第7話 重なるセカイ

 ざざざっと音がする。

 夕立の音だ。

 頭をふり、瞬きを数回すると、私は自分が段の縁に座っていることが分かった。城へと続く石段の途中だ。目の前の段が数メートルにわたって消えている。その、私は城側に座っている。日は沈み、黒いそれは町を完全に覆い尽くしている。それなのに、不思議なことに私がいるこちら側に、黒いそれはいない。その上、雨も音こそするものの、こちら側には降っていない。

「レイチ、カワタ?」

 私はぼーっとする頭にムチを打つように、二人の姿を探した。けれど二人の姿は見当たらない。あのまま底まで落ちてしまったのだろうか。

 前を見ると、消えている段の向こう側に幾つもの塊がうごめいている。塊はいくつもあり、分かれているようにみえるが、境界はあいまいではっきりと分からない。くっついたり、離れたり。白色の仮面が、中空に浮かび上下左右にいくつも動いている。無表情だったが、不思議と寂しそうに見えた。

「ひっく」

 気がつけば泣いていた。手を目に当てて、涙を払おうとする。けれど、そうすればするほど涙は溢れてくる。

 涙のせいで、一層仮面がゆらゆらと揺れる。

「あやか!」

 私は顔を上げた。カミカドの声だ。

「あやか、泣かないでおくれ」

「カミカド?」

 私はもう一度涙を拭う。辺りを見渡すが、カミカドの姿は見えない。それでも、カミカドの温もりを感じる。

「カミカド、どこにいるの?」

「すぐそばにいるよ」

「いないよ?」

「隣に座っている」

「嘘?」

 両隣を見ても、やはりカミカドの姿はない。

「本当。でも、僕とあやかとでは違うんだ」

「カミカドは私が見えるの?」

「見えない。でも分かるんだ。僕の声が聞こえるだろ?」

「聞こえる」

「無事でよかった」

「レイチとカワタは?」

「あいつらなら大丈夫だ。ちゃんと戻ったよ。ぎりぎりまで落ちていったみたいだけど、そこはきちんとわきまえているから」

「よかった」

「でもあやかが無事かどうか、分かっていないだろうけどね」

「レイチが言ってたのってこのこと?」

「この?」

「カミカドは特別だって。同じ世界へ後から来ることができるって」

「レイチが言ったのか?」

 私は頷いた。

「本当、軽いところいには軽い口だ。違うよ」

「違うの?」

「僕は違う世界にいても、あやかがどこにいるのか分かる。それも特別なのかもしれない」

「今、私の世界に来られる?」

「行けないよ」

 私はしゃべっていて気恥ずかしくなる。今までこんな風に話したことなんてなかった。でも、止まらなかった。姿が見えないからかもしれない。

「来て欲しい」

「レイチから聞いたろ?」

「キスして」

 返事はなかった。こんなときに、私は何を言っているのだろう。ゆらゆらと動く仮面から私はじっと見つめられている気がする。反応もなく、気恥ずかしくて、私は頬が熱くなるのを感じる。

「経って、後ろを向いて」

 しばらくしてからカミカドの声が聞こえた。私は言われるままに立ち上がり、後ろを向いた。目をぎゅっと閉じて、体をこわばらせて。

「手を前に出して、甲を上にして」

 私はどきどきしながら、ゆっくりと手を前に差し出す。

「目を開けていて」

 カミカドの声も震えているように感じる。私は目を開けて、自分の甲を見つめる。一瞬、そこに人間の輪郭が見えた。瞬きを数回重ねると、それは頭の方から徐々に鮮明になっていく。カミカドだ。私の手の甲にキスをしている。お姫様の手を取りキスをする若い騎士の物語を思い出した。周りの雰囲気も西欧風で、ふさわしくて、でもカミカドの格好だけが不釣合いだ。

 カミカドは顔を上げると私を見た。一層頬が熱くなるのを感じる。それから彼は口角をあげるようにして笑顔を見せる。

「ここがあやかの世界か」

「よう、こそ」

 なんと答えたらいいのか、私は言葉に詰まる。

「お昼に来ると、きれいなんだけどね」

「そうだな、そう思う」

 カミカドはもう一度私を後ろに向かせると、隣に座った。私もそれに倣うように縁に腰を掛ける。

「私ね、また彼にあったの」

「いつ?」

「ついさっき」

 正面を向くと、黒い塊が蠢き、白い仮面がゆらゆらと揺れている。

「あれって、何なの?」

「分からない。あれが何なのか、結局のところ僕にも分かっていない」

「私、知りたいの。あれがなんなのか」

「そうだね」

「カミカドは手伝ってくれる?」

「もちろんさ」

「私、行かなくちゃ」

 私は立ち上がった。突然の私の行動に驚いたのか、カミカドも立ち上がる。

「どうしたんだ?」

「早く行って、確かめなくちゃいけないの」

「どこへ、何を?」

「分かんないけど、多分、あのお城。おばあさんと話をしたいの」

「そんなに焦ってはいけない」

「だけどっ」

 今にも走りだそうとしている私の腕をカミカドは握る。

「だけど、彼、私の身代わりになったの。見つけてくれなかったんだねって言って。私が仮面を付けられそうになったとき、彼が来てくれて。彼が、あれに変わっていくところ、ずっと見てたんだよ? あれって何なの?」

「分かった。分かったから、一緒に行こう」

 私は今さっき起きたことを改めてカミカドに説明する。中でも、あの男の子が私の代わりに仮面を付けたというところに、カミカドもひどく驚いた表情をした。

「どういうことだろう?」

 カミカドがひとりごとをこぼした。額に手を当てて、眉も曲がっている。

「行こう」

 私はカミカドの腕を取った。そして、一緒に石段を登り始めた。

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