二日目

 1


 次の日も、ぼくは早めに学校へ向かった。

 池のことが気になるからだ。一緒に行くアイは元々朝型だから、ちょっと早く家を出るくらいどうってこともない。

 今日も使ったのは裏門。ぼくはアイを二年の下駄箱に行かせてから、校舎をぐるっと回って正門に向かった。もちろんポケットにはウミノヒメのお守りを入れている。

 そういえば、ナンナが昨日の帰りがけに「私たちがあの池にもぐると、他の人からどう見えるのかしら」とかいっていた。ぼくからすると、そんな難しいことより他のことが重要。

「何だこれ」

 ぼくは、正門が見えてきたところで立ち止まった。

 生徒が次々に登校していて、正門のそばには誰からも見えない池がある。

 災いの魚は黒い水を生徒に吹き付けている。みんな災いをしみこまされて、病気になったりケガをしたりするかもしれない。

 イライラするけど、立ち止まった理由は他にある。

 門のわきに校長先生がいて、登校してきた生徒にあいさつしている。やっぱり服も髪も昨日と同じように変。

 服には昨日と違うところがある。青くてドロドロした汚れがべっとり付いていた。しかも変なにおいがして、離れていても鼻にツンと来る。あれはペンキ?

「校長先生、まーた変なことしてんな!」

「迷惑じゃないの! 服は汚らしいし、においはもっと嫌!」

 ガシ・ニッシン・ナンナも池のことが気になるのか、正門に来ていた。ガシはからかうように鼻をつまんでいて、ニッシンはいかにも迷惑そうな顔。ナンナは様子をうかがう瞳。

「魚からの水は私たちにしか見えないけど、あの汚れは普通にみんなからわかるみたいね。においも」

 ナンナがいったとおり、正門を抜けていく生徒はみんな校長先生を微妙そうな目で見る。そばにいた他の先生は、さすがにいけないと思ったのか校長先生に声をかけた。

「校長先生、生徒が困っているみたいなんですが……変なにおいもしますし……」

「私はにおいで困ったりしていませんな」

 校長先生は軽く返すだけ。そりゃあ、鼻ってにおいになれちゃうし。

「昨日の子たちがうまくやれてればよかったんだけど」

 ニッシンは、やれやれといいたげな目を倉庫の陰に動かした。

 ぼくたちにしか見えない猫やライオンたちが、おびえた様子でたむろしている。百獣の王までこの調子って、どうなんだろう。

「おはようございます」

 美々子先生がぼくたちに近づいてきた。職員室からここが見えるので、ぼくたちが集まっていることに気づいたんだと思う。

「あ、そうだ。先生、こういうのなら持っていても没収とかならないよね?」

 ぼくは昨日のお守りをそれとなく見せた。美々子先生は顔色を変えたりしない。

「ただのお守りなら構いませんよ」

 やっぱり昨日のことは覚えていないみたいだ。きっとあの池と魚も見えていない。

「ここはいいから、教室に行ってください」

 ぼくたちは美々子先生からいわれたとおりに下駄箱へ足を向けた。

 ウミノヒメと約束した放課後まで、池や魚を放っておく? その間に誰かが災いをしみこまされる。ぼくは不安があふれてくるばかりだ。

 でも、今はまだ何もできない。授業をサボって行動……なんてすれば、正門に何かあると気づかれるきっかけができてしまうかもしれない。

(昨日だっていっていたじゃないか。あと三日あるって)

 ぼくはそう考えようとした。安心なんてちっともできなかったけど。


 2


 放課後になると、ぼくたちは正門のそばに集まった。またウミノヒメが美々子先生の姿で現れて、ぼくたちを他の人から見えなくした。

「今日の神様作りを始める前に聞きたいんだけど。もしかして、校長先生がおかしいのも災いのせい?」

 ぼくが尋ねると、ウミノヒメは小さくうなずいた。

『毎朝この場所にいることで、多くの災いをかけられています。それに、この地で長く暮らしている方ほど災いの影響を受けやすいのです』

「今の校長先生、何年か前に転勤してきたんだ。一年のときからずっとこの学校にいる六年の方が長いよ」

『あの方は、ここに近い町で育ちました。つまり、人工島ができる前からここで暮らしていたようなものです』

 ナンナが付け加える。

「校長先生は朝礼で『私が皆さんより小さいころ、ここはまだ海でした』『シーサイドシティができる様子を子どものころから見てきました』といっていたことがあるわ」

 朝礼の話なんかよく覚えているな……ナンナの場合は、単に注意力や記憶力が強いお陰かもしれない。

 ガシは、池を見ながら薄く笑っていた。

「それで、あのカッコを始めたわけ? 変な服見せられたり変なにおいかがされたりするこっちの方が災いをかぶってるっての」

「変なことをしていた過去は、教師としての経歴についてくるわ。後から災いになるということよ」

「少なくとも、今起きてる変なことはあたしが終わらせる」

 ニッシンはウミノヒメから神ノートを受け取って、ガシが書いたページの次を開けた。

「魚に強い動物ってのは……」

 何匹も書いていく。昨日のうちに考えていたのか手が速い。できあがった絵は、いつもどおり上手。

「ウミノヒメさん、よろしく!」

『では……』

 動物たちはウミノヒメから命を吹きこまれ、絵から出てきた。どれもこれも、ふわふわぷにぷにしてかわいい。ニッシンは堂々と胸を張った。

「クマにアザラシにペンギン! どれも魚を食べる動物よ!」

「クマはシャケをつかまえるって聞いたことあるけど、ペンギンかよ?」

 ガシが大げさに笑って、ニッシンはキーッと怒った。

「ペンギンは、陸だとのんびりしてても水の中だと魚をすばやく追いかけられるのよ! アザラシだって!」

「待ってニッシン。これ、あなたが考えている動物じゃないわ」

 ナンナは、ニッシンが「アザラシ」といった動物を見ていた。

「後ろ足……っていうか後ろのひれを前に向けている。アシカだわ。アザラシは、後ろのひれをイルカの尾びれみたいな後ろ向きにしかできない動物よ。ホクサイがグレープモンスターにアザラシ型モンスターを出したとき、そうだったじゃない」

「そうだったっけ?」

 ぼくはあいまいな答えしかできなかった。いろんなモンスターを出すので、前のは忘れてしまう。アシカが後ろ足を前向きにできることは、「アシカはシがアザラシより前にあるから、アシを前に向けられる」と覚えているので間違いないけど。

「ぼく、水族館のアシカショーで『前向きにできるお陰でアザラシよりいいところがある』って聞いたような。何だったかな」

「いいとこがあるなら、むしろラッキーじゃない! それよりウミノヒメさん、こっちの子も絵から出してほしいんだけど」

 ニッシンはごまかすようにいって、神ノートをウミノヒメに向けた。ウミノヒメは、困った様子で視線をそらす。

『申しわけありませんが、作っていただくのは人工島を守る陸の神ですので……クジラとイルカとシャチは、海だけで暮らす生き物かと……』

「あ」とニッシンが声をこぼした。ガシが大笑いする。

「バッカでー! そもそもクジラなんかあの池に入るかよ!」

 ニッシンはムカッとした顔になったけど、クマたちに池を指さした。

「この子たちがいれば十分よ! さあ、魚をみんな食べちゃいなさい!」

 クマたちは池に駆けていった。アザラシもといアシカやペンギンは遅いけど。

 クマは腰から下だけ池につかり、近づいてきた魚を前足で池の外にはじき飛ばす。

 アシカとペンギンは池に飛びこんで、すいすい泳ぐ。外へ出てきたときには魚をくわえていた。

 そうやってつかまえ、おいしそうに食べる。一匹平らげたら次の一匹に取りかかる。

「ほら、どんどん食べてくでしょ!」

 ニッシンは得意げ。ぼくとナンナは拍手した。

 でも、魚は後から後からわいてくる。

「あいつら、ゲップしてるぞ」

 ガシがいったとおり。クマたちはつかまえるペースが落ちてきた。体が重くなったせいか、動き自体も遅くなったような。

 魚たちは反撃に出た。クマたちの体にかみつく。そうなったら後は昨日の猫たちと同じ。

 バシャバシャ!

 水をかく音が、さっきまでの余裕いっぱいのものと違う。

 クマたちは魚をふりほどくことで精一杯になり、体中はげちょろにされて池から逃げ出した。倉庫の陰に隠れる。

 ぼくは逃げる様子を見て、アシカショーでのことを思い出した。

「足を前向きにできるアシカは、後ろ向きにしかできないアザラシよりも走るのが速いんだ」

「アザラシじゃなくてよかったなニッシン! 逃げやすくなったぞ!」

「ガシ、だまりなさい!」

 わめき合っているぼくたちの横で、またウミノヒメがよろめいていた。今日もエネルギー切れ。

『明日こそ、よろしくお願いします……あと二日です』

 声が途切れて、ぼくたちはあわててウミノヒメから――美々子先生から離れた。正気を取り戻したとき一緒にいて、「私、何をしていたんでしょう」とか尋ねられたら、答えに困る。

 ぼくたちが物陰に隠れたとき、美々子先生は不思議そうに辺りを見渡していた。しばらくして、職員室に戻っていく。ニッシンは頭を抱えた。

「あたしとしたことが、ガシと同じなんて!」

「マヌケ同士、仲よくしようぜ!」

「嫌よ!」

 ガシとニッシンがいつもどおりに騒ぎ始めて、ぼくはそれとなく止めに入ろうとした。

「ずっと思っていたんだけど」

「わかったわ」

 でも、その前にナンナが余裕の顔で割りこんだ。

「大丈夫よ。明日は私にやらせてちょうだい」

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