第8話 城のマジョ

 城は近くにあるように見えるが、なかなか辿り着かない。どれだけ石段を登っていても、城がさらに大きく見えることがない。無意識に数えていた段は八百を越えている。後ろを振り返ると、町全体が見える。黒いモヤに覆い尽くされていて、町自体がうようよと動いているように思えた。

「おかしい」

 三歩先を歩いていたカミカドが立ち止まる。

「こんなに時間がかかるはずがない」

 私も頷く。目の前にあるのに、全然近づいてこない。カミカドは首を回して左右を睨む。私も倣うようにして立ち止まると、辺りを見回す。石段の広さはあまりない。最初は左右にも切り立った崖があったが、今ではそれもなく、段の先は芝生のように整備の行き届いた庭になっている。ところどころに大きな岩が立っていて、暗くてはっきりと分からないが、彫像のようだ。

「同じ所を歩いているみたい」

「多分その通りだ。先から左右の彫刻をずっと見ているが、配置が同じだ」

「何で?」

「会いたくないのかもしれない」

「そうだよ」

 突然第三者の声が会話を遮った。しわがれた声、まぎれもなく町の広場で聞いたおばあさんのものだ。

「会いたいわけがなかろう」

「何で?」

「言っただろう。何なのか分かってからにしろと」

 振り返ると、案の定そこにおばあさんが立っている。

「まだ早い」

 カミカドが私と彼女の間に入るように、段を五段降りた。

「僕はカミカドという」

「それで?」

「彼女の力になりたいんだ」

「カミカドのくせに、大したことのない奴だな」

「彼女は初めからどこかが違っていた」

 おばあさんは首を傾ける。

「現れた場所も、現れ方も」

「絶好の生贄だと思ったがね」

「僕もそう思った。でも、彼女は生贄にならなかった」

「だから困るんだよ、城に来てもらっては」

「城に真実があるなら見せてあげた」

「あんたが思っている真実など存在しない」

「私は何も思ってないわ」

「嘘はいけない」

 腰を曲げていたおばあさんが、ゆっくりと背筋を伸ばすと、カミカドの肩に手をかけた。私は驚いてしまい、全く体が動かなかった。

「あんたの若さを頂くよ」

 その言葉通り、みるみるおばあさんが若返っていく。まるでカミカドから精気を吸い取っているで、カミカドも抵抗する様子を見せなかったので、私はただ見守ることしかできなかった。カミカドは置かれた手を気にする様子もなく、まっすぐおばあさんを見ている。しかし、すでにおばあさんではない。中年を通り過ぎ、今は若い女性の姿だ。

「もう充分だろう」

「城に真実はないよ。真実は決して一つではない」

 女性はカミカドの肩から手を離すとそのまま腕を組む。

「それでも城に来たいというのなら、来るがいい」

 そのまま言い終わる前に女性の姿は掻き消えた。目の前にいなくなったのに、まだ声だけ聞こえる。

「もちろん、来る気があるのならね」

「カミカド……」

「大丈夫だ。大丈夫。すまなかった」

「何?」

「いや、何でもない。まだ城に行きたいか?」

 私は考える。まだ、と言われても困る。でも、私はあの少年が誰なのか、そしてあの黒いもやが何なのか知りたい。知りたいと思って、城に向かっていた。けれど、それはただ漠然とあのおばあさんに聞けば、城に行けばいいのだろうと思っていた。

「分からない」

 私は俯いたまま答える。

「行こう」

 カミカドの手が差し出される。俯いた私の視線にもその手がはっきり見える。私はその手の甲を叩かずに、代わりにその手を握りしめて、こくりと頷く。

「手を差し出されたら、それを握り返すの、私たちは」

 カミカドはぎゅっと唇を結ぶようにして笑うと、私を引き寄せた。それから隣り合うようにして二人で歩き始める。

 今度は確実に城が近づいている。ただ月の光りに照らされているだけなのに、はっきりと輪郭が分かる。まるで白い光を城自体が発しているかのようだ。

「止まって、あやか」

 カミカドが立ち止まった。どうしたのかと思い私も立ち止まってカミカドを見ると、目が真剣だ。辺りを警戒するように見ている。

「どうしたの?」

「何かいる」

 カミカドの声に反応するように、男が二人現れた。いや、男ではないかもしれない。ただ私は直感的に男性に感じられた。姿は蛇だ。それが器用に和服を身にまとっている。もちろん袖から腕は見えていない。

 私はカミカドの後ろに隠れるように動いた。

「城へ行きたいのだが」

「意地悪な僕たちは、ただではここを通さない」

「通りたければ、答えることだ」

「ただし答える機会は一度しかない」

「やるかい?」

 カミカドを見る。カミカドはこちらを振り返ることなく頷いた。

「何を答えればいい?」

「鶏と卵、どちらが先か?」

「クイズか」

「どちらが先か。確率は二分の一だ」

 二匹の蛇の肩がカタカタと揺れている。笑っているのだろうか。

「あやかはどっちだと思う?」

 カミカドが振り向いて私を見た。私は眉間にしわを寄せる。意地悪な問題だ。きっとどちらを答えても不正解にされてしまうのだろう。

 ふと、カミカドの視線が宙を舞った。私の後ろを見たようだ。何だろうと思い振り向くと、そこには黒い影がいた。

「やっ」

 私は驚いて、一歩退いた。けれど、カミカドはそのまま影を見ている。白い仮面に四つの穴が開いている。それがゆっくりとこちらに歩いてくる。

 懐かしい。

 変な感覚が私の中に起った。

「カミカド」

「ああ」

 カミカドも頷く。あの時の子だ。直感的にそう思った。それがカミカドにも伝わった。仮面がゆっくりと動き、カミカドの耳元に移動する。そこで何かを囁く。

 カミカドの口元が笑ったように見えた。私はまた驚いてカミカドを見ると、彼はすぐに正面を向いた。

「卵が先だ」

「くっくっく」

「残念」

「鶏がいなきゃあ卵は生まれない」

「残念、残念」

「さあ、通してもらおう」

 カミカドが私の手を引いて歩き出す。後ろからは影が付いて来ている。

「おいおい、何を言ってやがる」

「誰も鶏の卵なんて言ってないじゃないか。カエルの卵は鶏より先にあったはずだ」

「ぐっ」

 カミカドはそのまま二人の男の間を通り過ぎた。正解だったのか。振り返ると、カミカドは笑いながら言う。

「ちなみに、先に言ったのは鶏だけどね」

「くっくっく」

 その瞬間、二人の蛇は消えた。代わりにカランという音がすると、彼らがいた場所に何かが落ちた。私は駆け寄るとそれを拾う。龍の形をしたキーホルダーに鍵が付いている。

「鍵みたい」

 それを拾って、私はカミカドに伝えた。カミカドのところに戻ると、彼は一度だけ頷き、それから再び歩き始める。私はその後姿を追う。私のすぐ反対側に例の黒い影がくっつくように歩いている。時々会話をするように、仮面がカミカドの耳に近づいているのだが、私には何を言っているのか分からない。

 気がつけば、城はもう目の前に迫っている。

 私は息を飲む。

 荘厳な扉。誰か男の人の彫刻が刻まれており、その男と対峙するように龍が舞っている。何かのモチーフなのだろうが、私には分からない。

「開けるよ」

 カミカドがその扉に手を掛ける。私が頷くと、ギィという音と共に扉が手前側に開いた。だが、それはカミカドによってではない。驚いたカミカドが一歩退いた。監視されているようだ。

 中はすぐホールになっている。真っ赤な絨毯が敷かれ、シャンデリアが輝いている。三階くらいの高さまでが吹き抜けになっていて、二回へと続く階段が、目の前に軽く弧を描くように存在している。シンデレラが舞踏会場で踊っているような、そんな妙な錯覚がした。

 けれど、人影はない。

 私たちはゆっくりと城の中に足を踏み入れた。と、背後で扉が音を立てて閉まる。

「あ!」

「やられた」

「閉まっちゃった」

「開かないな」

 カミカドが扉を確かめる。扉は押しても引いても開かないようだ。カミカドは肩を竦めて私を見た。

「しょうがない。彼女を探そう」

カミカドが言った瞬間、突然私は身体が持ち上げられる錯覚を覚えた。カミカドの手が私を掴む。カミカドの残った手から天井に向かって何かが投げられた。

 私は床がなくなったことに気がついた。カミカドに支えられることで、私は落ちるのを免れた。けれど、一緒にいた影を支えるほどカミカドに余裕はなかった。

「落ちちゃったよ」

「大丈夫。あれは落ちたからってどうってことない」

「本当?」

「ああ」

 ゆっくりと身体が上方へ移動する。しばらくして、カミカドが体をゆすり始め、私たちはその反動を利用して階段に降りた。

「いきなりずいぶんなご挨拶だな」

「失礼ね」

 私の声じゃない、女の声が響いた。辺りを見渡すが姿は見えない。

「あんたなら避けられると思ったからよ」

「一緒だと困るのか?」

「階段を登ると正面に扉があるわ」

 私とカミカドは顔を見合わせる。

「そこへいらして」

 カミカドと一緒に階段を進む。円軌道を描いている階段の先に、扉が見えている。

「鍵は開けてあるわ」

 もう一度、今度は私はしっかりとカミカドと顔を見合わせる。それから私はゆっくりと頷く。それを確認すると、カミカドは扉を開ける。ほとんど抵抗なく扉は開いた。

 大きなホールだ。左右が遠くに霞んでいるほどに。とても建物の中とは思えない。扉からまっすぐ赤い絨毯が伸びている。その左右には燭台があり、私たちの視線を正面へと向かわせる。ずっと先に、かすかに隆起している部分が見える。それ以外は何も見当たらない。

「行こう」

 カミカドが言い、私たちは歩き始めた。合わせるように、さて、と再び声が響く。

「カミカドはもうあれが何なのか理解ができたはずだ」

「いや」

「あれらすべてではない。単一のあれだ」

「ああ」

「だが、理解しても意味が無い」

「そうかも、知れない」

「言っただろう、城に真実などない」

「そうだろう、城に、真実はない」

「真実は常に、絶対的な場所に存在する」

「内」

「その通り」

「その真実に、まず本人が気づかなければならない」

「何の話?」

 私はカミカドの服を掴んだ。

「では、あやか、君への質問だ」

 顔を上げて辺りを見渡すが、やはり何も見えない。

「少年の言葉を覚えているか?」

「僕を探して、必ず、見つけて」

「それから?」

「やっぱり、見つけてくれなかったんだね」

「そう。その通り」

 前方に隆起していた部分がはっきりと見えてくる。椅子のようだ。そこに先ほどの女性が足を組んで座っている。

「つまり、だ。お前はあれがなんであるか、をどれだけ知ろうとしてもそれは決して叶わないこと。お前がしなければならないのは絶対的に簡単、それはこと」

「探す?」

「ここは内だ。すべてにおいて完全に内の世界」

 女性が手の平をまっすぐ私に向けた。

 その瞬間、世界がどんどん小さくなっていく。カミカドが遠ざかる。女性も、椅子も、赤い絨毯も。驚いて振り返ったカミカドの姿も、すでに小さい。

 バンッという音とともに、背後で扉が開く。全く身体が動かない。

 勢いがなくなったとき、私は玄関ホールの中空にいた。

「カミカド!」

 落ちる。

 そう気がついた時、正面の扉からカミカドが飛び出してきた。

「あやか!」

 でも、もう遅い。落ちている。

「いやぁぁぁぁぁ」

 叫びながら、自分の意識が薄れていくのが分かる。ずっと上方から、同じようにカミカドの大きな声が聞こえる。

「アジラさん、お願いします」

 私の意識はすぐに消えた。

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