一日目

 1


 教室のドアが、すごく軽い動き。ぼくは教室に入るたびそう思う。

 ドアなんかどこの学校でも同じ? そんなことはない。ぼくが小一のころだけ通っていた学校では、もっときしみながら開いた。違いがなかったら、小五の二学期に入って半月たった今はもう忘れているはず。

 教室の中を見ると、壁も床も天井もつやつやしている。廊下だってきれい。運動場のわきにはおしゃれな花壇やベンチがある。

 ぼくが三年半前に引っ越してきたシーサイドシティは、埋め立てで新しくできた町。この海風小も、できてから十年ちょっとしかたっていない。きれいだったりおしゃれだったりして当たり前だ。

 教室内にいた生徒は五人。これは全校生徒が少ないからじゃなくて(町に人が集まってきているので、むしろ多い方)、ぼくが早く来たから。三歳下の妹が「夜ご飯のカレー、早起きして食べる!」といっていたので、ぼくはつられて同じようにしてしまった。

「おはよう、ホクサイ」

 先に来ていたクラスメートがあいさつしてきて、ぼくは普通に返事してから自分の席へ座った。窓側から二番目、前からも二番目。

 ちなみに、ぼくはホクサイなんて名前じゃない。あだ名だ。

 テレビで何とかホクサイって人が紹介されていて、顔がぼくと似ていたらしい。一人がいい始めて、クラスに広まって……最初は抵抗があったけど、もうなれた。

「さ、せっかく早めに来たし」

 朝の会や授業が始まるまでヒマ、ということはない。ぼくはランドセルからノートとエンピツを取り出した。

 勉強? まさか。平均よりは上だけど、そんなに好きな方じゃない。

 ノートを開くと、四角い囲みが並んでいる。中には絵。ぼくくらいの子がいたり、犬や猫みたいな生き物がいたり、怪獣っぽいものがいたり。

 ぼくは小二のころからマンガを書いている。

 今書いているマンガは、タイトルが「グレープモンスター」。不思議な木になっているブドウの粒が一つ一つモンスターの卵になっていて、面白いものや怖いものが次々に生まれる……っていう内容。

 今回の話で生まれるモンスターは怒ナカイって名前。クリスマスプレゼントをくれるけど、怒った顔だから相手を微妙な気分にさせる。

 ぼくの書いたマンガがみんなに喜んでもらえるかどうかはわからない。この前は全然笑ってもらえなかった。そのことを思い出すと、人に見られるのが少し怖くなる。

 少なくとも、ネタを考えたり実際に書いたりしているときは楽しい。一生懸命書いているうちに教室の生徒は増えていて、ぼくの前でもイスが引かれた。

「今日もやっとるねぇホクサイ」

 声をかけてきた生徒は坊主頭で、背はぼくより高い。いつもどおりにやついていて、ランドセルを机にどっかり置いた。同じ班のひがし竜清たつきよだ。

「おはよう、ガシ」

「おう。さっそくだけど、おれのも見てくれよ。昨日学校で書いてたやつの続きだ!」

 ガシはランドセルからノートを取り出して、ぼくに広げてみせた。

 変な服のオッサンキャラがおどけたポーズを取っていて、他のキャラから「アホだ!」といわれている。

 しかもほとんどエンピツ書きなのにオッサンキャラだけご丁寧に蛍光ペンで色つけしていて、変さを強調している。

「それ、校長先生がモデルだっけ?」

「だって変すぎるしよ!」

 ガシが窓の外を指さした。ここは三階だから正門まで視線が通って、生徒が次々入ってきているとわかる。

 そのわきで校長先生があいさつしている。五十代の太ったおじさんだ。

 どの学校にもいる校長先生……だったのはちょっと前までのこと。今はみんなから距離を開けられたり笑われたり。

 校長先生は、蛍光グリーン・イエローででたらめにぬったシャツを着ている。あんなのどこで売っているんだろう。それとも自分で色つけしたのか。

 腰から下なんて、海パン一丁。もう夏は終わったのに寒くないんだろうか。

 頭もすごい。髪をピンク色に染めている。

 ガシはそれを見ながら大笑い。どこかから救急車のサイレンが聞こえてきたけど、ガシの声にかき消された。

「前は普通のスーツで正門に立ってたのが、何日か前から変なカッコを始めてよ! 失敗イメチェンってことか? あだ名を考えてやらないとな!」

 ちなみに、ぼくのホクサイってあだ名もこいつが付けた。

「おれとしちゃあ、絶対ネタにしたいっての! みんな笑うに決まってるだろ?」

 ガシが書いているのはギャグマンガ。女子からは嫌われることもあるけど、男子にはいつもバカウケ。笑いの瞬間最大風速だって、ぼくよりずっと強い。

「そんなの書いたら怒られるんじゃない? こないだの下品なやつよりはマシだけど」

 文句をいいながらぼくのななめ前に座ったのは、三つ編みの女子。背丈はぼくより少し高――もとい、同じくらい。

 名前は西村にしむら真紅しんく。ガシのおバカマンガとガシ本人をきつい目で見比べる。ガシは張り合うように鼻で笑った。

「ニッシン、お前のマンガはわけわからないんだっての! ナヨナヨマンが女としゃべってるばっかでよ!」

 ニッシンってあだ名を付けたのもガシ。ニシムラでシンクだからだ。

「ナヨナヨマンなんて呼ばないで! うちのキャラはスマートなの! あんたのキャラと違ってかっこいいの!」

 ニッシンもランドセルからノートを取り出して、ガシに広げた。男か女かわかりにくいキャラ(ニッシンにいわせると男)が、キラキラした目の女キャラと見つめ合っている。

 ニッシンが書いているのは恋愛マンガ。女受けはいいけど、男には……正直にいうと、ぼくもよさがわからない。細い線で書いた絵がうまいのは認める。

「お前だって、おれがこれを書いたときは笑ってたろ!」

 ガシは変なオッサンがいるページをニッシンに突きつけた。ニッシンはすぐさま払いのける。

「変な色の髪とか服はともかく、あたしは下品ネタに反対なのよ!」

 また始まった。ガシとニッシンはいつもこうだ。

 ケンカになっているのはここだけじゃない。窓の外を見ると正門前に誰かの親が来ていて、校長先生に何かいっている。

 最近あんまり変だから、他の先生や親がときどきああして文句をいう。

 遠いから声は聞こえないけど、話の内容は見当が付く。クラスにいる友だちの親も校長先生に文句をいったからだ。親の方が「前までいい校長先生だったのに」とかいっても、校長先生は「今の方が面白いでしょう」とかのらくらと答えるだけだとか。

 校長先生たちのケンカはどうしようもないけど、せめてこっちはなだめたい。ぼくは、どうやってガシとニッシンの間に入るか考えた。

「えっと、頭がピンクって珍しいよね。紫ならおばあちゃんにいるけど、どうしてそんな色にするんだろ」

 ケンカを止めるためとはいえ、ぼくは何をいっているのか。

「日本人の白髪が黄色っぽいせいらしいわ」

 すんだ声がぼくたちに投げかけられた。ほっそりした女子がぼくの隣に座る。

 メガネをかけていて、さらりとした髪を長く伸ばしている。背はぼくやガシより高い。難波江なばえ利奈りなだ。

「そういう髪には黒より紫の方が合うとか。つやが出たり、いい色になったり」

 ガシとニッシンはあぜんとしてしまった。ぼくはかろうじて口を動かす。

「ナンナ、くわしいね」

 そういうあだ名なのは、ナバエ・リナなのにナンバ・エリナとよく間違えられるから。ナンバのナンとエリナのナでナンナ。

「私、疑問に思ったらすぐ調べることにしているのよ。何がマンガのネタになるかわからないもの」

「だよね……こないだも『コーギーのしっぽは元々長い』ってことが謎解きのカギになっていたし」

 ナンナもマンガを書いていて、ジャンルは推理もの。ぼくたちの中では一番話がこっている。トリックが複雑すぎるってクラスでいわれることもあるけど、ぼくは雑誌の推理マンガとかも似たようなものだと思う。絵もリアルな感じ。

 ぼく、ガシ、ニッシン、ナンナ――この四人が、五年一組三班メンバー。みんなしてマンガを書いている。

 班分けのとき、マンガ書き好きばっかりで固まってしまった。一年から四年の間に転校してきたって共通点もあるけど、新しくできた学校のここじゃそれほど珍しくない。

「おはようございます」

 担任の阿島あしま美々子みみこ先生が来た。年は二十五。背は大人の中だと低い方。今日もジャージ姿で、化粧は濃くない。

 どっちかっていうと、優しい先生。だからざわついていた教室がすうっと静まったのは、怒られたら怖いってみんなが考えたせいじゃない。

 美々子先生の顔つきがいつもと違う。青ざめてしまっている。みんなそれを悟ったんだと思う。

「まず……みなさんに悲しいお話をしないといけません。さっき、六年の二見君が病院に運ばれました。登校中に、車とぶつかって」

 教室の中がまた騒がしくなった。さっきまでとは違うざわつきだ。

「二見」っていうのは、ぼくも知っている名前。前の児童会長だ。誕生日はシーサイドシティっぽい四月四日。住んでいるところは正門からずっとまっすぐ行ったマンション。

 友だちとかじゃないけど、選挙のときにすごくハデな宣伝をしていたからプロフィールをいくつか覚えてしまった。「ぼくは引っ越してきたんじゃなくて、シーサイドシティで生まれ育った! だからここのことにくわしい!」とか、繰り返し叫んでいたっけ。

「またか」

「こないだは、三年のやつが食中毒になったっけ?」

「四年には、体育のときにケガしたのがいたな」

 話し声があちこちから聞こえる。この学校はきれいでおしゃれだけど、二学期に入ってから事件が続いている。そのたびにささやかれるのは――

「地下の呪いだ」

「十年前の事故で死んだ生徒の怨念かも」

 誰かがそういうと、ざわつく声が暗さを増した。もしかすると、ぼくも顔色が悪くなっているかもしれない。

「ホクサイ、こんなときこそおもろいマンガを書いてやろうぜ!」

 ガシがぼくに振り返って、大きな声でわざとらしくいった。ぼくはハッとしながらうなずいた。

「そ、そうだね! かわいい生き物が出る話だと、絵的になごみやすいかな」

 ガシはニッシンとナンナも見渡す。

「ナンナは、事故らせるようなやつが捕まる話を書けよ! スカッとするのを」

「面白そうね」

 ナンナはニヤリと笑った。

「ニッシンは、ナヨナヨマンがナヨナヨするマンガで笑わせろ!」

「ナヨナヨマンじゃないっ!」

 ニッシンが怒鳴って、教室が笑いで包まれた。こういうのがガシのいいところだ。

 ぼくは、みんながなごんだことにホッとした。でも、余計に気が重くなったこともある。

 一応、ぼくが班長。でも、ちっとも班長らしくない気がする。

 ガシは男子に一番受けるマンガを書ける。ニッシンは女子が一番喜ぶマンガを書ける。ナンナは班で一番プロっぽいマンガを書ける。ぼくは一番ダメなような。

『マンガ……生き物……』

 かすれた声。今の、美々子先生?

 顔を向けると、美々子先生が雰囲気を変えていた。

 ただ悲しげなだけじゃない。ぼくがいる辺りを見ているけど、明らかに目つきが普段と違う。

 表情を変えただけ、なんて言葉じゃ収まりきらない。遠い場所からぼくたちを見つめているみたい。それとも、人間以外が人間を見ているところ?

「……はいはい、静かに」

 みんなをなだめたときの美々子先生は、いつもどおりの雰囲気だった。「皆さんも車に気を付けてください」とか、話を進める。

 さっきの美々子先生は絶対におかしかった。でも、みんなは笑っていて気づかなかったみたいだ。


 2


 放課後、ぼくたち三班は正門のそばに集まった。四人とも反対側にある裏門から出入りする派なので、帰りがけにここへ来ることはほとんどない。

「どうしておれたちがここに来ないといけないんだよ」

「あたしの方が聞きたいのよ!」

 帰りの会が終わってすぐ、ここで待つようにと美々子先生がいってきた。理由を話してくれなかったから、ぼくたちは首をかしげているしかない。

 正確には、正門のそばじゃない。正門の近くにある小さな倉庫のそばだ。下校時間なので、たくさんの生徒がぼくたちの横を通って帰っていく。

 みんなの姿を目で追うと、正門をはさんで向こう側にある駐車場が見えた。先生たちの車がいっぱいとまっていて、あいているところが全然ない。

 ぼくたちがこうしているうちに先生たちも帰り始めて、駐車場がガラガラになっていくかも。ニッシンはガシをじろっとにらむ。

「またあんたがくだらないことしたんでしょ! ここに呼ばれたってことは、正門に関係あるいたずらとか!」

「してねー! 少なくともここじゃしてねー!」

 それはいいわけになっているんだろうか。ぼくは苦笑いしながらガシとニッシンの間に入った。

「倉庫の近くだし、片づけものの手伝いとかがあるんじゃない?」

「それならおれたちにいうんじゃなくて、他の班とジャンケンさせろよ。あーもー、みんな帰ってくのに」

 ガシは他の生徒をうらやましそうにながめる。ナンナは考えこんでいる様子だった。

「私は他のことが気になるわ」

 ぼくはナンナにうなずいた。

「ナンナも気づいてた? ここへ来るようにいったときの先生……」

「ええ、おかしかったわ。今朝も少しだけそんな調子だったけど、その後はずっと普通だったから、気のせいだと思っていたわ」

 ナンナがいったとおり。ぼくたちに声をかけてきたときの美々子先生も、目つきがいつもと違った。

 ガシとニッシンが「どういうこと?」と問いかけてきたとき、小さな足音がぼくたちのそばで止まった。

 振り返ると、そこにいたのは美々子先生……だろうか?

 姿は美々子先生だけど、どこか違う。優しげな顔という意味じゃいつもと同じなのに、やっぱりいつもの美々子先生じゃない。放っている空気が別人。

 実は双子の姉妹と入れ替わっています! なんていわれたら納得するかも。でも今朝は「いつもどおり」と感じたり「いつもと違う」と感じたりしていたので、目にもとまらぬ速さで交代していたことになってしまう。そんなのムリだ。

 ぼくたちは、美々子先生? をじっと見た。ガシとニッシンも変化が一瞬じゃなくなると理解できたみたいで、ゴクリとつばを飲む。

「あの……誰、ですか?」

 最初に尋ねたのはニッシン。美々子先生? は柔らかくほほ笑んでいた。

『信じられない話だと思いますが、わたくしはあなた方が知っている阿島美々子ではありません。乗り移って話しかけているもので、人間からはウミノヒメと呼ばれています』

「お姫様……?」

 ぼくがつぶやくと、ナンナが首を小さく振った。

「乗り移っているとかいっているし、別の『ヒメ』かもしれないわ。日本神話だと、女の神様は何とかヒメって名前だったりする」

 ぼくとニッシンは目を見開いた。ウミノヒメがうなずく。

『わたくしは海の女神です』

「はぁ? 何いってんだよ」

 ガシはニヤニヤしながら肩をすくめた。ウミノヒメは怒ったりしない。

『そう簡単に信じていただけないことはわかっています』

 持っていたものを一つずつぼくたちに手渡す。布でできた青い小袋で、「守」の一文字が記されている。

「これ、お守り?」

『はい。それを持ったまま、あちらをごらんください』

 ウミノヒメがぼくたちに示したのは、正門の先。駐車場だ。ぼくたちは目を疑った。

 車でいっぱいだったはずだけど、手前側にスペースがあった。横並びの三台分、駐車場じゃなくなっている。

 池? 直径数メートルくらいか。さっきまであんなのなかったのに。ぼくだけじゃなくニッシンも不思議そうな目をしているから、見間違いじゃない。

 ナンナはわくわくしている顔。そしてガシはにやついたまま。

「あんなの、おれたちが見てないときに車をどけたりフタを外したりすればいいじゃん」

『……では、近くの誰かに話しかけてみてください』

「誰でもいいのか? お、去年まで同じクラスだった基山だ。おーい……いいっ?」

 ガシはぼくやニッシンと同じ顔になった。声をかけても返事はなく、肩を叩こうとしたら手がすり抜けてしまった。

「何だこれ?」

『今、わたくしがあなた方を誰からも気づかれないようにしています。今からお話しすることを多くの方に知られると、不必要な騒ぎが起きますので』

 珍しくガシがだまりこんで、ウミノヒメは語り始めた。

『ご存じのとおり、ここは元々海。わたくしが守護していました。しかし今は陸地で、わたくしは力を発揮することができません。そのため、守る神がいないのです』

 ぼくはすぐさま気づいたことがあった。

「そういえば、シーサイドシティって神社ないよね。お正月のお参りをするなら、みんな離れたところまで行く」

 こっちに来てからは、それが当たり前だった。でもよく思い出してみれば、引っ越す前は家族で近所の神社を回っていた。

「人工島の計画に学校や港を作る予定はあったけど、神社を作る予定はなかった……ってことだわ」

 ナンナが鼻で笑って、ウミノヒメは少しだけため息をついた。

『そのせいで、災いが野放しになっています。地下深くに埋まっている方の怨念が……』

 ぼくたちはみんなドキリとした。海風小の生徒なら、地下と聞いてすぐ思い当たるものがある。

「地下の死体!」

 ただの噂だったはず。ぼくたちがそう続ける前に、ウミノヒメはまたうなずいた。

『千年以上前……争いの中で息絶え、怒りと共に海へ沈んだ方がいました。十年ごとに怨念をあふれさせていて、今年もまた……』

 もう一度、池を示す。

 よく見ると、池では魚が何匹も飛びはねていた。大きさは晩ご飯に出るサンマくらい。真っ黒で、影そのものが動いているよう。

『地下の方はあの真下にいて、災いを魚の形にして送りこんでいるのです』

 あの真下。何十メートルも下だとしても、本当に死体がある。ぼくたちはみんな、首筋を冷たい手でなでられたようにゾッとした。

「……下にいるって気づかれないまま、埋め立てられちゃったのか。ずっと海の底にいた人だから、怨念も魚の姿ってこと?」

 ぼくたちはお守りのお陰で池も魚も見えるけど、他の人は違う。気づかないまま横を通り抜けていく。

 その途中で、魚が水をかける。水鉄砲のように口から吹き出す。

 水は黒ずんでいて、かけられた人にしみこんでいく。池や魚と同じく、黒い水のことにもぼくたち以外は気づかない。

『ああされた方は、行く先々で災いをばらまいてしまいます。その結果、自分自身にもまわりの方にも不幸が訪れるのです。あなた方は、あのお守りがあればいくらか災いから逃れられますが』

「正門を通るとひどい目にあうってことか。裏門派でよかった」

 ぼくがつぶやくなり、ニッシンが手を叩き合わせた。

「今朝事故った先輩、家が正門からずっとまっすぐ行ったところ! 正門から出入りして、水鉄砲を食らって……食中毒とかの子も、正門派じゃない?」

 ぼくは身をすくめた。みんな、何も知らずに正門を通り抜けていく。何も知らずに災いをしみこまされていく。

「ここを通ったらいけないって、みんなに教えてあげないと!」

「信じてもらえないわ」

 ナンナがきっぱりといいきった。

「ウミノヒメは『十年ごと』っていったわ。この学校は新しい方だけど十年前にはあったから、地下の災いとぶつかるのは二回目」

 何をいいたいのか、ぼくもわかってきた。

「でも、地下の噂が本当のことだって誰も知らないわ。ウミノヒメは、十年前もこうやって生徒の誰かに警告したんじゃない? でも信じてもらえず……」

「……災いがばらまかれっぱなしで、看板事件が起きたのか」

 ぼくは、噂で語られている事件のことを振り返った。

 十年前、家から帰る生徒たちの上に看板が落ちてきた。

 シーサイドシティのどこで起きたのかはわからない。わかるのは、工事現場のそばだったこと。

 シーサイドシティを作る計画はまだ終わっていないから、工事現場は今もある。ぼくたちは夏休みや冬休みが来るたびに「工事現場には近づかないこと」っていわれて、噂のことを話す。「事故で何人も死んだからだ」「自分は何十人も死んだって聞いた」とか。

 ウミノヒメは苦い顔でうなずいた。

『あのときは、無意味な騒ぎを起こしただけになってしまいました。十年たった今、残っているのは地下に死体があるというあいまいな噂だけ』

 ぼくは池を見ているうちに思いついた。

「地下の人を成仏させる……なんてのはダメ?」

 ウミノヒメの暗い顔は変わらない。

『わたくしは、ここが海だったころもずっとあの方を説得していました。しかし変わってもらえず……もう、憎しみが抜けきるのを待つしかありません』

 たしかに、千年たってもあきらめないような相手じゃ説得なんかムリかも。

『そこで、あなた方にお願いがあります』

 ウミノヒメは、ぼくたちに一人ずつ目を合わせていった。

『絵を書いていただきたいのです。たとえば、魚に強い生き物の絵……わたくしがそこから人工島の新しい神を生み出します。海の女神であるわたくしはここで力を使うことに制限がありますが、最初から陸の神として生まれたものなら違います』

 ぼくは、自分たちが呼ばれたきっかけに気づいた。

 今朝、ぼくとガシがマンガのことを話していた。美々子先生の中にいたウミノヒメがそれを聞いて、ぼくたちに絵を書かせようと考えたんだろう。

 ずっとだまって聞いていたニッシンが、ふうっと息を吐いた。

「新しい神様のお仕事第一回が池のことになるわけね。あたしたちは魚に強い動物の絵を書けばいいと」

「最初からそういえっての! 面白そうじゃんか!」

 ガシは、ようやく頭がついてきたという雰囲気で笑った。静かに聞くだけの状況を早く終わらせたがっていたのかもしれない。

「で、神様先生。何に書けばいいんだ? おれたちのノートでいいか?」

『カミ……? これにお願いします』

 ウミノヒメがどこからともなく取り出したものは冊子。何枚もの古びた紙をヒモでとじてある。

「さっそく使わせてくれよ、その神ノート!」

 ガシはノートの名前まで決めてしまった。その神ノートをすぐさま受け取って、ランドセルからエンピツを取り出した。

「まずは……」

「ガシ、よく考えなさいよ!」

「ニッシン、おれに任せとけ!」

 さらさらとエンピツを走らせ、できあがったのは白猫。あんまりうまくないけど、三角の耳とか首輪の鈴とか特徴をとらえているから猫だってわかる。アメリカの有名アニメに出てくる猫キャラっぽい。

「魚っていえば猫だろ!」

『では、さっそく……』

 ウミノヒメは神ノートに意識を集中させ、小さく気合いを入れた。

 神ノートから白いものが浮かび上がった。最初は手のひらに乗るくらいの玉で、ふくらみながら形を変えた。白い猫になって、ぼくたちのそばに着地。

「おお、本当に猫が出た! ほれ、魚食い放題だぞ!」

 ガシが池を指さすと、猫はすぐさま駆けていった。下校している生徒にぶつかりそうだったけど、すり抜けた。今のぼくたちと同じで見えない状態みたい。

 猫は魚がピチピチはねている水面を楽しそうにながめ、前足を伸ばした。水の中に入れたり出したり。魚をつかまえるつもりだ。

 何度かやると、水に入れた前足が離れなくなった。魚からぱっくりくわえられたせい。

 猫はあわてて池から離れようとした。でも、もう遅い。逆に池の中へ引きずりこまれてしまった。

 バシャバシャ!

 何匹もの魚が飛びはねて、水面があれる。

 しばらくして、必死の顔になった猫がはい上がってきた。あちこちの毛がはげちょろになっている。かみつくつもりだったのに、かまれてしまった。ぼくたちがいる方にダーッと駆けてきて、倉庫の陰に隠れた。

 ガシは首をかしげる。

「猫って魚が好きだろ? つかまえて食えよ」

 ナンナは小さく笑っていた。

「猫は魚が一番好きっていう話、日本だけの常識らしいわ。昔の日本人は魚以外の肉をほとんど食べなかったから猫にも魚ばっかりあげていて、好物なんだって考え始めたとか。猫はネズミをつかまえて食べるっていうけど、ネズミは魚じゃないでしょ」

 いわれてみると、たしかにそうだ。

「じゃあ、もっと強い猫だ!」

 ガシはページをめくって他の動物を書いていった。ライオン、トラ、ヒョウと。ウミノヒメがまた気合いをこめる。

 出てきた三匹はどれも大きい。本物サイズだ。しかも動物園と違ってオリ越しじゃない。それでもぼくやニッシンがたじろがずにすんだのは、さっきの猫と同じでアメリカアニメっぽい雰囲気だから。

 ガシは楽しそうにバカ笑いする。

「スーパーキャッツ、レディーゴーッ!」

 ライオンたちは池にダッシュ! 魚たちにツメを振り下ろす!

 ……そんなふうにいえばかっこよさそう。でも、前足を出したり引っこめたりするところはさっきの猫と変わらない。

 しかも全然つかまえられず、池にのめりこんで――ばしゃーん! 三匹とも落ちた。深さが結構あるみたいで、大きな体が見えなくなる。

 バシャバシャ!

 猫のときより激しい音が響いて、ライオンたちが岸に出てきた。体中あちこちむしられている。猫と同じようにかまれまくったみたいだ。

 その後の行動も同じ。こっちに逃げてきて、倉庫の陰に隠れる。大きいから情けなさが割り増し。

「全然ダメじゃないの!」

 ニッシンが怒り爆発。ウミノヒメは、足をふらつかせた。

『う……申しわけありませんが……今日は、そろそろ力が限界です』

 海の女神が陸の上で新しい神を生み出すのは大変なのかもしれない。声もかすれてきている。

『ずっと何日も続けることも、できないはずです。おそらく……今日を含めて、四日』

 もう一日終わったし、あと三日?

『明日……またこの時間に、お願いします。お守りは、他の方に渡したりせぬよう……あなた方以外が持とうと、力を発揮できません……』

 ガシに渡していた神ノートが消えて、声がどんどん小さくなって……ウミノヒメが体をびくんとふるえさせた。いや、そうしたのはウミノヒメじゃない。

「……あれ、東君たちどうしたんですか?」

 ぼくたちに話しかけてきたのは、もう美々子先生だった。他の人から見えない状態も終わったみたいで、通り過ぎていく生徒がぼくたちに視線を向ける。

 美々子先生が不思議そうにしながら離れていって、ガシはごまかすように瞳をさまよわせた。

「ま、まー……あと三日あるってさ」

「あと三日しかないの間違いよ! 貴重な一日が削れたじゃないの! また看板事件みたいなことが起きたらどうするのよ!」

 ウミノヒメはいなくなったけど池はまださっきのところにあって、不気味な魚が水を人に吹き付けている。看板事件のことをいわれると、余計に怖くなる。

「あの魚って……」

 ぼくがつぶやいてすぐ、ニッシンが大きな声でいった。

「もう! 明日はあたしがやるから!」


 3


 ぼくたちは、今日も裏門から帰った。

 せっかく正門の近くまで来たんでそっちから、とは思えない。ぼくたちは大丈夫といわれたけど、落ち着かない。

 帰り道の途中でみんなと別れてからも、ぼくは落ち着かないままだった。

 今も、あの池は正門のそばにあり続けている。

 明日も、中にいる魚が誰かに災いをしみこませる。

 災いをねじこまれた人がどうなるのかと思うと、黒くて重いものがまとわりついてくるように感じた。ニッシンがいったように、また看板事件みたいなことが起きたら?

(いや、あと三日あるんだ)

 そう考えようとしながら、玄関のドアを開けた。うちはマンションの七階。ここも学校と同じで、くたびれたところがまだ見あたらない。

 廊下を通ってぼくの部屋へ。その途中で、リビングからテレビの音が聞こえてきた。

 のぞいてみると、妹のアイがおやつのプリンを食べていた。小二だから、学校が終わるのはぼくより早い。

「お兄ちゃん、おかえり!」

「ただいま……」

「お母さん、買い物行ってる。お兄ちゃんのプリンは冷蔵庫にあるよ」

「うん、後で食べる……」

 ぼくは重い足でリビングを離れて、すぐさま引き返した。

「アイは学校行くときにぼくと裏門を通るけど、帰りは?」

「どうして?」

「えっと……とにかく、裏門と正門のどっち?」

「裏門だよ。その方が早く帰れるし」

 それならいいか。ぼくはこっそり安心した。アイが心配だからってお守りを貸したとしても、災いから守ってくれないし。

「でも、けーちゃんとかは正門から帰るんだよ。一緒に帰るときは、アイもそっち」

「正門に近づいたらダメだ!」

 ぼくはとっさに大きな声を出してしまった。アイはおどろいたみたいだったけど、ぼくの顔をまじまじとのぞきこんできた。

「どうして?」

 また「どうして」だ。海の女神様がどうとかと話すわけにはいかない。かといって「どうしてもだ」なんていっても聞いてもらえない。

「正門を使っている六年に、事故でケガをした人がいるんだ」

「そういえば、先生も事故にあった人がいるとかいってたよ」

「だろ? だから気を付けるんだ」

 次は「どうして? 先生は正門を使ったらダメとまでいってなかったよ?」と来そう。ぼくはその前にリビングから離れた。自分の部屋に入って、ランドセルを机に下ろす。

「お兄ちゃん!」

 振り返ると、アイが部屋に入ってくるところだった。正門の話の続きをするため――じゃないかも。アイがこうして来たときの用事はいつも同じ。

「昨日書いてた話、できた?」

 アイは、どういうわけかぼくのマンガを好いている。

 ぼくはガシたちのマンガの方が面白いと思うし、アイは遊びに来た三人からマンガを見せてもらったことが何回もあるけど、考えは変わらないらしい。さっき、プリンを食べるのが途中だったんじゃない? おやつよりぼくのマンガが先ってことか。

「学校で進めたけど、書き終わるまであとちょっとかかるよ」

「見せて!」

「まだ終わって……」

「見ーせーてー!」

「はいはい」

 ランドセルからノートを取り出して手渡すと、アイはうれしそうに読み始めた。

(ぼくとしては、納得の出来具合って感じじゃないんだけど。書いていたときは夢中でも、読み返してみるとイマイチって気がして)

 ぼくが不安になっている一方、アイはクスクス笑ったりしていた。今笑ったところは、書いているとき吹き出しそうになったところだ。

 しばらくすると、アイはノートをぼくに返した。

「次の話では、どんなモンスターが出るの?」

「今の話も書き終わっていないのに、次の話?」

「考えてるんじゃないの?」

「考えてはいるけどさ」

 ぼくは、嫌いな科目のときに思いついたネタを振り返った。

「二つある。まずはドッグドクター。自分を名医だと思っているけど、病気で元気がない人を見るとかみつく。びっくりして逃げていくところを見て、『ほら、元気になった』っていうんだ。悪いやつだから、主人公たちにやられる」

 ぼくも男子なので、戦う展開ってかなり好き。ただし、そういう話は女子に受けにくい。

「もう一つはパンパンダ。パン作りが好きで、他のパンパンダとパン作り勝負をするんだ」

 ぼくが話し終えたとき、アイは気むずかしそうな顔をしていた。

 ときどきこんなふうにする。ぼくよりずっと背が低いけど、今はクラスの女子より年上っぽく見える。

「パンパンダはたくさんいて、ドッグドクターは一匹しかいないの?」

「そうだけど」

「キャラはドッグドクターの方がいいかな。でも、話はパン作り勝負の方が面白そう。アイ、犬好きだしモンスターがいっぱい集まって勝負するのは楽しそう」

 ぼくとしては、話もドッグドクターの方がいいって答えてほしかった。アイはぼくが好きなバトルマンガも読むから、戦う話も気に入ってくれそう。

「ドッグドクターもたくさんいて、ドッグドクター同士で勝負したらダメ? 病人にやることも、かみつくんじゃなくて普通に治すの」

 そういわれたぼくは、頭に浮かんだことがあった。

「二つのネタを合わせて病人治療勝負とか面白そうだ。それに犬はおまわりさんの歌があって正義の味方っぽいし、いい側にした方が読んだ人からわかってもらいやすいかも」

 アイは、にっこりしながらぼくを見上げていた。

「書けたらまた見せてね!」

 そういって、部屋から出ていった。

 ぼくからすると読んで笑ってくれたことへのうれしさがあるし、ネタ作りに協力してくれることはありがたい。だから期待に応えたい気もしてくる。

 でも、これからしばらくいそがしくてマンガを書くどころじゃないかも。ぼくの頭はやっぱりウミノヒメや池のことに引き寄せられてしまった。

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