第4話 子どもタチ

 木で出来ていると思っていた橋は、どうやら間違いだったようだ。川幅も広く大きな橋なのは確かだが、その橋は石で出来ていた。外へと向けられている壁面だけに赤い塗料が塗られている。どうしてなのか、どうして赤い木でできているように見せているのか、私には理由が分からなかった。

 目の前の町は、暖かなレンガ調の造りだ。あまり人数は多くないが、窓から洗濯物を干している人や、石畳を走り回っている子どもたちがいる。私は自分が着ている服が、淡いブルーを思わせる白いワンピースでよかったと思った。カミカドが、あの格好でこの町を走り回っている姿を想像すると面白かった。

 町はとても大きかったので、私はまず迷わないように、橋から続く道をただまっすぐ歩いて進んでみた。

 バタンっと音がする。

 音がした方を振り向いてみるが、最初は何の音か分からなかった。同じような音が次々と伝染し、広がっていく。窓の戸が閉められる音だ。戸口からは、子どもを呼ぶ母の姿もあったが、それも次第になくなった。まるで町から人が消えていくように。

 不安になりながら私がそのまま歩いていくと、小さな空き地に出た。誰もいない、寂しい空き地だ。土があらわになっていて、風が吹くのにあわせて、砂埃が小さく舞う。懐中時計を見てみるが、針はまだほとんど動いていない。

「ここへ、何しに来た?」

 しわがれた声が聞こえた。私は驚いて声を主を探し振り返る。腰の曲がり始めた老婆がそこに立っている。髪には白髪が多く混じり、顔には疲労のシワが口周りに集まっている。着ている服は東欧の民族衣装のようで、大き目なスカートが優しい。

「何しに来た!」

 老婆が一歩一歩近づいてくる。私の心臓は、おもちゃのチンパンジーのように、ばくばく早く鳴る。

「あの、私」

「邪教の輩か!?」

 老婆の目が見開かれ、私を睨んでいる。すぐ近くまで来るまで来ると、老婆は私の胸くらいの背丈くらいしかない。それなのに、大きく見える。

「ここは間に合っとる。帰ってくれ」

 しっしっという手の仕草を老婆が見せた時、私はカミカドの言葉を思い出した。私は恐る恐る握手をするように手を差し出し、手の甲を相手に向ける。

 ほう、一瞬笑ったかと思うと、老婆はおもいっきり甲を打った。

「みんな、大丈夫だよ、出ておいで!」

 私がひりひりした手を抑えていると、どこに隠れていたのか子どもたちが次々と姿を表す。さらに再び窓を開ける音も聞こえてくる。

「名は?」

「神坂綾香です」

「カ……?」

「あやか、です」

 くっくっくっと老婆は押し殺すような声で笑い出した。

「どこから来たの?」

 後ろからワンピースのスカートを引っ張られる。驚いて振り向くと、小さな子どもだ。七、八歳くらいだろう。髪の毛はボサボサだけど、金色をしている。日本語を話しているのが不思議なくらいだ。

「名前は?」

「遊ぼうよ」

「こっちこっち」

 私は次々に質問をされ、それに答える間もなく手を引かれる。老婆を見ようと振り返ってみたが、元いた場所に老婆の姿はなかった。

「座って」

「目をつぶって」

 私は言われた通りに、広場の中心で腰を下ろして目を閉じた。

「かーごーめー、かーごーめー、かーごのなーかのとーりぃはぁ、いーつーいーつーでーやぁるー」

 私を囲むようにして子どもたちが回り始める。

「よーあーけーのーばーんーにー。つーると、かーめが、すーべったぁ。うしろのしょーめん、だーぁれ?」

「誰だ!」

「誰だ!」

 歌が終わって、後ろの正面は誰だと聞かれても、私に分かるはずがない。私は正面を向いたまま、目を開けてみた。青い目と、金色の髪の子どもたちが見えている。みんな私を見て、嬉しそうに笑っている。

「分かんないよ」

「だーれだ?」

 私はくるりと後ろを振り返った。そこにいるのは同じように金髪の男の子で、もちろん名前なんて知らない。

「名前は?」

「僕じゃないよ、後ろは」

 その少年は笑ったまま答える。

「ほら、後ろの正面だよ! 誰だ?」

 背筋がすっと冷たくなり、私は立ち上がった。

「何言ってるの?」

「何だ、答えらんねぇのか」

「ま、しょうがないんじゃない、他の遊びにしよっか」

「そーだな」

「それじゃあ、鬼ごっこで」

「さんせー」

 私が震えて固まっていると、子どもたちが勝手に話を進めてしまう。どうやら、鬼は私のようだ。それじゃぁ始めるよー、と一人が言うと、一斉に子どもたちが走り、散らばっていく。

「隙ありっ」

 真後ろで声がしたかと思うと、思いっきり私はスカートをまくられた。ひゃっと声を上げて、とっさにワンピースを抑える。

「わぁ、お姉ちゃん、パンツはいてないの? セクシー」

「こらっ」

 振り返ると、すでにやや離れた位置を少年が走っていて、すぐに視界からいなくなった。誰もいなくなると広場は寂しいもので、音といえば風が創りだす乾いた音くらいだ。レンガ造りの背景と、東欧を思わせる子どもたちの容姿。にも関わらず、子どもたちがする遊びはどれも日本的なものだ。

 広場からは、来た道以外にもいくつか道が伸びている。私はその内の一本を選び、先へ進み始めた。鬼として、子どもたちを探すという役目もあるけれど、どちらかというとその場所を楽しむように、見て回る。選んだのは広い道で、左右には店が立ち並んでいる。酒屋だったり、服屋だったり、店に書かれている文字は読めないけれど、扱っている商品の雰囲気は伝わってくる。

「見つけたー」

 私は子どもが一人、通りの角で樽の影に隠れたのを見つけた。すぐにそこへ駆け寄ると、最初に私に話しかけてくれた男の子だった。

「ちぇっ。もしかして、僕が一番?」

「その通り。ねぇ、この先には何があるの?」

「お城だよ」

「城?」

「そうそう、キャッスル。偉い人が住んでるんだって、ママが言ってた」

「王様とか?」

「よく分かんないけど」

 私は通りの先を見た。確かに先の方には門が見えていて、その開かれた門の先には階段上に道が伸びていて、その先には城がそびえている。斜面の草地からも見えた、いくつもの細い塔が伸びている城だ。

「あそこまで逃げた子、いるかな?」

「いるかもしれないよ」

 門にたどり着くまでに二人、さらに子どもを見つけた。一人は先ほど私のワンピースをめくった少年で、もう一人とは話したことがない。三人は捕まるとおとなしく私の後ろを付いてくる。念のためスカートを抑えていたが、その心配は不要なようだ。ふらふらと通りを見て回っている私の後をぴょこぴょこと続いて、その様子が可愛らしくて、嬉しかった。

 ふと懐中時計を見てみると、針は半分ほど進んでいる。そろそろ変える準備をしたほうがいいかもしれない。

 門の目の前に来ると、想像以上に大きくそびえている。全体を見るためにはずいぶん見上げなければならず、首が痛くなるほどだ。私は口を開けたまま、門を見上げていた。手前側に開いているのは、全体の一部だ。車が一台通れるだろう幅しかない。それ以外のところはガラスなのだろうか、透けているようだが、固そうな壁がある。

「誰かいる?」

「さあ」

「行くの?」

 子どもたちの疑問に私は頷いて答えた。その先まで逃げた子どもがいると思っているわけじゃない。それよりも、私の中の好奇心が見に行けと言っている。きっと遠くから見えていた城が、西欧の、幼い頃に聞かされた物語の城を思わせる作りだったからだろう。

「待ってる?」

 振り返って子どもたちを見ると、三人は固まって一箇所に集まり、一様に頷いた。

「じゃあ、ここで待っててね。ちょっと見てくるから」

 私は高い門をもう一度見上げてから門をくぐった。その先には石の段が続いている。ゆっくりと、くねりながらおそらく城の入り口へと登っているのだろう。左右は高い崖に挟まれるようになっていて、先は見えていない。私はゆっくりと、一歩ずつその階段を登り始めた。白いきれいな石だ。高く進むに連れ、右側の崖が次第に低くなり、その先に城の頭が見ている。西欧の中世を思わせる城だ。

 と、私が城を見上げた瞬間、足元が消えた。歩いていた足が石に着かず、空を踏む。そのまま体のバランスが崩れる。


 落ちていく。

 突然のことながら、自分が落ちていると気がつくほど時間があった。恐る恐る目を開けてみると、すごい勢いで風景が上昇している。風圧が体に当たり痛く、お腹が圧力に負けて気持ち悪い。耳元で風の轟音が鳴り響き、自分の悲鳴さえ聞こえない。

 はるか上空に見える城の塔がどんどん小さくなっていく。左右にあった崖が次第に狭くなってくる。

 終わりが、近づいてくる。

 ふっと……

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