第二話 乃利子ちゃんちの手乗りインコ
翌朝、三年五組の教室。
「皆さん、確認して荷物を移動させてね」
一時間目のLHRが始まると、菱池先生は黒板に新しい座席表が書かれたプリントを磁石で留めた。クラスメート達はすぐさま確認しに行く。
「嘘ぉぅ!? わたし達三人、同じ班になってる」
「ミスズちゃんと同じ班だ。やった、嬉しいーっ!」
「私もすごく嬉しいよ。これからよろしくね」
抱き合いながら喜び合う乃利子、実鈴、茉里。
偶然にも同じ四班になれたのだ。教室真ん中付近、六列あるうちの後方三列に当たる。教卓からわりと目立ちやすい位置だ。
「男の子の方も、仲良し同士で集まれたね」
座席表を再度眺め、実鈴は微笑み顔で突っ込む。
「本当だ。わたし達もだけど、籤で決めたとは思えない偶然過ぎる組み合わせね」
「好きなもの同士で集まったみたい」
乃利子も茉里も、
「まさか、こうなるとは――」
貞之も非常に驚いていた。
なんと四班の男子メンバーは貞之、聡也、栄作となったのだ。
乃利子 茉里 実鈴
栄作 聡也 貞之
前から順に、四班はこのような座席配置となっていた。
クラスメート全員が新しい席に移動したのを確認すると、
「中間テストの個人成績表を返しますね。皆さん結果に一喜一憂せず、次に向けてまた頑張りましょう。それじゃ、呼ばれたら取りに来てね。朝倉さん」
菱池先生は出席番号一番から順に返却していく。この中学では、男女混合となっていた。
「天羽さん、東高第一志望ならもっと頑張りましょうね」
二番の茉里に返す際、菱池先生は爽やかな表情で忠告した。
「はーい。分かりましたー」
受け取った茉里は自分の総合順位を確認すると苦笑いを浮かべ、自分の席へ戻っていった。九八位で二年学年末よりは上がっていたが、まだまだ東高に挑むには厳しい成績だ。
乃利子は、数学と理科は一〇〇点満点で学年トップタイ、総合得点は四八九点で二位という非常に優秀な成績。
実鈴は四五九点で一三位だった。
「やっべ。ワースト記録また更新してもうた」
聡也は二八八点で、一四一位。
「聡也、もう東高は諦めろ」
「いやっ、まだ諦めねえ。まだ入試本番まで九ヶ月以上もある」
貞之のアドバイスに、聡也は全く耳を貸さず。
「東垣君は、この調子で頑張ってね」
すぐ後ろの貞之に返す際は、菱池先生はこう助言してくれた。貞之は四二五点で三六位だ。
「国語も、なんとか今回は一位を取れてよかったであります」
四班メンバーの中で最も出席番号が後ろの栄作は総合得点のみならず、五教科全て学年トップであった。受け取ると満足げに自分の席へ戻っていく。
「栄作さん、次こそは負けないよ!」
「ひぇぇぇ、どうか手加減を……」
隣の席の乃利子に肩をポンッと叩かれ、きりっとした表情で見つめられた栄作は、ちょっぴり怖気付いてしまった。
今日のLHRのメインは進路に関すること。菱池先生は橙宮東高、他何校かの高校パンフレットを配布した。
「やっぱ東高はいいよね。家から近いし、美術科があるし。修学旅行海外だし。西高なんか長野にスキーだよ。長野なんて山しかないし、修学旅行って感じじゃないよね」
「茉里さん、長野県民に失礼よ」
乃利子は呆れ顔。
続いて菱池先生は、『あなたの将来の夢について考えよう』というテーマのプリントを配布した。将来の夢について班の皆で話し合おうという狙いである。
「私、将来は図書館司書さんか、保育士さんか、絵本作家になりたいな。だから、絵本や児童書をいっぱい読んで、子どもの気持ちを理解出来るようにしなくちゃって思って今でもいっぱい買い集めてるの」
実鈴は満面の笑みを浮かべ、幸せそうに将来の夢を語り出した。
「実鈴ちゃんならきっとなれるよ」
貞之は優しく励ましてあげた。
「ありがとう貞之くん。私、夢が叶えられるように一生懸命頑張るよ」
実鈴はちょっぴり照れくさがる。
「さすが実鈴さん、しっかりとした目標を持ってるわね。わたしは生物学者になりたいです」
「ノリコちゃん、いかにもな夢だね。ワタシは、声優さんかなぁ」
「茉里さんが声優になれるわけないでしょ」
「なれるもん!」
乃利子に即否定的なことを言われ、茉里はむすっとなる。
「授業で教科書を読むように当てられた時とか、音楽の歌のテストの時とか、いつも声がちっちゃくなっちゃってるじゃない」
「それは、そのね、恥ずかしいから……」
「ほらご覧、声優に向いてないでしょ」
「……」
茉里は反論出来なかった。無意識のうちに下を俯いてしまう。
「茉里ちゃんのその弱点を克服していけば、絶対叶うよ。貞之くんは将来、何になりたいの?」
実鈴は茉里を勇気付けるように励ましてあげ、貞之にも問いかけてみた。
「うーん、僕はまだ何も考えてないよ」
「そっか。貞之くんは理科の先生とか似合いそうだけど」
「そっ、そうかな?」
実鈴ににこっと微笑まれ、貞之はちょっぴり照れてしまう。
栄作は大学教授とプリントの空欄に書いた。聡也は、貞之と同じく未定らしい。
今日の二時間目は体育。一時間目が終わると女子は着替えのため速やかに三年五組の教室から女子更衣室へと移動していく。男子は教室で着替えることになっているがその最中、
「じつは、あみだ籤に細工したんだ。俺がただゆきとえいさくと同じ班になれるように。昨日の放課後菱池にバレんようにこっそりとな」
聡也は貞之の耳元で囁くような声で打ち明けて来た。
「おいおい、やっぱりそうか。偶然にしてはあまりに良く出来過ぎてたからな。それにしても、よく上手くいったな。けっこう複雑だっただろ」
「あみだ籤を操作したのは、ボクであります」
栄作は決まり悪そうに打ち明けた。
「そっか。まあ、聡也に出来るはずはないからな」
貞之は苦笑いする。
「女子の方も、ボクが細工しました。あの三名が、クラスの女子で一番性格がまともなので。アニメ美少女キャラに限りなく近い2.9次元ですね」
「他はろくなのがいねえからな。彼氏とかファッションとかジャニタレとかの話しかしてねえアニヲタとは対照的なリア充連中だぜ」
聡也の意見。
「確かにそんな感じだけど、不正行為だな」
貞之はさらに呆れ返った。
今回から体操服も完全に夏用へと衣替え。男女とも同じ柄で、学年色である黄色のラインと校章の付いた白地半袖クルーネックシャツと、青色ハーフパンツの組み合わせだ。
この中学では、ジェンダーフリーの考えに則ってなのか、体育は男女合同授業となっている。今日はグラウンドで男女対抗ハンドボール試合をすることになっていた。
準備運動は男女に分かれ、各体育委員の子が前に立って進めていく。
男子が腕立て伏せをしていた際。
「なんか女子の方、騒がしいな」
「誰か倒れたようだね」
聡也と栄作が呟いた。
ほとんど間を置かず、
「先生、白阪さんが急にバタッて倒れたよ」
女子の一人がこう叫んだ。
「えっ!」
貞之は思わず声を漏らす。そして視線を女子のいる方へと向けた。
本当に、実鈴が倒れこんでしまっていた。
一周二〇〇メートルのトラックを走っている最中だったらしい。
「実鈴さん、大丈夫? 頭打ってない?」
並走していた乃利子、
「みすずちゃん、しっかりしてーっ!」「熱中症?」「貧血のようね」
実鈴のすぐ近くにいたクラスメート達を中心にざわつく。その声が十数メートル離れた所にいる貞之の耳元にもしっかり飛び込んで来た。
「ただゆき、見に行ってあげた方がいいんじゃねえか?」
「東垣君、これは緊急事態であります」
聡也と栄作からそう言われると、
「そっ、そうだな」
貞之は実鈴のもとへ近寄ろうとしたその時、
「ミッ、ミスズちゃぁーん」
既にノルマの二周走り終えて待機していた茉里が、先に実鈴の側に駆け寄った。中腰姿勢で実鈴の顔色を心配そうに見つめる。いつもはきれいなピンク色をしている唇が、白っぽく変色していた。頬も少し青白くなっていた。
「あっ……茉里、ちゃん」
実鈴は幸い、すぐに意識を取り戻した。
「大丈夫?」
茉里は心配そうに話しかけてあげる。
「うん、平気、平気。ちょっとくらーっと来ただけだから。軽い貧血だよ」
実鈴はこう答えて、すぐに立ち上がった。
「よっ、よかったぁ。ワタシ、保健係だから、保健室へ連れて行くね。あの、ミスズちゃん、一人で歩ける? おんぶしよっか?」
茉里は心配そうに実鈴に話しかける。
「なんか悪いけど、その方が楽そうだし、そうさせてもらうね」
実鈴は元気なさそうな声で伝えた。
(あの子が行ってくれたから、僕は行く必要なさそうだな)
傍から様子を眺めていた貞之はこう判断し、準備運動に戻る。
「しっかり掴まってね」
茉里は実鈴の前側に回ると、背を向ける。そして少しだけ前傾姿勢になった。
「ごめんね、茉里ちゃん」
実鈴は申し訳なさそうに礼を言い、茉里の両肩にしがみ付いた。
「――っしょ」
茉里は一呼吸置いてから、実鈴の体をふわっと浮かせる。
(おっ、重ぉい)
途端にそう感じたが、もちろん黙っておいた。
「茉里ちゃん、本当にごめんね、迷惑かけちゃって」
「べっ、べつにいいよ、気にしないで」
(なっ、なんか、胸が――ミスズちゃん、いつの間に、こんなに大きく……一年生の頃はぺったんこだったのに)
むにゅっとして、ふわふわ柔らかった。
実鈴のおっぱいの感触が薄い夏用体操服越しに、茉里の背中に伝わってくるのだ。
(急がなきゃ)
同性でありながらも、なんとなく罪悪感に駆られた茉里は早足で歩こうとする。けれども足がふらついてしまう。
「あっ、とっとっと」
「茉里さん、危ないよ」
その様子を見て、乃利子が心配そうに叫んだ。
次の瞬間、
ズシャッ。という音が響き渡った。
「いたたたぁっ」
茉里がバランスを崩し、前のめりにずっこけてしまったのだ。
「無理もないよ。体の大きさが全然違うんだから」
乃利子は困惑顔で二人を眺める。
「だっ、大丈夫? 茉里ちゃん。ごめんね、すぐに退くね」
実鈴が茉里の背中上から覆い被さる形になってしまっていた。実鈴は慌てて立ち上がり茉里の体から離れる。
「だっ、大丈夫……いたたたっ」
茉里は自力で立ち上がったものの、苦しそうな表情をしていた。
「茉里ちゃん、お膝から血が出てるよ」
実鈴が顔をこわばらせながら指摘する。
「ほっ、本当だ。擦り剥いちゃってる」
茉里は視線を下に向け、自分の両膝を見つめる。
「怪我させちゃって、ごめんね、茉里ちゃん」
実鈴は自責の念に駆られていた。
「いいの、いいの、気にしないで。ミスズちゃんに落ち度は全く無いよ。ワタシも保健室に行って手当てしてもらわなくっちゃ……あっ、あのう、タダユキくん、ワタシを抱っこしてーっ!」
茉里は実鈴に向かって優しく言い、貞之のいる方に向かって大声で呼びかけた。
「えっ、ぼっ、僕ぅ!?」
貞之はビクッ! と反応した。
「うん。タダユキくん、小学六年生の時、保健委員だったでしょ?」
「そっ、そうだけど、今は全く関係ないし」
「これは体育の内申点を上げる絶好のチャンスだよ! タダユキくん体育の成績いつも悪いでしょ?」
茉里は強く言う。
「内申は上げないけど、あなたが行ってあげてね」
体育教師からも苦笑顔で頼まれた。
「それじゃ、仕方なくやります」
貞之はそう言って、茉里の側へ駆け寄る。
「お姫様抱っこして」
茉里はこんなお願いをすると、地面にぺたんとお尻を付けて両膝を立て、体育座りの姿勢となった。
「えー」
「だって普通におんぶしたらお膝痛いもん」
「わっ、分かったよ」
貞之は中腰姿勢になると茉里の膝の内側に左腕を挟み、右腕を背中に回してふわりと持ち上げた。
瞬間、
(重たいな、思ったより)
貞之は反射的にこう感じてしまった。もちろんそんなことは口に出さない。
「いいなあ」「エロイことするなよ」「新婚夫婦みたいやっ!」
他の男子達から羨望と、からかいの眼差し。けれども貞之は気にしない。
(茉里さん、わがままね。たいした怪我でもないから自分で歩けるでしょ)
乃利子の今の心境。
二人が今いる場所から保健室出入口までは、距離にして五〇メートルくらい離れていた。貞之は茉里を落とさないように、早足でありながらも慎重に進んでいく。
「貞之くん、頑張って。あともう少しで着くよ」
実鈴は二人の数メートル前を歩き、先に保健室へと入っていった。
「ここで傷口をしっかり洗ってね」
貞之は保健室手前の手洗い場まで辿り着くと、茉里をそーっと下ろしてあげる。
「ありがとう、タダユキくん」
茉里はにっこり微笑んでくれた。
「じゃあ、僕はこれで」
貞之は照れくさそうに、そそくさと元いた場所へ戻っていった。
「うー、しみるぅ」
茉里は運動靴と靴下を脱いで蛇口を捻り、両膝の傷口を丁寧に洗ってから、
「失礼します。篠山先生」
保健室の、グラウンド側の扉を引いて小声で叫び、入室する。
「いらっしゃい」
養護教諭、篠山先生は茉里を笑顔で迎えてくれた。小さな細い瞳に、鶏の卵形のお顔。黒い髪の毛は黄色いリボンで束ねている、三〇歳くらいの女性だ。
実鈴はソファに腰掛け、栄養ドリンク剤をちびちびゆっくりとしたペースで飲んでいた。保健室内の冷蔵庫に入ってあったものを篠山先生に出してもらったらしい。
今保健室には、この三人以外には誰もいなかった。
「じんじんするよ」
茉里もソファにゆっくりと座り込む。
「茉里ちゃんのお膝、早く消毒しなきゃ。ばい菌が入って大変なことになるよ」
実鈴が気遣うようにそう言うと、
「えっ! やっ、やだやだっ。すごくしみるもん。オキシドールは地獄の苦痛薬だよ」
茉里はびくーっと反応した。
「このくらいの浅い傷なら消毒はしなくて大丈夫よ、天羽さん。最近は、消毒薬は使わずに、傷口を乾燥させないようにするのが正しい治療方みたい」
「そうなんですか。私、初めて知りました」
篠山先生から伝えられた豆知識に、実鈴はハッとさせられる。栄養ドリンク剤が効いたのか、少しだけ元気になっていた。
「よっ、よかったぁ」
茉里は安堵の表情を浮かべる。
「傷口が乾かないように、この絆創膏を貼るね」
篠山先生は棚の中から液体絆創膏を二枚取り出した。
「あのう、篠山先生。私が貼ります。茉里ちゃんに、さっきのお詫びをしたいので」
「ミスズちゃん、心優しい子だなぁ」
茉里は頬をちょっぴり赤らめる。
「はい、出来たよ」
実鈴は篠山先生から受け取ると、茉里の傷口に二枚とも貼ってあげた。
「ありがとう、ミスズちゃん」
茉里は照れくさそうに、ぺこりと頭を下げる。
「どういたしまして」
実鈴は深々と頭を下げた。
「二人ともとっても仲良しね。白阪さんは、貧血になったのは今回が初めてかな?」
「そうですねぇ。私、テスト期間中は睡眠時間を削って勉強してて、水泳の授業ももうすぐ始まるからダイエットしようと思って、最近は朝食もほとんど食べてなかったからかなぁ?」
篠山先生の質問に、実鈴は照れ気味に打ち明けた。
「原因は非常に良く分かりました。白阪さん、朝食を抜くのはダメよ。保健や家庭科の授業でも再三言われてるでしょ」
篠山先生は困惑顔で忠告する。
「でも私、最近太って来たような気がするの」
実鈴はぽつりと呟く。
「白阪さん、あなたの身体測定のデータ見ると標準体重より少ないから、ダイエットはする必要ないからね。敏感になりすぎて太ってないのにダイエットしようとする子が本当に多くて……」
篠山先生はパソコン画面を見つめながら、ため息交じりに助言した。この学校の生徒達全員の身体測定データが、専用ソフトに保存されてあるのだ。
「標準体重が、多過ぎるような」
実鈴は眉をへの字に曲げる。腑に落ちなかったらしい。
「ミスズちゃん、意外と軽いね。五〇キロ無いんだ」
「あんっ、見ちゃダメェー」
「ごめん、ミスズちゃん」
「すぐに消すわね」
篠山先生は茉里が両目を覆われている間にブラウザを閉じてあげた。
「あのう、篠山先生。私が貧血になった原因、もう一つ心当たりがあります。私、今、生理中でして」
「そうだったの。それじゃいつも以上に貧血になり易いから、体調管理にはじゅうぶん気を付けるようにね」
「はい。あと私、便秘にもなりやすいです」
実鈴は苦虫を噛み潰したような顔で、自分のおなかをさすりながら伝える。
「ワタシも頻繁になるよ。けっこう辛いよね。うぅーんってお腹に思いっきり力入れてもウサギさんのウンチみたいなのしか出なくてすっきりしないから。たまにまとめて出る時はお尻めっちゃ痛くなるし」
「分かる、分かる」
「二人とも、繊維質のものとか、お野菜はちゃんと食べてる?」
「私、お野菜はピーマンとかセロリとか、苦手なものが多くて、ほとんど食べてないです。お菓子の方をよく食べるなぁ」
「ワタシも野菜苦手だから、あんまり食べてないや」
「それも貧血の原因よ。ちゃんとお野菜も食べなきゃダメよ」
「「はーい」」
篠山先生からの忠告に、茉里と実鈴は素直に返事した。
「白阪さん、今日は早退する?」
「いえ、少し休めば大丈夫ですよ。篠山先生、私、二時間目が終わるまでちょっと休んでまーす」
実鈴はそう伝えながら、ベッドの側へ歩み寄った。
「分かりました」
篠山先生は快くオーケイする。
「ふかふかして気持ち良さそう」
実鈴はとても幸せそうな気分でベッドへ上がり、足を伸ばし仰向けに寝て、自分でお布団をかける。
「実鈴ちゃん、お顔と首、汗いっぱいかいてる。拭いてあげるよ」
そう言うと茉里は自分の首に巻いていた、アニメ風美少女キャラのイラストがプリントされたスポーツタオルを外し、実鈴の首筋に押し当てて、そっと撫でる。
「ありがとう茉里ちゃん」
「どういたしまして。あの、ミスズちゃん、気分が悪かったり、頭とか、お腹とか、痛い所はない?」
実鈴ににこっと微笑まれ、茉里は照れくささからか、視線を逸らしてしまった。
「うん。私は大丈夫だよ。それより、茉里ちゃんお膝の方が痛そう」
実鈴は心配そうに、絆創膏の貼られた茉里の両膝を眺める。
「ううん、平気だよ……和式便所にしゃがんで用を足すのはしばらく無理っぽいけど。篠山先生、ワタシもちょっと休みまーす。昨日、というか時刻的に今日ですけど三時頃までアニメ見ててものすごく眠たいので、それに、体育の授業もサボれますし」
「あらあらっ、いいけど、勉強以外での夜更かしはダメよ」
篠山先生はちょっぴり呆れていた。
「あの、ミスズちゃん、一緒のベッドに寝ても、いい?」
「うん、もちろんいいよ。というか、その方が嬉しいな。私一人でおねんねするのは寂しいから」
茉里のお願いを、実鈴は快く承諾する。
「ありがとう、ミスズちゃん」
やったーっ。めっちゃ嬉しい。今ものすごく幸せだよワタシ。
こんな心境の茉里もベッドへ上がり、実鈴とぴったり引っ付くように寝転がった。
「それじゃ、おやすみなさい」
篠山先生はそう告げて、カーテンをシャッと閉めてあげた。
「こうしてると、保育園のお昼寝の時間を思い出すよ」
実鈴は茉里の方を向いて話しかける。
「お昼寝の時間、ワタシの通ってた保育園でもあったよ。懐かしいな」
「私なかなか起きれなくて、帰りのお迎えのバス乗り過ごしちゃったこともあるよ」
「ワタシも危なかった時あったよ」
そんな思い出話をしているうち、すやすやと寝息が聞こえて来た。
実鈴の方が先に眠りついたのだ。
「ミスズちゃんの寝顔、とってもかわいい」
茉里は真上から覗き込んでみる。
「ミスズちゃんの髪の毛、オレンジの香りがする。いい匂い。おっぱいも、触りたいな。柔らかそう」
……いけない、いけない。なんてことしようとしてたの、ワタシ。同性だからって。
茉里は思わず実鈴の胸元に手が伸びてしまった。
「でも、ほんの一瞬だけなら……」
引っ込めたが、また手が伸びてしまう。
実鈴の胸元まであと二センチくらいの所に差し掛かったその時、
キンコーンカーンコーン♪ と、十時三五分の二時間目終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。
「……んにゃ、おはよう、茉里ちゃん」
その音で、実鈴は目を覚ましてしまう。
「……おっ、おはよう」
危ない、危ない(^_^;)。チャイムが鳴ってくれてちょうど良かったよ。
茉里は反射的に手を引っ込め、安堵の表情を浮かべる。
次の瞬間、廊下側の出入口扉がガラリと開かれる音が聞こえて来た。
「あのう、失礼します」
一人の女の子が保健室に入って来たのだ。
「この声は――?」
茉里はぴくんっと反応する。
「お着替え持ってきてあげたよ。あと上履きも」
乃利子だった。彼女はすでに制服に着替え終えていた。
「おはよう、ノリコちゃん」
「乃利子ちゃん、おはよー」
二人はカーテンの外側に出て、穏やかな声で挨拶する。
「おはよう。運動靴は下駄箱にしまっておいたから。はいどうぞ。こっちが実鈴さんので、こっちの小さいのが茉里さんね」
乃利子はベッドの側に近寄り、制服と上履きを二人に手渡した。
「ありがとう、乃利子ちゃん。迷惑かけてごめんね」
実鈴が受け取ってすぐに、
「失礼します」
再びガラリという開閉音。今度やって来たのは、貞之であった。彼もすでに制服に着替え終えていた。
「あっ、貞之くん。さっきは心配かけてごめんね。早く着替えなきゃ」
「わっ! ちょっ、ちょっと実鈴ちゃん」
貞之は慌てて体の向きをくるりと一八〇度変えた。
実鈴は貞之が目の前にいるにも拘らず、躊躇無く夏用体操服を脱ごうとしたのだ。実鈴のおへそと真っ白なブラジャーが、ほんの一瞬だけだが貞之の目に映ってしまった。
「ダメダメ、実鈴さん、ここで着替えたら。いくら幼馴染同士だからって」
乃利子は驚き顔で注意すると、急いで実鈴の背中を押しベッド横に移動させ、カーテンを閉めた。
「白阪さん、幼馴染でも、一人の男性として見てあげなきゃダメよ」
「はーい。気をつけまーす」
篠山先生からにこにこ顔で注意されると、実鈴はてへっと笑って舌をペロッと出した。
「ワタシも早く着替えよっと」
茉里もカーテンの内側へと隠れる。
「次の授業、どうしようかなぁ?」
実鈴は制服に着替え終えると、すぐさまカーテンの外側へと出た。
「実鈴ちゃん、まだしんどかったら、無理せずにもう少し休んだ方がいいよ」
貞之は意見する。
「でも、授業休んじゃうと、今日習うところ、ノートが取れないし」
実鈴は困惑顔で言う。
「それなら僕のノート、後で写させてあげるから心配しないで」
「大丈夫かなぁ?」
「大丈夫だって。僕、今日は授業、ちゃんと真面目に聞いてノート取るから」
「本当?」
「うん、本当」
「東垣君、心配されてるのね」
篠山先生はにこっと微笑む。
「まあ、僕、普段授業中いつの間にか寝てしまうことが多いですし」
貞之は照れ笑いする。
「貞之くんのノート、すごく言い辛いんだけど……文字の羅列になってて、色分けもほとんどされてないから、どこが要点なのか分かりにくいし、その字も、読みにくくて……あの、気に障ること言ってごめんね」
実鈴は大変申し訳なさそうに言った。
「いやいや、全然気にしてないよ、紛れも無い事実だから。提出した時いつもB評価で返って来るから、僕も反省しなきゃって思ってるし」
貞之はまた照れ笑いする。
「じゃあわたしのノートを、写させてあげるね」
「ありがとう乃利子ちゃん」
「どういたしまして」
「そうした方が僕もいいと思う」
乃利子の計らいに、貞之は苦笑いした。乃利子のノートはどの教科もいつも最良のS評価なのだ。実鈴も同じである。
「ワタシもサボろうーっと。三時間目理科で、四時間目数学だからめっちゃだるいし」
制服に着替え終えた茉里はそう呟くと、再びベッドに寝転がる。
「膝をちょっと怪我したくらいで休むなんて甘え過ぎ」
乃利子は呆れ顔で言う。
「べつにいいじゃない。ノリコちゃん、後でノート写させてね」
「しょうがないなぁ」
茉里の要求を乃利子はしぶしぶ引き受けてあげた。
「じゃあミスズちゃん、もう一眠りしよう」
「うん」
実鈴も再びベッドに横になり、お布団に潜り込んだ。
「それじゃ、また迎えに来るからね」
「お大事に」
乃利子と貞之はそう告げて保健室から出、教室へと戻っていった。
それから数分後、
「茉里ちゃんの寝顔、ゴマフアザラシみたいでめちゃくちゃかわいい」
実鈴は首を横に傾け茉里の寝顔を覗き込んだ。今度は茉里の方が先に眠りついたのだ。
実鈴もそれからほどなくして、ぐっすり眠りについた。
ドスンッ――
お昼過ぎ、こんな鈍い音と共に、
「あぎゃああああああぁーっ!」
という茉里の甲高い悲鳴が保健室内に響き渡った。
「天羽さん、どうしたの?」
「まっ、茉里ちゃん、何があったの!?」
篠山先生と実鈴はびくっと反応する。今の音で実鈴は目を覚ましたのだ。
「いたたたたたぁ……腰、思いっきり打ちましたーっ」
茉里はその辺りを手で押さえていた。説明するまでも無くベッドから転落したのだ。
「天羽さん、大丈夫? 湿布貼ってあげるね」
篠山先生は苦笑いする。
「お願いしまーす」
茉里は実鈴のいる隣のベッドにうつ伏せに寝転がった。制服の上着を少し上げて、背中を出す。スカートの吊り紐を肩から外し、スカートと一緒にショーツも少し下げ、お尻もほんの少しだけ出した。
「茉里ちゃんは、ものすごく寝相が悪いみたいなの。だから茉里ちゃんのお部屋のベッドには転落防止柵を付けてるの」
実鈴は茉里を心配そうに見つめながら伝える。
「ここのも、付けておこうかしら」
今回の事件を受け、篠山先生は考えた。
「そうした方がいいですよ、ワタシと同じようなタイプの子が被害に遭わないように。あたし、もう起きます」
湿布を貼ってもらった茉里は篠山先生にこう意見しながらゆっくりと立ち上がり、ソファにゆっくりと腰掛ける。
「今、十二時三四分かぁ。もう四時間目終わるね。あー、よく寝たぁ。私も起きよう」
実鈴は壁に掛けられた丸時計を眺めながら呟き、立ち上がった。
「白阪さん、調子は戻ったかな?」
「はい。もう万全です。私お腹すいちゃった。お昼はいっぱい食べるよ」
実鈴はとても元気そうだった。
「ワタシもばっちり。午後からの授業、すっきりした気分で受けれそう」
茉里がそう言ったのとほぼ同時に四時間目終了、お昼休みの始まりを知らせるチャイムが鳴る。二人とも保健室から出て行こうとしたらタイミング良く、
「実鈴さん、茉里さん。お迎えに来たよ」
ガラリという開閉音。乃利子が来てくれた。
「ノリコちゃん、ちゃんとノート取ってくれた?」
「当たり前でしょ」
「乃利子ちゃん、ご迷惑かけて大変申し訳ない」
「いえいえ、どういたしまして」
三人は保健室を出ると、まっすぐ三年五組の教室へ戻っていく。
新しい座席で、給食タイムが始まる。今週の給食当番は五班と六班が担当。四班ではすでにメンバー全員に全てのメニューが配られていた。
「今日の給食、このメニューもあったこと、忘れてた」
配られたものを眺め、実鈴はがっかりする。
メニューの一つに、レバニラ炒めがあったのだ。
「ワタシもレバニラすごい苦手だ。それより男子、ちゃんと班にしなきゃダメだよ」
茉里は聡也、栄作、貞之の三人に向かって注意する。
「俺は嫌だぜ。目が合うし」
「なんでうちのクラスはこうしなきゃいけないのでありましょうかね? 小学生じゃあるまいし」
「菱池先生、他のクラス見習って欲しいよね」
不満を呟く男子三人。女子三人はすでに机を横向けにして待機。
このクラスでは給食時、班ごとに机を向かい合わせにして食べるよう担任から指示されているのだ。
「つべこべ言わずにさっさとして。決まりだからね」
乃利子も困惑顔で注意した。
「私は菱池先生のやり方大好きだよ。小学校の時みたいに楽しく食事出来るもん」
実鈴はこうコメントする。
「皆さん、ちゃんと班にしていますか?」
ほどなくして担任の菱池先生がやって来ると、男子三人はしぶしぶ机を向かい合わせにした。クラスメート全員に全てのメニューが行き渡ると、
『手を合わせて、おあがりなさい』
と給食当番から告げられて、クラスメート達は『いただきます』と返し、食事開始。
「私、頑張ってレバニラ食べるよ」
実鈴はそう言うと、お箸でレバーをニラやもやしやニンジンと一緒に摘み、恐る恐るお口の中へと放り込んだ。
噛み締めた瞬間、実鈴の両目が×になる。そしてほとんど間を置かず、ごっくんと飲み込んだ。さらにもう三口入れ、全部食べ切ると、
「何とか食べれたよ」
実鈴は満面の笑みを浮かべた。
「ミスズちゃん、よく頑張ったね」
「レバニラ完食おめでとう、実鈴さん」
茉里と乃利子はパチパチと拍手する。
「美味しい♪」
実鈴は続けて口直しをしようとしたのか、すぐにデザートの杏仁豆腐をスプーンで掬ってお口に入れた。とっても幸せそうな表情を浮かべる。
「ノリコちゃんも頑張って食べないとね。ワタシのあげる」
茉里は自分のお皿に盛られたレバニラ炒めをお箸でつまみ、乃利子のお皿に移した。
「いらない、いらない」
「ワタシ、ノリコちゃんが貧血にならないように心配してるのに」
「はいはいはい、分かった、分かった」
乃利子はレバニラ炒めの盛られたお皿を左手に取り、茉里のお皿に戻す。
「あーん、やめてーっ」
茉里は再び乃利子のお皿へ移そうとしたが、
「いらないって言ってるでしょ!」
乃利子はお皿を左手に持ち替え、自分の背中側へ隠した。
「なんか、かわいい」
その様子を実鈴は傍で、微笑ましく眺める。
「これこれ仲良しなお二人さん、食べ物を粗末にしない!」
菱池先生に呆れ顔で注意され、
「「はーい」」
茉里と乃利子はようやく小競り合いを止めた。
「給食のメニュー、どれが一番嫌だった?」
「納豆、ワタシいつも残してた」
「わたしは、トマトスープが一番嫌だったな。プチトマトは好きだけど」
「ああ、分かる、分かる。トマトはスープにせずにそのまま食べた方が美味しいよね。私は酢の物と、チンジャオロースに付いてくるピーマンが嫌だったよ」
楽しそうにお喋りしながら食事を進める女子三人をよそに、
「「「……」」」
男子三人は黙々と食事を進めていた。そんな状況を打破しようとしたのか、
「ねえっ、アキバはしょっちゅうテレビで特集されてるのに、ポンバシはほとんど注目されないのは悲しいよね?」
茉里は向かい側にいる聡也に話しかけてみる。
「うっ、うん。まあ、二番目ってのは、注目されないからな」
聡也は茉里と目が合わないように俯き加減で緊張気味に意見した。
「日本で二番目に高い山とか、広い湖とか訊かれて、即答出来る人は少ないと思う」
「……言われてみれば、確かにね」
貞之のツッコミに、茉里はハッと気付かされた。
「東垣君の質問の答は北岳と霞ヶ浦だけど、定めし知名度は落ちますね。オリンピックの銀メダリストも同じ宿命ですねぇ。京大も東大と比べるとあまり注目されませんしぃ」
栄作の呟きに、
「確かに、クイズ番組で超難問が出題される時も、東大生正答率何%とかって出るけど、京大生は話題にされないものね。宇○原さんは普通の東大生よりもずっと賢いと思うんだけどな。やはり京大となると、東大と比較してどうしてもインパクトが薄くなっちゃうからなのかなぁ? 京都を舞台にした娯楽作品は数え切れないほどたくさんあるけど」
乃利子はこう反応する。
「ノーベル賞の日本人初の受賞者は京大出身のお方なのですがねぇ。二番目の方が有名なものといえば、鳥取砂丘とエアーズロックくらいかなぁ」
「鳥取砂丘とエアーズロックって二番目だったの?」
栄作がさらに呟いたことに、茉里は驚く。
「イェス。砂丘の広さ日本一は、青森県にある猿ヶ森砂丘だけど、防衛省の弾道試験場になってて民間人は立ち入り禁止ゆえに、知名度が低いようです。岩の大きさ世界一も、マウント・オーガスタスだし」
「へー、ワタシ初めて知ったよ」
「えいさく、物知りだな」
聡也も感心した。
「栄作くん、小学校の頃のあだ名、『博士』だったもんね」
「……」
実鈴ににこっと微笑みかけられた栄作は、照れてしまう。
「栄作さんの雑学の豊富さには、わたしも適わないわ」
「ノリコちゃんちで飼ってるインコなら勝てるかもね」
「乃利子ちゃんち、インコ飼ってるんだ。見たい、見たぁい」
茉里から伝えられたことに、実鈴は興味津々。
「もちろん見に来ていいよ。というか見に来て。わたしんちの手乗りセキセイインコ、めっちゃ賢くて驚くと思うから」
乃利子は快く承諾してくれた。
「ワタシも行くーっ。チエコちゃんに会いたいし」
茉里は強く言う。
「お姉ちゃん、今日は部活無いから四時半頃には帰ってると思うよ。貞之さんも、ぜひ見に来て下さい!」
「わっ、分かった。部活終わってから行くよ」
乃利子に強くせがまれると、貞之は断り切れなかった。
「聡也さんと栄作さんも、見に来ませんか?」
「俺はいい」
「ボクもー」
その二人は即、俯き加減でかたくなに拒否。
放課後。貞之と聡也、栄作の三人は週一回金曜日だけ活動しているパソコン部の部室、コンピュータルームへと向かう。そこには最新式に近いデスクトップパソコンが五〇台ほど設置されてあるのだ。三人は一台のパソコンの前にイスを寄せ合い、近くに固まるようにして座った。貞之が電源ボタンを入れ、パスワードも彼のものでパソコンを起動させる。
「さっそく今朝放送されたばかりのアニメを見ましょう」
栄作は録画したものが入ってあるブルーレイを通学鞄から取り出し、投入口に入れて再生した。
「やっぱ女は二次元に限るよな?」
流れてくる高画質かつ高音質な映像を眺めながら、聡也はにやけ顔で問いかける。
「その通りだね。三次元にはろくなのがいないよん」
栄作は即、同意した。
「確かに絵はかわいいけど、僕は恋愛対象にまではならないなぁ。いつも思うけど髪の色がおかしいだろ、ピンクとか水色とかオレンジとか青とか緑とか」
貞之はまだ、この二人ほどは萌え系深夜アニメには熱中していないようである。
「そこには突っ込んでやるなって。ただゆきはまだまだ二次元世界初心者だな」
聡也は大きく笑う。
「東垣君は、ボクや鶴目君のようにまではのめり込まない方がいいよーん。もう戻れなくなるからね」
栄作は苦笑いを浮かべ、自虐気味に意見した。
一話を見終えると、
「次はこれやろうぜ」
聡也は鞄から、一つの箱を取り出した。
「こっ、これは、非常にまずいだろ」
パッケージに描かれたアダルトなイラストを眺めた瞬間、貞之の顔が引き攣る。
「俺的法律によれば、十八禁ってのは〝十八歳以上はプレイ禁止〟ってことだぜ」
聡也はきりっとした表情で語る。
「おいおい。真逆の解釈をするなよ」
貞之は呆れてしまった。
「いいじゃん、ただゆき。高校生の兄と中学生の妹が仲睦まじく一緒にエロゲープレイしてるラノベもあるんだし、問題ないって」
「そうだよね鶴目君、いまどき小学生でもエロゲをプレイするものだしぃ」
栄作も肯定派だった。
「……そういう子達の将来が心配だ」
貞之は頭を抱える。
「ただゆきぃ、このエロゲはエロシーン少ない方なんだぜ。七月からはサ○テレビでアニメも始まるし」
聡也が、肝心のゲームが収録されてあるブルーレイディスクを箱から取り出し、投入口に入れようとした瞬間、
「サ、ト、ヤ、くん、何しようとしてるのかなぁ?」
背後から誰かにそのブルーレイディスクをパッと掴み取られ、阻止された。
「うぉっ!」
聡也はビクーッとなる。正体は、茉里だった。
「聡也さん、これらは不要物よ」
「聡也くん、こんなエッチなものに手を出しちゃダメだよ。お母さんが悲しむよ」
乃利子と実鈴もいた。二人とも頬を赤らめて、パッケージに描かれたイラストを眺めながら注意して来る。
「わっ、分かりました。すぐに仕舞います」
茉里からブルーレイディスクを返してもらうと、聡也は素直に従う仕草を見せた。
「貞之くんも、こんなのを好きになっちゃ絶対ダメだよ」
実鈴は心配そうに忠告する。
「分かってる。僕、こんなのには全く興味ないから」
貞之は安心させるように答えた。
「じゃあ貞之くん、早く乃利子ちゃんちに行こう!」
「うっ、うん」
実鈴に腕をぐいぐい引っ張られ、コンピュータルームから強制退出させられてしまう。
「ただゆきも大変だな」
「今しがた邪魔者は去りました。それでは、再開しますか」
茉里と乃利子も退出したのを確認すると、聡也と栄作は先ほどの忠告は無視してエロゲープレイに興じたのであった。
☆
「こちらが、うちの手乗りセキセイインコの『サクラ』よ」
衣笠宅を訪れた三人は、リビングに招かれた。乃利子はそこに置かれてある鳥かごを指し示す。
「すごくきれーい。ソーダ味のアイスキャンディーみたーい。鹿児島まで行く新幹線と同じ名前なんだね」
実鈴はにこやかな表情でサクラを眺めた。コバルト色の模様が美しい、オパーリンブルーという品種だった。
「飼い始めてから、半年ちょっとになるの。推定二歳くらいよ」
乃利子が説明した。
次の瞬間、
「ハジメマシテ、オイドンノナハ、サクラデゴワス」
サクラは突如喋って自己紹介をした。なぜか鹿児島弁だった。
「サクラちゃん、礼儀正しいね」
「自己紹介出来るから、確かに普通のセキセイインコよりは賢いね」
「さすがノリコちゃんが飼ってるだけはあるよ」
三人は微笑ましく眺める。
「女の子みたいな名前だけど、オスなの」
乃利子は紹介しながらを鳥かごの扉を開けると、サクラはすぐに中から出て来て乃利子の右手の甲に乗っかってくる。
「私にも乗ってくれるかなぁ? 初対面だけど」
実鈴は興味津々。
「たぶん大丈夫。サクラはとても人懐っこいから」
乃利子が笑顔でそう言うと、
「ワタシにはけっこう攻撃的だけどね」
茉里は速攻突っ込む。
「サクラちゃん、こっちにおいでー」
それでも実鈴は握りこぶしを作り、手の甲をサクラにかざし呼びかけてみた。
「!」
すると、サクラはすぐに乃利子の手の甲から飛び立って、実鈴の手の甲に乗ってくれたのだ。
「わぁー。嬉しい!」
実鈴は満面の笑みを浮かべる。
「サクラはとってもお利口さんでしょ。ウンチやおしっこもきちんと指定の場所にしてくれるし、最近は高校レベルの物理の計算問題も解くことが出来るようになったよ」
乃利子から伝えられたことに、
「いくらセキセイインコが賢いといっても、そこまではないだろ」
「本当に、そんなことが出来るの?」
貞之と実鈴は信じられないといった感じだった。
「高校レベルの計算問題まで出来るようになったん?」
茉里もちょっぴり驚いていた。彼女が前に会った時は、サクラは小学校レベルの簡単な四則演算しか出来なかったのだ。
それでも普通のセキセイインコには不可能な技であるが。
「みんなもサクラに挑戦してみる? きっと驚くよ。サクラ、ちょっとこれ解いてみて」
乃利子はそう告げて、サクラに高等学校用物理の問題集のとあるページを開いて見せ、該当する演習問題の箇所を指で示した。
図1から3まで三つの図が示されており、地球の周りの円軌道上を一定の速さで周回する人工衛星がある(図1)。この人工衛星が円軌道を一周する時間はTである。衛星には質量m0の捜査機が一台積まれてあり、捜査機を含めた衛星の全質量はmである。地球の質量をM、半径をR、万有引力定数をGとする。(1)この衛星の地表からの高度Hと速さVを求めよ。(2)衛星が地球から受ける万有引力の大きさFを求めよ。(3)捜査機を衛星から静かに切り離した後、捜査機の噴射装置により図2のように衛星の軌道の接線方向前方に衛星から見て速さuで発射する。このとき、地球の引力圏を脱出するのに必要な最小の速さuを求めよ。(4)(3)とは異なって、図3のように軌道の接線方向前方に捜査機を衛星から直接発射する。このとき、発射直後の速さは衛星から見てu´であるとする。捜査機が地球の引力圏を脱出するのに必要な最小の速さu´を求めよ。また、発射直後の衛星の速さV´を求めよ。という問題が記載されていた。
「ワタシ、問題の意味すらよく分からないよ」
「私もさっぱりだ」
「僕も全く見当が付かない」
これを見てすぐに降参した三人に対し、サクラは頭を振り子のように左右にコキコキ動かし始める。頭の中で途中式を組み立てているようだった。
二分ほど後、
「カッコ一ノコタエハ、H=(4π2乗分ノGMT2乗)ノ3分ノ1乗マイナスR、V=(T分の2πGM)ノ3分ノ1乗。カッコ二ノコタエハ、mカケル(T4乗分の16GMπ4乗)ノ3分ノ1乗。カッコ三ノコタエハ、u=(ルート2マイナス1)カケル(T分の2πGM)ノ3分ノ1乗ダヨーン、トイ四ノコタエハ……u´=mマイナスm0分の(ルート2マイナス1)mカケル(T分の2πGM)ノ3分ノ1乗、V´=mマイナスm0分ノ、mマイナスルート2m0ニ絶対値ノ記号ヲツケタモノ、カケル(T分の2πGM)ノ3分ノ1乗デ、アッテルノカナ? トイ四ハオイドンジシンナイヨン、ムズカシイ」
サクラは一度パチッと瞬きした後、(3)までは自信満々な様子で答えてみせた。
「どれも正解よ。パーフェクト。難易度高めの問題だけど、最後までよく出来たね。力学はかなりマスターしたみたいね」
乃利子はサクラの頭を優しくなでてあげた。
「イエェ、ソレホドデモゥ」
サクラは首を下に傾け、照れくさそうに謙遜する。
「すご過ぎる。いくら賢いといわれるセキセイインコといえども、ここまでとは」
貞之は唖然とした。
「私、小学校の頃、九官鳥さんを飼ってたけど、こんなことまでは出来なかったよ」
「ますます賢くなってる。恐ろしやぁー」
実鈴と茉里もあっと驚く。
「イエ、オイドンナドボンジンナラヌ、ボンチョウデゴワスヨン」
サクラはまたも謙遜する言葉を述べた。
「わたしも最初はめっちゃ驚いたよ」
「あたしもー。この子に代わりに京大受験してもらえば、合格間違い無しだよ」
「お姉ちゃん、今の日本の入試制度では、インコは受験出来ないよ。世界中どこでもだろうけど」
突如リビングに現れた智恵子に、乃利子は呆れ顔で言う。
「サクラちゃんの話し方、栄作くんも交じってるね」
実鈴は笑顔で突っ込んだ。
「ちょっと前、おウチに上げたから口癖うつっちゃったのかな? 中間テストが終わった後、一緒に答え合わせをしようと思って」
「おウチに呼んだの!? ノリコちゃん、エイサクくんのこと好きなんでしょう?」
茉里の問いかけに、
「そっ、そんなことはないよ。栄作さんは、勉強のライバルなの」
乃利子は俯き加減ですぐさま否定する。
「ノリコちゃんも将来京大志望?」
「うん、一応」
「エイサクくんと同じじゃん。もう付き合っちゃいなよ。見た目と運動能力はの○太くん、頭脳は出○杉くんなところが気に入ってるんでしょ? 両親のお仕事もお互い大学教授なんだしさぁ」
茉里はにこにこ笑いながら、乃利子の肩をペチペチ叩く。
「いいって」
乃利子は照れ顔で言う。
「栄作くん、昔からすごく真面目でいい子だよね。智恵子ちゃんも、京大を目指してるってすごいですね」
実鈴は知恵子をとても尊敬している様子。
「だって京大の卒業生には、ヒャ○インさんに、ヤ○カンさんに、神○暁さんがいるもん」
「誰なんだろう?」
智恵子の発言に、実鈴はぽかーんとなる。
「卒業生に憧れるなら、湯川秀樹さんとか朝永振一郎さんとか福井謙一さんとかでしょ。一般人はそんな人知らないよ」
「チエコちゃん、アニメ好きなんですかっ!?」
「うん! 大好きよ。あたしの将来の夢は、京○ニに就職することなの」
茉里から興味津々にされた質問に、智恵子は嬉しそうに答えた。
「わたしのお姉ちゃん、大のアニメオタクなの」
乃利子は困惑顔で打ち明けた。
「おーっ、アニメ好きな姉がいるなんて羨ましいよ!」
茉里は大興奮する。
「高校に入ってからなの、お姉ちゃんがこんな趣味に嵌っちゃったのは」
「まあ、中学や高校入学をきっかけに、こういう趣味に嵌っていく人は多いと思うけど」
貞之は、聡也のことを思い浮かべながら意見した。
「私もアニメ大好きだよ。今日の妖〇ウォッチとド○えもんとク○ヨンしんちゃんも楽しみーっ」
実鈴も楽しそうに話題に乗る。
「あたしのお部屋、見せてあげるよ」
智恵子の計らいに、
「ありがとうございます!」
茉里は目をきらきら輝かせ、大喜びする。
みんなは智恵子のお部屋へ。扉が開かれた瞬間、
「茉里ちゃんのお部屋とそっくりだね」
「すっごーい、ワタシの部屋より豪華! 自分の部屋にテレビがあるなんていいなぁ。深夜アニメ見放題じゃん。ワタシはリビングでママに気づかれないようにこっそり見てるよ」
茉里は目の前に広がる光景に大興奮する。
室内の様子は茉里のお部屋とよく似ていた。本棚には茉里も持っているような漫画やラノベ、アニメ・声優系雑誌に加え、高校生は年齢的にまだ読んではいけない同人誌まで。さらに、木製のラックに載せられたDVD/ブルーレイレコーダーと二四インチ液晶テレビ、学習机の上にはノートパソコンもあった。
「聡也の部屋をそのままコピーしたみたいだ」
貞之は苦笑いしながらコメントする。
「ひどい有様でしょう?」
乃利子は訊いてみた。
「乃利子もアニメ好きなくせに」
智恵子がちょっかいを出して来る。
「わたしが毎週欠かさず見てるアニメは、アン○ンマンとド○えもんとク○ヨンしんちゃんとちび○る子ちゃんとサ○エさんくらいだもん」
乃利子はぷくぅっとふくれて言い訳する。
「乃利子ちゃん私と同じだーっ。面白いよね」
実鈴は嬉しがった。
「二人とも良いお子様向けのアニメだね。ワタシもそれ系の、好きな声優さんが出てたら見るけど。チエコちゃんって、昔から絵が上手で水彩画とか油絵を描いてましたけど、今はマンガも描いてるんですね?」
茉里は学習机の上に、描きかけの漫画原稿用紙が置かれてあるのを発見した。
「うん。高校に入ってから漫画の創作にも目覚めたの。かわいい女の子がいっぱい出る百合系が多いかな。あたし、BLは苦手なんだ」
「ワタシもだよ。男の子が好きそうな萌え系アニメの方が好き。チエコちゃんの描いてるマンガ、見せてくれませんか?」
「もちろんいいわよ。好きなだけ見てね」
「ありがとうございます!」
茉里は礼を言うと、さっそく原稿用紙をパラパラッと捲ってみる。
「うひゃぁっ、エッチな絵が多いけど、上手過ぎる! 美術科行けばよかったのに」
「あたし、東の美術科は落ちちゃったよ」
智恵子は照れくさそうに打ち明ける。
「そうなんですか。これだけ上手くても落ちるなんて、相当ハイレベルなんですね」
茉里はちょっぴり落ち込んでしまった。
「大丈夫よ。あなたならきっと受かるから」
智恵子は頭を優しくなでてくれた。茉里は癒され、すぐさま元気を取り戻す。
「お姉ちゃんは東高の恥だよ」
乃利子は、ため息混じりに言う。
「もう、乃利子ったら。お姉ちゃんがいない間にこっそり同人誌読んでたくせに」
智恵子は乃利子のほっぺたを人差し指でぷにゅっと押した。
「なっ、何で知ってる……いっ、いや、わたし、そんなの一切読んだこと無いし。とにかく、高校の教科書を見たら、今わたし達が習ってる内容がいかに基礎的で簡単なのかが分かるよ」
乃利子の頬がカァーッと赤くなる。話題を切り替えようと、学習机付属の本立てにあった高等学校用の英語、数学、化学、物理の教科書計四冊を取り出しベッドの上に置いた。
茉里と実鈴はそれを手に取るとパラパラッと捲ってみる。
「……数学とか、もはや異国の文字のオンパレードだよ」
「どの教科も、すごく難しそう。私ついていけるかなぁ」
「中学の学習内容をしっかり理解しとかないと、高校入ってからお姉ちゃんみたいに落ちこぼれになっちゃうよ。わたしは私立中の子達に負けたくないから、高校の内容を今から先取りして勉強してるの」
「ノリコちゃん落ちたんだよね、私立中」
茉里はくすっと笑う。
「そうなの? 乃利子ちゃんかわいそう」
実鈴は哀れみの気持ちを持った。
「本番で緊張して、本来の実力が出せなかっただけよ。まあ、でも、公立に来たからこれだけ上位の成績が取れてるってこともあるから、今は公立に来て良かったと思ってるよ。合格することが目的じゃなくて、合格してからその高校の授業についていかなきゃいけないからね、ギリギリで合格出来る所より、トップレベルの成績での合格を狙った方が良いかなっと思ってるの。だから、北高じゃなくてこの辺で二番手の東高を志望してるの」
乃利子は照れくさそうに語るも、内心コンプレックスを持っているようだった。
「あっ、チエコちゃんの写真がある」
茉里は学習机本棚の間にあったのを発見した。
「これは四月にあった京都への遠足で、京大百周年時計台記念館前のクスノキの側で撮ったものよ」
智恵子は自慢げに説明する。
「そうなんですか。チエコちゃん、笑顔でとても満足そうですね」
茉里はその写真をじっと眺めた。
「この京大の大きなクスノキ、私も写真で見たことあるよ。風情があっていいよね」
実鈴も話に加わる。
「あたし、このクスノキの前で両手をかざして、京大頭脳パワーを受け取って来たよ。あたし本当に頭が良くなった気がするの。この場所は学力向上祈願に関しては北野天満宮のなで牛以上のパワースポットに違いないわ。この写真撮った後、京大の学生食堂でお昼ご飯食べて、一足先に京大生気分を味わって来たよ。そのあとは百周年時計台記念館の中に入って、売店で京大のグッズもいっぱい買ったの。吉田寮と、ips細胞研究所の建物も見に行ったよ。山中教授の姿は残念ながら見れなかったよ。サイン貰いたかったんだけどなぁ」
智恵子は嬉しそうに思い出を語る。
「お姉ちゃんったら」
乃利子はほとほと呆れ果てていたのであった。
☆
その日の夜十時半過ぎ、東垣宅貞之の自室。
貞之が机に向かって来週月曜に提出の、数学の宿題に取り組んでいたその時、彼所有のスマホ着信音が鳴り響いた。誰かから電話がかかって来たのだ。
「実鈴ちゃんからか」
番号を確認すると貞之はこう呟いてベッドに腰掛け、通話アイコンをタップする。
「もしもし」
『あっ、貞之くん。今日はいろいろ迷惑かけてごめんね』
「いやぁ、どういたしまして。体は、大丈夫?」
『うん、おウチ帰った後もいっぱい休んだからもう平気。すっかり元気になったよ』
「そっか。それはよかったよ。じゃあ僕、そろそろ切るね」
『あっ、待って貞之くん』
「なっ、何?」
貞之は、びくっと反応した。
『あの……今度の日曜、明後日だけど、一緒にショッピングに行って映画見て、あと遊園地も行こう!』
「えっ!」
実鈴の突然の誘いに、貞之はどきっとした。
『あの、今日の、お礼がしたくて……』
「あっ、そっ、そう。それじゃ、いいけど」
デートの誘いなんじゃないのか? これは――。
貞之はやや躊躇う気持ちがありながらも、一応引き受けた。
『茉里ちゃんと乃利子ちゃんと、あと、聡也くんと栄作くんも誘ったよ。同じ班になった親睦を深めようと思って。茉里ちゃんと乃利子ちゃんはもちろん行くって言ってたし、聡也くんと栄作くんも貞之くんが行くなら行くって言ってくれたよ。そんな条件付だけど、珍しく誘いに乗ってくれて嬉しかった♪』
「そっ、そっか。それが、いいよ」
デートの誘いじゃなくて、良かったぁ。
貞之は内心ホッとした。
『ありがとう。それじゃ、またね、貞之くん』
「うっ、うん」
こうして貞之は電話を切った。
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