三日目
1
あと半分。あと三日もあると思っていた朝から一日しかたっていないのに、先がすごく縮まったような。
登校したときのぼくは、そんな考えでいっぱいだった。ナンナが大丈夫といったからには大丈夫なのかもしれないけど。何せナンナは頭がいいし。
ぼくは昨日の朝と同じように裏門から入って、アイを下駄箱まで送って、正門を見に行った。
近づくにつれて、また変なにおいがしてきた。でも、今日はそれだけじゃなかった。
「どうしてわからないんだ!」
怒鳴り声が聞こえた。居合わせた生徒が注意を引かれて、正門に小走りで進む。ぼくもまじって正門へ。
正門のそばでは、さっきの声のせいか人が集まっていた。人垣の向こうにいるのは校長先生。他の先生のえりをつかみ、眉をつり上げ、今にも殴りかかりそう。
(何があったんだろう。また文句をいわれたから? 今までは適当にかわしてたのに)
つかまれているのは、去年ぼくの担任だった中本先生。四十前のおじさんで、体格がいい。でも校長先生からいきなりこんなことをされたせいか、おどろいてしまっていた。しどろもどろで校長先生に声をかける。
「こ、校長先生。暴力はどうかと……」
「お前が教育というものをちっともわかっていないからだ!」
後ろから止めようとしている先生もいるけど、校長先生は手を放さない。興奮しっぱなし。
「私は教師として個性が大事だと思っている! それを真っ先に見せたりかがせたりしているのに、やめろとはどういうことだ! むしろお前もやれ!」
「あのにおいが個性?」
ぼくがげんなりしていると、ガシたちが近づいてきた。ここの様子を見ていたみたいだ。
「人に迷惑かけるのも個性か! つまり信号を守らないとか列に割り込むとかも個性!」
「そんなわけないでしょ! 校長先生、無茶苦茶よ」
「おかしいのと個性は違うわ」
ガシがバカ笑いして、ニッシンがツッコミ。ナンナは軽く笑う。
倉庫のそばには、猫とライオンとトラとヒョウに加えてクマとペンギンとアシカも集まっている。猫はともかく、他の顔ぶれを見ていると……
「動物園みたいだな! 海風小動物園って名前付けて、オリを作ってやるか!」
ガシ、ぼくと同じことを考えたみたい。ぼくはニッシンからにらまれたくないのでだまっておくけど。
それよりも変なのは、動物たちがやっていることだ。円を作るように座っていて……
「どうしてトランプなんかしているんだろう」
それぞれ何枚かずつ持っていて、隣の動物から一枚引く。ときどき二枚まとめて真ん中にポイ。
ババ抜きだ。ナンナは動物たちの前足をじっと見ていた。
「私たちが『カードを持つ』という動きをしやすいのは、親指のお陰。ペンギンやアシカはそんなものないのに持てているわ。翼やひれにくっついている」
「あの子たちは神様として作られたんだし、不思議な力でトランプをくっつけているのかも」
「不思議な力をムダに使ってるな!」
ぼくがつぶやくなり、ガシが大声で笑った。ニッシンがぶったたく。
「そんなことより、どうしてトランプがここにあるのよ! あんた、何か知ってるんじゃない?」
「ばれた? 昨日、あいつらヒマそうだったじゃんか。だからおれが放課後に渡しといたんだ」
ガシ、そのためにわざわざ一度帰って学校に戻ったってこと? 変な親切を。
あの動物たちは、ウミノヒメのお守りを持っているぼくたち以外から見えない。「トランプが浮いてる!」なんて騒ぎにならないのは、きっとウミノヒメがぼくたちを見えなくするときと同じ。動物たちが、見えなくする力をトランプに使っている。不思議な力が本当にもったいない。
他の先生が、様子を見ている生徒全員に「早く教室に行きなさい」といった。ぼくたちはぞろぞろと正門から離れた。
校舎の玄関に美々子先生がいた。何人かの先生と一緒に正門の様子をうかがっている。みんな中本先生と同じようにおどろいていた。
「先生がいるなら……」
ぼくはすぐ美々子先生に近づいた。ガシたちもついてくる。
「おはようございます。四人とも、どうしたんですか?」
「ちょっとこっちに」
ぼくは美々子先生を他の先生から離れさせて、あのお守りを見せた。
「これのことで話があって」
「お守りがどうか……」
びくんと美々子先生がふるえて、表情が変わった。
『わたくしにご用ですか? 今は力をこぼさないことに集中したいのですが』
うまくウミノヒメが出てきてくれて、ぼくはひそひそと話しかけた。
「校長先生、変さが急に上がりすぎ」
最初は変な服と変な髪だけ。
昨日から服が汚れていて、においも変。
今日になったら、変な理屈をこねながら怒鳴ったりし始めた。
「昨日今日と、変なところが急に付け足された。その前の日には、ぼくたちが神様作りをした。もしかして関係ある?」
ウミノヒメは、バツが悪そうな顔になった。
『地下の方がこちらの行動に気づき、対抗して災いを多く送り始めたのかもしれません』
「じゃあ、半端に手を出したらかえってやばいんじゃないの?」
ニッシンの問いかけに、ウミノヒメは首を振ることができない。
『まだあと二日あります。どうにかしなければなりません』
声が途切れて、美々子先生がボーッとした。ぼくたちはその隙に離れる。
「そうなのか……」
ぼくは余計に気が重くなった。ガシはやっぱり大声で笑う。
「そう暗くならず、気楽に行こうぜ?」
「みんながみんなあんたみたいなバカのんきじゃないのよ!」
ニッシンがぶったたいても、ガシは笑うのをやめない。一方、ナンナは余裕顔。
「心配しなくていい。私の推理に間違いはないわ」
おお、それはナンナが自分のマンガで主人公にいつもいわせるセリフ!
2
放課後、やっぱりぼくたちは正門のそばで集まった。
『では……お願いします』
ウミノヒメが神ノートを取り出すと、ナンナはすぐに受け取った。エンピツを動かし始めて、書いたものは――
「鳥は、魚を陸という名の地獄へいざなう!」
言葉の意味はよくわからないけど、神ノートから出てきたのは何羽かの鳥。カモメ、カラス、タカ、そしてフクロウ。ガシやニッシンが書いた動物と違って本物っぽい。
「カモメは海で魚をつかまえるから? でも、カラスってどこにでもいる鳥のような」
「タカは強そうね。でもあたし、フクロウはのんびりしてるイメージ持ってたけど」
ぼくとニッシンが問いかけると、ナンナは得意げに答えた。
「カラスは鳥類の中でもかなり高い知能を持つ! フクロウはタカと同じ猛禽類で、恐ろしい狩人だわ!」
ナンナ、テンション上がっているな……モウキンルイっていうのは、他の動物をおそって食べる鳥とかいう意味だっけ? たしかにフクロウもタカと一緒に池へ飛んでいく。
鳥だと陸の神じゃなくて空の神になりそう。ぼくはそう思ったけど、ウミノヒメはペンギンとか水に関わる動物でも実体化させている。ペンギンたちは陸に上がるからギリギリOK、タカたちは陸や木に降り立つからギリギリOK、ということなのかも。
鳥たちは水面ではねている魚におそいかかった。クチバシや足でがっしりとつかみ、空に連れていく。
そのまま池から離れたところへ下ろしてしまえば、もう魚ははねるしかない。鳥たちは魚をおいしそうに食べていく。
「これは……いける?」
ぼくは、ここしばらくの不安がいっぺんに吹き飛んだ気分だった。
「さすがナンナね!」
「鳥ども、やっちまえ!」
ニッシンもニコニコして、ガシなんか飛びはねてはしゃいでいる。
魚が減ったことで水面が静かになって――ぼくは気づいた。
泡が上がってきている。泡の量はどんどん増えて、泡以外のものまで出てきた。
水面を突き破るようにして現れたものは、魚? 他の魚よりずっと大きい。低学年の小柄な子なら丸飲みにできそう。
そもそも、これをただ魚と呼んでいいんだろうか。鼻先がとがっていて、背中に三角のひれ。他の魚と同じ真っ黒じゃなかったら、きっと色は青。サメだ!
「こんなのまでいるのかよ?」
「ザコを減らしたからヌシが出てきた、なんてところだわ」
ぼくやニッシンはもちろん、ガシまでひるんでいた。ナンナは眉をひそめる。
鳥たちはサメに飛びかかった。それぞれにサメをつかみ、思い切り羽ばたく。持ち上げるつもり?
もちろん、鳥四羽だけでそんなことはできなかった。サメはつかまれたままで水の下へもぐる。
鳥たちはとっさに放すことができず、水中に引きずりこまれてしまった。他の魚がここぞとばかりにむらがる。
バシャバシャ!
このあわてた音を聞くのは、もう何回目になるんだろう。鳥たちは体中の羽をむしられた姿で岸に出てきた。飛べることを忘れたようによたよた走って、ぼくたちがいる方へ逃げてきた。海風小動物園の仲間が四羽増えた。
「ナンナまでこれかよ?」
ガシは珍しくあわてていた。ナンナは苦い顔でうつむく。
「あんなのが出てくるなんて、想定外だったわ」
「ど……どうすりゃいいんだよ」
ガシが池を見つめながら冷や汗を伝わせ、ウミノヒメがまたよろけた。今日は昨日までよりもふらつき方がひどい。壁にもたれかかってしまった。
『先にいっていたとおり……わたくしは、そろそろ限界です』
もう、一日しか残っていない。ガシは笑おうとしたけど、引きつってしまってうまくいかなかった。
「なあ……明日ダメだったら、次はいつなんだ? 一週間後くらいか?」
『次に陸で大きな力を使えるのは……十年ほど後になります。以前も、そうでした』
そのとき失敗して十年待って、今ここに来ているってことだ。
なのに、また失敗したら?
「十年ごとに災いをあふれさせるのって、いつまで続くの?」
『一月で終わるかもしれませんし、一年近くかかるかもしれません……明日に、全てをかけましょう』
ウミノヒメの声が聞こえなくなると、ぼくたちは物陰に隠れた。美々子先生はやっぱり不思議そうに校舎へ戻っていく。その姿が見えなくなって――
「あーちくしょー!」
ガシがいきなり声を上げて、ぼくもニッシンもいつも落ち着いているナンナもおどろいた。
「長けりゃ一年? おれが一日目にしっかりやってれば、もう片づいてたのに! おれが悪かった!」
頼みの綱のナンナが失敗したからあせってきたみたいだ。ニッシンがため息をつく。
「今ごろそんなこといってどうするの。それに……失敗したのは、あんただけじゃない」
そう返したニッシンも、たった今負けたナンナも、暗い顔になっている。ぼくだって、誰かが危ない目にあうと思うと落ち着かない。
チャンスはあと一回。そこで失敗したら?
ぼくたちはお守りを持っているから、災いをさけられる。池のことを知っているのはぼくたちだけだから、どんな災いが起きてもぼくたちのせいだなんて誰も気づかない。
でも、そういう問題じゃない。胃がぎゅっと縮むような気分だ。
「ここにいたんですか!」
ついさっきまで聞いていた声。雰囲気は全然違う。校舎に戻った美々子先生がこっちに駆けてくる。
ぼくたちに何か用? 微妙に違うみたいだった。息を切らせながら立ち止まったのは、ぼくの前。
「妹さんが、大変です……!」
ぼくは、アイがいっていたことを思い出した。
『でも、けーちゃんとかは正門から帰るんだよ。一緒に帰るときは、アイもそっち』
体中の血がどこかへ抜けていくような寒さを感じた。
3
ぼくは美々子先生の車で病院へ向かった。
何が起きたのか、助手席で教えてもらった。帰り道で看板が落ちてきて――と。
噂のことを連想した。十年前も、生徒が工事現場の看板でケガをしたらしい。
死んだ子もいたとか。噂をハデに話す人の口からなら、犠牲者の数は何十人だったり何百人だったり。
そんなたくさんの人をまとめて痛めつけられる看板って、どれだけ大きいんだろう。普通に話しているときなら、大げさだって笑えた。でも今は違う。車の中にいる間、心の中でいろいろな感情があばれていた。
看板が落ちてきたのは、きっと池の災いが原因。ぼくたちがうまくやっていれば防げたはず。しかも、それでアイまで。
アイは今どうしているんだろう。ケガはどのくらいなんだろう。まさか、ケガじゃすまなかったってことは?
十年前の噂は、ケガのひどさもハデにされている。でもやっぱり今は、ただの噂だなんていう気分じゃない。
事件が起きたのは、ぼくたちがうまくやれなかったせい。アイはそのことを知らない。でもぼくは「お兄ちゃんのせい!」といわれるところを想像していた。
アイだけじゃない。アイと仲のいい人、アイと一緒にケガをした人、それと仲のいい人、学校にいるみんな――たくさんの人から責められる自分が頭に浮かんだ。
ガシたちがそばにいてくれたら、気分が少し楽だったかも。ガシはバカなことをいって笑わせてくれる。ニッシンは真っ先に怒ったりするから、ぼくはその分だけ落ち着いていられる。ナンナは冷静な意見でなだめてくれる。
でも、車に乗せられたのはぼくだけ。ぼくは一人だった。
病院は、ぼくのマンションや学校からそれほど離れていない。ぼくはいつも横を通り抜けて「大きい病院だな」とか思うだけ。それだけの場所だった。
今は、アイが町の小児科とかよりずっと大きな病院へ連れていかれたことに苦しさを感じた。病院の大きさが事態の大きさを象徴している気もする。テレビドラマで見た集中治療室や緊急手術の場面を思い出した。
先生と一緒にロビーへ入ると、人が大勢いた。患者っぽい人も医者っぽい人もいる。ぼくはここに入ったことがなかったから、いつもこうなのか大事件の直後だから増えているのかわからない。
美々子先生がフロントでアイの名前を出すと、病室の場所を教えてもらえた。ぼくたちはそれがある階にエレベーターで上がった。
入院病棟はロビーと空気が違う。消毒液のにおいだとか聞いたことがあるけど、今のぼくはいいにおいだろうと嫌なにおいだろうと息苦しく感じてしまう。
廊下を進んで、先生が六人部屋の前で立ち止まった。名札を見ると、アイの名前も書いてある。
ドアは開けたまま。ぼくは口の中がカラカラだと感じることもできないまま中をのぞく。
「あ、お兄ちゃん」
ぼくの心臓がはねた。並んだベッドの一つにアイがいる。上半身をいくらか起こされた姿勢で、ぼくに手を振る。
「アイ……?」
ぼくは、ふらつくような足取りでアイに近づいた。
アイは頭と左腕に包帯を巻かれている。泣いたのか、目が赤い。でも、笑顔はいつもとあまり変わらない。
「なんだ……元気そうだ」
お父さんとお母さんがベッドの横にいて、ぼくはお父さんから「元気なもんか」といわれた。たしかにケガはしているけど、ぼくの想像よりはるかにマシ。
アイと同い年くらいの子もお見舞いに来ている。会った覚えのある顔だ。
「アイと、けーちゃんと、おーちゃんと、ゆうゆうで、入院なんだよ。みんな同じ部屋だったらよかったんだけど、ベッドがあいてないんだって。でも、どうせ一日で終わっちゃうし」
今日だけ検査で入院だって、お父さんが教えてくれた。アイはおとまり会のつもりなのか、のんきな様子だ。噂の大事件再び、なんて調子じゃない。
その一方で、ぼくの中から戸惑いが消えたりはしない。アイとその友だちがケガをしたのは、ぼくたちがしっかりしていなかったからだ。
ぼくは、どういう絵を書くかって意見をまだ出していない。はっきりとした形じゃないけど、考えていたことはある。
今までの三日間で考えをまとめてみんなに伝えていれば、何か違ったかもしれない。最後の一日でそれを出して、うまくいけばいいんだろうか。
でも、ぼくより面白いマンガを書ける三人でさえダメだった。今は「自分が何をしたってムダ」なんて気しかしない。
「ひどいケガじゃなさそうだけど……」
けど、なんだ。ぼくは心の中で自分に問いかけた。ぼくは池のことをアイに話すつもりなんだろうか。謝るつもりなんだろうか。
そうしたとして、信じてもらえるんだろうか。お兄ちゃんは頭が病気ですって、入院患者が一人増えるだけかも。
大体、ウミノヒメは池とかのことをしゃべらないでほしいみたいだった。ばらしたら、さすがに怒るんじゃないだろうか。
ぼくがだまってしまうと、アイの方が口を開いた。
「お兄ちゃん、ごめん」
「え……?」
ぼくは、何をいわれたのかすぐには理解できなかった。今、アイの方がぼくに謝った?
「アイ、正門に近づいたらダメってお兄ちゃんにいわれた。でも、通っちゃったの。だからバチが当たったんだよ」
「何を、いっているんだよ」
「お兄ちゃんがそういってたってけーちゃんたちに教えて、裏門から帰ってたら、こうならなかったかも」
「お前がぼくのいうことを聞いたかどうかなんて、関係ないだろ。ぼくが正しいことをしているとは限らないんだ」
「ううん」
アイは首をぶんぶん振った。頭に包帯を巻いているから、そんなことをしたら痛いんじゃないだろうか。でも、ためらう様子はない。
「いつだってお兄ちゃんは正しい。アイに面白いマンガを見せてくれるし」
「マンガだって……ガシたちの方が面白いよ」
「でも、ガシ兄ちゃんのマンガは変すぎる話のときもあるし」
アイの答えは早かった。たしかに、ガシは下品ネタで女子から嫌がられることもある。
「ニッシンのは、女子向けだろ?」
「そうだけど、男の子キャラが強そうじゃないし」
アイはぼくが好きなバトルマンガも読むので、影響されているところがあるかも。
「じゃあ、ナンナのは? ぼくたちの中で一番こった話を書く」
「難しくてわかりにくいよ」
まだ小二のアイに推理ものは早いんだろうか。ナンナはクラスでもトリックを理解できないっていわれることがあるし、しゃべるときも難しい言葉を使うことがある。
「お兄ちゃんのマンガ、動物みたいなのがたくさん出てきて楽しいんだよ。そんなのを見せてくれるお兄ちゃんだし、いうことに間違いなんてないよ」
ぼくは、胸をつらぬかれた気がした。
アイは、ぼくのこと信じてくれている。ぼくがしっかりしていなかったせいで災いが降りかかったなんて、夢にも思っていない。
それなら、信じたままでいさせてやりたい。今のぼくはしっかりできていない? しっかりすればいい。
学校のみんなもそうだ。ぼくのマンガは受けないこともあるけど、受けることだってある。災いなんかどこかにやってしまって、ぼくのマンガが面白いの面白くないのとのんびりいっていられるようにさせたい。
アイも、学校のみんなも、守れるのはぼくたち五年一組三班だけ。ぼくは今さらながらに考えた。
「お兄ちゃん、マンガ読ませてよ。学校から来たんなら、持ってるでしょ?」
アイはのんびりと尋ねてくる。こっちはあわてっぱなしだったのに、どうしていつもどおりなんだ。ぼくは吹き出した。
「最近いそがしかったから、全然進んでいないんだけど」
断りたいからそういっているんじゃなくて、本当に進んでいない。池のことに気を取られて、マンガノートを開こうともしていなかった。
「それでもいいからさ」
アイがあまりに頼んでくるので、ぼくはマンガノートをランドセルから取り出した。アイは包帯がない方の手で受け取って、ひざの上で広げる。ニコニコしながら見始めた。
「やっぱりいろんなキャラが出てきて楽しいよね、グレープモンスター!」
ぼくが書いているマンガのタイトル――ぼくはそれを聞くなり、あることが頭の中を駆けめぐった。
ここのところ、頭の片隅でずっと考えていたこと。考えてはいたけど、おぼろげな形でしかなかったもの。そのはっきりとした姿。
アイは、お見舞いに来ている友だちと一緒にぼくのマンガを読み始めた。お父さんたちは、美々子先生と話している。その一方でぼくは動揺のあまりに視線をさまよわせて、知っている顔を入り口に見つけた。
男子女子が一人ずつ。よろけるような足取りで、女子が一人増えた。三人とも汗まみれ。息を切らせて苦しそう。最後の一人は特に。
「ガシ、ニッシン、それにナンナ」
ぼくはすぐ廊下に出た。
三人は学校からここまで走ってきたみたいだ。遠くなくても、ずっとダッシュは大変。体育が苦手なナンナには余計大変。メガネがずり落ちそう。
「アイちゃん、は……?」
ニッシンが呼吸を整えながら問いかけてきて、ぼくは後ろを指さした。
「ケガをしたけど、ぼくが想像したほどじゃなかったよ」
「よかった……マジで、よかった……」
ガシはいつになくホッとした様子。顔だの額だのぬぐう。ここでアイを見たときのぼくも同じだったのかもしれない。
「わた……わたし……たち、は……て……話し……」
ナンナはいいたいことがあるみたいだけど、言葉にならない。ガシがすぐさま止めた。
「待てよ。おれが、いう」
「あんたじゃ、ダメよ……! あたしが、いう」
「私、が、順を……追って……話す……」
疲れ果てたままでいい合って、結局ナンナが話し始めた。
「ホクサイが、連れていかれてから、三人で話したわ……私たちは……もっと相談して、池のことを、進めるべきだったって……そうしていれば、後がないなんてことに、ならなかった」
そうかもしれない。でも、ぼくたちには仕方ないことだ。
ぼくたちはみんなそろってマンガを書いているけど、別々にやっている。一緒に一つ書こう、なんて考えたこともない。さっきだって、話したことを伝えるだけで「おれが!」「あたしが!」「私が!」だったし。
そんな四人だけど、同じ趣味があることはうれしい。だから一緒にいて楽しい。ぼくにとっては、アイやマンガを読んでくれる人と同じように大切。
「ここしばらくのことを振り返ってみて、気づいたんだけど」
ニッシンはだまっていられなかったのか、話しかけてきた。ガシも同じで、珍しくまじめな顔でぼくを見据える。
「お前、おれやニッシンが失敗した後で何かいいかけてなかったか?」
「ホクサイ……きっとあなたには、考えていたことが、あったんだわ」
ナンナがいったとおり。ぼくはうなずいた。
「気になることがあって。さっき、その答えにはっきり気づいたんだ」
ぼくがいいきると、三人とも明るい顔になった。
「ぼくたち、ちょっと頭が固かったかもしれないよ」
相談しようっていわれたところだ。ぼくはひらめいたことを三人に話した。
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