっちゃうよ」

 実鈴は困惑顔になった。

「わっ、分かったよ」

 貞之はすぐに観念して床に視線を送る。

「レッサーパンダさんのパンツ、めっちゃかわいい! ワタシ、これ買おう!」

「わたしはおサルさん柄のを買おう。学校ある日は穿かないけど」

 二人は他にもリス、ウサギ、ゾウといった動物柄や、いちご、キウイ、ミカンといった果物柄のショーツも楽しそうに物色する。お気に入りのが見つかると、買い物籠へ。

「どれでも好きなのを選んでね」

代金は全て実鈴が支払ってくれるそうだ。彼女もゾウさん柄のショーツを一枚選び、籠に詰めた。

(早く、別の所へ行きたい)

貞之は居た堪れない気持ちでいっぱいだった。

「貞之くん、私のブラジャーはどの色がいいと思う?」

実鈴は貞之をからかおうと言う気は全く無く、至って真剣な様子だった。白の他、紫や黒といった派手でアダルティーな色のブラジャーも見せつけて相談してくる。

「白か、ピンクでいいよ。実鈴ちゃんに、そんな派手なのは似合わないから」

 貞之はブラジャーから目を逸らしながら即答した。

「じゃあ私、これにするよ。選んでくれてありがとう」

 実鈴は白のブラジャーを二つ、籠に詰めた。

「ノリコちゃんは胸ぺっちゃんこだからまだいらないね」

「茉里さんの方こそ!」

「ワタシはもう付けてるもんねー」

 茉里と乃利子は睨み合って対抗し合う。

「あの、みんな、早く、ここから出よう」

 貞之はせかそうとする。

「じゃあ、そろそろ出よっか。貞之くんのパンツも買ってあげるよ。トランクスかブリーフ、どっちがいい?」

「べつに、いらないよ」

 実鈴の厚意を、貞之は照れくさそうに断ったが、

「いいから、いいから。この間のお礼がしたいし」

 実鈴に半ば強引に、同じフロアにある紳士服コーナーへと連れて行かれてしまった。

「実鈴ちゃん、僕、これで」

 貞之は迷うことなく自ら柄を選んだ。

 実鈴に自分の穿くトランクスを選んでもらうのは、非常に情けないと感じたからだ。

「貞之くん、このおズボンも穿いてみて」

 実鈴は青色の半ズボンを差し出して来た。

「やめとくよ。半ズボンって、小学生みたいだし」

「まあまあ、そう言わずに。試着室あそこにあるよ」

「じゃっ、じゃあ、着てくるね」

 貞之は半ズボンを受け取ると自ら試着室へと入り、シャッとカーテンを閉めた。

 それから三〇秒ほど後、貞之は再び三人の前に姿を現す。

「貞之くん、よく似合ってるよ」

「タダユキくん、格好いい!」

「とってもよくお似合いです。お世辞抜きで」

「どっ、どうも」

 三人から褒められ、貞之は照れてしまう。

「この服も貞之くんにも似合いそうだから、四つ買っておくね」

 実鈴は紳士服コーナー隣接のキッズファッションコーナーにあった、可愛らしいタヌキの刺繍がなされたセーターも手に取って、貞之の目の前にかざしてきた。

「実鈴ちゃん、それ、女の子向きでしょ。僕が着るの、めちゃくちゃ恥ずかしいよ」

「貞之くん、ジェンダーの固定概念を持ち過ぎるのは良くないよ。この間、道徳の授業で先生が言ってたでしょ」

貞之は嫌がるも、実鈴はその商品も籠に詰め、レジへ持っていってしまった。

(僕、そんなの絶対着ないからね)

 その間に、貞之は試着したズボンから今日着てきた長ズボンに履き替え、試着した半ズボンを商品棚に戻しておいた。

「これ、茉里さんに似合いそう。買ってあげようか?」

「ノリコちゃん、それは乳幼児向けだよ。いくらワタシでもサイズ合わないよ」

 乃利子と茉里はキッズファッションコーナーで楽しそうにおしゃべりし合う。

「お待たせー。あっ、あれも買わなきゃ。もうすぐ切らしちゃうから」

 会計を済ませ、三人のもとへ戻って来た実鈴はふと思い出した。

そんなわけで四人は、紳士服コーナーと同じフロアにある薬局へと足を踏み入れる。

「貧血の薬?」

 貞之が尋ねると、

「違うの。これ」

 実鈴は商品棚にある対象物を指し示した。

「こっ、これは……」

 貞之は思わず下を俯く。実鈴が買おうとした商品は、思春期を迎えた女の子が毎月一回程度のペースでやって来る、アレを補助するアイテムだったのだ。

「これもまだノリコちゃんには必要ないね」

「茉里さんだってまだなくせにぃ!」

「とっくに来てるもんね。中一の終わり頃に」

「あっ、そう。個人差があるんだから早けりゃいいってもんでもないでしょ」

 茉里と乃利子、またも対抗意識が芽生えてしまった。

(女の子の買い物に付き合うのは、大変だぁー)

 貞之はげんなりとする。彼はショッピングモールに入ってからかなりのカロリーを消費してしまったようである。

「もう十一時半過ぎか。そろそろお昼ごはんにしよう」 

 茉里は、スマホの時計を眺めながら提案した。

「そうだね。正午過ぎになるときっと込んでくるし、僕もおなか空いて来た」

「私もお腹ぺこぺこー。このファミレスで食べよう」

 実鈴は店内パンフレットを指差す。

「いいねえ。ミスズちゃんナイスチョイス」

「わたしもそこがいいです」

「僕も同じく」

 他の三人も快く賛成。こうして四人は、該当する場所へと向かっていった。

「四名様ですね。こちらへどうぞ」

お目当てのファミレスに入ると、ウェイトレスに四人掛けテーブル席へと案内された。

茉里と乃利子、実鈴と貞之が向かい合う形に座ると、実鈴がメニュー表を手に取った。

「お母さんがお昼は五千円まで使っていいって言ってたから、少し高めのを頼んでもいいよ。私はお手頃価格のミートスパゲティーにするけど」

「僕は、天ざる蕎麦で」

「タダユキくん渋いねえ、ワタシは、奮発して三田牛ステーキ定食!」

 三人はすんなりとメニューを決めた。

「……」

 まだ迷っていた乃利子に、

「乃利子ちゃんはどれにする? いっぱいあり過ぎて迷っちゃうよね? じっくり決めていいよ」

 実鈴は優しく話しかける。

「あっ、あのね、わたし……お子様、ランチが、食べたいなぁって思っちゃって……」

 乃利子は顔をやや下に向けて、照れくさそうに小声でポツリと呟いた。

「乃利子ちゃん、今でもお子様ランチ食べたがるなんてかっわいい」

「ノリコちゃん、幼稚園児みたいだぁ」

実鈴と茉里はにっこり微笑みかける。

「さすがに中学三年生ともなると恥ずかしいから、やっぱりトルコライスにするわ」

 乃利子はさらに照れくさくなったのか、メニューを変更。

「乃利子ちゃん、本当は食べたいんでしょう? 食べないと、きっと後悔するよ。ここでは年齢制限ないみたいだし」

「僕も、気兼ねすることなく食べた方がいいと思うな」

実鈴と貞之がこうアドバイスすると、

「じゃあわたし、これに決めた!」

乃利子は顔をクイッと上げて、意志を固めた。

「私が注文するね」

 実鈴は呼びボタンを押し、ウェイトレスに注文する。

 それから五分ほどして、

「お待たせしました。お子様ランチでございます。はい、お嬢ちゃん。ではごゆっくりどうぞ」

 乃利子の分が最初にご到着。新幹線の形をしたお皿に、旗の立ったチャーハン、プリン、タルタルソースのたっぷりかかったエビフライなど定番のものがたくさん盛られている。さらにはおまけにシャボン玉セットも付いて来た。

「……ワタシのじゃ、ないのに」

 茉里の前に置かれてしまった。茉里は苦笑する。

「あらあらっ、茉里さんが頼んだように思われちゃったね」

 乃利子はくすくす笑いながら、お子様ランチを自分の前に引っ張った。

「茉里ちゃん、若く見られてるってことだから、気にしちゃダメだよ」

(ウェイトレスの気持ちは良く分かる)

 実鈴と貞之は笑いを堪えていた。

「……悔しい」

 茉里は内心ちょっぴり落ち込んでしまった。

さらに一分ほど後、他の三人の分も続々運ばれて来た。

 こうして四人のランチタイムが始まる。

「エビフライは、わたしの大好物なの」

 乃利子はしっぽの部分を手でつかんで持ち、豪快にパクリとかじりつく。

「美味しいーっ!」

 その瞬間、とっても幸せそうな表情へと変わった。

「乃利子ちゃん、あんまり一気に入れすぎたら喉に詰まらせちゃうかもしれないよ」

「モグモグ食べてるノリコちゃんって、なんかキンカンの葉っぱを食べてるアオムシさんみたいですごくかわいいね」

 実鈴と茉里はその様子を微笑ましく眺める。

「乃利子ちゃん、食べさせてあげるよ。はい、あーんして」

 実鈴はお子様ランチにもう一匹あったエビフライをフォークで突き刺し、乃利子の口元へ近づけた。

「ありがとう、実鈴さん。でも、食べさせてもらうのはちょっと恥ずかしいな」

 乃利子はそう言いつつも、結局食べさせてもらった。

「タダユキくん、育ち盛りなんだし天ざる蕎麦だけじゃ足りないでしょう? ワタシのも分けてあげるよ。はい、あーん」

 茉里はステーキの一片をフォークで突き刺し、貞之の口元へ近づける。

「いや、いいよ」

 貞之は左手を振りかざし、拒否した。彼は照れ隠しをするように麺を啜った。

「タダユキくん、かわいい」

「貞之くん、お顔は赤くなってないけど照れてるね」

 茉里と実鈴はにこっと笑いながらそんな彼を見つめた。

四人が昼食を取り終え、レストランから出てほどなくして、

「あの、私、おトイレ行ってくるね」

 実鈴はもじもじしながら伝える。

「ワタシもちょうど行きたいと思ってたところだよ」

「わたしもー。漏れそうです」

 茉里と乃利子も同調した。

「じゃあ荷物、持っててあげるよ」

 貞之は優しく気遣う。

「サンキュー、タダユキくん。さすが男の子、頼りになるね」

「申し訳ないです貞之さん、なるべく早く戻って来るので」

「ごめんね貞之くん、迷惑かけちゃって」

こうして三人は荷物を貞之に預け、最寄りの女子トイレの方へ向かっていった。

 貞之は受け取った紙袋を近くの長椅子に置き、自身も腰掛ける。

(早く、戻ってこないかなぁ)

 待っている間、かなり気まずそうにしていた。

 紙袋の中には、動物柄&果物柄ショーツとブラジャー、生理用ナプキンという、男性が持っていたら変質者扱いされかねないグッズが詰められてあったからだ。

 親子連れやカップルが何組か、彼の目の前を通り過ぎていく。

あれから四分ほどのち、

「待たせて申し訳ございません。けっこう混んでいまして」

「タダユキくん、待たせてごめんね」

「お待たせーっ。貞之くんは、おトイレいいの?」

三人がようやく戻って来た。

「うん、まだ大丈夫」

「行った方がいいよ。映画一時間半くらいあるし、おもらしちゃうかもしれないよ」

「それはないって」

 実鈴から心配そうな顔で言われ、貞之はドキッとしてしまう。

「そういやタダユキくん、幼稚園の頃、ド○えもんの映画一緒に見に行った時、途中でおしっこ行きたくなったのに我慢して漏らしたよね」

「あの、天羽さん。その話は、止めてね」

 貞之は頬を火照らせた。決まり悪そうに男子トイレへと向かっていく。

「シャイだねぇ、タダユキくん」

 茉里はにこにこ微笑む。

「貞之さん、すごく心優しいよね。去年、地域清掃ボランティアの時、重たいゴミ袋持ってくれて嬉しかったな」

「そんなことがあったんだ。私もいろいろ貞之くんのお世話になってるよ。学校お休みした時はプリントとか、給食のデザートを届けてもらったり」

 三人で貞之のことをいろいろ話しているうち、

「お待たせ」

 貞之が戻って来る。三人の会話が彼にも聞こえていたようで、少し照れていた。

四人はショッピングモールから外に出て、併設するシネコンへと向かっていく。

「えっ、あれを見るの?」

 館内チケット売り場前にて、貞之は少し動揺した。

「そうだよ」

実鈴はきっぱりと言う。

「あれはちょっと……」

「ワタシ達が見るのは、恥ずかしいよね」

 貞之と茉里は苦笑いを浮かべた。

「茉里ちゃん、かわいい女の子がいっぱい出て来るアニメ好きでしょ?」

「確かに大好きだけど、こういう、子ども向けのやつじゃなくって……」

「私も大好きなの。私が今日、みんなを遊びに誘った一番の理由は、一緒にこれが見たかったからなんだ」

 実鈴はとても嬉しそうに打ち明ける。

「けっこう面白そうじゃない」

 乃利子も興味津々な様子だった。

 実鈴が見たがっていたのは一月ほど前、ゴールデンウィークに公開された女児向け魔法もありのファンタジーギャグアニメだったのだ。

「中学生四枚お願いします」

チケット売り場にて実鈴が入館料金を四人分まとめて支払うと、受付の人がチケットと共に入館者全員についてくるキラキラして可愛らしいおもちゃのペンダントをプレゼントしてくれた。

「天羽さん、これあげるね」

「ありがとうタダユキくん♪」

 和雪は速攻茉里に手渡した。茉里が受け取ったものとは種類違いだった。

そのあと四人はチケット売り場向かいにある売店で、ポップコーンなどのお菓子類やドリンクを買い、大型スクリーンのある劇場内へ。薄暗い中を前へ前へと進んでいく。

「みんな、なんか周り、幼い子ばっかりだから、やっぱり見るのやめない?」

「まあまあ貞之くん。気にしなくてもいいじゃない。童心に帰ろう」

「気にせず見ましょう。わたし達より遥かに年上の男性お一人様の姿も何名か見受けられますし」

「貞之くんも見ればきっと嵌るよ」

 貞之は実鈴に手をぐいぐい引っ張られていく。

 前から五列目の席で、貞之は実鈴と茉里に挟まれるように座った。座席指定なのでそうなってしまった。乃利子は実鈴の隣に腰掛ける。

(視線を感じる)

 貞之はとても落ち着かない様子だった。三十名ほどいた他の客、七割くらいは小学校に入る前であろう女の子とそのお母さんであったからだ。

上映時間七〇分ほどの映画を見終えて、

「とっても面白かったね。オマケのおもちゃも貰えたし最高だよ」

「子ども向けに作られたアニメって、いくつになって見ても面白いわ」

実鈴と乃利子は大満足していた。

「八〇点かな。声優さんはすごく良かったよ」

「まあ、思ったよりは良かった。子どもの騒ぎ声がうるさかったけど」

 茉里と貞之の率直な感想。

「貞之くんも昔、子ども会のイベントでアニメ映画鑑賞した時、あんな感じだったよ。茉里ちゃんと乃利子ちゃんと、栄作くんは大人しく見てたけど」

「そうだったかな?」

 実鈴に突っ込まれ、貞之はちょっぴり照れた。

「動物さんもすごくかわいかったね。私、動物さん大好き。王子動物園は毎月三回くらい通ってるよ。あと、須磨の水族館や六甲山牧場も月に一回くらい」

「ミスズちゃんマニアだね。いくら『のびパス』で無料だからって」

「わたしもそれを利用して青少年科学館へしょっちゅう訪れてるの。そこで栄作さんに会うこともたまにあるよ」

 乃利子は嬉しそうに伝える。

「高校生になるとこれが使えなくなるのは残念だなぁ。高校生まで対象広げて欲しいよ」

「でもそうすると、施設の経営が危うくなっちゃうよ」

 不満を呟いた実鈴に、乃利子は笑顔でこう意見しておいた。

映画館を後にした四人は、最寄り駅から電車に乗り近場の遊園地へと向かっていく。

入口ゲートを抜けてすぐ、

「ノリコちゃん、迷子にならないように手を繋いであげよっか?」

 茉里はにこにこ微笑みながら、乃利子の眼前に手をかざした。

「子どもじゃあるまいし、大丈夫よ。むしろわたしが茉里さんの手を繋いであげた方がいいわね」

 乃利子は茉里を得意げな表情で睨み付けながら強く主張した。

「もう、ノリコちゃんったらぁ、ムキになっちゃって。タダユキくん、最初はどれに乗りたい?」

「僕はべつに、どれでもいいけど」

「じゃ、ミニコースターから乗ろう!」

「あのう、天羽さん。遊園地へ来たからと言って、必ずしもジェットコースターに乗らなければならないということは無いと思わない? 他に、もっと面白い乗り物がたくさんあるし」

 貞之はコースターのレールを見上げ、苦笑いしながら意見した。

「さてはタダユキくん、怖いんでしょう?」

 茉里が問い詰めて来た。

「そういえば貞之くん、ジェットコースター苦手だったね。でも、ここのミニコースターは普通のジェットコースターほどは怖くないよ」

 実鈴は自信満々に言う。

「それでも、ちょっとね。どうしても行きたいんだったら、三人だけで行って来たら? 僕はこの辺で一人で待ってるから。男僕だけだし、いっしょに乗るの恥ずかしいし」

 貞之は理由を付けて拒否しようと試みるも、

「まあまあタダユキくん、そんなこと言わずに。せっかく来たのに」

「貞之くん、そんなことしたら絶対迷子になっちゃうよ」

「あのコースターなら貞之さんでもきっと楽しめるはずです。一緒に乗りましょう」

茉里にニカッと、実鈴と乃利子ににこっと微笑みかけられ参加を求められる。

「……分かった」

 貞之はここで付いていかなければ男として情けないと感じ、仕方なく付いていくことにした。

今日は休日ということもあり、園内はけっこう混み合っていた。

家族連れや若いカップルを中心に園内を行き交う。四人のような男一人と、同学年の女の子三人という組み合わせは、やはり他には見られなかった。

「ここのコースター、一番前の席を取りやすいのがいいよね」

「貞之くん、ラッキーだったね」

ミニコースター乗車口に辿り着くと、茉里と実鈴は満面の笑みを浮かべる。

「嬉しくないよ」

一方、貞之は暗い表情だった。ミニコースターという名の通り車両は二つしかなく四人乗り、最前列かそのすぐ後ろ側に乗るしか選択肢がないのだ。

「私、貞之くんのお隣に乗ってあげるから」

 実鈴は優しく微笑み、貞之の右手を握り締めた。

マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、貞之の手のひらに直に伝わってくる。

「ありがとう。それじゃ、天羽さんと衣笠さんは、一番前に乗って」

 貞之は戸惑いながら要求する。

「何言ってるのよ、タダユキくん、一番前の席は譲ってあげるよ」

 茉里は微笑み顔で言う。

「僕は、二両目の方が……」

「貞之くん、遠慮しなくても。茉里ちゃんがせっかく譲ってくれたのに」

実鈴は、つかまれていた貞之の右手をグイッと引っ張り、最前列左側の席に追いやる。

「……」

 貞之はぎこちない動作で、席に座った。

「んっしょ」

右隣に実鈴が腰掛ける。

「おじゃまするね」

「タダユキくん、リラックス、リラックス」

 実鈴 茉里

 貞之 乃利子 

この座席配置に決定した。

「貞之くん、一番前は迫力ありそうだね」

「……うっ、うん」

 楽しそうにしている茉里をよそに、貞之はびくびく震えていた。

 ほどなくして、座席の安全バーが下ろされる。

 もう引き返すことは出来ない。

貞之は蒼ざめた表情で、安全バーを必要以上の力でしっかりと握り締めた。

〈発車いたします〉の合図で、ミニコースターはカタン、カタンとゆっくり動き出した。

(こっ、怖いよ、怖いよ。特にこの発車してから落下するまでの時間が……)

貞之は周りの風景を見ないよう、目を閉じていた。

 坂道を登り切り、レールの最高地点に達した直後、一瞬だけ動きが止まる。

「うわあああああーっ!」

 そのあと一気に急落下。と同時に、貞之はムンクの『叫び』ような表情になり悲鳴を上げる。もちろん楽しいからではない。恐怖心を強く感じていたのだ。

「わあーい、楽しいいいいいいいーっ!」

「きゃあああああっ!」

 茉里と実鈴は喜びの悲鳴を上げる。

「きゃぁんっ、位置エネルギーと運動エネルギーが交互にされてるううううううう」

 乃利子の悲鳴も、意外にかわいかった。


「……死ぬかと、思った」

 ミニコースターから降りた後も、貞之の顔はまだ蒼ざめていた。

「タダユキくん、あんなちっちゃいジェットコースターで怖がるなんて、だらしないよ」

 茉里はくすっと笑う。

「だって、速過ぎて」

 貞之は暗い声で呟く。

「スピードも普通のジェットコースターよりは遅かったと思ったんだけど、貞之くん、怖い思いさせちゃってごめんね」

 実鈴は申し訳なさそうに、ぺこんと頭を下げた。

「怖いといえば、次はお化け屋敷に入ってみる?」

 乃利子は該当する建物に視線を向けながら誘ってみる。

「ワタシ、お化け屋敷はダメーッ! 夜中に一人でおトイレ行けなくなっちゃうよ」

 茉里は顔を強張らせ、即拒否した。

「そういえば茉里さんは、お化け屋敷が苦手だったわね。小学校の時、ひらパーへ遠足行った時、班行動から逃げ出したもんね」

 乃利子は思い出し笑いする。

「今は怖くないもん!」

 茉里はむすっとなる。

「私もお化け屋敷ものすごく苦手」

「僕も、ちょっと」

 実鈴は照れくさそうな表情、貞之は苦笑いを浮かべた。

「ほらっ、ミスズちゃんもタダユキくんも入りたくないみたいだし、お金が勿体ないからやめよう、やめよう」

茉里は焦るように言う。

「わたしは入りたいんだけどなぁ」

 乃利子はにこにこ顔。

「それじゃ、乃利子ちゃん一人だけで入って来たら?」

 実鈴はこう勧めてみた。

「でも、わたし一人はちょっとね。貞之さん、一緒に入りませんか?」

「ぼっ、僕は、やめとくよ」

 乃利子の誘いを貞之も即拒否。

「ねえ、今度はあそこでプリクラ撮ろうよぅ」

 実鈴は話題を切り替えようと、今いる場所から数十メートル先にあるメルヘンチックな建物を手で指し示す。

 アミューズメント施設であった。

「いいけど。プリクラかぁ……」

 貞之は乗り気ではなかったが、

「いいねえ、プリクラ」 

「貞之さん、思い出作りになるから、一緒に撮りましょう」

 茉里と乃利子はかなり乗り気であった。

建物内へ入り、専用機内に足を踏み入れた四人。隣合わせに並ぶ。

 撮影方向から見て左から実鈴、乃利子、貞之、茉里の順だ。

「一回五百円か」

ここでは貞之が気前よくお金を出してあげた。

「ワタシ、このレッサーパンダと写れるやつがいい!」

茉里に好きなフレームを選ばせてあげる。

撮影するまでに、数十秒間落書きする時間も与えられた。

【はい、チーズ】

この機械音声が流れると、撮影完了。

「最近のプリクラは進化したわね」

 取り出し口から出て来たプリクラをじっと眺める乃利子。自分が見たあと茉里と貞之にも見せる。

「天羽さん、僕の顔に落書きし過ぎだよ」

 貞之は苦笑いする。

「ごめんね、タダユキくん、ついつい遊びたくなって。ワタシ、次はこれがやりたいな」

 茉里は、プリクラ専用機すぐ向かいに設置されていた筐体を指差した。

「茉里ちゃん、ぬいぐるみが欲しいんだね?」

「うん!」

 実鈴からの問いかけに、茉里は嬉しそうに答える。茉里が指差したのはクレーンゲームであった。

「子どもね」

 乃利子はくすっと笑う。

「大人がぬいぐるみ欲しがっても、べつに普通のことでしょ。あっ! あのナマケモノさんのぬいぐるみさんとってもかわいい! お部屋に飾りたぁい」

 茉里は透明ケースに手のひらを張り付けて、大声で叫びながらぴょんぴょん飛び跳ねる。

 天羽さん、かわいいな。

 貞之はその幼さ溢れるしぐさに見惚れてしまった。

「茉里ちゃん、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみの間に少し埋もれてるから、難易度は相当高いよ」

「大丈夫!」

 実鈴のアドバイスに対し、茉里はきりっとした表情で自信満々に答えた。コイン投入口に百円硬貨を入れ、押しボタンに両手を添える。

「茉里ちゃん、頑張れ!」

「落ち着いてやれば、きっと取れるよ」

 貞之と実鈴はすぐ後ろ側で応援する。

「茉里さんの実力では、どうせ無理に決まってるわ」

 乃利子はにこっと笑った。

「ワタシ、絶対取るよーっ!」

茉里は慎重にボタンを操作してクレーンを動かし、お目当てのぬいぐるみの真上まで持っていくことが出来た。

 続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。 

「あっ、失敗しちゃった」

 ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。

「ほらね」

 乃利子は得意げな表情だった。

茉里が再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。クレーンは自動的に最初の位置へと戻っていく。

「もう一回やるもん!」

 茉里はとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。

「今度こそ絶対とるよ!」

この作業をさらに繰り返す。摩里は意外と頑張り屋さんらしい。

 けれども回を得るごとに、

「全然取れなぁい……」

 茉里は徐々に泣き出しそうな表情へ変わっていく。

「茉里さん、他のお客さんも使うんだから、もう諦めた方がいいよ」

 乃利子は笑顔で諭した。

「諦めたくない」

 摩里は本当に泣き出しそうな表情でこう呟き、唇を噛み締める。

「このままだと茉里ちゃんかわいそう。貞之くん、幼稚園の頃、の○太くんのお人形さんを茉里ちゃんに取ってもらったことがあるでしょ。恩返ししてあげて」

 実鈴が笑顔で命令してくる。

「でも僕、あれはちょっと無理だな」

 貞之は困った表情で呟いた。

「タダユキくん、お願ぁい!」

「……わっ、分かった」

 茉里にうるうるとした瞳で見つめられ、貞之のやる気が少し高まった。

「ありがとう。タダユキくん、大好き♪」

 するとたちまち茉里のお顔に、笑みがこぼれた。

(まずい、全く取れる気がしないよ)

 貞之の一回目、茉里お目当てのぬいぐるみがアームにすら触れず失敗。

「タダユキくんなら、絶対取れるはず♪」

 背後から茉里に、期待の眼差しで見つめられる。

(どうしよう)

 当然のように、貞之はプレッシャーを感じてしまう。

「貞之くん、頑張って!」

「貞之さん、ファイト!」

(よぉし、やってやるぞ)

 実鈴と乃利子からの声援を糧に貞之は精神を研ぎ澄ませ、再び挑戦する。

 しかしまた失敗した。アームには触れたものの。

けれども貞之はめげない。

「タダユキくん、頑張れーっ。さっきよりは惜しいところまでいったよ」

 茉里からも熱いエールが送られ、

「任せて天羽さん。次こそは取るから」

貞之はさらにやる気が上がった。

 三度目の挑戦後。

「……まっ、まさか、本当にこんなにあっさりいけるとは思わなかった」

 取出口に、ポトリと落ちたナマケモノのぬいぐるみ。

貞之は、茉里お目当ての景品をゲットすることが出来た。

ついにやり遂げたのだ。

「やったぁ! さすがタダユキくん」

 茉里は大喜びし、バンザーイのポーズを取った。

「貞之くん、おめでとう!」

「貞之さん、素晴らしいプレイでしたね」

 実鈴と乃利子がパチパチ拍手しながら褒めてくれる。

「たまたま取れただけだよ。先に、天羽さんが、少しだけ取り易いところに動かしてくれたおかげだよ。はい、天羽さん」

 貞之は照れくさそうに語り、茉里に手渡す。

「ありがとう、タダユキくん。ナマちゃん、こんにちは」

 茉里はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。

「幼稚園児みたーい」

 乃利子はくすっと笑う。

「ノリコちゃんだって欲しいくせに」

「そんなことないもん!」

「嘘だぁーっ」

 茉里と乃利子はいつもように睨み合う。

「まあまあ二人とも。もう夕方だし、最後にあれ乗って帰ろう」

四人は最後の締めくくりとして、大観覧車に乗ることにした。最高地点では地上からの高さが五〇メートルにまで達する、この遊園地一番の目玉アトラクションとなっている。

四人乗りのゴンドラに乗り込むと、実鈴と乃利子、貞之と茉里で向かい合うようにして座った。係員に鍵をかけられ、観覧車はゆっくりと上昇していく。

「わぁーい。いい眺め。夕日きれい。絵になる光景だね」

「私もずっと眺めていたいよ」

 茉里と実鈴は幼い子どものように大はしゃぎで下を見下ろす。

(早く着かないかなぁ)

 貞之は目のやり場に困っていた。狭い空間で、同級生の女の子三人と一緒という状況なのだから、無理はないだろう。

「……」

乃利子の顔は、やや青ざめていた。

「あれぇ? どうしたの? ノリコちゃん」

「乗り物酔いでもしたの?」

茉里はにやけ顔で、実鈴は心配そうに尋ねた。

「わっ、わたし、高い所はものすごく苦手なの」

 乃利子は唇を震わせながら答えた。

「そうだったんだ。ノリコちゃん、臆病者」

「ノリコちゃん、観覧車苦手だったんだね。観覧車はのんびりしてて、乗り心地すごくいいのに」

 茉里と実鈴はにんまり微笑む。

「衣笠さん、絶対落ちないから大丈夫だよ」

 貞之は優しく慰めてあげる。

「わっ、分かってはいるけど、なんか怖いよね」

乃利子の新たな一面が見ることが出来た他の三人は、とても幸せそうだった。

観覧車から下り、遊園地を後にした四人は寄り道せずにまっすぐ最寄り駅へと向かっていく。


「あっ、ワタシ、まだ宿題全然やってないよ」

 帰りの電車の中で、茉里はふとその現実を思い出してしまった。

「バッカじゃないの。わたしは金曜日のうちに全部済ませてるよ」

 乃利子はにこっと笑う。

「茉里ちゃん、明日の朝、私のプリントを写させてあげるね」

「サンキュー、ミスズちゃん。いつも頼りになるよ」

「実鈴さん、あんまり甘やかすのはよくないよ」

「それもそうだね。茉里ちゃんの力にならないもんね」

「あーん、ノリコちゃん、余計なこと言わないでぇー」

「僕も、衣笠さんの意見は正しいと思う」

 貞之は同感した。

「あれくらいなら、三〇分あればじゅうぶんよ」

「ノリコちゃんの基準ではでしょ」

「茉里ちゃんでも一時間あれば出来ると思うよ。今日はとっても蒸し暑かったね。汗いっぱいかいちゃったよ。今夜、みんなで銭湯行かない?」

「いいわね」

「銭湯かぁ。オッケイ」

 実鈴の誘いに乃利子と茉里は快く乗ったが、

「貞之くんも一緒に行こう!」

「僕はやめとくよ。見たいテレビ番組があるから」

 貞之はきっぱりと断った。


午後七時半頃。実鈴、茉里、乃利子の三人は通う学校近くにある昔ながらの銭湯『猪(しし)の湯』に集う。受付で実鈴がみんなの分の入湯料を支払い、脱衣場へ。

「茉里さん、意外とふくらんでるのね」

「ノリコちゃんの胸、ペチャペチャだ。二次元に近いね」

 羨ましそうに眺める乃利子を見て、茉里はくすくすと笑う。

「悔しい」

「乃利子ちゃんもそのうちきっと大きくなるよ。お姉ちゃんの智恵子ちゃんは大きめなんだし」

 実鈴は優しく慰めてあげた。

「ここでクロールの練習しようっと」

「茉里さん、銭湯で泳ぐのは禁止よ。注意書きを見なさい」

「茉里ちゃん、ここではゆったり浸かるのがマナーだよ」

三人とも幼い子どものように、恥ずかしげも無く堂々と裸体をさらけ出し、バスタオルは手に持っていた。浴室へ入ると、三人は隣り合うようにして洗い場シャワー手前の風呂イスに腰掛ける。出入口に近い側から乃利子、実鈴、茉里という並びだ。

「茉里さん、まだシャンプーハット卒業してなかったのね。幼稚園児みたぁーい」

 乃利子はくすくす笑う。

「私も、今はさすがに使ってないな」

 実鈴は、茉里の方をちらりと眺めた。

「べつにいいでしょ。目にシャンプーが入らないように安全のためだもん」

茉里は笑顔で堂々と言い張り、シャンプーを押し出して髪の毛を擦り始める。

「茉里ちゃん、かっわいい! 妹に欲しいよ。髪の毛洗うの手伝ってあげよっか?」

 実鈴は横目で見ながら、きゅんっと反応した。

「それはいい、自分でやるから」

 茉里は頬をポッと赤らめた。

「茉里ちゃんかわいい。乃利子ちゃんも、眼鏡外したお顔かわいいね」

「あっ、ありがとう実鈴さん。あの、実鈴さんは来週からの水泳の授業、楽しみにしてる?」

「うーん、どちらとも言えないよ。プールで遊ぶのは楽しいんだけど、泳ぐとなると。私まだクロール二五メートル泳ぎ切れたことがないし。絶対途中で足付いちゃう」

「わたしも同じ。今年は内申に係わってくるからなんとしても泳ぎ切りたいなぁ」

「保体はペーパーテストで満点近く取っても、スポーツが出来なきゃ通知簿は3付けられちゃうのがネックだよ」

 実鈴と乃利子が小声でおしゃべりしながら体を洗い流している最中、

「わぁーい!」

 茉里のはしゃぎ声と共に、ザブーッンと飛沫が上がる。湯船に足から勢いよく飛び込んだのだ。さらに犬掻きのような泳ぎをし始めた。

「茉里ちゃん、はしゃぎ過ぎだよ」

「茉里さん、小学校低学年の男の子みたいよ」

 実鈴と乃利子は湯船の方を振り向き、微笑ましく眺める。

「周りのお客様に迷惑かけないようにね」

 洗い終えると、実鈴はもう一度茉里に注意して静かに湯船に浸かった。

「ちょうどいい湯加減だし、広くて最高。わたし、お風呂大好きなの。夏は朝と学校から帰ってからと、夜の一日三回入ってるよ」

 乃利子も同じようにして浸かると、湯船に足を伸ばしてゆったりくつろぎながら、嬉しそうに語る。

「乃利子ちゃん、し○かちゃん並だね。でもあんまり入り過ぎるとお肌ふやけちゃうよ」

 実鈴はにっこり微笑んだ。

「そういえば貞之さん、背がけっこう伸びたよね。中学入った頃は、わたしより低かったよ。二〇センチくらいは伸びてると思う」

「私も中二の終わり頃に貞之くんに背、追い抜かれたよ。聡也くんも一年生の頃は私よりちっちゃかったし、やっぱ男の子は中学でぐんぐん伸びるよね。栄作くんにもそのうち抜かれそう」

「きっとあそこも成長してるんだろうなぁ。タダユキくん、絶対もう生えてるね」

 茉里は二人の側まで泳いで来て、こんなことを言う。

「茉里さぁん、下品よ」

「あの、そういうことは、想像しちゃダメだよ」

 乃利子と実鈴は顔をしかめた。

「ごめんね、ノリコちゃん、ミスズちゃん」

 茉里はてへっと笑ってちょっぴり反省。

「茉里ちゃん、お膝と腰の怪我は、もう大丈夫?」

「うん、もうすっかり痛みが消えたよ。心配してくれてありがとう」

「茉里さん、腰まで怪我してたの?」

「うん、ベッドから落っこちて」

「ドジね。あ~、わたし、体が火照って来たよ。もう出よう」

 乃利子はそう告げて湯船から飛び出し、脱衣場へと向かっていく。

「今何キロあるかなあ?」

 そしてすっぽんぽんのまんまそこに置かれてある体重計にぴょこんと飛び乗った。

「……よかった。四月の身体測定の時と全く同じだ」

 目盛を見て、満面の笑みを浮かべる。

「ノリコちゃん、身体測定はね、服の重さが数百グラムあるから、実際は増えてるってことだよ」

 茉里も駆け寄って来て、耳元でささやいた。

「あっ、言われてみれば……」

 瞬間、乃利子はがっくり肩を落とす。

「ワタシはきっと痩せてる♪」

 そう自信満々に言い、茉里もすっぽんぽんのままで体重計に飛び乗った。

「……えええええええっ!? ごっ、五キロも増えてるぅ。なっ、なんでぇ!?」

 目盛を眺めた途端、茉里は目を見開き大きな叫び声を上げた。

「茉里さん、下を見て」

「えっ……」

 茉里は、乃利子に言われた通りにしてみる。

「あああああーっ!」

 瞬間、大声を張り上げた。

「えへへ、タネ明かしだよ」

 実鈴はにこっと笑う。彼女が体重計の上にこっそり手を置いていたのだ。

「もう、ミスズちゃん」

「体重気にした時の茉里ちゃんの表情、子どもっぽくってかわいかったよ」

「ひっどーい。罰としてミスズちゃんも乗って!」

「あーん、やだぁ」

 茉里に追われ、実鈴はすっぽんぽんで逃げ惑う。

「茉里さん、実鈴さん。夜遅くなっちゃうから、そろそろ出ましょう」

乃利子は優しく注意しておいた。

同じ頃、東垣宅、貞之の自室。

貞之が明日ある授業の準備をしていたところ、スマホに聡也から電話がかかってきた。

『ただゆき、今日は楽しかったか?』

「まあね。聡也も一緒に来ればよかったのに」

『俺、三次元の女なんかと遊ぶなんて無理だ』

「あの子達が聞いたら悲しむぞ。声優も三次元の女だろ?」

『ちゃう、ちゃう。声優は2.5次元や』

「なんだよそれ?」

『それよりただゆき、俺、数学と英語と国語の宿題プリントまだ全然やってねえんだ。明日の朝写させてくれ、頼むっ!』

「全部じゃないか。分かった、分かった。じゃあね」

 貞之は嫌々ながらも承諾し、電話を切った。日曜の夜はよくあることなのだ。

夜八時半頃、衣笠宅。

「乃利子ぉーっ、なんでお姉ちゃんを銭湯に誘ってくれなかったのぉ?」

 乃利子が帰宅し自室に入ろうとすると、智恵子はがっかりした表情を浮かべて駆け寄って来た。

「誘おうと思ったんだけど、その時お姉ちゃん、変なアニメ見て自分の世界に浸ってたんだもん」

 乃利子は爽やかな表情できっぱりと言う。

「あーん、もう、ひどいよ乃利子」

「それよりお姉ちゃん、今日もちゃんと勉強した? 休みの日だからって勉強もお休みしちゃダメよ」

「いやぁ、全然。今日の勉強量は0時間だよ。今日はあたし、ポンバシの声優トークイベントに行ってて」

 智恵子はてへっと笑う。

「もう、お姉ちゃんったら。本気で京大目指してるの?」

 乃利子は呆れ顔になった。

「もっちろーん。それより乃利子、明日までに提出しなきゃいけない数Ⅱのプリント、まだほとんど出来てないよぅ。全然分からない問題が多過ぎるよぅ。手伝ってぇー」

 抱きつかれて強くせがまれると、

「しょうがないなぁ」

 しぶしぶ智恵子の自室へ入り、学習机に近寄る。

「……これ、三角関数の基礎レベルの問題じゃない。こんなのが解けないんじゃ京大なんて天と地がひっくり返ってもあり得ないよ」

 問題文をザッと見渡し、厳しく忠告した。

「そんなことないよ」

 相変わらず楽観的な智恵子は、のほほんとした表情で言う。

「それにお姉ちゃん、字がきちゃな過ぎ。αとaとd、βとBの区別が付きにくいよ。わたしが採点する側の立場だったら容赦なく0点にするよ」

「あーん、乃利子は厳しい子だなぁ」

 こんな風に、衣笠家の日曜の夜は平和に更けていったのであった。

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