第一話 中間テスト撃沈 茉里、スパルタ教育学習塾へ強制入塾されちゃう危機

「ただいまぁー」

茉里がご機嫌斜めで帰宅し、リビングに足を踏み入れるや否や、

「茉里、今日社会のテスト返って来たんじゃろ? 見せなさい!」

 いきなり母からの要求。背丈は娘の茉里よりも若干低く、一四〇センチに満たないくらいである。

「うっ、うん。分かっとるって」

茉里はソファにどかっと腰掛けると、しぶしぶ社会科の答案を鞄から取り出し、ローテーブル越しに向かい合う母に見せる。

「……茉里ったら、またこんなひどい点数取って。もっと本気で勉強しなきゃダメやないのっ!」

 点数を眺めた母は怒り心頭。眉をへの字に曲げ険しい表情へ。

「ママ、これでも平均点よりは上だったんよ。平均六一しかなかったけん」

 茉里はややびくびくしながら主張する。

「茉里は東高を目指しとるんじゃろ?」

母は強い口調で問うた。

「ほっ、ほうじゃけど」

「だったら平均をほんのちょっと超えれたくらいじゃあかんの、分かっとるでぇ?」

「分かっとるよ」

 茉里は不機嫌そうに答える。

「茉里はもっと受験生としての自覚を持たないかんじょ。あの約束は覚えとるでぇ?」 

 母は険しい表情から、にこにこ顔へと変化した。

「えっ……何のこと?」

 茉里は視線を天井に向けて、忘れた振りをしてみる。

「とぼけたって無駄じょ。証拠はちゃぁんと残してあるんじゃけん」

 母はそう告げた後、テーブル上の小物入れからICレコーダーを取り出した。茉里の眼前にかざすや否や、再生ボタンをピッと押す。

『茉里、今度の中間テストでも総合三五〇切るようじゃったら、塾へ放り込むけんね』

『分かっとるよ、ママ。うるさいなぁ。それくらい楽勝じゃわ』

こんな音声が流れた後、

「このことじょ」

 母はニカッと微笑みかけてくる。

「……録音、してたん。いつの間に?」

 茉里の顔は引き攣った。彼女はこの発言をしっかりと覚えていたのだ。

「ふふふ、言い逃れ出来んようにこれくらい対策済みじょ。茉里、これで全教科返って来たわよね? 合計いくらあるでぇ?」

「……三四八じょ」

「はい、塾行き決定!」

 茉里が俯き加減でぼそぼそと打ち明けると、母は明るい声で嬉しそうに告げた。

「たった二点足らんかっただけやん。ほなけんママ、おまけで塾行き無しにしてぇ」

「あかんっ! 受験ではたった一点の差ぁでも合否を分けるんじゃけん。茉里、次の期末テストも悪かったら、あんたのお部屋にある大量の雑誌類、漫画本、全部捨てるけんね」

「えっ! そんなぁーっ。そこまですることはないじゃろ?」

 突然の母からの通告に、茉里はどぎまぎする。

「だって茉里、あんなのをいーっぱい買い集めるようになってから、テストの点数が急激に落ち始めたじゃろ」

「それは全然関係ないでぇ」

「大いにあります!」

「……習う内容も、だんだん難しくなってきとるけん、点数落ちてくるんは当たり前じゃろ。学年平均だって一年の時のテストより低いし、みんな悪くなっとるんよ」

「ほなけど、乃利子ちゃんは新入生テストの頃から今でもずーっと、高得点を維持し続けとるじゃろ?」

 弱々しく反論する茉里に、母は得意げな表情で訊く。

乃利子ちゃん、フルネームは衣笠乃利子(きぬがさ のりこ)。茉里のおウチのすぐ近所に住む同い年の幼馴染だ。今、クラスも同じである。

「あの子は、ワタシと地頭が違うんじょ、昔っから」

「茉里がこうなることは予想出来とったわ。乃利子ちゃんは社会何点やったん?」

「……九六点じゃ」

 茉里は少し躊躇うように伝えた。

「ほらね、勉強出来る子は、どんなに問題が難しくなって平均が低くなっても良い点取るじゃろう。茉里、ママ明日、駅前の風叡館(ふうえいかん)に申し込んでくるけんね。公立高校受験対策五教科週五日フルコースがお勧めみたいよ。土日も無料で自習室が使えるみたいじゃし」

 母はニカッと微笑みながら告げた。

「待ってママ、ワタシ、今日からは気を引き締めて本気になって受験勉強に励むけん、塾入れるんはやめてぇーっ!」

 茉里は焦り顔で懇願するも、

「その言葉はもう聞き飽きたじょ」

 母は聞く耳を持ってくれなかった。

「ママにとって、ワタシはかわいい娘なんじゃろ? ほなけんあんな時代遅れなスパルタの恐ろしい塾へ入れようとするなんてあり得へんことじゃ!」

「かわいい娘じゃからこそ入れるんじょ。茉里にはお勉強頑張って成績上げてええ高校、ええ大学、神戸大くらいには入って欲しいんじょ」

「ほなワタシ、進○ゼミやるけん、それやったら塾なんかへ行かんでも成績一気に上がるじょ」

 茉里は懸命に頼んでみる。

「進○ゼミってあんた、小学校の頃にとってあげたけど、教材ほったらかしにして埃まみれにして結局全然やらんかったやない。今回もどうせ長続きせんに決まっとるわ」

 予想通りの反応をされた。

「今度は違うんじょ! 絶対、絶対真面目にやるけん! やらせてぇよぅママァーッ」

 茉里は焦るように早口調で説得する。

「あかんっ!」

 けれどもやはり無駄だった。

「ママのケチッ!」

 茉里が大声で不満を呟いたその直後、

 ピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴り響いた。

「あら、お客さん」

 母が玄関先へ向かい、対応する。先ほどまでの険しい表情とは打って変わって爽やかな表情だった。

「こんばんはー。あのう、茉里ちゃんのおば様。茉里ちゃんの落としたボールペン、届けに来ました」

「どっ、どうも。こんばんは」

 訪れて来たのは、実鈴と貞之であった。

「あらぁっ、実鈴ちゃんに、貞之ちゃんじゃない。お久し振りね。茉里がご迷惑おかけしたみたいでごめんね。どうぞ上がっていって」

 母から快く歓迎された。

「いえいえ、そんな、悪いです」

「僕も、すぐ帰るつもりでしたし」

 二人が断ろうとしたところへ、

「ミスズちゃんにタダユキくーん。タイミング良く来てくれたねーっ!」

茉里も玄関先へダダダダダッと駆け寄って来た。

 そして、

「ママーッ、じつはワタシ、この二人から勉強教わることにしたんよ。ほなけん、塾なんか行かんでも大丈夫じょ!」

 にこにこしながらいきなりこんなことを大声で伝える。

「へっ!?」

「えっ! 僕から?」

 実鈴と貞之は目を大きく見開いた。

「茉里、今さっき思い付いたじゃろう? そちらのお二人さん、かなり戸惑っとるでぇ」

 母は二人の様子をちらりと見た後、茉里の方を向く。

「タダユキくんと、ミスズちゃんは、うちのクラスでノリコちゃんに負けんくらい成績優秀なんよ。この二人から勉強教わったら、塾なんかへ行くよりもずぅぅぅぅぅぅぅーっと効率よく成績上がるけん、お願いじゃわ、ママ」

 茉里は母に向かって手を合わせ、ぺこんと頭を下げて必死にこう訴える。

「うーん、実鈴ちゃんと貞之ちゃんは、それでいいでぇ?」

 母から問われると、

「はっ、はい。まあ……」

「私もいいですよ」

 貞之と実鈴は、親切心からかすぐに承諾の返事をしてしまった。

「それじゃ、茉里のこれからの受験勉強指導、よろしく頼むわね」

 母は優しく微笑みかける。

「わっ、分かりました」

「任せて下さい、おば様。茉里ちゃん、私と一緒に受験勉強頑張ろうね」

「うん!」

 茉里は嬉しさのあまり、満面の笑みを浮かべる。

「ほなけど茉里、期末で主要五教科〝四〇〇〟いかんかったら、今度こそ風叡館に通わせるけんね」

「えーっ、四〇〇もぉ? 条件厳しくなっとるやん」

 母の条件に茉里は不満を漏らすが、

「確かに、目標は高く持った方が望ましいと思います」

「茉里ちゃん、今から期末に向けて毎日一生懸命頑張れば、それくらいはすぐに取れるようになるよ」

 貞之と実鈴は賛同出来たようだ。リビングへ上がらせてもらったその二人は、隣り合うようにソファに腰掛けた。茉里は二人と向かいように腰掛ける。

「茉里ちゃんがおウチで使ってる阿波弁、相変わらずかわいいよ。学校でもこの話し方がいいな」

「いやあ、学校では標準語で……」

 実鈴のお願いを、茉里は申し訳なさそうに断る。茉里の母が徳島出身という理由から、茉里もつられて方言の阿波弁を使っているのだ。

「茉里ちゃんとおば様の口論、お外まで丸聞こえでしたよ」

 実鈴はにこにこ顔で伝えた。

「あらあら、お恥ずかしい。茉里がね、東高を第一志望に考えとるのにひどい点数取って来るもんやけん、叱ってたんよ」

 母は微笑み顔で、照れくさそうに言う。

「やはりそうでしたか。私も茉里ちゃんと同じく東高第一志望です」

「僕も、同じです」

「そっか。ワタシ、タダユキくんとミスズちゃんはもう一ランク上の北高狙ってると思ってたけど、うちの中学から近いもんね」

東高とは、県立橙宮東(とうのみやひがし)高校のことだ。この三人が通う昆ノ塚中学の通学区域内に立地しているということもあって、他の昆ノ塚中生にとっても人気の進学先となっている。ただ、東高の普通科に一般入試で挑む場合、学科試験以外に内申点も評価されるため大まかな目安ではあるが、三人が通う中学の同学年全七クラス二三〇名ほどいるうち、校内テストで常に上位五〇番以内には入れていないと厳しいらしい。

「実鈴ちゃんと、貞之ちゃんは、東の普通科を受けるでぇ?」

「はい」

「僕も一緒です。というか、普通科しか考えてないので」

 母からの質問に二人がこう答えると、

「ワタシは美術科の方を受けたいんじゃけど、ママは普通科にしなさいって口うるさく言うんよ。将来きっと困るからって」

 茉里は不満げに呟いた。

「東の美術科って、普通科より難しいような……倍率がかなり高いでしょう?」

 実鈴が突っ込むと、

「ほうじゃけど、そっちなら実技メインやけんワタシの今の学力のままでも入れそう」

 茉里はこう主張した。

「茉里が受かるわけないじょ」

 母はくすくす笑いながらさらりと言う。

「受かるよっ!」

「普通科以上にあり得へんわ。茉里、通知簿で美術5ぉ取ったこと一度もないじゃろ? 高校の美術科いうんは入試ん時、美術で5をいつも当たり前の様に取ってたような子ぉがようけ集まって来て、その中での競争になるんじょ」

「……」

 茉里は反論出来なかった。事実、茉里は美術の5段階評価は最高で3だったのだ。

「そういえば茉里ちゃんって、一年生の頃はすごく成績良かったよね? クラスで一番取ったこともあるし。いつも四五〇以上取ってたでしょう?」

 茉里と母との険悪な雰囲気を和らげようとしたのか、実鈴が話に割り込む。

「ほうなんじゃけど、中二の頃から急にガクッとね」

 茉里はてへっと笑った。

「茉里はね、友達のいない男の子みたいな趣味に嵌ってから、急激に成績が下がっちゃったんよ」

「どんな趣味なんだろ?」

「私も気になる」

 母からため息混じりで伝えられたことに、貞之と実鈴は興味が沸いたようだ。

「茉里のお部屋を見れば一目瞭然よ。茉里、見せてあげたら」

「まあ、この二人になら、見せてあげてもいっか」

 茉里はそう言って、貞之と実鈴を二階にある自室に案内してあげた。

「わぁー、すごーい。久し振りに来たけど茉里ちゃんのお部屋、ずいぶん変わったね。なんかお店みたい」

「これは……」

 扉が開かれ室内が露になった瞬間、実鈴と貞之は目を丸くする。

茉里の自室はフローリング仕様で、広さは一〇平方メートルほどある。畳に換算すると六畳くらいだ。出入口扉側から見て左の一番奥、窓際に設置されてある学習机の上はきちんと整理されており、教科書やプリント類、筆記用具、ノートはきれいに並べられていた。

クマやウサギ、リスといった可愛らしい動物のぬいぐるみや、アクセサリーもいくつか飾られてある。カーテンはピンクの水玉模様。

ここを見ると、ごく普通の女の子らしいお部屋といえよう。

しかしながら、机の一メートルほど手前にある幅七〇センチ奥行き三〇センチ高さ一.五メートルほどの本棚に目を向けると、普通の女子中学生と比べてオタク趣味を思わせる光景が広がっていた。

本棚にはコミックスや雑誌、小説本が合わせて二百冊以上は並べられてあるものの、普通の女子中学生が読みそうな少女マンガ誌やティーン向けファッション誌は一冊も見当たらない。茉里の所有する雑誌といえば、アニメ・声優系なのだ。

本棚の上と、本棚のすぐ横扉寄りにある衣装ケースの上には、萌え系のガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみが合わせて十数体、まるで雛人形のように飾られてある。 

さらに壁にも、瞳の大きな可愛らしい女の子達のアニメ風イラストが描かれたポスターが何枚か貼られてあったのだ。

「アキバやポンバシにいそうな男の子のお部屋みたいでしょう?」

 茉里は衣装ケース向かいのベッドに腰掛けると、照れくさそうに訊いてみた。

「ラノベがいっぱいあって、聡也の部屋にそっくりだ」

貞之は苦笑いを浮かべながらコメントする。聡也とは、貞之の中学時代からの親友でフルネームは鶴目聡也(つるめ さとや)。彼も東高を第一志望にしている。

「タダユキくん、ちゃんとラノベって言ってくれた。嬉しい! ママなんかラノベのことマンガって呼ぶんだよ。せめて小説って呼んで欲しいよ」

「わわわっ、ちょっと、天羽さん」

 茉里にいきなり抱きつかれ、貞之は慌てる。

 次の瞬間、

「ラノベのどこが小説なんよ? あんなのは 〝吹き出しの無いマンガ〟いうんじょ」

 扉がガチャリと開かれ、母が部屋に足を踏み入れて来た。

 差し入れのすだちジュースと鳴門金時パイを運んで来てくれたのだが、

「マンガじゃないって!」

 茉里は非常に迷惑がる。

「小説っていうんは夏目漱石とか芥川龍之介とか、森鴎外とか宮沢賢治とか、川端康成とか志賀直哉とか、そういう高尚な人らの書いた、読書感想文に使えて国語の教科書や国語便覧に載るような作品や芥川賞直木賞受賞作のことを言うんよ」

「ママ、菱池先生と同じようなこと言っとるじょ」

「菱池先生の意見が正しい。茉里ったら最近、ラノベとかいうエッチな挿絵が載ってはるマンガ本や変な雑誌ばっかり買い集めて」

「ママ、国語の教科書に載っとる作品でも、挿絵は付いとるでぇ!」

「あれは健全な挿絵じょ。ラノベとかいうのは、小学生くらいにしか見えん女の子の下着や水着姿、それどころかすっぽんぽんのおっぱいぷるるんな挿絵まであるし、あまりに不健全、低俗過ぎるじょ」

 茉里の強い口調でされた主張を、母は強く論破する。 

「確かにエッチな挿絵は多いけど、ラノベも大半のページは文章じゃ!」

 茉里は臆さす主張し返した。

「問答無用! ママはあんなのは小説と認めんじょ! 改行多過ぎ、漢字を使うべき箇所がひらがなやったり、やたらと巨大なフォント使ったり、感嘆符や疑問符、三点リーダや絵文字、わーとかきゃぁとかとかにゃぁとかうぉーとか、ずどぉーんバシーンとかのふざけた台詞や擬音表現を多用したり、延々と続くしょうもない会話文やら日本語として破綻しとる稚拙な部分がようけ見受けられるし。あれは文章やなくて、ひらがなカタカナ覚えたての幼稚園児の落書きじょ。こんなのを読んだら国語力がますます下がってまうでぇ」

 母は大声を張り上げ、早口調で言う。   

「ラノベは、若者の文化なんじょ。マンガばっかり読んであまり活字に触れたことの無いワタシのような中高生でも最後まで飽きずに読みやすいように、難しい熟語や漢字はなるべく用いずに、平易な文章で書かれてるんよ」 

「だからそういうのんは、ママからすればマンガなんじょ」

 母はだんだん疲れてきたのか、ため息混じりに言う。

「ラノベ書いてる作家さんって、かなり凄いんじょ。新人賞で数百倍の競争を勝ち抜いとるし。今やす○るとか○潮とかの一般文芸よりもデビューするのが難しいんじょ。それと、今国語の教科書に載りよるような作品だって、書かれた当時はくだらんもんやと散々酷評されとったらしいし、ラノベも時が経ったら、国語の教科書や国語便覧に載るくらいに評価が上がってくるはずじゃっ!」

 茉里はさらに頑張って主張し続けてみる。

「……とにかくママは、ラノベはマンガと同等の物と判断するじょ」

 母はくたびれた様子でそう告げて、お部屋から出て行った。

 軍配は、茉里に上がったようである。

(天羽さんの母さん、そこまで意見出来るってことは、絶対普段からラノベめっちゃ読みまくってるだろ)

 貞之は心の中で突っ込みを入れた。

「見苦しいところをお見せしてごめんね♪」

 茉里はてへっと笑う。

「おウチでの茉里ちゃんは、かなり攻撃的だね。学校では大人しいのに」

 実鈴はにこっと微笑んだ。

「まっ、まあね。ミスズちゃんは、ママと激しく口論とかしたりしないの?」

「しないよ」

 茉里から不思議そうにされた質問に、実鈴は素の表情で即答する。

「そっか。確かにミスズちゃんが親に反抗するところなんて考えられないもんね」

「でも私、お母さんからり○んとか、○ゃおとか、な○よしとか、いっぱい溜めてるから捨てなさいって言われるけど、なかなか捨てられないんだ」

「ほうなんじゃ。ミスズちゃんの気持ち、ワタシにもよく分かるじょ」

「小学校の頃、茉里ちゃんと一緒にマンガ描いてり○んに投稿したことがあったね」

「ああ、あった、あった。あっさり落選したよね。懐かしいじょ」

「私、お恥ずかしながら絶対大賞が取れると思ってたよ。お母さんとお父さん、田舎のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんにも私と茉里ちゃんとで描いたマンガがり○んに載るのーって言い回ってたよ」

「ワタシもーっ。あの頃は現実が分かって無かったよね。応募要項なんか完璧無視して自由帳に色鉛筆とかで落書きして応募したもんね」

 茉里と実鈴、楽しそうに思い出話に浸る。

「私はあれで漫画家さんになる夢諦めちゃったよ。茉里ちゃんは、今もマンガ描いてるんだっけ?」

「うん。一応、部活で。でも最近は小説の方が中心かな、賞に応募するの」

「茉里ちゃんも小説書き始めたんだ。私も最近、童話賞に応募するようになったよ」

「そうなんだ、仲間だね。ワタシはラノベの賞に応募してるよ。四〇〇字詰め原稿用紙換算で三〇〇枚くらい書かなきゃいけないからきついけど」

「そんなにたくさん書いてるの!? 茉里ちゃんすごいっ! 童話賞は五枚から十枚くらいだよ。私それ以上は書けないよ」

「僕は読書感想文で五枚埋めるのにも毎年苦労するよ。聡也もラノベの賞に応募しようとしてたみたいだけど、いつも途中で止まるからって諦めてたな」

 貞之は思い出し笑いする。

「まあ、慣れればなんてことないよ。ワタシ今は、六月末〆切のM○に向けて新作書いてるの。そこはワタシと同い年か年下の子もけっこう応募してるみたいだし、他の部員の子達も受賞目指して張り切ってるよ」

 茉里は嬉しそうに話す。文芸部に所属しているのだ。オタク趣味に嵌ったのも、他の部員達に影響されたかららしい。ちなみに実鈴は図書部所属だ。

「茉里、そんなのばっかりにのめり込んで、学校の勉強をおろそかにしちゃあかんじょ」

「小説書くんも国語の作文や小論文の勉強じゃって!」

またいつの間にか入って来た母からの忠告に、茉里はふくれっ面で反論した。

 

実鈴と貞之が天羽宅をあとにしてから一時間ほど後、夜七時頃。

「ただいまー」

 茉里の父が帰って来る。彼の職業は、私立中高一貫校の理科教師だ。その中でも特に物理分野を中心に教えている。

「天羽先生、茉里がね、塾じゃなくて同級生の子ぉから勉強教わるって言うんじょ」

 母はキッチンへやって来た夫に、やや困惑顔で伝えた。

天羽先生:茉里の母が夫を呼ぶ時は、職業柄からかいつもこう呼んでいるのだ。

「そっか。まあ、塾に行けば成績が上がるという保証はないからね。しかも風叡館だろ。そこって相当厳しい塾らしいし、茉里みたいな繊細な子じゃ、やっていけないんじゃないか?」

「そう思うじゃろ? パパァ」

 茉里は父の側へ駆け寄り、背中にしがみ付いた。

「茉里が塾に行って成績が上がらなかった損失を考慮すると、同級生に教わった方がいいと思う。そっちは無料だし」

 父は穏やかな表情で意見する。

「天羽先生……」

 母は困惑した。彼女は当然、茉里を塾へ行かせたいと思っているからだ。

「さすがパパ、話が分かる」

 茉里は満面の笑みを浮かべた。

「ほなけど天羽先生、茉里が期末で主要五教科四〇〇超えれてなかったら、風叡館へ行かせますので、それでいいですね?」

「うっ、うん」

 母からの条件に、父は気弱に同意する。

 天羽家は、かかあ天下なのだ。


       ☆


 翌朝、東垣宅。まもなく八時になろうという頃、ピンポーン♪ と、玄関チャイムが鳴らされた。

「はーい」

 貞之の母が玄関先へ向かい、対応する。

「おはようございます。おば様」

 お客さんが先に玄関扉を開けた。

実鈴であった。学校がある日は毎朝、この時間くらいに貞之を迎えに来てくれるのだ。貞之はもう中学も三年生になったんだし実鈴と登校は別々でも良いと思っているのだが、実鈴が全くそうは思っていないので付き添ってあげているという感じである。とはいっても貞之もべつに嫌がってはいない。けれども通学中に同じクラスのやつ他知り合いにはあまり会いたくないなぁ、という思春期の少年らしい照れくさい気持ちは持っていた。

「おはよう実っちゃん、今日から完全夏服なのね」

「はい、暑くなってきたので」

 貞之の母に身なりをまじまじと眺められ、実鈴は少し照れくさそうにする。

貞之達の通う学校では今、制服移行期間中だ。実鈴は昨日まで着用していた女子用冬服である濃紺色セーラー服から、夏用の半袖ポロシャツと水色の吊りスカートへと衣替えしていた。貞之は昨日と同じく長袖白色ワイシャツと、夏用薄手の灰色ズボンという組み合わせ。ちなみに男子用の冬服は真っ黒な詰襟学生服となっている。

 いつもと変わらず八時頃に出発した実鈴と貞之は、門を抜けて通学路を一列で歩き進む。この時、実鈴が前であることが多いのだ。

「貞之くん、今日までに提出の英語のプリントは、全部出来てる?」

「まあ、一応。英語、最近急に難しくなって来たね。中間テスト、とうとう九〇切っちゃったよ」

「現在完了形とか、比較級とかがややこしいよね。不規則動詞も増えて来たし、英文読解の問題も長くなったし。それにしても今日は、朝からけっこう暑いよね。最高気温は30℃近くまで上がる予想が出てたよ」

「もうすぐ六月だからね。僕も今日は半袖にすればよかったな」

他にもいろいろ取り留めのない会話を進めていくうち、学校のすぐ側まで近づいて来た。

貞之のおウチから学校までは徒歩約一七分。二人は校舎に入ると、最上階四階にある三年五組の教室へ。貞之が自分の席に着いてから五分ほどのち、

「よう、ただゆきぃ」

「あっ、おはよう聡也」

いつものように親友の聡也が登校してきて近寄って来る。背丈は一六六センチで普通だが、ややぽっちゃりした子だ。聡也との最初の出会いは、中学の入学式の日だった。出席番号は貞之のすぐ前であったことがきっかけで、その日から自然に話し合う機会が出来、お互い仲良くなったというわけだ。

部活動を選ぶ際、体育が苦手なため運動部には一切興味を示さなかった貞之は、科学部にするか地歴部にするか悩んでいた。そんな時、聡也に「俺、パソ部に入るから、ただゆきも一緒に入ろうぜ」と半ば強引に誘われ、結局当初入る気もなかった文芸部に入部することに決めたのが中一四月の終わり頃。その選択により、聡也との友情をますます深めることが出来たのだが……(友達選び間違えたかなぁ?)と今になって思うことが時々ある。

なぜなら聡也は、中学入学当時ファ○通とテレビ雑誌と三大週刊少年誌、実鈴が読んでいた少女漫画誌くらいしか雑誌の存在を知らなかった純粋な貞之に、マニアックな月刊漫画誌やアニメ雑誌、声優雑誌、美少女系のゲーム雑誌。さらにはライトノベル、同人誌、深夜アニメの存在などを知りたくもないのに教えてくれた張本人だからだ。聡也自身は、小学五年生頃から萌え系の深夜アニメに嵌っていたのだという。

「ただゆき、この漫画、めっちゃ面白いぞ。朝読で読んでみろ」

「……一応、借りとくよ。朝読じゃ読まないけど」

聡也から手渡された物を見て、貞之は顔をしかめる。表表紙に下着丸見えの制服姿な可愛らしい少女のカラーイラストが描かれた単行本だったのだ。

貞之はこういう世界に深く踏み込んではいけないなと、本能的に感じている。すぐさま鞄の中に片付けた。代わりに朝読書の時間に読むために家から持って来た小説、宮沢賢治著作『注文の多い料理店』を取り出す。

「おはよう、聡也くん」

「……おっ、おはよう」 

 突如、実鈴に明るい声で挨拶された聡也は、思わず目を逸らしてしまった。彼は実鈴に限らず、三次元の女の子がよほど年上でもない限り苦手なのだ。女の子に話しかけられると緊張してしまうのは物心ついた頃かららしい。その性格が、彼が二次元美少女の世界にのめり込むようになった原因ではないかと貞之は推測している。

「聡也くん、朝読書の本、ちゃんと持って来た?」

「いっ、一応」

「漫画はダメだよ」

「わっ、分かってます。壺井栄の『二十四の瞳』だから」

「今日は小説だね。えらいねぇ」

実鈴がそう褒めてくれたその時、八時半の、朝の読書とホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り響いた。

聡也と実鈴、他の立っているクラスメート達がぞろぞろ自分の席へ向かっていく最中、

「おっはよう。今日もギリギリセーッフ!」

 どさくさに紛れて茉里が登校して来る。走って来たらしく、顔に汗をいっぱいかいていた。

「茉里さん、遅過ぎよ。あと五分は早く家を出た方がいいよ」

 そう忠告したのは、茉里の幼馴染、乃利子であった。背丈は一五〇センチを少し超えるくらい、ごく普通の形のまん丸なメガネをかけて、濡れ羽色の髪は寝癖なのか、オスのクワガタムシの触角ようにピンッと二本に分かれている。とても真面目そう、加えて大人しそうな感じの子だ。ちなみに彼女は生物部に所属している。

「朝は普通に起きれるんだけど、ワタシ、ご飯食べるのが遅いし」

 茉里はこう言い訳しながら、乃利子の席二つ横三つ後ろにある自分の席に腰掛けるとハンカチで顔の汗をぬぐい、水筒のお茶を鞄から取り出しごくごく飲む。

「皆さん、おはようございます」

その最中に、クラス担任の菱池先生がやって来た。朝の読書の時間の後、彼女はいつも通り出席を取り、諸連絡を伝え、このあと八時四五分から始まる一時間目の授業を受け持つクラスへと移動して行く。三年五組では、今日は英語の授業が組まれてあった。

九時三五分、一時間目が終わり休み時間が始まると、

「ただゆき、さっきの小テスト何点やった?」

聡也が貞之の席に駆け寄って来てからんでくる。

「九点だった。最近は一〇点満点なかなか取れなくなったよ」

 貞之は苦笑顔で伝えた。

「めっちゃええやん。俺なんか2やで。全部埋めてんけどなぁ。このままやと英語期末五〇切りそうや」

「それで東高第一志望なのは無謀だな。中間期末は全教科八〇超えないとダメだろ」

「けど東高って確か、部活推薦枠もあったよな? 俺、それ使おうと思っとるねんけど」

「あれって、運動部か吹奏楽部か生徒会に所属してないと推薦してもらえないだろ」

 楽天的な聡也に、貞之はすかさず突っ込む。

「パソ部じゃ無理なのかよ?」

「そうみたい」

「マジで!? 吹奏楽部と同じ文化部やのに待遇が違い過ぎる」

「そりゃぁまあ、パソコン部は世間に評価されるような活動は全くしてないだろ」

「言われてみれば、確かに。活動っていっても2ちゃんねるか動画投稿サイトかブルーレイ見てるだけだからな。やべぇな、期末テストは本気出さんと。一週間前からゲームと深夜アニメとラノベ封印して」

「鶴目君、きみは中間の前も同じことを言っていたよね?」

 二人の会話に、貞之のすぐ後ろの席にいた男子生徒も割り込んで来た。

「そうだっけ? それよりえいさく、中間の総合四九八も取りやがって」

「ボク、五〇〇点満点を狙っていたのですが、国語で文法問題一問落としちゃいましたよ。トホホ」

栄作という子だった。彼はしょんぼりとした声で言う。

聡也にとって栄作は、貞之と同じパソコン部仲間なのだ。

「栄作は相変わらずの天才振りだよな」

 貞之はとても感心していた。同じ幼稚園&小学校出身のため、栄作のことは昔からよく知っている。つまり実鈴も彼の古い顔馴染みというわけだ。

「俺らとは次元が違い過ぎるな。えいさく、灘高行けるんじゃねぇの?」

「いやいや、さすがにそこはボクの学力程度では絶対無理だよん。というかボク、将来は京大を目指してるけど、それまでの過程において、有名私立に行く必要はないのでは、と考えてるからね。中学受験も一切しなかったよーん」

「それで高校も第一志望、俺らと同じ公立の東高ってわけなんか?」

「イエス。ボクんちから一番近いので通学の手間も省けるしぃ」

 聡也の質問に、栄作は図書室から借りたライトノベルを読みながら淡々と答えていく。

「それは才能が勿体ないぜ、入学枠には限りがあるんだからやめてくれよ。つーか東大じゃなく京大なのか」

 聡也はため息混じりに嘆いた。

「それなら安心したまえ。ボクは理数科の方を受けるつもりだから」

「東の理数って、この学校からでも毎年二、三人しか受からない超難関特進クラスだろ。本当にすごいな」

 貞之は再び感心する。

「俺もえいさくみたいな天才的頭脳が欲しいぜ。吸収っ!」

 聡也は栄作の頭を両サイドから強く押さえ付けた。

「あべべべ、鶴目君、痛いので止めてくれたまえぇぇぇぇ」

 栄作は首をブンブン振り動かし抵抗する。

「期末では、どれか一教科だけでも勝ってみせるぜ」

 そう宣言し、聡也は手を離してあげた。

栄作のフルネームは、安福栄作(やすふく えいさく)。中学入学以来、校内テストの総合得点で学年トップを取り続けている秀才君である。なぜ公立中学に? と同級生や先生方に不思議がられた回数は多数。坊っちゃん刈り、四角い眼鏡、丸顔。まさに絵に描いたようながり勉くんという感じの風貌で、学級委員長っぽく見えるが学級委員長ではない。身長は一五四センチと中三男子にしては低く、背の順はクラスの男子一六名いる中で一番前だ。

ちなみに貞之は前から四番目。彼も一六二センチとやや小柄なのだ。聡也は一六六センチで前から九番目である。

「栄作くん、すごいねぇ。また学年トップ確実だね」

「羨まし過ぎる。五〇点くらいワタシに分けて欲しいなぁ。超天才だよキミは」

「栄作さんは、昆ノ塚中始まって以来の天才だと思うな」

 実鈴と茉里、さらに乃利子も、この三人の側へぴょこぴょこ歩み寄って来た。

「いっ、いえ、それほどでもぉ……」

 栄作は俯き加減になり、謙遜する。彼も聡也ほど重症ではないが、物心ついた頃から三次元の女の子を苦手としているのだ。聡也よりも早く小学四年生頃にはすでに二次元美少女の世界にどっぷり嵌っていた。

 しかしながら、栄作がそういった趣味を持っているということは、貞之は中学に入学してパソコン部に入部するまで知らなかったのだ。

「今思えば、一年生の頃のテストは楽勝やったなぁ。俺でも四〇〇近くは取れてたぜ」

「ワタシも五教科四五〇超えれてたよ、あの頃は。テスト範囲、三年になってから急に増え過ぎだよ。どの教科も一、二年の時の復習内容まで入れてくるし。そんなのもう忘れたって」

残念そうに呟く聡也と茉里に、

「鶴目君、天羽さん、高校入試というものは、中学で学習した三年分の内容全範囲から満遍なく出題されるのだよ。これからは一夜漬けでは通用しなくなるよん」

 栄作は笑顔で警告する。

事実、茉里は、一年生の頃は新入生テストから各学期の中間・期末・課題・実力テストまで、総合得点で上位二〇位以内には入れていた。

 ところが二年生に進級して以降は学年順位がどんどん下がっていき、二年一学期末テストでは五〇番台に。それから約五ヵ月後に行われた二年二学期末テストでは一〇二位と、とうとう一〇〇位を下回るまでになってしまった。学年末テストではさらに順位を落とし一〇九位に。平均点をわずかに上回る程度だった。

どうしてこうなってしまったのか? その原因は……もはや説明するまでも無く推測出来るであろう。

「そういや栄作って、塾には通ってないんだよね?」

「うん。ボク、塾なんて生まれてこの方一度も通ったことないよーん」

 貞之の質問に、栄作はさらっと答える。

「えっ! 塾行かずになんでそんなに成績良いんだよ?」

 聡也は驚き顔で尋ねた。

「ボク、幼稚園の頃から進○ゼミや○会などの通信教育で学んでいるのだ」

「そういうことかぁ」

「私も塾へは行かずに、小学校の頃から通信教育で勉強してるよ」

「わたしも同じです。シールを貯めたら景品が貰えるのが嬉しいよね。すごくやりがいがあったよ」

「さらに添削指導もしてくれるし、じつに素晴らしいものだよ」

 実鈴と乃利子、栄作は楽しそうに伝える。

「僕も小学校の頃、ポ○ーと進○ゼミ取ってたっていうか、母さんに取らされてたけど、途中から教材にほとんど手を付けなくなったよ」

「俺も、俺も。あれはすぐに飽きるし、全く意味無かったぜ。景品も特に欲しいなっていうのが無かったし」

「ワタシもけっこうほったらかしてたぁーっ。積みゲーならぬ積み教材だよね。なんか持ってるだけで勉強した気分になっちゃうというか」

「それは勿体ないよん。有効に活用しなきゃ」

 笑いながら語る貞之と聡也、茉里に、栄作は困惑顔で忠告してあげた。

「そういえば茉里さん、風叡館行きが決まったんでしょ? 先生がものすごーく怖いって噂だけど、ちゃんとやって行けそう?」

「いやいやぁ、それは無しになったんだ。ワタシ、そこ行く代わりに進○ゼミやらせてってママに頼んだけど、やっぱ過去の前科から無理だったから、タダユキくんとミスズちゃんに勉強教わるって言ったら、あっさり認めてくれたよ」

「茉里さん、そんなこと頼んだの? ごめんね、この子が迷惑かけたみたいで」

 乃利子は二人のいる方を向いて困惑顔で謝罪する。

「いやいや、べつにいいって」

「私はむしろ嬉しかったよ」

「まあ期末で結果を出さなきゃ、結局行かさせるんだけどね」

 茉里は苦笑いする。

「天羽さんが強制入塾されそうになってる風叡館っていう進学塾、昔は鬼も怯える体罰ありのスパルタ教育だったけど、今はだいぶマシになってるらしいよ。その塾に通ってる子のツイッターによると」

 栄作は伝えてみた。

「それじゃあ今日の帰り、駅前に行って、外観だけでも見に行ってみようかな。ワタシ一人じゃ怖いから、誰か付いて来てくれない?」

「私、一応見に行ってあげるよ」

「わたしも今日は部活無いし、付いていってあげるね」

「サンキュ。タダユキくんも付いて来て。ワタシの勉強指導者になるんだから」

「分かった。僕もどんな感じの塾なのか少し気になるし。僕も小学校の頃、母さんからよく言われたなぁ。勉強真面目にやらなきゃ風叡館へ入れるよって」

 茉里の誘いに、実鈴、乃利子、貞之は快く乗った。

 しかし聡也と栄作はパスする。


帰りのホームルームが始まると、

「明日一時間目のLHRで席替えを行いますので、これに自分の名前を書いて下さいね」

 菱池先生は黒板に、あみだ籤の横線部分が黒い紙で隠された白画用紙を、男女別の二枚貼り付けた。

解散後、クラスメート達は黒い紙上側から伸びている縦線先端に自分の苗字を記していく。下側から伸びる縦線の先端には、1から6までの数字が二つから三つずつ書かれてあった。これが班の番号だ。

茉里、実鈴、貞之、乃利子の四人は四時過ぎに学校を出て、最寄りのJR駅近くへやって来た。駅北口に通じる道から一本隔てた通りに、風叡館はあった。三人は興味本位でその建物の側に近寄ってみる。

 四階建てで、東大本郷キャンパス安田講堂を髣髴とさせる赤茶色の煉瓦造り。周囲の建物と比較して威圧感があった。中学受験、高校受験、大学受験全てに対応しているわりと大きめの進学塾で少人数制、習熟度別クラス、熱血指導が謳い文句らしい。

入口横には東大○○名、京大○○名、阪大○○名、灘○○名、東大寺学園○○名、洛南○○名、星光学院○○名などなど、名門校の合格実績が書かれた看板も目に付く。

「いいかあっ! おまえらーっ。これからの時代、旧帝一工早慶入らなっ、就職戦線でスタート地点にも立たせてもらえへんぞぉーっ」「遅いぞっ、三次方程式くらいもっとパッパッパッと解けぇ!」「なんでタンジェント3分のπがマイナス1やねん? ルート3やろがっ。お前の頭は豆腐か?」「ぅおーい、なんでこんな簡単な問題間違うねん? おまえこんなんじゃ灘どころか甲陽にも受からへんぞぉっ」「そこぉ! ぺちゃくちゃおしゃべりするんやったら今すぐ出て行けぇーっ!」

 建物内からは、こんな講師達の忠告や怒声が四人の耳元に飛び込んで来た。

 その声と共にパシーッン! と竹刀で床や机を思いっきり叩いていると思われる音も。

 教室の窓が開かれていたこともあり、より一層聞こえやすくなっていたのだ。

「たっ、貞之くぅん、茉里ちゃぁん、乃利子ちゃぁん、外からでも、雰囲気がじゅうぶん伝わってくるね」

「うん、めちゃくちゃ怖いよ」

「ワタシ、こんな所に週五も通わされそうになってたんだ……」

「わたしもびっくりしたわ。想像以上に厳しそうね」

 四人はびくびく怯えながら、その建物の前を早足で通り過ぎて行く。

 その途中、

「きみら、入塾希望者か? 自由に見学していいぞ。ただし私語は厳禁やっ!」

 おそらくこの塾の講師であろうお方が窓から四人を見下ろして来た。

 切磋琢磨と太い字で書かれたハチマキを締め、ベートーヴェンの肖像画風な険しい表情をしておられた。

「いっ、いえいえー、私はべつに……」

「とんでもない」

「ワッ、ワタシ、違いますよ」

「わたしは、塾での教育なんかには興味ありませーん!」

四人は慌ててその場から走り去っていった。

「茉里ちゃん、大ピンチだね。あんな恐ろしい悪魔が巣食う塾、私だったら授業に出て一分足らずでPTSDになりそうだよ。茉里ちゃん、期末は必死で頑張らなきゃいけないよ」

 実鈴は真剣な眼差しで警告する。

「茉里さん、勉強やる気になれたでしょう?」

「うん。これはもう本気でやるしかないよ」

 乃利子に爽やかな表情で問いかけられると、茉里はげんなりとした表情で答えた。

四人で帰り道を進んでいた途中、

「乃利子ぉーっ」

 背後から女の子の声。

「あっ、お姉ちゃん」

 呼ばれた乃利子は反射的に振り向く。

 声の主は乃利子の姉、智恵子だった。容姿も背丈も眼鏡の形も髪型も妹の乃利子と瓜二つ。おっとりとした感じのお方であることも。妹の乃利子と唯一つ違う特徴を挙げるならば、胸がそこそこふくらんでいることだ。

「チエコちゃんだぁーっ!」

 茉里は大喜びした。

「智恵子ちゃん、お久し振り」

 実鈴はぺこんと頭を下げる。

「お久し振りね、茉里ちゃん、実鈴ちゃん。乃利子、今日ね、先月受けたマーク模試の結果が返って来たんだけど、志望校オールE判定だよ」

 智恵子はそう伝えると、個人成績表の載せられた用紙を乃利子に見せた。

 第一志望から第五志望まで書く欄を全て京都大学にし、第一志望に総合人間学部、第二志望に理学部、第三志望に医学部医学科、第四志望に経済学部、第五志望に法学部にしていた。

「お姉ちゃん、今の成績のままじゃ、京大どころか、関関同立にも受からないよ。産近甲龍も難しいかも」

 乃利子は呆れ顔で言う。智恵子の総合得点率は五割未満だったのだ。

「大丈夫よ、絶対受かるって。あたし、京大現役合格者毎年いっぱい出てる難関国公立理系進学クラスにいるもん。それにまだ入試本番まで二年近くもあるし、授業受けてればきっとなんとかなるよ」

「お姉ちゃん、二年なんてあっという間よ。というか、今の段階の模試でE判定だからこそ救いようがないと思うの。まだ浪人生とか、東大寺学園とか洛南とかの京大合格者数上位の進学校の子がほとんど参加して来てない段階だし、科目数も少ないし。難関国公立進学クラスにいるからって、それがそこへの合格を保証するものではないよ。予習復習もせずに授業に出ただけで、合格水準に達するようになるなんて考えは甘過ぎるよ。もっと現実に目を向けなきゃダメよ」

 乃利子は困惑顔で楽天的な考えの姉、智恵子に忠告する。 

「乃利子は悲観的過ぎよ」

 智恵子はのほほんとした表情で言った。効果は全く無かったようだ。

「お姉ちゃんは本来、理系クラスに入れるような成績でもないくせに、定員割れしたから運良く入れてもらえただけでしょ。おウチ帰ったらさっそく今日習った科目の復習と明日授業がある科目の予習よ。わたしがマンツーマンで指導してあげるから」

「やだぁーっ。今日はお勉強休みしたぁーい」

「ダーメ。それじゃあみんな、また明日ね」

 乃利子は別れの挨拶を告げて、姉の智恵子の腕をガシッと掴んだ。

智恵子が引き摺られるような形でおウチの方へ向かっていく。

「妹の方が、しっかりしているね」

 貞之は笑顔で突っ込む。

「貞之くんは、智恵子ちゃんと会ったのは初めてかな?」

「そうなるかな。僕の記憶にある中ではね」

「チエコちゃん、東高生だからすごく頭良いと思ってたんだけど。あんまり賢くなくても東高入れるんだね」

 茉里はちょっぴり安心してしまった。

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