茉里ちゃんのお友達、乃利子ちゃんちの手乗りインコはすこぶる賢い
明石竜
プロローグ
「アホゥだぁー。ワタシはとんでもないアホゥだよぅ。遣唐使を廃止した人物の名を平清盛にしちゃうなんて。痛恨のミスだよぅ。ねえ、タダユキくんは社会何点だった?」
五月も終わりに近づいたある日の放課後、関西圏阪神地区某所に佇む市立昆ノ塚中学の下駄箱前にて、三年五組の東垣貞之(とうがき ただゆき)が同じクラスの女の子、天羽茉里(あもう まり)から唐突に不機嫌そうな声で問いかけられた。
「八七点、だけど」
貞之がやや緊張気味にこう答えると、
「どうしてそんなに良い点取れてるの? ワタシなんて、六四点だよ。今まで社会で六〇点台なんて取ったことなかったのに、ワースト記録大幅更新だよ。こうなったのも、タダユキくんのせいだぁーっ!」
茉里は丸っこいお顔を天敵に襲われた時のフグのようにぷくぅっとふくらませる。
「なんで僕のせいなんだよ?」
「特に理由は無いけどそれよりさぁ、担任の菱池、急に採点基準が厳しくなったと思わない? 漢字間違いが問答無用で×にされてるよ」
「確かにね。僕も象徴の徴の字、間違えたから×付けられたし」
「タダユキくん、これからワタシと一緒に菱池のところに行って、漢字間違いは○にしてもらうよう抗議しに行こう」
「べつに、そこまでしなくても……」
「行こう、行こう!」
「僕、もう帰るから」
「あーん、待ってぇーっ! 一人で行くより二人で行った方が絶対成功率上がるから。タダユキくんの点数だってさらにアップするんだよ。タダユキくんもこのままじゃ不満でしょ?」
「べつに不満じゃないって。あの、天羽さん。服が伸びちゃうから……」
ワイシャツの裾をぐいぐい引っ張られた貞之は、当然のように迷惑がる。
「ねえタダユキくん。小学五年生の時、裁縫セットを貸してあげたことがあるの、覚えてる?」
「えっ、そんなことあったかなぁ?」
上目遣いでじーっと見つめられ、貞之の心拍数がほんの少し上昇した。茉里の背丈は一四〇センチをほんのちょっと超えるくらいの小柄さ。加えて、くりっとした瞳、りんごのチャーム付きダブルリボンで飾ったほんのり茶色なおかっぱ頭。小学生に間違えられても、いや、むしろ中学生に見られる方がもっと不思議なくらいの幼い風貌なのだ。
「絶対覚えてるはずだよ」
茉里がほっぺたをつんつん突いてくる。
「……あったね、そんなこと。すごく恥ずかしかったよ。他の男子達から、おまえ女から借りてるぅってからかわれたし。嫌な思い出だよ」
貞之は今思い出し、苦笑いした。今から四年ほど前。家庭科の授業で使う裁縫セットを忘れて来た、当時五年二組だった貞之は家庭科室へ向かう途中、他のクラスの子に貸してもらおうと五年三組の教室前へ立ち寄った。けれども今以上に引っ込み思案だった彼は声をかけられずに困っていた。そんな時、「裁縫セット忘れて来たん? ワタシの貸してあげるよ」と声をかけてきてくれ優しく接して来てくれたのが、この茉里だったのだ。
それが貞之と茉里の初めての出会い……というわけではなく、お互い幼稚園時代からの知り合い同士である。
「あの時のお礼、まだ何にもしてくれてないでしょ?」
「遥か昔のことだし、今さらそんなことしなくてもいいだろ」
「ダメー」
茉里はにこっと笑い、舌をぺろりと出した。ほっぺにえくぼも浮かぶ。
「……今回だけだよ」
そんな彼女のあどけない可愛さに負け、貞之はしぶしぶ誘いに乗ってあげた。
「やったぁ♪」
茉里は嬉しさのあまり、その場でぴょんぴょん飛び跳ねる。
ちょうどその時、
「貞之くんに茉里ちゃん、何のお話してたの?」
背後からこんな声。一人の女の子が爽やかな表情を浮かべながら、二人のもとへぴょこぴょこ歩み寄って来る。
「あっ、実鈴ちゃん。天羽さんが僕に困ったことを相談して来たんだ」
貞之のさらに古き幼馴染で、同じく三年五組の白阪実鈴(しらさか みすず)だった。貞之は実鈴と家も近く、保育園時代から同じ学校に通い続けている。同じクラスになったことはこれまでにも何度かあるが、中学に入ってからは初めてであった。貞之が下の名前で気兼ねなく呼べる、唯一の女の子でもある。
「茉里ちゃん、どんなことを相談したの?」
面長ぱっちり垂れ目に細長八の字眉、丸っこい小さなおでこが彼女のチャームポイント。さらさらした濡れ羽色の髪を小さく巻いて、アジサイ柄のシュシュで二つ結びにしているのがいつものヘアスタイル。背丈は一六〇センチくらいだ。
「ワタシの人生に係わるとっても大事なことだよ。ワタシ、今から菱池に社会の漢字間違いのとこ○にしてもらうよう抗議しに行こうと思ってるんだけど、ミスズちゃんも協力してくれない?」
「私は漢字ミスのペケは一つも無かったけど、もちろんいいよ、喜んで」
「サンキュー、さすがミスズちゃん。三人寄れば文殊の知恵だね」
茉里は嬉しさのあまり、にっこり微笑む。
「どういたしまして」
実鈴は軽く頭を下げ、ぺこりとお辞儀した。
(天羽さんの言ったことわざ、今の状況にそぐわないよな。『団結は力なり』の方が合ってると思う)
貞之は心の中で突っ込む。
こうしてこの三人で職員室内へ。
「先生、非常ぉに大事な話があります!」
茉里は担任の側へぴょこぴょこ歩み寄ると、真剣な眼差しで伝えた。
「何かしら?」
クラス担任の菱池先生は、二〇代後半の若々しい社会科担当女性教師だ。背丈は一五〇センチをほんのちょっと超えるくらい。ぱっちりとしたつぶらな瞳に丸っこいお顔。濡れ羽色の髪の毛はサラサラとしており、リボンなどで結わずごく自然な形で肩の辺りまで下ろしている。いわば小柄和風美人である。
「あのう、先生。ここ、問い2の(5)、おまけで○にして下さい! 今までは漢字間違いもおまけで○にしてくれてたじゃないですかっ!」
茉里は肩に掛けている通学鞄から、今日返却された一学期中間テスト社会科の答案用紙を取り出すと、該当箇所を自分の持っている黒ボールペンで指し示した。
「だからあなた達は三年生、受験生だから採点基準は今回から厳しめにしたよって返す時に言ったでしょ」
菱池先生は困惑顔できっぱりと言い張る。
「そんなのワタシ、納得出来ません。タダユキくんもミスズちゃんも、厳し過ぎると言っています!」
茉里の言い分を聞いて、
「僕も確かにそう思いますけど、まあ、先生の採点基準で、納得しています」
「私も、厳しくしてくれた方が、後々の為だと思います」
貞之と実鈴は苦笑いを浮かべながらこうコメントした。
「天羽さん、二人を見習いなさい」
菱池先生はにこっと笑う。
「あぁーん、ワタシの味方してよぅぅぅ。国語の漢字テストじゃないんだし、今回もおまけで○にして下さい。伊藤博文の博に点を付けてなかっただけじゃないですかっ! 些細な違いじゃないですか。ここだけ○にしてくれたら二点アップだから、お願いします! 今回限りでいいので」
茉里は焦り顔で再度要求した。
「認めません。あなただけ特別扱いはしませんからね」
菱池先生から微笑み顔でこう告げられると、
「ひどいよ先生。ワタシ、この点数のままじゃママに叱られちゃうよぅぅぅ」
茉里は今にも泣き出しそうな表情へ。
「天羽さん、泣き喚いたら温情で点数アップさせてくれるとでも思ってるの? いい加減諦めなさい!」
菱池先生は厳しい表情へと変わり、茉里を叱り付けた。
どんなに幼く見えてかわいい生徒であっても、甘やかすことは絶対しないのだ。
「もう、いいっ! 菱池先生のケチッ! だから未だ独身なんだよっ!」
茉里は両拳をぎゅっと握り締めながら大声で叫ぶと、くるりと体の向きを一八〇度変えてトテトテ走り去ってしまった。
「あらあらっ、ちょっと強く言い過ぎたかな?」
菱池先生はちょっぴり反省ちょっぴり傷つく。
「あの子、昔から相変わらず、すぐに拗ねるよな」
「でもそこが茉里ちゃんの子どもっぽくてかわいいところだよ。赤いランドセルが今でもすごく似合いそう」
貞之と実鈴、
「おれ、去年あの子の担任やってんけど、似たようなことが何度かあったな」
さらに菱池先生の隣の席に座っていた三年六組担任、理科の高嶋先生(♂)も微笑ましく茉里の後ろ姿を眺めていた。
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