第6話 少年のカメン
私はレイチとカワタに促されて、橋を渡り始めた。木で出来ていたように思えた橋は、やはり石で出来ている。赤く塗られていることを除けば、それが当然のように感じる。多分、橋を渡る途中でそうなるのだろう。目の前に広がる町には、レンガ造りの暖かさが広がっている。
「んー、これが乙女横丁か」
勝手にネーミングをしてレイチがきょろきょろと町を見渡した。それから私の手の枷を取り外す。
「思ったより乙女じゃないな」
「そう?」
「わぁ、好きだよ、この感じ」
「古いな。あやかは外国、行ったことあるか?」
「何で? ないよ?」
「やっぱりな。まぁそうだろうと思ったよ。あ、ども、おはようおはよう」
不審そうに見ている人たちに、レイチは陽気に声をかけている。
「何でよ?」
「見れば分かるさ」
首をひねりながら私は、二人を先導するように歩き、まっすぐ空き地を目指す。
「言葉も、通じる」
「ほら、ここが空き地だよ」
私たちがそこに着くと、昨日最初に出会った老婆がいた。
「おや、また来たのかい?」
曲がった腰に手を回し、上目遣いで私たちを見ている。その老婆に対し、レイチとカワタは手を差し出して挨拶をした。
「なるほどなるほど。何か理由があると見た、どうだい?」
「あるっちゃあるね。探し人」
「誰だい? 私しゃ、何でも知ってるよ。この町のことならね」
「それは心強い。彼女の呼び子はどこだ?」
「いないね」
「おいおい」
「この町にはいない。明らかなことだ」
「呼び子じゃないかもしれない」
「じゃあ何なんだい?」
「だから俺たちも困ってるんだ」
「それが分かったらもう一度ここへおいで。何でも教えてやるさ」
「お姉ちゃん!」
突然後ろから声をかけられて振り返ると、金髪の少年が立っている。昨日城の入口で別れた子だ。
「よかったー、無事だったんだ」
私は嬉しくなり、うんと頷いた。
「いつまで経っても帰ってこないから、どうしようって思ったよ。暗くなってきちゃったし」
「ごめんね」
少年は笑いながら首を振る。
「他の子たちは?」
「鬼がいなくなったから帰るって。時間が時間だったし」
「そっかぁ」
「おう、ぼうず」
「なんだよ、おっさん!」
「おっさん!!」
レイチの呼びかけに間髪入れず少年が返す。
「わぁ、レイチ、もう、歳」
「うっせぇ」
笑いながらレイチの肩を叩くカワタに、少年が笑い出す。私も釣られるように声を出して笑った。
「分かった分かった。オッサンでいいよ。で、坊主、おめぇ、名前は?」
「オニキス」
「俺はレイチ。んで、こいつがカワタ」
「遊ぼうよ。もうすぐみんな集まるからさ」
「望むところよ」
「わぁも、楽しみ」
私はレイチの袖を引っ張る。私たちは遊んでいる場合じゃないのではないかと思ったからだ。結局昨日は遊んでいただけで終わってしまったし、カミカドも時間がないと言っていた。けれどレイチは、私の思いに気づかないのか、引っ張った袖をすいと解いてしまう。
「俺はぼうず相手っつったって容赦しねーぜ」
「おっさん相手に勝ってもなぁ」
頭の後ろに手を回してオニキスが笑う。レイチがこのやろうと飛びかかるが、オニキスはひょいと避ける。見ていて、どちらが大人なんだか分からなくなるような光景だ。
「あー、あやかちゃんだぁ!」
広場には次第に子どもたちが集まってきている。私は集まってくる子だちにその都度ごめんね、と謝っていたのだけれど、誰も怒っていないようで安心した。
「おし、おめーら、集合」
レイチが集まった子どもたちに聞こえるように声を出す。
「さて、何で勝負してやろうか?」
「またんき!」
「んだよ、それ?」
「知らないの? じゃあ、色鬼」
「色鬼か。でも、この広場じゃなぁ」
「じゃあ高鬼!」
「ノーマルで充分だ」
「いいよ」
「俺が鬼。範囲はこの広場のみ。捕まった奴も鬼になる。以上」
「決まり」
「ねえ、あやかちゃん」
遊びが決まるのを見守っていると、女の子が話しかけてくる。そちらを振り向くと、三人の可愛らしい女の子が私を見上げている。
「何?」
「私たちは、こっちで遊ぼ」
「いいよ」
私は手を引かれて、広場の隅へと連れて行かれた。
「男の子たちは元気だからね。疲れを知らないんだから」
「うんうん」
「何するの?」
「お歌」
「何の歌?」
「歌に合わせて、踊るの。お互いに手を打って。見てて」
二人の女の子が互いに向かい合って座る。二回膝を打って、手拍子を二回。正面のこと右手同士を合わせて、相手の膝を軽く打つ。それを繰り返す。
「遠いお山の中中から
そっとのそっと立ち上がり」
右手、左手と向かいの子と手を打ち、また手拍子、膝を二回打つ。どこか懐かしい動きだ。
「ゆったゆったとのっそりと
くぐりを抜けて広がって
速しはやし抜け抜けて
さ川さかわをすと渡り
やっとさおら町やってきた
たいよ西からいなくなり
お月さ空にぼんやりと
よい子はおうちへ帰りましょ
帰りましょうよ帰りましょ」
ぱんぱんぱぱん、ぽんぽん。と手の響く音が心地いい。
「さまばさまばとゆったりと
町さにそれば広がって
お外の童ばひっつかみ
それささらに広がって
町さすべて覆い尽く
良い子はおうちへ帰りましょ
帰りましょうよ帰りましょ
喰われるぞったら喰われるぞ
そとのそっと立ち上がり
夜さお家で静かにしましょ
童ば喰われておっちぬぞ」
最後は両手を同時に互いに打つ。わらべ歌に合わせて手を打つ遊びなのだろうが、歌詞だけ聞いていると怖い歌だ。少し寒気を覚えるほどだ。
「分かった?」
余った子が私に聞いた。私は頷くと、同じように座った。彼女と向かい合わせだ。何度か相手と手を打つタイミングを間違えながら、私はその遊戯を楽しんだ。
数回その遊戯を繰り返したところで、私の相手をしていた女の子が立ち上がった。ふわっと広がるスカートが可愛らしい。
「そろそろ私帰る」
「もう?」
女の子が頷く。
「それじゃあ私も」
その女の子の一声から、子どもたちは一様に動き出した。広場で鬼ごっこをしていたレイチの周りの男の子たちも同じように帰ると言い出す。
ものの一分と経たない内に、広場から子どもたちの姿がなくなった。
「やられたな」
「私たちも帰らなくちゃ」
「んにゃ、どうやらそれは無理っぽい」
「わぁ、油断してた」
私が理解できずに眉を捻っていると、レイチが顎をくいと動かした。私がそちらに視線を向けると、かなり離れた場所に丘の中腹が見えていて、そこが黒く濁っている。
「嘘」
と私が言うが早いか、太陽の光がすっと薄くなる。
「だって、まだ来てからそんなに時間経ってないよ」
「だからやられたっつってんだ」
レイチの顔色をうかがう。
「何か分からないかと思って子どもたちと遊んでいたんだが、その中に魔法使いがいたみたいだ」
「魔法使い?」
「ああ、つまりそういうようなもんだ」
「わぁ、時間、早い」
「そう。よーするに、かもにされたってことだな」
「どういうこと?」
「婆さん!」
突然声を大きくしてレイチが叫んだ。辺りを見渡すと、それに呼応するように広場の一角から腰を曲げた老婆が姿を現した。
「呼んだかい?」
「助かった」
「何か分かったってことかい?」
「ちょいっと手間取っちまった。どこか休まる場所が欲しい」
「自分の家へ帰りな」
「それが出来ねーから頼んでんだ」
「できない相談だね。ここに余裕はない」
「あいつらはもう下ってきてるじゃねーか」
「そうだねぇ。あと十分くらいかね。ここが闇どもに覆われるのも」
「どうすればいい?」
「自分の家へ帰りな」
「出来ねーつってんだよ」
「じゃあ喰われるだけさ」
私はそのやり取りをどきどきしながら見ていたのだが、次の瞬間老婆の姿が消えていた。あとに残ったのは、不気味な笑い声だけだ。
「くそばばぁが」
「わぁ、まずい」
「どういうこと、どうなってるの?」
レイチは爪を噛み、唇を鳴らす。
「やられた。どうやら魔法使いは婆さんだったみてぇだ」
ざざざっと音がする。
突然の夕立が空から落ちてきた。いつの間に広がったのか、空は厚い雨雲に覆われている。そのせいで一層暗く、そして不気味な影がのっそりと迫ってきている。
「走るぞ」
レイチは叫ぶと同時に私の手を取り走りだした。入り口から反対の、城に向かう道だ。
「カミカド!」
私は心の中で叫んだ。
「カミカド、助けて!」
黒い影が私たちの背後で蠢く。
「あやか、遅い!」
「だってぇ」
「いいから急げ!」
レイチのイライラした声が響く。とにかく私は走った。レイチの毛むくじゃらの手を握りしめて、全力で。
眼前に城への門が迫ってくる。それを一気に通り抜ける。
振り返ると、それはすぐ背後にまで迫ってきている。黒くて、ぼうっと透けている。真っ白な仮面に、四つの穴。四方、八方に散らばりながら、町を覆い尽くしている。
「前向いて走れよ、ばか」
「わぁ、疲れた」
「知るか!」
石段を数段飛ばしで走って行くと、突然足場がなくなった。昨日と同じだ。
「どっ」
私とレイチ、カワタは同じような格好で落ちていった。恐る恐る目を開けてみると、昨日見えていた空や尖塔は見えない。代わりにあるのは、黒い塊だ。それらも私たちと同じように落ちている。
「やばくないか、これは」
「わぁ、どこまで、落ちる?」
落ちているだけなら、追いつかれることはないだろうと思っていたが、どうやら思い違いだったようだ。黒い塊は明らかに私たちよりも早く落ちてくる。白い仮面がまっすぐにこちらを見ている。無表情で、何を考えているのか分からない、恐ろしい仮面。
重量で胃が持ち上がり気持ち悪い。バンジージャンプとかスカイダイビングとか、あんなののどこが面白いのだろう。私はジェットコースターでさえ、怖くて大っ嫌いだというのに。なぜか今こんなことを考えている自分が滑稽に思えた。
まっすぐに私を見ていた仮面の一つが、もう目と鼻の先にある。私は泣き出しそうで、目を閉じだ。
ざざざと雨の音がする。
レイチの手が振り解かれる。
目を閉じているのに、黒い塊に飲まれてしまった、そんな一層の暗さを感じた。
「カミカド!」
私は声に出して叫んだ。
「イッショニアソボ?」
耳の奥で、小さな男の子の声が聞こえた。私は目を開けてみたが、何も見えない。それに、落ちているという感覚も失われている。
「誰?」
声に出したつもりだったが、何も聞こえない。
「トモダチニナロウ?」
「ワタシトアソボ?」
「コワイヨー」
「ママァ」
「パパァ」
「ドコニイッチャッタノ?」
「ワタシハココニイルヨ?」
「ボクオオイテイカナイデ?」
小さな、女の子の声、男の子の声。いくつもの声が脳に響く。
「誰なの?」
真っ暗な中で、真っ白な仮面が目の前に浮かんでいる。それが、少しずつ私の顔へと近づいてくる。まるで、それを私に被せようとしているかのように、私は抵抗できなかった。それが自然なように思えた。
「まだ連れて行かないで」
聞き覚えのある声がすぐ隣で聞こえる。私は驚き我に返ると、左右に首を振る。雨に濡れたあのときの少年が立っている。
「やっぱり、見つけてくれなかったんだね」
その少年は寂しそうに言った。私は何かを叫ぼうとしたけれど、言葉にならなかった。それどころか、今は首さえも動かすことが出来ない。
「ありがとう、とにかく」
少年は一度口をすぼめると、私の目の前にあった仮面を取った。
「ありがとう」
仮面が少年の顔に合わさった。次の瞬間、少年の輪郭はぼやけ、黒く濁っていく。そして少年は、それへと変わった。
それは方向を転換し、私から一歩一歩遠ざかっていく。後ろからでも見える仮面がゆらゆらと揺れている。
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